映画鑑賞履歴

  • さざ波(15)
    アンドリュー・ハイ: シャーロット・ランプリング
    71歳になっても、容色いささかも衰えずフェロモン放出の奇跡の女優シャーロット・ランプリング! 最近作のこの作品では、なんとなんと70歳を超える高齢者同士のねっとりしたベッドシーンを難なく演じ切る。おまけにあわや主演女優賞のオスカーまでも取る勢い。今後ともさらなるご活躍を切に祈ります。 (★★★)
  • レヴェナント蘇えりし者(15)
    アレハンドロ・イニャリトゥ: レオナルド・デカプリオ
    文句なしのアカデミー賞の監督賞、主演男優賞そしてなにより撮影賞。堂々たる大作・名作。どうしてもアカデミー賞をとれなかったデカプリオが満を持しての受賞。かつてギルバートグレイプで天才子役として頭角を現し将来を嘱望され続けてきたレオ様の満願成就の戴冠である。 (★★★★★)
  • 殿、利息でござる(16)
    中村義洋: 阿部サダヲ
    「武士の家計簿」以来絶好調の磯田道史先生原作で武士の生活のリアルを追及するオモシロ時代劇。今回も期待にたがわぬおもしろさ。かつては鼻についた阿部サダヲの演技も、顔だけの瑛太の印象も、今や二人とも見事な演技派に変身していて、びっくり!! とりわけ阿部サダヲはどこかの演技賞をとりそう。 (★★★★)
  • あん(15)
    川瀬直美: 樹木希林
    川瀬監督には珍しくとってもわかりやすい映画。この映画の良さは、展開よりもキャスティングの良さ。主演の樹木希林をはじめ永瀬正敏、そして樹木希林の実の孫の内田伽羅に至るまで見事にはまる。思い出すのはまだ20代の当時悠木千帆。TVでNHKの青年の主張の物まねをしたが、そのうまさはただ者でなかったことをなつかしく思い出す。 (★★★★)
  • 博士と彼女のセオリー(14)
    ジェームズ・マーシュ: エディ・レッドメイン
    エディ・レッドメインがホーキング博士を迫真の演技で演じ、アカデミー賞主演男優賞を獲得して、あっという間の名優昇格。障碍者の物まねではない演技とはどんなものかを見せつける。きれいごとではない事実を隠さず表現することによって、感動はいや増さる。 (★★★★)
  • イミテーション・ゲーム(14)
    モルテン・ティルドゥム: ヘネディクト・カンバーバッチ
    第二次世界大戦中、ドイツのエニグマ暗号を解読したアラン・チューリングを描いたノンフィクション。ぬかったことに私はこの事実を知りませんでした。驚くべき偉業を狂気と紙一重でひとりの天才がなしとげます。今や当代の人気者であるホームズ役者のカンバーバッチが畢生の名演技。脚本が見事で、余裕のアカデミー脚本賞。 (★★★★★)
  • バードマン(14)
    アレハンドロ・イニャリトゥ: マイケル・キートン
    アカデミー監督賞をはじめ4部門獲得。メキシコが生んだ鬼才イニャリトゥ監督は今年も「蘇りし者」でアカデミー賞2連覇と乗りに乗っている。見れば見るほど味の出る名作中の名作。「マッドマックス」とともに今年のアカデミー賞は全く新しい表現方法を開拓した2作品を適正に評価した。日本のアカデミー賞とは大変な違いだ。 (★★★★★)
  • セッション(14)
    デミアン・チャゼル: J.K.シモンズ
    昨年のアカデミー賞最優秀助演男優賞。音楽学校の教師によるドラム指導のスパルタ教育を描いていると思いきや、ラストに血も凍るような教師による裏切りが描かれる。私も以前、上司による同様の裏切りに遭遇し、同様に反撃してみたが、映画のような後味の結末には残念ながら至らなかったのを思い出す。 (★★★★)
  • 6歳のボクが、大人になるまで。(14)
    リチャード・リンクレーター: パトリシア・アークエット
    6歳の子供に焦点を当てて、18歳までの12年間を断続的に描き、成年への成長期をリアルに描く。青春時代の真ん中はそれこそ客観的に意識できないものだが、こんなことだったのかと再確認させられる。P.アークエットがアカデミー賞の最優秀助演女優賞をとっているが、肩の力を抜いた自然な演技。 (★★★★★)
  • 薄氷の殺人(14)
    ディアオ・イーナン: リャオ・ファン
    中国・香港合作映画。ベルリン国際映画祭金熊賞、最優秀男優賞。かつて北野武が「その男凶暴につき」でデビューして以来の新鮮な映像表現と鮮烈なリアリティー。中国映画としては張芸謀の「赤いコーリャン」以来の歴史的名作。フィルムは富士でもコダックでもない中国製らしい。それが何よりの脅威か。 (★★★★★)
  • 母と暮らせば(15)
    山田洋次: 吉永小百合
    山田洋次の反戦映画はいつも戦闘シーンが一切出てきません。今回もそうです。くすんだ色調で市井の庶民の生活を丁寧に描きます。井上ひさしの「父と暮らせば」の立派なオマージュ。冒頭の原爆投下シーン、医大の授業中に教室が明るくなりインク壺が溶け、遅れて轟音と暗黒。キノコ雲を出さずに原爆を語る歴史的名シーンだと思います。 (★★★★)
  • スターリングラード(93)
    ヨゼフ・フィルスマイアー: トーマス・クレッチマン
    有名な2001年のアメリカ映画とは同名ですがかなり違います。あれはロシア軍から見たスターリングラード攻防戦。これはドイツ映画でドイツ軍から見た攻防戦。米映画よりリアル。投入されたドイツ軍26万人。生還したもの6千人。我が国のペリリュー島も硫黄島もはるかに上回る地獄の戦闘だったわけです。 (★★★)
  • アウトレイジ ビヨンド(13)
    北野武: ビートたけし

    前作と同様、カンヌを狙い、たけしも結構本気出していたが、今回も空振り。しかし、私はかなり楽しめた。殺し方もずいぶん新手で驚かすし、ヤクザの演技も本物よりヤクザらしい。しかし、いくらなんでも死人が多すぎ。ラストはまだ続編の意欲満々に見えるが、如何なものか? (★★★)
  • 終の信託(12)
    周防正行: 草刈民代

    安楽死問題を真正面から取り扱う周防監督らしい社会派意欲作。苦悩する医師をオールドミス女医役として監督の愛妻草刈民代に超長回しで挑戦させる。草刈民代は正直言って荷が重く、役所広司や浅野忠信、大沢たかおなど脇を思いっきり固めるが無理だった。 (★★★)
  • チョコレートドーナツ(14)
    トラビス・ファイン: アラン・カミング
    ゲイのカップルがダウン症の少年を保護し愛情をそそぐ感動作。世間から二重の差別を受ける3人が、本当の家族について考えさせる注目作。ラストの衝撃に落涙必至。 (★★★★★)

最近のトラックバック

2017.05.15

たばこと塩の博物館の奇跡

Tabasio

たばこと塩の博物館というミュージアムがあります。
以前は、渋谷の公園通りの一等地にありました。
それがおそらくJTの経営方針なのでしょう、資産の効率的活用ということなのでしょうか、私の住まいのすぐ近く墨田区横川に2年前に移転してまいりました。
当時、スカイツリーが誕生したばかりで大騒ぎでしたから、場合によってはスカイツリー効果に便乗しての移転だったのかもしれません。

そうはいっても、渋谷時代と同様、相変わらず入場者は日曜でも極めて少なく、余裕たっぷりで見学することができます。現在の特別展のテーマは、「着物と装身具に見る江戸のいい女・いい男」です。展示内容は、ゆっくり見ることができたせいか、非常にわかりやすかったです。

さて、私の申し上げたい「この博物館の奇跡」とは、もちろんこうしたことではありません。アクセスが悪く、サインも不徹底というハンデを克服して私がチケット売り場にようやくたどりつき、「1枚お願いします。いくら?」と質問した時に起こりました。売り子の世にも美しい女性は「100円でございます」と明確におっしゃったのです。
なぜこの事件が奇跡かと申しますれば、この時の売り子の女性の正しい対応は私の風体・物腰を一瞬で見てとってシニアと判断したうえで、シニア料金である「50円」を請求し嫣然として微笑むべきだったのです。
ということはこの売り子は、私の風体・物腰を一瞬で見て取ったうえで(自信を持って)私が59歳以下と判断したわけなのです。これは奇跡です。私が10歳ほど若く見えるかもしれないという証拠なのですから・・・
この時私は「シニアも100円ですか?」と落ち着いて反応しました。
次の瞬間、彼女は驚いたように目を見張り、「あっ、シニアの方は50円です。年齢を証明できるものは何かお持ちですか?」と言いました。
そして、たった3分程度のこの100円玉と50円玉のささやかなやり取りは、幸せなラストを迎えることになったのです。

なお、異説もあるようなので、最後にご紹介します。
とにかくこの「たばこと塩の博物館」の数ある特徴のうちのひとつは、入場料金の安さにあります。何しろ「大人1枚たったの100円」です。この値段を提示されてのち、「シニアなら50円だろう?」とさらにねじ込むおっさんは、めったにいないということだけなんじゃないか・・・  ということだけだったのかもしれない、ということです。

NHKのトップニュース

NHKのトップニュースの選択について話したいと思います。

一昨日5/13のことだったと思います。私はちょうどNHKの看板である夜7時のニュースを見ていました。最近は、大きなニュースが連日花盛りで、この日も全国ニュースのトップをかざりそうなニュースは枚挙にいとまがありませんでした。

いくつか例を挙げれば、「北朝鮮情勢」「トランプ大統領の暴言・蛮行」「稀勢の里の活躍」「オリンピックの経費負担割合」「豊洲市場への移転問題」等々、どれをとっても立派なトップニュース候補です。
最近は、民放のニュースが始めてNHKが追随しつつあるようですが、その日のニューステーマをすべて並べながら人気順に今日のニュースのベストテンとして紹介するスタイルまでできあがっています。すなわち、それほどまでに視聴者のニューステーマの重要度に対する関心は高いのです。

さてそこで、本題のNHKのこの日の夜7時のニュースのトップは何だったのかsign02という問題についてです。私はあまりのことにしばらく開いた口がふさがりませんでした。そのトップニュースはなんとsign03なんとsign03
「東京都渋谷区(これ以上詳細な地名はなぜか不詳)でおきた火事」についてでした。焼失面積はわずか20㎡、死傷者と言えば女性がひとりだけ負傷、とのこと。はっきり言えば「ただのボヤ」なんです。
どうしてこのボヤニュースが、トランプも金正恩も小池都知事も抑えて花のNHK夜7時の全国ニュースのトップを飾ることができたのか?

どなたか教えてください。

ちなみに、そのメディアのトップニュースの評価は、通常そのメディアの知性とセンスのレベルを忠実に反映すると思いますよ~。

2017.02.26

君は魁傑を覚えているか

Kaiketsu

稀勢の里がようやく初優勝、横綱に昇進して、全国の大相撲ファンは大喜び。相撲人気はわが世の春で、連日の満員御礼。どなた様もご同慶の至りでございます。
こうした能天気な相撲人気を見せつけられておりますと、私はいつもあるひとりの孤高の名理事長を思い出さざるを得ません。
今を去るたった6年前、2011年の2月に発覚いたしました大相撲八百長問題。この問題に現役の時の相撲同様、決して逃げずに正面から取り組んだ快男児、名大関魁傑、すなわち2010年8月から1年6か月理事長として取り組んだ放駒理事長であります。まるで八百長問題を解決するためだけに理事長になったように見えるほど在任期間は短かかったんです。そして、八百長問題を解決すると、理事長を潔く退任し、その後わずか2年後、力尽きたように亡くなったのです。わずか66才でありました。
放駒理事長時代にはどういうわけか大相撲の歴史上稀有なほど、難題が重なります。たとえば、相撲協会の公益法人化、これが八百長問題とシンクロして公益法人の認可が得られないのではないかという議論さえ交わされました。さらに、年寄名跡の協会一括管理問題。いずれもこの時期だったのです。
八百長問題の嵐吹きすさぶ最盛期には、関係力士たちの事情聴取を経て19人引退勧告または解雇通告。2011年春場所は開催中止、地方巡業はすべて中止。やっと開催した本場所もテレビで見ていてはっきりわかるほど連日空席が目立ちましたね。こうした四面楚歌の状況にじっと耐えながら、魁傑はたった一人で弁護士と調整し、理事会の意見をまとめ、記者会見での説明もたった一人でしのぎ切りました。親方衆からは猛反発を受け、孤高の理事長と言われました。
私は当時職場が両国国技館のお隣であったこともあって、問題解決のために必死に奔走する魁傑と何度も遭遇しました。私とすれ違う時の魁傑の姿はいつも全く同じ印象的なものでした。すなわち、現役時代に痛めたのでしょうか、左足をひきずり、前かがみでひたむきなものでした。自分の置かれた孤高の立場にじっと耐えながら、一切弱音を吐くことなく、お見かけする時はいつもおひとりでした。そして、いつもJRで電車通勤し車は使わない律儀な仕事ぶりでした。

当時は、相撲協会の公益法人化の却下、ついには大相撲の消滅まで週刊誌等で当然のように議論されていたのです。
そして、魁傑はまるで問題解決に至るまでの相撲関係者の轟轟たる不満とたった一人で心中するかのごとく消えていきました。
我々相撲愛好者は、現在の大相撲の隆盛を寿ぎながらも、魁傑が身を捨てて再建したことを未来永劫決して忘れるべきではないと思います。

2017.02.22

初体験!! ライブビューイング

Utaenishi

「ライブビューイング」なるものを初めて見ました。
通常、ライブビューイングはサッカーなどスポーツ中継を、大きな競技場などでみんなで一緒に応援しながら見るようなものでありますが、私の見たものは音楽コンサートの同時中継を映画館で見たのでありまして、ライブビューイングとしては、異色かもしれません。
見たのは、「中島みゆきリスペクトライブ 歌縁(うたえにし)2017」。中島みゆきを敬愛してやまない7人の女性歌手がそれぞれ2曲づつ、熱唱します。中島みゆきは出演しませんでした。女性歌手たちは、いずれも手練れの歌手たちで、技量の巧拙はあっても、それぞれ魂を込めた歌いぶりで聞かせます。
出演者をご紹介しますと、大竹しのぶ、華原朋美、中村中、一青幼、クミコ、研ナオコ、そして待ってましたsign03われらの島津亜矢。
いずれも感動させますが、聴かせたのは、クミコの「世情」、大竹しのぶはさすが、亜矢ちゃんの「命の別名」は歌唱力のすごさを忘れさせるほどにすごいsign03 研ナオコは最後に「島津亜矢は日本一の演歌歌手だ」と激賞していましたが、それはその通り。そして、意外に拾い物は中村中。歌はうまくありませんが、魂の表現力は半端ではありません。
同時刻に公演している本番の場所は「渋谷オーチャードホール」。一方、ライブビューイングの会場は私が行ったのは「TOHOシネマ日本橋」、日本全国14か所の映画館で同時中継したらしい。
ライブビューイングなどとしゃれたネーミングをつけているが、所詮大きなテレビに映写されるコンサート中継をみんなで見ているだけの代物で、チケット代四千円は高すぎるんじゃないの? とご不満の向きもあろうかと思われますが、もっともそのことを懸念していた私自身からあえて言わせていただくと、率直に言って、「It's fun! It's great!」でございました。
舞台を生で見ている感覚を大事にするために、ライブビューイングは、あらゆるテロップ・字幕は入りませんで映像だけです。そして、家でテレビを見ているのとはもっとも異なる点は、4Kの大画面で音が素晴らしいということです。
音については、私の席の後ろに座っていた業界人らしいおじさんが「オーチャードホールより音がいいんじゃないか。特に席の位置による音の偏りを補正しているため、どこの席でも聴きやすい」と褒めておりました。
そして、私が最も強調したいのは、4Kの解像度で、大画面でアップにした場合、歌手の緊張度は言うに及ばず、本気の程度もっと言えば魂の入れ具合が容易に見えるのです。おそらくこれは、オーチャードではどんなにいい席でも味わえる感覚ではなく、ライブビューイングならではの感覚だと思います。

ということで結論から言うと、私はライブビューイングコンサートに病み付きになってしまった次第なのであります。

2017.02.01

当世音楽事情

同じシニアのご同輩の皆さん、そういえば我々団塊の世代はさても音楽好きな人種でしたよね。レコードが買えない小学生時代の我々は、安物のオープンデッキのマイクの真ん前にラジオのスピーカーを据えて、ヒット曲を録音して覚えたものでしたね。
その後のビートルズ時代、そしてフォーク時代。CDを買い込んでひたすら聞いていましたね。
さて、ご同輩、そのCDが極端に売れなくなっていることをご存知か?
平成21年から平成26年の6年間でCDアルバムレコードの売り上げは、なんと 2/3 と激減して1423億円。どうやら音楽好きの若者たちは、スマホをはじめとした電子媒体やストリーミング視聴に雪崩を打って変化しているらしい。

そしてもうひとつの驚くべき、顕著な数字の変化を見ていただきたい。
それはコンサート市場の爆発的拡大なんです。同じ平成21年からの6年間の数字を見てみますと、なんとsign03 2.2倍の拡大で、2749億円sign03 この結果、音楽ソフトの売り上げ萎縮を補って余りあるコンサート市場の拡大により、音楽ソフトとコンサートの総需要は同じ6年間でなんとsign03 20%の膨張なんですねぇ。
こりゃ、ちょっと驚きますよねぇ、ご同輩sign03
これらの数字、実はなかなか調べにくい代物でして、「一般社団法人コンサートプロモーターズ協会」の資料にあたってやっと出てまいりました。

わかりやすく申しますと、最近の若者は、家の中で孤独にCDを聴くなどという悠長なことはせず、好きなアイドルなり歌手にターゲットを定めて、アリーナ公演やドームツアー公演を目指して、全国を追っかけまわして音楽を楽しむスタイルのようなんです。これを称して「追っかけ」と申します。

というわけで、小生も、2月19日はオーチャードホールの「中島みゆきリスペクトライブ」、4月15日は浅草公会堂と、島津亜矢を追いかけていく予定です。

2017.01.25

島津亜矢コンサート

Shimazu


島津亜矢のコンサートに行ってみました。

去年の暮れも押し詰まった12月26日。場所はTBS赤坂アクトシアター。
私にとってTBS村に足を運ぶのは、小学校の5年生の時に、視聴者参加番組「みんなで歌おう」の観客のひとりとしてTBSスタジオに行って以来でした。この番組は当時人気絶頂のダークダックスをメインに、名司会者小島正雄を配してただひたすら観客が歌を歌い続けるというシンプルな番組でした。TBS村はすっかり変わっていました。まるで、夢の中のシンデレラ城のようでした。

さて、肝心の島津亜矢コンサートです。観客の入りはほぼ満席。若い人はほとんど見かけませんで、目につくのは50代や60台以上のシニアが圧倒的。男女比はほぼ半々。シニアたちも、元サラリーマンたちには決して見えず、元農民または現自営業の感じです。簡単に言えば、典型的な演歌仕様のお客さんたちです。
ステージのスタートは、真っ暗な舞台に一条のフットライト。おととしの紅白で全国の感涙を絞って、ネットを騒然とさせた名曲、「帰らんちゃよか」を、アカペラで島津亜矢が絶唱して始まります。若手亜矢ファンのわたしとしては、もっとも理想的なスタートです。しかし、この出だしの価値をこの観客たちは理解できるのであろうかと、心なしか不安になります。
そのあとは、昨年イマイチヒットしなかった「独楽」を熱唱した後、問題の「腕のシワが五線紙に見える」という星野哲郎が無理筋で作詞した名曲「海鳴りの詩」。ここいら辺から、彼女の熱唱に自然と涙ぐまされます。等々と続いて、真ん中に休憩が20分挟まれます。
休憩後は和服から着替えて、白いイブニングドレスに早変わり。スカートをフワフワさせながら中島みゆきなどのニューミュージックを歌います。亜矢は亜矢でも、まるで松浦亜弥が出てきたようでした。しかししかし、私はここで大発見をすることになります。すっばらしいのです。中島みゆきのカバーは星の数ほどいろいろな歌手がやっていますが、これだけ感動的に歌い上げられる歌手は島津亜矢以外いないだろうと自信を持って言えます。ひょっとするとというか、間違いなく中島みゆき本人よりもいいと思います。彼女の良さは、ただ上手に歌っているわけではなく、歌詞の意味を十分に咀嚼して生きた歌として歌いきっているのです。とりわけ、中島みゆきの詩は、時折激しい怒りを内包させており、この点については気が付かないファンが多いのですが、島津亜矢は正確に理解して表現できる数少ない歌手です。典型的な歌は、「命の別名」です。「世情」ももちろんそうですね。ちょっと聞いただけではわからないのですが、この歌には血を吐くような激しい怒りが隠されています。島津亜矢は他の歌手では表現できないようなそんな怒りを彼女の無限と思える歌唱力によって、それこそ血を吐くように歌い切ります。この歌こそ、赤坂アクトシアターのお客さんたちには間違いなく理解不可能の領域で、届くはずなく歌われているはずです。もったいないというのが率直な感想でした。観客の興味と歌い手の能力がこれほどに見事にすれ違っている不幸な組み合わせも珍しいと思うなぁ。

私は確信しているのですが、島津亜矢はあまりの歌唱力のスケールの大きさのため、気が付かれにくいのですが、演歌などよりいわゆるニューミュージックの方が、彼女の能力を生かした今までなかったような歴史的名曲を可能にすると思います。
と思っていたら、「中島みゆきリスペクトライブ」ってやっているらしい。やはり、みんな考えることは同じようだ。

2017.01.23

島津亜矢がすごい !!

Shimazuaya

島津亜矢という演歌歌手がいます。
めっぽう歌のうまい歌手で、NHKのオーディションで最高得点を取り、審査員の藤浦洸をして「末恐ろしい」と評させしめ、高木東六は「十年に一度の演歌の逸材」と絶賛したらしい。私は高木東六の評価とは異なり、戦後比類なき最高の演歌歌手というべきだと思っています。
「戦後最高」ということは、美空ひばりをも凌ぐと評価していることになり、眉に唾する諸兄もおられるかもしれませんが、私は結構本気で言っておりまして、覚悟もあるつもりです。ひばりの歌で島津亜矢が負ける点は、その豊かな情感でありますが、情感の表現がくどくない分、表現力はひばりより自然なものとなっています。その他、音程の確かさ、声量の豊かさ、音域の広さ、高音域での声の伸び等々、他の歌手を圧倒いたします。ユーチューブを探してみると、島津亜矢の場合、名人といわれる演歌歌手と並べられて共演させられる場面が非常に多く、キムヨンジャであろうが、都はるみであろうが鎧袖一触、圧倒し尽くし、気持ちのいいほどはっきりと勝敗をつけてしまいます。北島三郎や布施明のように、歌いだした途端に、首を振り、感嘆の評価を明らかにする歌手もおります。

ところが、どうにもこうにも不思議なことには、この人自分のヒット曲がほとんどなくて、コンサートでもかわいそうなことに他人の歌ばかり歌っているのです。
そうは言っても誰もが認める当代抜群の演歌歌手ゆえ、紅白歌合戦にはすでに3度出場しております。
初出場は実に15歳でデビューしてから15年経過後の2001年、歌は「母さんへの感謝状」。ほとんどヒットしなかったんだけれど、NHKは歌わせてくれました。(紅白歌合戦での選曲はNHKが決めるそうです。)
2回目は一昨年の2015年、この時は感動の名曲「帰らんちゃよか」。この年は亜矢ちゃんにとってデビュー30周年にあたり、若干お情け気味だったのかもしれませんが、彼女にとって最高の曲をぶつけることによって、特にネットの間では大きな反響を呼び、いくつかのラジオ番組にも取り上げられたようであります。この時もNHKの亜矢ちゃんに対する冷たい仕打ちが話題になっていました。すなわち、亜矢ちゃんの歌うときは、初出場の時もそうだったらしいのですが、紙ふぶきを舞わせるとか、レーザービームを飛ばすとか、最低でも舞台を暗くするぐらいの劇的効果を仕掛けてもいいはずなのに、一切何もしてくれなかったのです。これは3回目の出場の去年の「川の流れのように」の歌唱でも変わりませんでした。去年はおまけに2階特設ステージで、会場も明るいままという始末で、もはやNHKの島津亜矢に対する明白ないじめとしか言いようもなく、一部ネットではNHKへの非難は厳しさを増しております。

なお、彼女の師匠にあたるのは、名作詞家の星野哲郎でありますが、なにしろ彼女を弟子に持ったのは不運なことに星野の晩年にあたり、ずいぶん彼女に力を入れていたようなのですが、2005年の日本作詞大賞「大器晩成」ぐらいしかヒットらしいヒットは見当たらないのです。なお、この曲の作曲は北島三郎です。
私が星野哲郎を晩年と評するには理由がありまして、ひとつは1986年のデビュー曲も当然星野哲郎作曲なのではありますが、曲名は「袴をはいた渡り鳥」なんですわ。半世紀ぐらいずれてますわな。また、比較的ヒットした曲に「海鳴りの詩」というスケールの大きな歌がありますが、この歌詞の冒頭は「五体に刻んだ赤銅色の シワが男の五線紙だ~~」っていうんですが、ええ~っsign03 そうなんですかぁsign03 だよねぇ。

2017.01.12

「この世界の片隅に」がいい!

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珍しく私の家族が声をそろえてイチオシして、「ぜひ見ろ」と推薦してきたアニメ映画があります。興行収入レースのトップを独走する「君の名は。」ではありません。
「この世界の片隅に」という覚えにくい題名の映画です。
そこで、年金生活者としての立場を有効に利用して、平日のお昼開始という絶対空いている時間帯を狙って錦糸町に見に行きました。驚きました。混んでいるのです。シニアが多いのです。というか、シニアがその父または母親を連れてきているような二人連れが多いのです。そして、おっさんが多いのです。最近の映画館は、男女比は大体女子が男子の倍というのが相場ですが、「この世界」は逆でおっさんがおばはんの倍入っています。

映画の内容は、主人公のちょっとのんびりした広島生まれの20歳前後の娘が、呉に嫁に行き、空襲と広島の原爆を経験しながら、ごくごく自然体で懸命に生きていくありのままを淡々と描いていきます。
アニメは冒頭から堅固で独特の生活のリズムを感じさせ、戦争中であることを時たま忘れさせるような日常をていねいに紡ぎあげていく。すなわち、今の時代の我々が今戦争に遭遇したとしても、こうした生活をするんだろうなと予想させる独特の緊張感を伴う日常がひしひしと胸に迫り、淡々と暮らす日常との対比によりこれまで経験したことのないような胸深く発する感動に導く。そうした意味で、冒頭10分程度でもう、何も感動的なエピソードも展開していないのに、訳のわからない確かな深い感動を感じさせる不思議な映画である。
この映画の雰囲気を決定的に特徴づけるのは、なんといっても主人公の声を演じる「のん」がぴったりのキャスティングだということである。おそらくこの映画の成功は、のんを主役の声に起用することによって半分実現していたと思う。
のんというのは、NHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」で主役を演じた能年玲奈のことである。仄聞するところによれば、事務所から独立するに際してのお決まりのゴタゴタから「能年玲奈」という芸名を取り上げられ、新たに「のん」と名乗った心機一転の作品らしい。そういう意味では、のんは最高の作品に出合ったと言っていいだろう。独立のトラブルで不幸な展開をするケースが多い中で、珍しい幸運な事例である。のんちゃんの今後を幸多かれと祈る次第である。

見終わって帰宅し、夜のニュースを見てみれば、なんとsign03 90回目と日本で最も伝統ある映画賞である「キネマ旬報ベストテン」第一位は、あの「シン・ゴジラ」を抑えて「この世界の片隅に」に決まったそうである。ご同慶の至りである。ついでに言えばライバルと思われた「君の名は。」はベストテン圏外であるそうな・・・
なお、アニメ映画が1位になるのは昭和63年の「となりのトトロ」以来、28年ぶりであるそうな・・・
日本アカデミー賞が楽しみになってきた。

2016.12.12

テレビ視聴率調査の歴史

三谷幸喜氏によれば(朝日新聞「ありふれた生活」)、この秋からテレビ番組に関して、新たに「総合視聴率」が発表されるようになったそうである。「総合視聴率」とは、今までの視聴率に「録画率」(正確にはオンエアから一週間の間に再生された率)を加えたもの。
三谷によれば、面白そうなバラエティと面白そうなドラマが同じ時間帯に重なったとしたら、視聴者はどう考えてもドラマの方を録画して、バラエティを見るはずで、ドラマの視聴率が苦戦するのは当たり前なんだそうである。そして、三谷幸喜作おなじみの「真田丸」は、リアルタイムはそこそこだけれども、録画率は高いので、総合視聴率はぐんと跳ね上がり、そのうえBSの先行放送の数字も高く、土曜日の再放送分まで加えると「真田丸」は公表数字をはるかに上回る大変な高視聴率ドラマだそうである。

さてここで、例によって私が思い出したのが、昭和30年代の東京です。私はまだ小学校の3年生か4年生の頃のテレビの視聴率の調査方法についてです。
当時はまだテレビの普及率自体が20パーセントを上回ったばかりだったのではないでしょうか、この頃の視聴率調査の方法を想像してみてください。それは今の世代の人には絶対に思い及ばないような意外な方法だったのです。
結論を言えば、機械調査ではなく、人手による訪問調査だったんです。
すなわち、NHKの調査員のお姉さんが、わざわざ我が家に調査票を持参しておいでになり、視聴者との「面接」により調査票を埋めていくというおっそろしくていねいな方法だったのであります。
調査対象は、NHKの番組だけであり、当時すでに放送を開始していたNTVやTBSには一切目もくれないという徹底ぶりでございました。

そして我が家の暴君、すなわち私は、この役割をことのほか気に入り、親に代わってNHKの調査員のお姉さんと濃密な面談を展開したわけであります。
当時の放送時間は大変限られていたこともあって、私はそれぞれの番組を克明に記憶しており、NHKのお姉さんに的確かつ詳細な感想を述べていたこともあって、NHK側にとっても、私は大変便利な視聴者だったと思われます。さぞや得意満面であったことでしょう。生意気な小僧であります。

あっ、それから、この調査に協力すると、レアもののNHK特製ボールペンももらえたことも、私にとって大きな動機づけになっていたと思われます。

2016.11.09

裏磐梯の山体崩壊

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裏磐梯に行ってきました。
目的のひとつは、もちろん定番の紅葉観賞。裏磐梯は、ご承知のようにわが国有数の紅葉ビュースポットで、今年のJR東の重点広報観光地となっているようで、磐梯山をあしらった特大の紅葉ポスターを東京駅でチラホラみかけました。美しいポスターでした。
行ってみて「どうだった?」と問われれば、今年は9月まで結構暑かったので、紅葉の見ごろは例年より一週間程度遅れていたようです。私としては、遅れ気味を承知で行ったため、結構ぴったしのタイミングで紅葉を楽しむことができました。おすすめのスポットは、定番の五色沼は別として、檜原湖が圧巻でした。ボートを仕立てて、湖の中央近くに行くと、大満足のビューポイントがたくさんありました。

しかし、私の今回の裏磐梯旅行の第一の目的は、実は紅葉ではありません。
磐梯山は今から120年前の1888年、大噴火をおこしています。磐梯山の火山活動の最大の特徴は「山体崩壊と岩屑なだれ」というもので、120年前には「山体崩壊」の表現通り山の1/5程度がぶっ飛んで、吹き上げられた岩屑が川をせき止めて、その結果五色沼や檜原湖ができたのだそうです。想像するだけでも壮大なもので、世界でも非常に稀有な噴火形態でして、磐梯山に匹敵する山体崩壊は1980年のアメリカ・セントヘレンズ山だけだそうです。
山体崩壊sign03 なんと迫力満点の劇画調のネーミングでありましょうかsign03
その120年前の噴火の際の噴火口が現在銅沼(あかぬま)のあるところで、そこまでやっとの思いで登って撮った写真が冒頭のものです。裏磐梯の山の側面が、まるで地学の教材ジオモデルのごとく巨大な断面をさらしてくれています。
NHKの人気番組「ブラタモリ」で、地質学に対する深い造詣からゲストの学者たちを毎回驚愕させているタモリさんがこの裏磐梯の壮大な光景を前にして発した言葉を最後にご紹介しておきます。

 「間違いなく僕にとって生涯ベストワンの景色になるに違いないすばらしい景色ですsign03

2016.07.12

今回参院選、ここがおかしい!!!

一昨日開票され、なんと我が国選挙史上初めて、改憲派が3分の2に達するという、今回参院選。少なからざる有権者は「えっ?本当かね?」と、驚くというよりも訝る始末。
「綸言汗のごとし」とは申しますが、先日のかの大英帝国の国民投票のEU離脱と同様、どんなにどんなに不可解な結果であろうとも、一度投票されたならば、元には戻らないのであります。
しかし、よくよく考えてみますと、今度の参院選、小生のような民主主義にどっぷり浸かっているおじさんにとっては、すっごく変な選挙でした。

まず最初にNHKの選挙報道が変sign03sign03
戦後数十回も繰り返されているNHKと民放の選挙報道のしのぎあい。あまり知られていませんが、前回衆議院選挙の時に史上初めて民放のNTVが、一瞬NHKの視聴率を抜いたのです。取材力から分析力、総合力で絶対に負けてはいけなかったはずのNHK。今回は鉄壁の備えと高い緊張感で臨んでいると思いました。ところがどっこい、今回のNHK、従来に輪をかけて緊張感のないだらしのない報道態度で驚かされました。
見た方はみなさん感じられたと思いますので、ひとつだけ例を挙げます。
今回の参院選でどの新聞社も指摘していた激戦区のひとつは、定数が6に増えた東京選挙区でした。東京選挙区の5位以下はあまりに激戦のため、出口調査を勘案してもなかなか当確が固まりません。ここまではどんなに鈍い報道関係者でもわかる話なのですが、NHKは理解不可能の行動に出ました。すなわち、投票順位のパネルを5位までと6位以下の2枚に分けて表示したのです。当落線上の5位から7位までの3人をわざわざ一覧では見せず分離して見せたのです。一覧で分かりやすくしたくなかったとしか考えられません。何のためにsign02
謎です。
なお、民放のTBSなどは、一覧で見やすくしたのは当然のこととして開票時間の経過ごとに上位8人の順位の変遷を表にしていました。これはNHKの怠慢とか、慢心とか、やる気のなさとか、そんな単純な話では括れない謀略が裏にありそうな気がします。それほどに不可解な事件でした。
次に、18歳の投票態度が変sign03sign03
今度の参院選、いくつかの歴史的要素がありましたが、そのうちのひとつが申すまでもなく選挙権の拡大によりまして、18歳19歳の諸君にも史上初めて選挙権が与えられたことです。それはそれでご同慶の至りでありますが、これがちょっと変なんです。
各テレビ局は、18歳すなわち高校3年生の受け止め方を取材していました。
ここでびっくりsign03 驚くべき反応が判明しました。ほとんどの高校3年生は「関心がない」「情報がなくてわからない」「投票の仕方を教えてほしい」「どうやって判断するのか」要するに半分程度が「選挙って何sign02状態」なんです。
「おいっ、おいっ、おいっ。なんだよ、おまえら!!」と言いたくなりました。
皆さん、恐縮ですが50年ばかり時代を遡っていただけますでしょうか。そうです、私たち団塊のおじさんたちが高校3年生、花も恥じらう紅顔の美少年の時代です。この頃はベトナム戦争真っ最中、70年安保の直前。大学生たちに負けず高校生たちも街頭に飛び出し、ある者はフランスデモ、ある者はビラ配り、ある者は投石。そして、あの都立青山高校では屋上を占拠し火炎瓶を投げる始末。当然逮捕者も数知れず。
一体全体、この50年間はなんだったのでありましょうか? 進歩なのか、はたまた退歩か?
しかし、逆に言えば、現代のようにいわば (失礼を厭わずあえて言えば) 頭カラッポ状態の18歳が誕生したからこそ選挙権が拡大されたわけで、50年前では不可能なことなんでしょうね。

さて、最後の変sign03 候補者が変sign03
比例区タレント候補者の元スピード、今井絵理子。朝日新聞と毎日新聞の候補者アンケートに全問白紙。沖縄問題にも回答せず。理由は「新人ではわからない、勉強してから回答する」との由。それっておかしくないかい。
もう一人、もっとひどいケースをお知らせします。冒頭ご紹介した最激戦区東京地方区の自民党候補者、朝日健太郎氏。選挙運動中にテレビ取材を受けているところが、放送されました。
記者「今回参院選の争点の一つは憲法問題だと思われますが、朝日さんのご意見は?」
朝日「私は新人候補者でございますので、まだ勉強不足なんです。そうしたむずかしい問題につきましては、先輩議員にお任せしたいと思っております。」
開いた口がふさがらない、というのはこのことであります。
彼が握手したおばちゃんたちは黄色い声で「イケメンだわぁ。私、投票する!!!」と絶叫。
結果はご承知のように今井嬢は自民党比例候補者中5位。朝日氏は、東京選挙区当選者6人中5位でいずれも悠々と当選されました。

これこれ、50年前に紅顔の美少年だったご同輩たちよsign03
あなたたちの言いたいことはよくわかりますよ。
大英帝国の国民を愚鈍だと笑うわけにはいかなくなりましたよね。
なにより、民主主義ってやっちゃいけなかったんじゃないか?
やっぱり50年前にちゃんとしとかなくてはいけなかったんじゃなかろうか?
だけども、もはや Too Late だよなぁ。
いやいや、ご同輩、まだまだこれからだと思いましょうよ bleah

2016.06.29

ガリガリ君の舛添心

舛添心の舛添心たる核心として、庶民の注目を最もあつめたのは、氏名不詳の元新聞記者の編集者と政治会談が行われたと言われる今やあまりにも有名な千葉県木更津の温泉ホテル「ホテル三日月竜宮城」。このホテルの売りは、いくつもあるジャンボ風呂。子供が大喜びするビッグスライダーも大迫力。おまけに、ひとり一泊二食で一万二千円。家族四人で行っても5万円であがる低コスト。いかにも舛添さんが喜びそうなコストパフォーマンスの良さ。さらに、この二食、朝もバーベキューならディナーもバーベキュー。育ち盛りの子供が何人いても心配なし。小生の貧乏時代もかくやというつましさであります。

もうひとつ、ホテル三日月の売りを紹介させてください。なんとsign03開運純金風呂があるんですsign03入れば運が開けるそうですよ。これまた舛添心を激しくゆさぶるアイテムなんでございましょう。

さて話はいったん変わりまして、去る6月24日TBS報道番組「NEWS23」での参議院選挙に向けての党首討論におきまして、「生活の党と山本太郎となかまたち」の共同党首山本太郎氏から明らかにされた事実によりまして、もうひとつの舛添心の意外な普及状況が判明しましたので、ご紹介いたしましょう。

それは安倍晋三首相が「ガリガリ君」の購入を政治資金収支報告書に記載していたというものです。
安倍首相は「私の支出で買っているんですから、そんなものを政治資金で買いませんよ」といえば、山本氏は「コンビニの領収書が添付されているんです。政治資金収支報告書に載っていることは明らかなんです。」と続ける。
これに対して安倍首相、「政党助成金以外の支出もすべてオープンにしているが、私が食べた分を載せるということはありえないですよ」。この安倍首相の弁明は、首相以外の人が食べたガリガリ君を計上したことは認めた趣旨であるらしい。
まさに、舛添心の面目躍如であります。

ここで皆さんが真剣に考えるべき問題は、
一人一泊二食(バイキング形式)一万二千円の家族旅行の政治資金支出はクビで、一本70円(今年から20年ぶりに10円値上げされたそうである)のガリガリ君はクビにならないという理屈はどこにあるのかという問題であります。

なお、阿部首相のガリガリ君疑惑につきましては、しつこいようですが、2015.1.20付で既に日刊ゲンダイが問題にしております。
同紙の開示請求に対して、「ガリガリ君コーンポタージュ×2」と印字されたコンビニの領収書が提出されているそうであります。
安倍首相の資金管理団体「晋和会」の収支報告書に計上する少額領収書として総務省に提出されていたそうであります。

誰にでもある「舛添心(ますぞえごごろ)」

またもや更新が滞って申し訳ありません。「何が何でも書きたいというネタ」が発酵してくるまで書かないというルールにしておりますので、どうしてもこうなりがちでありまして、ご容赦いただきたい。
というわけで、例によって困ったときの時間厳守子さん頼みです。お題は「誰にでもある舛添心」ということで転載許可をいただきました。では・・・


利用している区営プールの更衣室のコインロッカーは100円玉が必要だが、最後に戻ってくる仕組みになっている。この戻ってきた100円玉が忘れられていることがしばしばある。本日は小生の使っていたロッカーの隣のロッカーに100円玉が忘れられていた。ほんのちょっと前まで若い父親と小さな男の子が使っていたロッカーだ。


いつもならラッキー!と直ちにいただくところだが、本日は不思議な勘があって、直ちにいただくのではなくて、着替え終わっていよいよ帰るときになってもお金を取りに戻って来ないならばいただくことにしようという冷静な判断が働いた。この日に限って生じた判断で、何故そのような考えが生じたのか、まったくわからない。


なんと!若い父親が100円玉忘れちゃったなどとつぶやきながら戻ってきたのだ。もし100円玉がなかったら、更衣室に居たのは小生ひとりだけだし、しかも隣のロッカーを使用中なのだから、小生が疑われるのは100%である。


もしその若い父親が小生に声をかけてきたら、どう対応していただろうか?「さあ、しりませんね」ととぼけることもできるし、「すいませんね、はいこれ」とあやまって100円を返すこともできるし、「係に届けようと思っていました」などとうそを言って返すこともできたであろう。若い父親が興奮するタイプで「てめぇ、きたねぇな」などとつっかかってきたら、「なにっ、この野郎」などと若干のトラブルになっていたかもしれない。


いずれにしろ、本日は不思議な勘があって恥をかくこともなく、トラブルになることもなく、平穏にプールをあとにすることができた。


誰にでもある舛添心、心の平安を大切にするのなら、抑えるのに越したことはない。


以上でした。

2016.04.27

春野恵子の特長

Kieranightray

春野恵子を聴こうとして、この数か月いろいろ手を尽くしたものの、基本的に大阪の活動が多いせいか、聴く機会を逃し続けています。

TVであれば、NHKのご理解が深く、NHKでの出演実績が多少多いようですが、その機会も逃し続けております。
ということで、結局、YOUTUBEに頼ることになってしまうのですが、どういうわけか、これも高精細で音もいいものとなりますと、かなり限られてきます。

さはさりながら、YOUTUBEを頼りに若干の感想を申し上げます。
まず、恵子先生の最初の際立つ印象は、類まれなる声の良さと、鋭い目の輝きにあると思われます。天性の発声の良さによる明瞭な発音により、心地よく耳に入り、滑舌は申し分ない。一方で、節回しについてはその経験不足は隠しようもなく、三味線との調子合わせは少々聴くものを不安にさせるところがあります。
しかし、これとても経験を積むごとに改善されるはず。焦る必要はありません。

それより何より、他の短所をはるかに補い、彼女を特徴づける最大の魅力は、天稟の眼の輝きにあると思われます。
この眼の鋭さ、輝きは、どこかで見たような、誰かに似ているような・・・と考えていましたら、思い出しましたsign03
あの「アンナ・カレーニナ」、「プライドと偏見」、そして「パイレーツ・オブ・カリビアン」などで眼を輝きまくらせている
キーラ・ナイトレイにそっくりではありませんかsign03

要するに「日本浪曲界のキーラ・ナイトレイ」と言ってしまおうではありませんかsign03

2016.02.27

そろそろ語ろう、春野恵子

当ブログでは、何度か浪曲に焦点を当てて、有望浪曲師(とりわけ女流浪曲師)を中心にこれまで語ってまいりました。しかし、隔靴掻痒というか、「だれか肝心な人を忘れていませんか?」状態の読者もいらっしゃると思います。
そうです。かつて『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)で、「恵子先生」としてブレイクしたあの春野恵子はどうしているのかについて、そろそろ語らなければならないと思います。風のうわさに、大阪の方で浪花節の訓練をしているらしいのですが、よくわかりませんでした。しかし、実は彼女が浪曲を志して以来、はやくも13年、今や中堅の浪曲師として東京であの玉川奈々福姉さんと二人会をやっているほどの人気女流浪曲師になられているようであります。うかつなことに、私は知りませんでした。
そこで本日付(16.2.27)の「NEWSポストセブン」に、彼女のインタビュー記事が出ておりましたので、まずそのご紹介から始めようと思います。

Skeikosensei

――浪曲師になったいきさつを教えてください。         

春野:きっかけとしては、『電波少年』が終わって、一番最初に出たラジオ番組で、春風亭昇太師匠と知り合うことができまして、落語を聞きに行ったんです。すごい衝撃を受けました。着物を着た人が座布団の上で、扇子と手ぬぐいだけでお話しているのに、目の前に映像が浮かぶんです。

         

 それまで私は、落語、講談、浪曲などを、全然知らなかったんです。世の中にはテレビには映らないけど、そういう面白いものがいっぱいあるんだなって気づけた瞬間でもあって、そういうものを自分で見つけたいと思うようになりました。

         

 まずは、落語を聞きに行くようになって、立川談志師匠、立川志の輔師匠、立川談春師匠、春風亭昇太師匠、いろんな方々と出会わせていただきました。そして講談目当てで浅草に行った時にやっていた浪曲を聞いた時、これだと思っちゃったんですね。

         

 小さい頃から時代劇とミュージカルが好きだったので、まさに2つを足して2で割ったものだなと思いました。こんなものがあったのかって。自分がやりたいものは、浪曲をやれば全部叶うなと思ったんです。

         

――すぐに浪曲師になると決めたんですか?

         

春野:浪曲を初めて聞いた日に、明け方まで悶々と考えました、鼻血が出るくらい興奮しながら考えて、とにかく、「一生やろう」とだけを決めて。なにがあっても辞めない、どんな下手くそでも、一生やる、と。朝4時に寝ている母を叩き起こして、「私、浪曲師になるから!」って宣言しました。母は、はあ?って感じでしたけど(笑い)。

         

――それから、どんな行動を?

         

春野:浪曲師として第一線で活躍されていた国本武春師匠に、浪曲師になりたいと相談させていただいた時、「関西に春野百合子というすごい師匠がいるよ」って教えていただいたんです。師匠の浪曲の音源もいただいて、聞いてみたら格好いいなって。

 ちょうどそのころに談志師匠に、浪曲師になりたいということは言わずに、「浪曲を聞くなら、どなたがおすすめですか?」って聞いたら、「女流ならやっぱり、春野百合子だね」とおっしゃって。“談志も認める春野百合子”というのも、後押しになったのかもしれません。         

――そして、弟子入りすることに。

春野:東京から大阪に行って、国立文楽劇場の楽屋まで押しかけて「弟子にしてください」と。師匠は、東京から浪曲やりたいって来られても、どうせ続かないだろう、って思っていたようで、正式に弟子と認めていただくまでに半年かかりました。
 浪曲師が長者番付のトップ3取っていた頃だったら、声がいい人はみんな浪曲師になる、という時代もありましたけど。今は、浪曲ってなに?って時代ですから。食べていけるかわからないのに、と武春師匠にも言われました。

 でも私は、やっと一生やっていきたいと思えるものに出会えて嬉しかったので。そう思えるものにはなかなか出会えない、ということもわかっているので、これを絶対手放したくないのはありました。

――それから、東京から大阪に通うことに。

春野:1か月に1回か2回、夜行バスで大阪に行っていたんですけど、半年くらい師匠にお稽古していただくと、もっと早く上手になりたいという気持ちが強くなってきました。半年の間に家庭教師のアルバイトをしてお金を貯めて、大阪に引っ越したんです。

――弟子入りの修業中、収入ゼロ?

春野:そうです。なので、最初は貯めたお金で、岸和田にウィークリーマンションを借りました。お金がないので、お買い物をするのは2桁縛り、99円以下と決めていました。 私が借りてたウィークリーマンションって、光熱費ただで使いたい放題でした。でも、寒い1月に移り住んで、温度を30度の強にしても、隙間風が入って寒いんですよ。だから毛布を被りながら、師匠の浪曲を聞いて稽古をしていました。浪曲って譜面が一切ないんです。どこで伸ばして、どこで止めるのか、ひたすら聞いて覚えるしかない。

――大阪に来て、頭を丸刈りにしたそうですね。       

春野:3mmに刈りました。ケイコ先生ということを誰にもばれたくなかったんです。私の人生、ちゃんとゼロからスタートするんだという決意でした。携帯を解約して、交友関係もリセットして、誰とも連絡を取りませんでした。

――浪曲だけで食べていけるようになったのは、大阪に行って何年後?

春野:初舞台から2、3年後です。お陰様で、今では年間200ステージくらい、舞台に立たせていただいています。

――『電波少年』での経験は今、生きていますか?

春野:正直、浪曲師になって舞台に立ち始めたばかりの頃は、司会者に、“なんと、あの進ぬ『電波少年』のケイコ先生が浪曲師になって”、と言われるたびに、なんでそんな余計な事言うんだって思っていました。でも、たくさんの人に浪曲を聞いてほしいと思うようになってから、ケイコ先生やっていて本当によかったって。それがきっかけで浪曲を聞いてくれるようになった人もいっぱいいますしね。今ではすごくありがたいなって思っています。

【春野恵子(はるの・けいこ)】
7月22日生まれ。東京都出身。『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)の企画「電波少年的東大一直線」でブレイクし、その後、バラエティーやドラマ『救命病棟24時』(フジテレビ系)などで活躍。2003年に女流浪曲師・春野百合子に師事し、春野恵子となる。3月1日、大阪市北区のROYAL HORSEで『春野恵子の洋楽一直線!~浪曲POPS偉人伝 The Live~』が行われる。


彼女の浪曲の感想等については、また次回に・・・・・

2016.02.10

「西部邁ゼミナール」のチャンネル変更

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私が必ず予約録画して欠かさず見るテレビ番組の一つに「西部邁ゼミナール」がある。毎週日曜の午前9時からの30分間。チャンネルは視聴率が常にミクロのMXテレビ。かつて「朝まで生テレビ」でディベートさせたら無敵の論客と恐れられた西部邁が、自ら選んだゲストと気楽なトークショーを繰り広げる番組です。
私がこの番組を気に入って見ているのは、西部の論理がはっとさせるほど意外な角度から切り込むことが多く、頭の体操になることがひとつ。もう一つは、普段あまり接することがない我が国の伝統的な理論派右翼の論理を聞ける珍しい機会だからである。
かつてのブンドの闘士、東大駒場自治会委員長も、今や押しも押されもしない右翼論客の泰斗となり果てて、ひとたび現行憲法について語らせれば、「我が国の歴史や文化に根差さない言葉の羅列の条文など全面的に改めるべきだ」と檄して申される始末。

この番組が今週から急きょ何の前触れもなく、時間変更されました。チャンネルも変わりました。チャンネルは、視聴率がミクロのMX第一チャンネルからさらに視聴率の劣るMXの第二チャンネルの午後1時に変更となりました。それでなくとも視聴率が振るわないMXテレビにおいて、第二チャンネルは「テレビショッピング」だらけのやる気のないチャンネルなんです。おそらくほとんど誰も見ていない荒野にほっぽり出されたと言ってもいい逆境なのです。

一体なぜこのようなむごい仕打ちを西部先生は受けなければならなかったのか? 自民党の悪口を言ったのか? いえいえ、それは全く違います。状況は逆でして、西部先生、あの安保法制強行採決の時ですら、安部首相を絶賛していたのですから。

私が思い当たる理由がひとつだけあります。それは、1週間前のこの番組の最後のほうでポロット出た本音の西部発言に原因があると思われます。うろ覚えで正確ではありませんができる限り再現して引用してみます。

話の流れは、ISにからんで「テロの評価」について話が及んだ時のことです。

僕は必ずしもテロに賛成するわけではないんだけれども、もしも仮にすべての愛するもの大切なものを奪われ、理不尽な暴力にさらされ、あらゆる抵抗の手段を奪われたならば、弱きものそして力なき虐げられしものにとって、残された意思表示の方法は、もはやテロしかないという状況はありうるんじゃないかと思う。

僕が今でも思い出すと、感動して涙ぐまざるを得ない光景がある。それは2002年ロシアのモスクワ劇場で起きたテロ事件である。
チェチェンに対するロシアの容赦のない爆撃と苛烈な攻撃により、親を失い、夫を失い、子供を失って天涯孤独の寡婦たち約10人がそれぞれ体に爆弾を巻いて、お互いにしっかりと抱き合いながら劇場の舞台上で自ら爆発させたテロである。

僕の場合も、あらためて自分自身をながむれば、愛する妻を亡くし、体は神経痛で痛めつけられ、余命尽きようとする今、失うべきものはもはや何もない。一方、世間をながむれば、相変わらず悪が栄え、力弱きものは確実に抵抗の手段を奪われ、何の希望もない。であれば、やせさらばえたこの老体に爆弾を身にまとい、理不尽な力強きものになにがしかのささやかな一矢を報いたいものだと思う時もある。そして、失うべきものの何もない老人たちの大きな群れがその後ろに陸続と続いていくんじゃないか。まぁ、一人の老人の妄想みたいなものなんだけれども・・・・


以上です。

これに対するMXの自主規制処分が、チャンネル移動だと思われます。
これってやっぱり、「停波」にならなくて良かったと思うべきなんだろうか?
この顛末に対する評価については、ちょっとお酒がなければ語れませんので、場所を変えましょうか。

2016.02.08

吉永小百合と野田秀樹

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吉永小百合と野田秀樹。接点は全くなさそうでありますが、この世は合縁奇縁、不思議な縁が二人をつなぎます。

まずひとつは、今からかれこれ28年前の昭和63年、吉永小百合の映画出演100作目記念作品、巨匠市川昆を監督に迎えて名作「鶴の恩返し」を映画化した「つる」で野田秀樹と共演しております。
野田秀樹の映画出演は極めて珍しく、主演級の映画出演はほとんど唯一といってもいいかもしれません。野田秀樹の女性に対する嗜好から判断して、小百合ちゃんはかなり彼の射程距離だったと推量されます。また野田秀樹のキャスティングについては、小百合から強い推薦があったとも伝えられております。なお、この映画で小百合ちゃんは「第12回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を獲得しています。

もうひとつの吉永小百合と野田秀樹の縁は、二人はなんと中学校が同窓だということです。同窓だといっても当然学年は違います。なんと10個違うんですねぇ。
その中学校は、渋谷区立代々木中学校です。
住所は、渋谷区西原1丁目、明治神宮や代々木公園の近くです。最寄駅は京王線の初台駅、または代々木上原駅。
したがって、野田秀樹は高校から教育大付属駒場に進学したことになります。意外に正攻法な受験生だったんですねぇ。
この中学校の主な通学区域は、代々木1~5丁目、初台、西原。ここで不思議なのは当時の小百合の住所地である梅ヶ丘は代々木中学校の学区域には含まれていないはずなんです。すなわち、野田秀樹は徒歩通学できたはずですが、小百合は小田急小田原線で通わなければならなかったはずです。吉永小百合の繁忙期はもうすでに始まろうとしていたはずですが、小百合あるいは吉永家は、学区域を踏み越えて(電車通学も厭わず)少しでも学力の高い中学校を選ぼうとするお受験思考であったことがうかがわれます。
吉永と野田が渋谷区立代々木中学校の同窓だったというささやかな情報だけで、野田秀樹のお受験思考と合わせて、非常に興味深い妄想が膨らんでいきます。
なお、他の有名人の卒業生に次世代の党(だったっけ?)の平沼赳夫がいます。

2016.01.31

野田秀樹の「逆鱗」

Gekirin_actors
NODAMAP 第20回公演
作・演出 野田秀樹
出演  松たか子  瑛太  井上真央  阿部サダヲ  池田成志  
    満島真之介  銀粉蝶  野田秀樹

出演者リストをご覧になればお分かりのように、惜しげもなく当代若手演劇人の人気者たちが勢ぞろい。空中分解しそうに思えるが、それぞれ渾身の演技で競い合い、熱のこもった舞台となった。
野田の反戦劇といえば、「egg」を思い出すが、「egg」での前後の脈絡を欠く突然の731部隊の出現はさすがに不自然だったが(それともあれは伏字のつもりだったのか・・・)、今回は違う。人魚から人間魚雷へと自然な展開で説得力は倍増。ラストへと畳みかける無駄死にでしかない「回天」の相次ぐ出航。
相変わらず現代のシェークスピア野田秀樹の言葉遊び、地口の面白さは快感ともいえる。とりわけ「中島みゆきみたいな呪い」には大笑いさせられた。しかし、戦争の悲劇には肉迫するものの、現代に続く戦争のリアリティーは今ひとつ。逸見庸先生がこの劇を見たならば、真っ先に指摘するだろうな・・・

括目すべきは阿部サダヲの好演sign03 おそらく彼にとっては大きな飛躍と絶賛されるはず。
松たか子の人魚の素晴らしさは、言うまでもない。
東京芸術劇場 プレイハウスで  3月13日 まで

余計なことですが、野田秀樹先生、オリンピック文化プログラム関連で忙しいはずなのに、よくまぁ新作に取り組む余裕がありますねぇ。驚異です。
 

2016.01.20

SMAP問題について

Smap


どうもおかしいと思いました。 暮れから正月にかけてのいわゆる年末年始特番と呼ばれるテレビ番組に登場するSMAPの五人の様子が少しばかり変だったのです。

もちろん、ちょっと見た限りでは相変わらず五人はいつものように上機嫌にふるまっているように見えますが、いつもは辛口でからむキムタクの他のメンバーに対するため口が全くなかったのです。簡単に言えば、明らかにキムタクは浮いていましたし、他の四人のメンバーもはっきりわかるほど表情が硬かったのです。そして、先週からの各スポーツ紙をにぎわせる大騒ぎです。「ああなるほどな」と合点がいきました。

夕刊紙情報だけで判断いたしますと、結果的に四人の反乱軍は、キムタクの仲介によりジャニー社長に詫びを入れ、元の鞘に納まっていわゆる「前だけを見て進む(キムタク言)」ことになった。表面上は極めて日本的な大団円になったように見えますが、専門家の目から見ると、そうでもないようです。

すなわち、本来センターの位置でこの間のいきさつを総括して説明すべきリーダー中居は、端っこで通り一遍のおわび。「キムタクの仲介への感謝」という微妙な話は、最も不得手と思われる草カリにゆだねられ、事務的なトーンで処理され、そして五人の中で最もうそがつけない香取は、ゲッソリとやつれ、涙声で言葉にならない始末。とても大団円には見えようもない状況。果たして、これから何事もなかったように、センターをキムタクに変更して他の四人を睥睨しながら、ジャニーズ王朝の栄華をむさぼり続けるのでありましょうや・・・

まず、ここまでで区切って、とりあえず私が言いたいことは、少なくとも中居達四人のとるべき態度は、こんな茶番などではなかったはずだと断言できます。
どうするべきかと言えば、まず四人の反乱軍は、当然のことながら謝ってはいけません。本来、悪かったのは彼らではなく、キムタクに大きな責任があると私は思います。

せっかくIマネージャーの下四人の独立の意思がまとまっているのに、キムタクはジャニーズ事務所への恩義を理由に、残留を選び、グループが分裂せざるを得ない状況を作ってしまったのです。簡単に言えば、キムタクも一緒に独立を宣言すればIマネージャーの下、SMAPはめでたくグループを維持できたはずなのです。
四人はみんなそうなることを予想して起こしたクーデターだと思われますが、これに対する識者の批判の主なものは、我が国の芸能プロの慣行として許されることではなく、芸能界から干されるなど厳しい報復措置が待っているのは常識であり、こうした当然の成り行きを見通せなかった四人はとんだお子様ランチだというものです。

こうした事実を認めたうえで私があえて主張したいのは、ここからですsign03
すなわち、こういったいわゆる識者たちの「慣行・常識」は少なくともわれらがSMAPには当てはまらないだろうというのが私の言いたいことです。
SMAPのデビュー以来、25年間の活躍は、我が国エンターテインメント業界で過去に類例のないほど際立ったもので、「世界にひとつだけの花」をはじめ世代を超えて国民的な情操を高めたと言っても過言ではないほどの他に代わりえない稀有のグループだと私は思います。加えて、私が高く評価するのは、彼ら以前のアイドルの常識ともいえるファンへのお追従の態度、薄笑いでのごまかしなど不愉快な「よい子ぶりっこ」から脱却し、本音で一生懸命語る彼らの真摯な姿勢です。

彼らのこうした国民的価値とも呼ぶべきものは、ファンに限らずすべての国民に自然な形で共有されているものだと私は思いますし、だからこそSMAPは「特別」なのです。
したがって、それこそSMAP独立後に識者が憂うるジャニーズ事務所の組織を挙げた総攻撃など鎧袖一触、(もちろん多少のトラブルはあるでしょうが)SMAPは不死鳥のごとく蘇り、ジャニーズ事務所は王朝滅亡の道を歩んでいくことは火を見るよりも明らかだったのです。
そして、そうすべきだったのです。

さすれば、前近代的なさしもの我が国エンターテインメント業界も、画期的な近代化の絶好のチャンスを得たはずです。
今、四人はその恨みの思いを噛みしめているはずです。
以上が、「18日のSMAP×SMAP」におけるSMAPの挨拶を見て、私が読み取れたことですが勘違いでしょうか・・・・・

2015.11.02

デモの総括

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9月17日の安保法制可決の結果を受けて、大変遅ればせながら、今回の私の貴重なデモ体験の総括をしておきたいと思います。

結局、私の45年ぶりのデモ参加体験は、ほとんど何の危険にも遭遇せず、43年前の激しい挫折も感じず、「ああ、やっぱりな」程度の軽い感傷を胸に学生時代の友人たちと酒酌み交わしながら、さしたる敗北感もなく、いつもよりちょっと長めの反省会で終わりました。さすがに45年前の青年らしい激しい行動はすっかり影を潜め、シールズなる若者たちのまるでラップ音楽のようなアップテンポのシュプレヒコールに感心しながら、中島みゆきもこのシュプレヒコールでは「世情」を歌えないなと思わせられました。

前回報告では、見渡す限りシニアばかりだと慨嘆してしまいましたが、その後衆議院の強行採決あたりから若者とりわけ若い女性およびヤングミセスたちのデモ参加が目に見えて増えまして、シールズの諸君の激増ぶりと相まって、「年寄りの冷や水」デモという心配は消滅しました。
若い女性の激増に感動した私は、すっかり45年前を思い出して警官隊に「帰れ! 帰れ!」となつかしいシュプレヒコールを浴びせましたが、お兄さんお姉さんたちにはあまり広がりませんでしたねぇ。まして、機動隊の装甲車をひっくり返すなどという45年前の定番過激路線など、今の若者たちはこちらが言い出せば即座にたしなめるのは必定と思われる大人たちに育ってしまっているのです。

まぁ冷静にこの45年間を振り返れば、あの日法政の中核派として佐世保闘争を戦った糸井重里も、明治大学工学部生として羽田闘争を戦い中退していった北野武も、新宿高校生として参加した坂本龍一も、もひとりおまけに信州大学全共闘議長だった猪瀬直樹も、み~んなみ~んな、とってもインテリのおじさんたちに見事に変身しているのですから、仕方のないことですが・・・

2015.09.20

ラグビーWCで史上最大の奇跡

日本時間で本日(9/19)夜半過ぎ、イングランドで始まったラグビーワールドカップで優勝候補の筆頭で世界ランキング第3位の南アフリカが、同13位の日本に奇跡としか言いようのない最高の試合で敗れました。

得点は34対32、日本の勝利は24年前ジンバブエに勝って以来2度目のこと。逆転トライはノーサイド寸前、実際は主審がラストワンプレーをコールしてからの連続4分にわたる日本の怒涛のラストプレイの結果であり、すべてのわが国ラグビーファンを熱狂させ感涙を搾り取る奇跡の攻撃でした。
ちょうど一日前に「安保法案強行採決により可決」という非常に後味の悪い国辱的な事件が起きた後だっただけに、その爽快さはたとえようもないものです。

「なんだ選手の1/3は外人じゃないか」などとやぼなことは言いっこなし。ヘッドコーチのエディー・ジョーンズは先日辞任報道があっただけに、どうなっているんだ?というのが率直な気持ちですが、いやぁ、良かった、よかった。
次期ワールドカップ日本開催を控えて、新国立競技場での決勝開催が不可能になったり、いろいろ不幸なニュースが伝えられていただけにラグビーファンにはたいへんうれしい超サプライズ逆転ニュースでした。やっぱり、神様はいるんだな、というのが率直な感想です。

今のラグビーをよくよく見てみますと、我々の学生時代のラグビー(すなわち早慶明全盛時代)のラグビーとはかなり違います。
昔は、モールラックが形成されそうになれば、ボールがどこにあるか、どうしたらボールが取れるか?などは一切考えずにモールラックに突っ込んでいったものです。しかし、今日の日本はどうでしょう。局地戦でのモールラックには最小の人数しか割かず、ラインの攻撃・防御のバランスに最大の注意を払います。そして、局地戦では個のプレイヤーの腕力にかなりまかされるという特徴があります。したがってこの時代では、私のような小さいラガーは全く通用しないでしょうね。そういうことを考えると、さびしくなってきますが、まぁ、今日のところはよかった、よかった。今後は取りこぼしをしないで無事に目標のベスト8へ進出されますことをお祈りいたします。

2015.08.07

浪曲へのお誘い

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浪曲がテレビ・ラジオから姿を消してもう何十年になりますやら・・・
この間、根っこでは浪曲ファンの私としましては、今や都内に数少ない「浪曲定席」の「木馬亭」を年に一度程度のぞいてみますものの、惨憺たる客の入りに、浪曲の絶滅危惧種入りを本気で心配し始めていた次第です。
今回、およそ1年半ぶりに木馬亭をのぞいた私は、風向きが変わり始めたかもしれない兆しを感じることが出来ました。
まず最初に、都内に数少ない浪曲定席「木馬亭」から説明させてください。定席とは申しましても、集客力の限界からか毎月の月初一週間だけの限定された定席です。昼時2000円の入場料を払えば、夕方まで8人の浪曲をたっぷり聞くことが出来ます。場所は浅草寺のすぐ近く、花やしきの並びです。2階は木馬館で、かつて梅沢富美男などが活躍した大衆演劇のメッカです。上掲番組表をご覧になれば、お気づきのごとく、世間の常識とは反対の価格設定で、25歳以下の若者は半額の1000円という大盤振る舞い。これも番組表を見れば、おわかりになると思われますが、近年女性浪曲師の進出が著しく、出演者の半数以上が女性です。この傾向は近年ますます顕著となっております。
私が一年半ぶりに木馬亭に行って感じたことをいくつか。
まず、観客が明らかに増えています。一年半前は3割の入りだったと思いますが、今回は悠々と6割は埋まっていたと思います。一年半前は9割が年金生活者の男性だったと思いますが、今回は女性が3割と思われます。要するに女性客が多いのです。まっ、女性客と申しましても若い女性は数えるほどなんですが・・・
次に、舞台に新規更新投資をおこなったらしく、スピーカーがかなりよくなっています。前は一応BOSEだけれども音がひどく悪かったし、モノラルだったと思います。舞台の壁も塗り直されてかなりきれいになっています。
それから私が大ファンの国本武春さんが若くしてどうやら浪曲協会の副会長に抜擢されたようで、それも影響しているのかもしれません。国本武春さんはアメリカのアカデミー賞の短編アニメ部門でグランプリをとった「頭山」で、アニメと浪曲とのジョイントを仕掛けた革新的浪曲師であります。この日も中入り前のトリをとっておりました。
もうひとつだけ今回の木馬亭を見てのサプライズsign03
新人女性浪曲師、「国本はる乃」にご注目ください。
まだデビューしたてのため、はる乃ちゃんを聴くためには講演開始のお昼の12時半に遅れては聴けません。聴けても、デビューしたての新人のため15分しか聴けません。
しかし、一節聴けば、その違いにすぐ気がつかれるはずです。浪曲界では戦後最大の有望新人と言っていいでしょう。
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おまけに花も恥じらう若干19歳sign03
ご覧のように、すごい美人というわけにはいきませんが、まぁAKBの指原よりはずっとましでしょうsign02
彼女のうなり節は、都はるみの「好きになった人」を思い出させます。また、彼女の節回しの切れは、氷川きよしのデビュー時代の新しい演歌と同じ種類の新しい浪曲の切れを感じさせます。
みんなで応援致しましょうsign03

2015.07.20

「障子の国のティンカーベル」を見ました

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ピーターといつも一緒にいた妖精ティンカーベルが、世界を巡って物語るピーターとの恋物語。
ピーターが日本で恋に落ちたのは、なんと・・・人形だった!
東京芸術劇場 シアターウエスト 2015年7月20日まで上演。

一人芝居の主演、毬谷友子が上演を野田秀樹に熱望し、長い年月を経てようやく実現したといわれる。女優一人と人形が演じ、歌がミュージカルのごとく挿入されるという野田作品には珍しい作風。
野田が「25歳の正月3日間を返上して殴り書いた」と語っている作品です。また「若いときに「走る」ように書いた芝居なので、よく言えば、今はもう書けないような「疾走感」を感じさせる様な芝居」とも言っています。
毬谷の上演希望があってから、今回野田の了解が出されるまで長い年月がかかったのも、野田の言葉の端々に表れているように、あえてわかりやすく翻訳すれば、自分自身で「若気の至り的作品」と捉えており、自信がなかったのではないかとも思わせる。
毬谷はほとんどをティンカーベル役として演じ、部分的に本来人形のピーターパンも演じる。
後半、「人でなしの恋」というモチーフが強調され、ティンカーベルのセリフとして何度も「人でなしの恋」が繰り返される。
「人でなしの恋」はどうやら、ピーターバンと日本人形の人形同士の恋と、ピーターパンとティンカーベルの「人形とエンジェルの間の恋」を指すらしい。

最終局面で不思議に感じられるのは、なぜピーターパンが人形でなければならないのかという点、ラストでティンカーベルがピーターパンを下腹部から飲み込むというショッキングなシーンがあるが、これもいまいち意味不明。
何より気になるのは、繰り返される「人でなしの恋」という言葉。
あの江戸川乱歩の名作「人でなしの恋」を思い起こさせる。あれは確か江戸川乱歩の乱歩らしいきわめて秀逸な造語であったはず・・・
野田は、乱歩の言葉を借りてしまった後ろめたさから上演を許さなかったのではないか???
乱歩の方の
「人でなしの恋」は、20年前(1995年)羽田美智子と阿部寛で映画化されて話題になりました。当時まだ無名の阿部寛は、蔵の2階で日本人形と隠微な愛欲にふけります。
羽田美智子は阿部の新妻役で、私の記憶ではデビュー作ではなかったでしょうか。
これも大変なつかしいです。

2015.07.08

「国会中継」がおもしろい!!

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「国会中継」といいますと、言葉尻のとらえ合戦、意味の軽い言葉の応酬、何より緊張感の薄さから、よく効く「睡眠薬替わり」といったところが相場です。
しかし、今回の安保法制を巡る国会論戦(すなわち安全保障委員会または平和安全保障法制特別委員会)は、まるっきり違います。非常におもしろい。朝まで生テレビで、田原総一郎氏が「新聞が報道しきれていない大変緊迫した議論」と評価しているほどです。

見るための手段としては、まずNHK総合テレビの実況中継放送が最もオーソドックスです。
中継がなかった場合、または見逃した場合は、インターネットで「衆議院インターネット審議中継」と検索することで録画を見ることができます。都議会の録画と違って大変「高精細」で見やすいので助かります。

ここで、具体的にどんな質疑がなされているかにつきましては、主な質問者と答弁者を勝手に個人的に寸評することによりまして、ご説明してまいります。
まず最初にお断りしておきますが、いくら「緊迫していておもしろい」と申しましても、「質疑が正面からかみ合って討論の醍醐味がある」ということでは全くございません。むしろ、逆で質問者と答弁者が意図的に違う方向を見ながら発言している、というのが正直な状況です。
その論点のはずし方がおもしろいのです。

まず質問者から行きます。
共産党につきましてはいつもどおりの討論技術を駆使していて予想どおりでしたが、予想以上に健闘していると言っていいのが民主党と維新です。
民主党でとりわけ個人的に好感を持てたのは、枝野幹事長の質問態度です。一言で言って、「大変わかりやすい」。明快な二者択一の質問を連続して浴びせることによって、答弁者が意図的に再三にわたって論点をはぐらかそうとしているのを浮かび上がらせます。大変上手ですし、図表を的確に利用して、テレビを見ている国民に理解しやすいように努力していました。
もう一人だけ、褒めておきたいと思います。
維新の柿沢幹事長です。
東大「競馬同好会」で培った持ち前の論理展開能力を存分に生かして、大変具体的に答弁者を追い詰めていきます。惜しむらくは、維新という中途半端な立場のせいか、経験不足のせいか、はたまた親父譲りの育ちの良さからくるものなのか、最後のとどめをわざと刺しません。答弁者の満足な答弁が明らかになされていないにも関わらず、突然話を変えてしまいます。そこいらへんの呼吸は答弁者にも見透かされてしまい、首相から「柿沢先生とも思えない質問だ」とおちょくられる始末です。柿沢幹事長にはあえて答弁者の命を取る覚悟を求めたい。それで維新が分裂してもいいじゃん。

次に答弁者側の「勝手に評価」をご披露します。
まず、中谷防衛大臣。これは論評の外です。肝心の時に小野寺大臣でなかったのはひょっとすると政府側の致命傷になるかも・・・・
次に、岸田外務大臣。
この人は、一見誠実に答弁します。顔もその手の顔です。しかし、最後まで答弁を聞いていると微妙にポイントがずれてくる場合がとても多いです。それが意図的というのはどうやらかわいそうで、岸田さんは(おそらくまじめな人なんでしょう)ポイントをずらさずしっかり答弁しようと思うあまり、質問の前半で自分の答弁を組み立ててしまい、質問の後半を聞いていないのではないかと思われます。もちろん好意的に見ての話ですが・・・

最後に、阿部晋三首相です。
とにかく首相の答弁は長いです。長いというかいろいろな単語を、すなわち同義のいろいろな単語を片っ端から連続してつなげて説明します。本人はおそらくいろいろな言葉を使って、「国民に分かりやすく、ていねいに」答弁している、と言いたいのでしょう。特に、この国会に臨んで首相は「ていねいな議論」を何回も約束させられています。
しかし、賢明な国民の皆さんはすぐにお分かりのごとく、「ていねいでわかりやすい議論」とはいろいろな同義単語を並べて長~く説明することではないのです。切れ味鋭い論理で、最低限の言い回しで明快に説明してもらわなければ困ります。彼の答弁をちょっと聞いてもらえればわかりますが、首相は質問者とかみ合う答弁をしてはいけないのだと思い込んでいるようにも思えます。すなわち、そう見えかねないほどに徹頭徹尾かみ合わない答弁を延々と繰り返していきます。
要するに、悪意でとらえれば「わざとわかりにくく、遠回しに」答弁しているか、そうでなければ「理解能力が不十分」とみなさざるを得ないのです。
そんなはずはないと、より集中して首相の答弁を聞いてみました。そしてもうひとつの解釈がありうることがわかりました。首相の答弁を精査すると、かなりの場合、彼は最初に答弁をろくに推敲している様子がありません。要するに、答弁能力への自信なのでしょうかほとんど具体的な答弁の構成を組み立てないままに、挙手し答弁席まで出て行ってしまい、ここが大事なところですが「答弁しながら今している答弁の構成を考えている」としか思えないのです。なまじ首相には高い答弁能力があるためなのか、どうでもいいような軽い質問にはそれでも十分な答弁が可能だったとしても、今回の安保法制ではとても無理な話です。ただただ、口からダダ漏れしている言葉を繰り返しているとしか聞こえないのです。

こういう答弁を称して、我々の業界では
「口から音を出すだけの答弁」  とか 「かんなくずがペラペラ燃えるような答弁」
と申します。

2015.07.02

「世情」を聴いてデモに行く

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中島みゆき作詞・作曲で「世情」という歌があります。
久しぶりに出会ったいい歌です。歌詞の基調が団塊の世代たちへの受け狙いがにおうのがちと気になりますが、聞けば聞くほど、感極まってきます。

歌はCDを買ってもらうとして、下記に歌詞のリフレイン部分を引用して、雰囲気を味わっていただきます。

* シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うために *

時あたかも、天下御免の憲法違反法である安保法制審議のために95日国会延長が決まるというとんでもない日。この歌に背中を押されて、私はなんと43年ぶりに国会包囲デモに参加しました。重要度においては、かつての60年安保の6・15に匹敵しようかという日、私は半ば本気で「2015年の樺美智子」になろうと勇躍として参加した次第です。
「43年ぶり」の理由ですが、43年前は学生であり、43年たった今は年金生活者というわけです。

さてそこで、43年ぶりの国会包囲デモのレポートです。
一言で言って「猿の惑星」状態です。43年前からすぐにこの時代に降り立ってみて、同じデモとはとても思えない信じられない光景だらけでした。

まず、最初に感じるのは、ほとんどが高齢者で若い人がいないということです。したがって、すれ違う人々は、ほとんど白髪か禿頭なのです。43年前のように可愛い彼女とデモでスクラム組んで仲良くなるということは全くあり得ません。(白髪頭のお婆ちゃんとは仲良くなります。)

さらに、ヘルメットはいません。ゲバ棒、投石、アジ演説、おまけに機動隊員も全くみかけません。(機動隊員はおそらくトラックの中にいて外へ出ないのでしょう。)顔を隠すマスクも皆無。したがって、写真は撮られ放題。何よりも車を止めて道路を横断するデモ隊すら全く存在しないのです。
では、一体どうやってデモ隊は自己表現するかといいますれば、歩道を真ん中から赤い三角錐で仕切り、歩行者の邪魔にならないように片側を占有して、座り込みながらシュプレヒコールだけはしますが、あとは間断なく置かれているスピーカーから聞こえる各団体のあいさつを粛々と聴いているという状態なのです。隣のおばちゃんが教えてくれるには、歩行者道と区別する膨大な量の赤い三角錐は、なんと警察官の皆さんが用意してくれるそうであります。そして、本当は最も驚くべきことだと思うのですが、警察官の皆さんが、おっそろしくやさしくてていねいなのでありますよ!! デモ参加者が何か尋ねるとしますと、おそらく敬語、丁寧語で応えてくれるはずです。

30歳以下の参加者はほとんど見かけない(私に言わせれば)奇妙なデモを見ながら、選挙権を18歳まで下したことの意味も、立憲主義の意味もむなしく拡散していく気がします。

かつて60年安保デモで樺美智子が死んだ翌日、赤木敬一郎が日活食堂のテレビニュースを見ながら「俺たち、こんな時代にピストルごっこばかりしてていいんですかね!!」と慨嘆した時代の緊張感は、今やかけらも見られません。

「実用洋食七福」建替えへ!!

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本ブログで何回もご紹介しております例の「実用洋食七福」についてです。
開業以来半世紀、約50年、深川一帯の肉食系そして大食系住民と一部根強いファンのために、老朽化などほとんど気にもかけずに味と量の二兎を追いかけて、熱狂的な人気がありました「実用洋食七福」がついに建て替えです。

店頭に張り出された告知文によりますと、7月2日から現建物の取り壊しが始まり、リニューアル後の再開は、来年平成28年の3月の予定だそうです。
きっと白河4丁目交差点にふさわしい、立ち寄りがたい近代ビルになるんでしょうね。

2014.06.18

白洲正子の「ざまぁ見ろ!」

また、更新が止まりまして申し訳ありません。

こういう場合は、例によって「困ったときの時間厳守子さん頼み」。相変わらず鋭い評論を量産している時間厳守子さんの記事から選りすぐりを引用させてもらうこととしました。
テーマは「白洲正子」ちゃん。
てっきり、つき合いにくい「お高くとまったセレブおばはん」と私は思い込んでいたのでありますが、どうやら勘違いらしかったのであります。
それでは、お楽しみください。
孫引きながら白洲正子自伝に「ざまぁ見ろ、といいたい気分であった。」とのくだ
りがある。東京オリンピックに背を向けて(すなわち昭和39年(1964年))西
国三十三か所観音巡礼取材旅行中、山の上から新幹線を見たときの文章である。「優
越感にひたったものだ、お前さん(注:新幹線のこと)はすぐに古くなるだろうが、
こっちは千数百年を生きた巡礼をしてるんだ」とある。
伯爵令嬢にこんな乱暴な言葉を教えたのは、いわゆる「青山学院」の青山二郎、小
林秀雄といった江戸っ子気質を持った文化人であろう。「お前さんは」などという言
い方にもその影響がうかがえる。
ところで、彼女は「青山学院」の愛すべき生徒ではあったが、思想的展開・発展を
もたらせるような役割を果たしたわけではないと思われる。敢えて言えば、その思想
の一般への普及者の役割を果たした人ということができるだろう。しかし、何よりも
尊敬すべきところは、「ざまぁ見ろ」という言葉を自然に発せしめた白洲正子女史の
思想的徹底、自己の美意識への信頼・忠実だと思う。
白洲正子女史の世間への態度は、マスコミが提供するものを何でもありがたがって
ひざまづいてしまう昨今の鈍感~筆者はそこにファシズムを感じる~を厳しく批判す
るものであろう。
本屋の棚からすると白洲正子崇拝者は多数と思われるが、その人たちはサッカー
ワールドカップとか東京オリンピック招致とか、白洲正子女史が生きていたら「ざ
まぁ見ろ」の対象にしていたに違いない諸々の事象にどのような立場をとっておられ
るのであろうか?崇拝者の名に恥じない思想的徹底、美意識への信頼・忠実を堅持し
ておられるであろうか?

2014.05.04

歌麿のコピペ

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ひょっとしたら私は世紀の大発見をしたかもしれませんsign03
それは何かsign02と問われれば、「歌麿がコピペで肉筆画を描いている証拠を見つけたsign03」ということなんです。
まず、前回の「深川の雪」をよ~く見てください。
3段に分かれる絵の一番下の段の真ん中少し右をご覧ください。
欄干に体を預けている茶色の着物に黒い帯のご婦人、顔は見えませんで、若干右上を見るように首をひねっているご婦人です。

次は、以下にお示しする歌麿の3部作のひとつ「品川の月」をとくとご覧ください。

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全体の絵の右上部分、これも欄干に体を預けている黒い着物のご婦人をご覧ください。
かんざしはないもののやや右上に首をねじらせてお尻を突き出す独特のポーズは「深川の雪」の下段のご婦人とそっくりであり、コピペだぁsign03sign03 と指摘されても反論できないはずです。

当然、歌麿は既にご存命ではありませんので、小保方ちゃんみたいに記者会見をするわけにもいきません。
実は私は密かに小保方ちゃんの無謬性を主張する者でございまして、「小保方を指弾するのであれば、歌麿だって免責されないだろうsign03」と言い張ろうかどうか迷っているのです。








2014.05.02

歌麿「深川の雪」を見ました

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喜多川歌麿の「雪月花」三部作の「雪」、「深川の雪」をやっと見ることができました。
「深川の雪」の来歴ですが、明治時代に美術商に購入されてまずパリに渡り、昭和14年に日本人の浮世絵収集家が一度日本に持ち帰りました。その後、昭和23年に銀座松坂屋で3日間公開されたのち、行方がわからなくなっていたものです。
平成24年に岡田美術館副館長が発見し、鑑定・修復ののち、今回の箱根・岡田美術館による一般公開となったものだそうです。
なお、岡田美術館とはあまり聞かない名だが何ぞやという向きもおられると思いますのでまず説明しておきます。2013年春にオープンしてまだ1年経ったばかりの美術館で、オーナーはパチンコ・スロット機器製造を手がけるユニバーサルエンターテインメントの会長として産業界にその名が轟いている岡田和生氏、ちなみに岡田氏は米「フォーブズ」の個人資産ランキングでは日本人14位だそうです。

この岡田美術館、場所ははなはだわかりやすく、箱根強羅のおなじみ小涌園の入り口近く、小涌園の付属施設であるかのごとき場所にあります。
もとより美術館であります故、パチスロ王がオーナーだとて別に変ったことはあるはずもないと考えつつ、何の気なしに館内に入りましたところ、「さすがパチスロ王」と思わせるものがいくつかありましたのでご報告しておきます。

まず入場料です。なんと大枚2800円ですsign03
「深川の雪」による特別料金なのか否か定かではありませんが、ちとイクスペンシブです。東京都美術館の企画展で通常1600円ですから、ほぼ倍額となります。もともと箱根の美術館はお高いのですが、これは破格です。ある意味、パチスロ王的と申せましょう。

次に、入り口にあたかも空港のチェックゲートのような設備があり、その下を通り抜けることを義務付けられます。どうやらカメラやスマホで写真を取らせないために、ここでカメラとスマホを取り上げるための仕組みのようです。私もいろいろな美術館を見てきましたが、ここまで徹底した設備を見たのははじめてです。ニューヨークのMETなどは、写真の撮り放題でしたが、それと180度反対の方針のようです。

展示品の中に特別コーナーがあって、「北斎の春画」がかなり良質かつ豊富に展示されていまして、そのコーナーの照度の際立った暗さと相まって特異な空間を形成しております。この種の好事家にとっては、垂涎の展示と思われます。
肝心の「深川の雪」の展示ですが、暗くて広い空間の一番奥に浮き立つように光を照らされた印象的な展示となっていて、ここまでのいくつかの不愉快な思いを十分に埋め合わせるようなすっばらしい恍惚としたひと時を保障するものとなっています。

「雪月花3部作」のうち、「品川の月」は米国フリーア美術館、「吉原の花」は米国ワズワース・アセーニアム美術館とそれぞれ収蔵先が明確になっておりますので、3部作の一挙展示など夢は広がってまいります。

そして「品川の月」の舞台の料亭は幕末の志士高杉晋作や伊藤博文たちが遊んだ大妓楼相模屋、通称「土蔵相模」であると明確になっていますが、「深川の雪」の料亭は名前も場所も全くわかりません。そんなことも調べていくと無限の楽しみがあるような気がしてきます。

2014.04.28

「かぐや姫の物語」について

ジブリの高畑勲監督の2013年作品「かぐや姫の物語」の制作ドキュメンタリーを見ました。

いやはや大変なご苦労だったのですね。高畑監督自身はもとよりとして、天才高畑を支えるジプリ関係者をはじめスタッフのご苦労は筆舌に尽くしがたく、何度も制作中止の危機があったようです。
Kaguya
なぜかと言えば、高畑監督がこだわった革命的なアニメ作成方法によります。すなわち、アニメーターの描いた線を消さずに生かして手書き風のスタイルを残すことに徹底的にこだわりました。その結果、「静止した絵が動くような効果」が出るようです。さらに、高畑監督はアニメの作成過程を吟味しながら、どんどん方針を変えていくのです。
この方式は製作者やアニメーターに気の遠くなるようなエネルギーを消耗させます。そこいらへんの消費エネルギーに我々は全然気づかずに、「構想開始から8年、製作費50億を超える」という通俗的な宣伝文句に吸収されてしまいます。
現実に制作過程では、関係者間で何度も深刻な対立場面があり、あの温厚なジブリの名プロデューサー鈴木敏夫が、「ジブリをつぶすか、かぐや姫をあきらめるかだ」と発言し、高畑監督は「中止しようか?」と迷います。こうした現実のシーンは、実際にドキュメンタリーにも出てきます。
こうした軋轢を経ての完成版のアニメの途方もない価値の評価については、見る側の能力によって全然違うようで、「アニメの革命」とか「アニメの奇跡」と絶賛する者が多くいるのはもちろんとして、「ただただ眠たかった」という者も少なからずいるようです。
そして、これだけは高畑作品にとっていつもと同じお定まりのこととして、「観客は不入りで赤字」という結果となったようです。私は開始3週目あたりのシネマックスで見たのですが、スクリーンは小さい方に移動され、それでも観客は数名の入りだったと思います。
高畑勲、なんと78歳、
くめども尽きぬ不屈のエネルギーのアーティストの次回作は如何に・・・
最後に、一昨年(2012年)3月、急逝した日本テレビの氏家誠一郎会長と高畑勲監督の関係を象徴するエピソードをふたつ。
ある日の日本テレビの経営会議。
議題は「ジブリの次の高畑監督作品への日本テレビの出資について」。
御存知のように高畑作品の収益性について役員の厳しい意見が続きます。 
ここで氏家会長が発言を求めて言ったこと、
「高畑作品がもうからないのは、私もよ~く理解しているつもりだ。しかし、それを十分承知の上で、私は賛成する。皆さんも私の数少ない道楽だと思って通してほしい。」
だったそうです。
こうした経過を受けて、ある日の氏家誠一郎会長とジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの会話。
まず鈴木さんが訊きます。
「氏家さんはなんであんなに高畑監督が好きなんですか、高畑さんのどこが気に入ったのですか?」
これに対して氏家会長の発言、

「あいつには左翼のにおいがする・・・」
いやはやこれにはぶっとびました。どすのきいたジョークです。
これは鈴木プロデューサーから直接聞いた本当の話です。

2013.10.24

バリ島報告3:父親のインドネシア語

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インドネシア語と言えば、もうかれこれ15年前に他界した私の父親がお得意だったのを思い出します。
私の父親は、酒が弱いのに酒が好きで、お世辞にもあまりいい酒ではなかったのですが、まれに大変上機嫌になる場合がありました。父が酔っぱらって上機嫌になる場合は、家族にはすぐわかります。際限なくインドネシア語をしゃべりはじめるからです。「ありがとう」という意味の「テレマカシ」を連発しながら、インドネシア語で数を数えたり、とめどなく話し始めます。そして、自分の記憶力に驚くように他人に強制しはじめます。今考えると、要するにどう転んでも悪い酒なのです。したがって、私はインドネシア語にはあまりいい印象を持っていません。

では「なぜ私の父親がインドネシア語を覚えたか?」ということですが、太平洋戦争での兵役でインドネシアに行ったからだということです。
父親は自分の従軍生活の詳細については、ほとんど語らない人でしたが、インドネシアがとってもすばらしいところで、酔っぱらうと「また行きたい、また行きたい」と繰り返していましたから、彼にとって相当に好印象の夢のような土地であったようです。

ほとんど語らなかったとは言いながら、父の片言隻句の記憶を頼りに父の従軍生活を推測し調べてみました。
まず、父親が従軍させられたのは、日本側の作戦名が通称「H作戦」と言われる蘭印作戦と思われます。そして、主として駐留していたのは、スマトラ島のパレンバンという場所です。これは父親が毎年行くのをこよなく楽しみにしていた戦友会が「パレンバン会」と称することからほぼ間違いないと思われます。そして、奇しくもこのスマトラ島は、いま娘のいるバリ島とはジャワ島をはさんで目と鼻の先にあるのです。
広く知られているように、太平洋戦争緒戦における日本軍の最大の目標は蘭印の石油資源の獲得にありました。そしてその蘭印最大の油田が、スマトラ島のパレンバンにあったわけです。このパレンバン攻略に向けて、陸軍初の空挺作戦が敢行され帝国陸軍落下傘部隊すなわち通称「空の神兵」の奇襲攻撃のおかげで、戦史でも稀有な無血勝利を勝ち取ります。
私の父親は、もちろんこの空の神兵のような晴れがましい兵隊ではありませんで、無血勝利後のパレンバンで、敗戦まで平和に油田を保守し続けたものと思われます。
みなさまよくご承知のように、こうして蘭印作戦の大勝利で無事に石油を確保しえた日本軍でありましたが、制海権は連合国が掌握していたため、日本に向けて石油を運び出すタンカーのことごとくが海に沈められたと伝えられております。

私は、インドネシアは父親にとっての「ロードス島」であるに違いないと確信していましたので、父が死ぬまではいつの日か実際に父を連れて行って「飛べsign01ここがロードス島だsign03」と残酷に言わなければならないと思っていました。
しかし、娘のバリ島での生活を見ていると、父の言っていたことは本当なのかもしれない、と思い直し始めました。

2013.10.21

バリ島報告2:外国語の習得

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私がバリ島に行って最も驚かされたことは、わずか1年足らずの滞在で娘のインドネシア語がペラペラになっていたことです。
娘からは、「バリ島は日本人が多いので、なかなかインドネシア語がうまくならない」と聞いていたため、日常生活がやっとのレベルなんだろうと予想していただけに、現地人と早口でぺちゃくちゃしゃべっているのを聞いて、すっかり感心してしまいました。

娘のインドネシア語の習得のためには、もちろんラジオの講座もありませんし、語学の本もありません。ただただ現地人との実際の生活上のやり取りだけをよすがに、習得してきたはずです。娘と現地人のやりとりを見ていると、会話しながら細かい発音ゃ言い回しを確認しているのがわかります。語学を勉強としてではなく、生活の中で習得していくことの効率性を思い知らされて、ちょっと感動させられました。
娘は現在、バリ島ウブドにあるカフェでいろいろな手伝い仕事をしているようです。
「いろいろな手伝い仕事」とはわかりにくい表現ですが、最近の例をひとつあげてみます。カフェの従業員の給与システムの変更をめぐって、日本人経営者と従業員の対立が生じてしまい、従業員が団結してストライキに発展してしまったそうです。
そのストライキの3日目に、日本人経営者と十数人の従業員の大衆団交みたいなものが開かれたそうです。その際、件の日本人経営者はやりてなのですが、なにぶん主たる生活地は日本であるため、インドネシア語が流暢にしゃべれません。そこで十数人のバリ島現地労働者と日本人経営者の労使交渉の間に入って通訳したのは娘なのだそうであります。
私にはにわかに信じられない事実ではありましたが、「だって仕方がないじゃない、日本語とインドネシア語をしゃべれるのは私しかいないんだからsign03」とわけもなさそうにシラッと言う娘を見たとき、この娘はもう日本には帰ってこないかもしれないと、私は一瞬思いました。

外国語の習得についての面白い話があります。
最近読んだことですが、外国語の習得には、赤ん坊から最初に接触する言語、すなわち母語と、二番目以降の外国語の習得にはその仕組に大きな違いがあるということがわかってきたそうです。
すなわち、母語は、言葉を言葉として丸ごと呑み込むように、習得していきます。一方、二番目からは何らかの母語との連関から習得していることが多いようなのです。
したがって、母語が大変重要であることと、当然のことながら似ている言語ははるかに習得しやすいということになります。
その伝でいきますと、インドネシア語ははたして習得しやすいのでありましょうか?
インドネシア語はよく知られているように、時制の活用変化がないという世界的にも異色の言語でありまして、少なくとも日本語と似ているとはお世辞にも言えない言語のようです。一方、発音は基本的に子音プラス母音の連続で、この点では似ていると申せましょう。
本を読まずラジオも聴かない娘の学習法を考えながら、外国語の不思議な宇宙に思わず思いを巡らせてしまいました。

2013.10.18

バリ島報告:久しぶりの家族旅行

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バリ島へ行ってきました。
本当に本当に久しぶりの家族旅行です。
家族旅行とは、私たち夫婦に加えて息子(32歳)と娘(29歳)を加えた家族4人の海外旅行ということです。一見豪華そうではありますが、事情があるのです。
すなわち、我が家の娘は、およそ2年前にバリ島でヨガ教師免許取得のための長期集中研修に参加したのですが、この時にすっかりバリ島の魅力に参ってしまい、その後ワーキングホリデイ等で食いつなぎながら現在に至るまでずっと滞在しているのです。後で聞いて驚いたのですが、バリ島に来た日本人女性旅行者ではしばしばみられるケースなんだそうで、通称「バリ島病」というそうです。

インドネシア語はもとより、英語もほとんど話せない状況でたった一人赤道直下の島に暮らすということが、いかなるものであるか、親にとっては容易に想像できない心配だけが増幅する世界です。NHKの大河ドラマ「八重の桜」では、会津の国家老山川家が幕末に生まれた末の娘を米国への官費留学生として弱冠11歳で送り出します。この時母親は「娘のことは一度捨てたと思って帰国を待つ(松)のみ」として、捨松(すてまつ)と改名させますが、その気持ちがよくわかります。山川捨松は帰国後、大活躍で大山巌夫人になりますが、これは大変な僥倖のケースでしょう。
しかしながら、現代は大変便利な時代です。いかな後進国とは申せ、バリ島は世界有数の人気観光スポットです。freeのWi-Fiなどには、不自由しません。したがって、幸いなことにメールやskipeのやりとりは頻繁にできます。だからTV電話によってかろうじて顔色はうかがえますので、元気にやっているか否かぐらいは日本にいてもなんとか見当が付きます。
しかし、やはり実際に会わないことには心配ということと、最後の豪華家族旅行としては申し分ない旅行先であろうというわけで、当初娘はあまり気乗りしないようでしたが、あっという間にむりやり衆議一決してしまった次第です。

インドネシアガルーダ航空で7時間かかるものの、時差はわずか1時間。赤道直下ではありながら、バリ島は年間を通じて最高気温30度、最低気温25度の間で安定している気候です。すなわち、あまり暑くないのです。ちょっと郊外の高地に遠出すれば寒いくらいなのです。

というわけで、しばらくバリ島旅行について、思い出したことを備忘録的に書いていくつもりです。

2013.09.04

藤圭子追悼 背徳について

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藤圭子が自死しました。
私の青春時代には、通奏低音として「圭子の夢は夜開く」が脳の奥でいつも鳴っていたような気がします。
上の写真は、「あしたのジョー」や「巨人の星」で当時少年サンデーを圧倒し、全盛時代を謳歌していた「少年マガジン」の表紙を飾った時の藤圭子です。マガジンとしては、チャレンジングな表紙の設定で、当時かなりの話題となった表紙です。
昭和43年10月18日号となっていますから、私の大学一年、全学無期限スト真っ最中の時のマガジンの表紙です。なっつかしいなぁsign03
表紙全体が反骨の自己主張をギンギンしている雰囲気が伝わってきます。当時はそんな時代だったのです。
ちなみに、価格は80円。大学の授業料は1000円/月、特別奨学金は6000円/月。コンビニも100円ショップもなかったけれども、誰もがやりたいことをやろうとしても生きていけるという確信を持てた、今考えると夢のような時代でした。

というわけで、当時そんなふうにのめりこんでいた藤圭子の葬式くらいには行く義理がありそうな私ですが、故人の意思でやらないということですので、夜ひとり静かに藤圭子のアルバムを聴きながら彼女の総括をするぐらいのことはしなければなりません。
「オールナイト カラオケsign03 一晩中藤圭子しばりsign03」なんていう企画もいいですね。
しかし、千路に乱れてうまくまとまりませんでしたが、久しぶりに「時間厳守子」さんが、言わば彼女の総括のとっかかりとして的確な問題提起をしていただきましたので、下記にご紹介します。


 「背徳」という言葉は死語になりそうである。だからここで使用する。
 
 「背徳」が外見から明らかとなってしまう生活というものがある。客観的にはすべてを本人の責めに帰すことはできないはずだが、世間の目は厳しい。本人も自分を責めずにはいられない。耐えがたき苦しみである。
 「道徳」の何たるやを考えれば、また明らかとはならない「背徳」の普遍を考えれば、「背徳」の耐えがたさは緩和される。とはいえ耐えがたきものであることに変わりはない。
 耐えがたきものであることには変わりはないが、そこからのさらにわずかの解放を求めて、人間は知恵を絞った。「背徳」に「美」を見出し、「背徳」を「詩」にしたのだ。
 その典型が日本の演歌における酒場、港町、どこどこの女、どこどこブルースといった作品群だと思う。演歌のメロディーを共有する韓国・朝鮮には同様のものがあると推測されるが、他の国々ではどうであろうか?日本のように「背徳」の美化が文化的メジャーになっている国があるであろうか?
 こう考えれば人類に対する日本人の文化的貢献というのは大変なものである。富士山の文化的価値など内容乏しく、大したものではない。演歌こそ文化的世界遺産とするに値するものであろう。

 「空即是色」とはこのようなことを一例とするものであろう。

 藤圭子追悼のため深夜に彼女の歌を聴いていて思い至った。合掌。

以上です

2013.08.23

劇評 マームとジプシーの「Cocoon」

更新が遅れがちですいません。今回は「劇評」を書いてみました。

池袋の東京芸術劇場シアターイーストで上演され、関係各方面から圧倒的な評価を得つつあるマームとジプシーの「Cocoon」を取り上げます。

昨年、岸田國士戯曲賞をとったばかりの新進気鋭の劇作家、藤田貴大の意欲作です。
Cocoon

 反戦映画、反戦舞台、好戦映画、好戦舞台、そして太平洋戦争と沖縄の悲劇、これまで数限りなくさまざまないわゆる「戦争もの」を見てきた私たちだが、この舞台はそのどのカテゴリーにも類型化できない舞台。

 強いて言えば、「戦争体験舞台」とでも表現できるかもしれない過去に類例のなさそうな稀有の舞台。最初から最後までサプライズの連続を強いられる。
 昨年、岸田國士戯曲賞を受賞した弱冠27歳の奇才藤田貴大が、その才能を縦横に発揮する。

 ひょっとすると(おそらく間違いなく)この舞台は、沖縄のひめゆり部隊を題材としているのであろうが、最後まで「沖縄」も「ひめゆり」も言葉は一切出てこない。しかし、見終わってまぎれもなくひめゆり部隊の無念が切々と観客ひとりひとりの胸を揺さぶる。

 史実では、沖縄県女子師範学校及び沖縄県立第一高等女学校、いわゆるひめゆり学徒隊の動員数240名、うち戦没者は136名。この歴史の固有名詞を消して、どこの時代でも起きる(もちろん今でも)、どこの学校でも起きる普通名詞として展開する舞台設定が秀逸で、リアリティが迫る。

 こうした舞台上の強烈なリアリティを支えるために、藤田貴大はいくつかの仕掛けを用意する。 

 まず第一に、藤田自らが「リフレイン」と呼ぶ演出手法・・・短い同じシーンを角度を変えながら何度も不規則に繰り返す手法・・・はいかにも実験的で評価は定まらないが、女子学生たちを演じる俳優たちの奮闘でシームレスに機能し、リアリティの邪魔にはならない。

 とりわけ、角度と場所を変えながら最も執拗に「リフレイン」を繰り返す、娘と母親の会話、娘が好きな石鹸のにおいを手にしみこませるために、娘が母親に「石鹸はどこ?」とたずねるシーンは、繰り返せば繰り返すほど、石鹸を手に刷り込むという何でもない日常性がいかに幸福なことであったかを、観客の心に劇的に思い知らさせる。

 すばやく移動するロープと窓枠により切り取られる場面の座標軸の変化は、このリフレインの効果とあいまって、私たちの平衡感覚を激しくゆさぶる。その酩酊感はあまり経験したことがないものであり、まぎれもなくオリジナルなものだと思われる。

 第二に、舞台の全面を覆う大量の砂が、ガマから追放された女学生たちが敵の攻撃から逃げまどいながら巻き上げる濛々たる砂塵として効果的な役割を果たす。

 そして舞台の三分の一を区切るスクリーンに映し出されるゴマ内の光景等々、撮影し映写されることによって、リアリティを脱色され、虚構化されたスクリーン映像と舞台とを対照させて、舞台のリアリティをいよいよ際立たせる効果を上げ、現実と虚構の境界をあいまいにさせる。

 しかし、何と言っても最も直截にこの舞台のリアリティを保障してくれるのは、オーディションで選考されたという21人の出演者たちの熱と気迫である。

21人の出演者たちは、猛暑の中、一日二度の舞台をすさまじい砂塵を巻き起こしながら、さながら甲子園球児のごとく、舞台を駆け回り駆け回り、敵の銃弾から逃げまどい、ひとりづつ死んでいきます。

 そして、ラストはサイパンのバンザイクリフへ続く一本道を連想させる映像のフェイドアウトで、観客に限りない内省を迫ります。

  こうした21人の女優たちによる必死の全力疾走が引き寄せる戦争のリアリティを感じることができたとき、戦争を知るためでもなく理解するためでもなく、「戦争を全身で受け止め体験するための舞台」というものがありうるのだということを観客は知ることになります。

2013.05.28

昭和33年の後楽園の売り子

Uriko

あなたが東京ドームにナイターを見に行ったとして、ビールが飲みたくなったと仮定してください。東京ドームのネット裏には、頻繁にまるでAKBみたいなかわいい売り子が「ビール如何ですか~」とそれぞれが可憐な声を張り上げながら通り過ぎます。ビールは背中にしょったリュックの中にあるらしく、少し大ぶりの紙コップに圧搾ガスで押し出すかのごとく、シューッと泡を上手に作りながらそそがれます。値段は千円くらいだったかなぁ? ホットパンツのかわいこちゃん込みですので、あまりexpensiveとも思えません。たくさんいるので、時々、プレーを見る邪魔になりますが、ニコッとほほえまれると文句も言えません。
見渡したところ、売り子全員がかわいこちゃんで男は一人もいないようです。
という至福の光景をながめながらいつのまにか、私ははるか55年前、昭和33年の後楽園球場の内野席にタイムスリップしてしまいました。
その日は、普段家庭サービスなど考えたこともない私の父親が、どういう風の吹き回しか、小学校3年生の生意気盛りの私を初めて野球に連れてきた日だったのです。
たしか日曜日のデイゲームで、毎週お昼からの連続テレビドラマダイマル・ラケットの「びっくり捕物帳」を見終わってからゆっくり家を出ても、午後2時開始のデイゲームには悠々と席を確保できたいい時代でした。我が家は貧しかったので、ネット裏というわけにはいかず、「紅梅キョラメル」の大きな広告のついた照明のそばの内野席に陣取りました。
初めてボールパークでプロ野球を観戦する小学3年生にとって、興奮のほどはいかばかりであったであろうかと察っせられます。この時生意気盛りの私が最も心を奪われたのは、プロのすばらしいプレーでもなく、野球場の美しさでもなく、観客席のあちこちから発せられるドスのきいた「やじ」でした。特に、相手チームのチョンボなプレーにタイミングを合わせた痛烈なやじは、私に「尊敬すべき大人の粋」を感じさせました。
この時以来、私は野球見物に行くときは、子供ながらに常にタイムリーな痛烈なヤジを考えながら観戦する癖がついてしまいました。当時は、今の東京ドームとは大きく異なり、内野席は静かで、観客のヤジは内野席全体はもとより、選手にも聞こえるほどでした。このため、この時代には東映フライヤーズの三塁手山本八郎が、観客のヤジに激高して観客席に殴りこむという事件も起きております。
ということで、私が今回書き留めておきたいのは、そういうことではありませんで、恐縮ながら話を元に戻させてもらいまして、昭和33年の後楽園球場内野席のビールの売り子についてなのです。
生意気盛りで、大人に負けないヤジを言いたくてウズウズしている私の目の前に徘徊する売り子たちは、みなさん今と違って重いビンビールやコーラビンを抱えている屈強な男たちでした。彼らは注文されると紙コップにビンからビールをついでいました。
この屈強な男たちのうちの一人に私の目が留まりました。その男はいつも我が家の前を通り過ぎる近所のお兄さんでした。たしか安田学園の野球部に所属していていつも往来でバットを振っているお兄さんだったのです。その高校生もわが親子に気が付き、近寄ってきて「やあ、やあ」ということになりました。そして、きわめて自然に私にはコーラを、父親にはビールをただでごちそうしてくれたのです。タイムスリップしてのこの光景が、その時くっきりと私の目の前に現れました。
おそらく、現代のかわいこちゃん売り子の中に近所のお嬢さんがいたとしても、おそらくおたがいにわからないと思いますし、仮にわかったとしても、そのかわいこちゃんは、近所のおっさんとその息子にビールをごちそうすることなど、100%ございますまい。
この55年間の時の移り変わりの中で、我々は何を失い、そして何を得たのか、あらためて思わず考え込まずにいられない春の宵でした。

2013.05.19

宮本信子と山口果林

Miyamoto

私には、女優の宮本信子と山口果林の区別がつきません。

ところが、この数年しばらく見なかったと思っていたら、お二人ともほぼ同時期に相次いでテレビで頻繁にお目にかかりだしたので、びっくりしています。
まず宮本信子さんの方ですが、おそらく上の写真が彼女のはずです。
この4月から毎朝、国民的番組といわれている朝の連続ドラマ「あまちゃん」で、かわいそうに主人公のおばあちゃん、もっと言うと小泉今日子のおかあさんをやらされています。先日、偶然そのドラマをみかけましたが、若いとき同様の相変わらずの美しさで、家族全員の食事シーンでは誰がおばあちゃんで、だれが娘か、にわかにはわからないほどです。エッ? happy01
この宮本信子さん、言わずと知れた亡くなった名監督、伊丹十三の奥さまで、御年68歳です。
Karin2 そして一方、左の写真は誰でありましょう。
これまた1971年のNHK朝の連続テレビドラマ「繭子ひとり」のヒロイン繭子を演じた山口果林さんであります。
山口さんもものすっごく久しぶりに、先日SMBCフレンド証券のCMでお見かけしました。見終わって、すぐには私は山口果林だったのか、宮本信子だったのかにわかに判断できませんでした。
山口さんの方は、その後演劇集団「阿部公房スタジオ」の中心人物として活躍し、いまも独身です。(一説には阿部公房と不倫関係であったという話もあります)
山口果林さんの育った家は、東京駅八重洲口を出て八重洲通をまっすぐ徒歩10分、小さな橋のたもとの鉛筆ビル。当時「千代田書房」という名の本屋さんのお嬢さんです。
繭子ひとり放映中は大変な人気で、軽薄な学生の追っかけがたむろしていましたっけ。現在、この書店は存在しません。ビルも建て替えられています。
こちらも阿部公房がお相手ではさぞやご苦労も多かったことがしのばれますが、65歳の今も十分お美しい女優さんです。
再度申し上げます。
私にはこの二人・・・ すなわち宮本信子と山口果林の区別がつかないのです。

2013.05.09

富士山は怒っている

Sfuji

富士山が世界遺産に登録されることが、ほぼ確実となったようです。
ご同慶の至りと思っておりましたら、「時間厳守子」さんから、早速富士山になりきっての富士山の現在の気持ちのレポートが入手できましたので、下記に転載させていただきました。
題して「富士山は怒っている」です。

 いったいお前ら日本人は何を考えているのだ。
 
 おれ、富士山を何と思っているのだ。
 
 おれを世界遺産にして浮かれているようだが、利用されたおれは文句がある。
 
 お前たちは地域の振興になるとか言って、おれを商売のネタにしようとしているだけではないか。
 
 自然遺産にしようとしてそれが叶わぬとなり、文化遺産のほうに方針変更したそうだが、自然遺産となれなかったことをどう思っているのだ。
 
 「自然」でも「文化」でもどちらでもいいから世界遺産になればいいというその汚い根性はどこから出てくるのだ。
 
 おれを商売のネタにしようとしているだけで、おれをバカにしていることがありありとしているではないか。
 
 おれの「自然性」に対しても、おれの「文化性」に対しても、真の敬意が欠けているから、どちらでもいいなどという態度が生じてくるのだ。
 
 自然遺産から文化遺産への方針変更をした奴らが作戦成功と誉めそやされているようだが、そいつらが不敬罪の主犯だ。
 
 そもそもおれはおれだ。世界遺産などというレッテルは不要だ。レッテルなしでおれは富士山なのだ。
 
 世界遺産となったがゆえに見直されるなどというチャチなおれではない。
 
 お前らのずっと祖先、根性のまっすぐだったお前らの祖先は、自分たちの五感でおれを感じていた。
 
 他人に判断してくださいなどという卑屈はなかった。
 
 お前らの祖先とおれはすっきりと向かい合っていた。
 
 おれを売り飛ばしたお前らはおれと正面から向き合えまい。
 
 郷土愛とはカネになるから生ずる愛なのか。
 
 「日本人の心が世界に認められた」などと言っているが、世界に認められなかったら日本人の心を捨てるのか。
 
 おれに対して安易に信仰などということばを使うな。
 
 捨てるものなき信仰などを認める神はどこにもいないぞ。
 
 取れるだけ取ってやろうというような精神に信仰という言葉は使えないぞ。
 
 お前らは自分たちの信仰を本当に誇りに思っているのか。

 そもそも本当に信仰しているのか。

 日本人の信仰とはそんなものかと世界の物笑いだ。
 
 なんで日本人が物笑いになるきっかけにおれがならなければならないのか。
 
 おれは怒りで噴火しそうだ。

2013.05.01

力道山vsジム・ライト

Sdsc00850_2私はプロレスの味方ですsign03
なぁ~んて、気張る必要はないのですけれども、私はプロレスの大ファンです。
実は「プロレスの味方」と自称する知識人は意外に多くて、私の周りにも無視しえないほどたくさんいます。

さてそれでは、「プロレスの味方」と自称するファンと普通のファンの違いはどこにあるのでしょうか?
それは通称「シュート」と言われる本気モードのプロレスと台本のあるプロレスの区別がつくのが、プロレスの味方というものです。

たとえば、我が国初のシュートで行われたプロレスは、昭和29年12月22日の「力道山対木村政彦」と一般にいわれております。しかし、本当のところは、すでに大ベストセラー増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に詳述されておりますように、最初は1対1の引き分けの約束ができていた台本方式であったものが、力道山が興奮して約束を破って途中からシュートになってしまったというのが実情のようです。
そして、「プロレスの味方」とは言い換えれば、試合途中で本気モードになったことを正確に見抜ける眼を持ったファンと申せましょう。

さて、そこで上の写真をご覧になっていただきたい。
これは昨年江戸東京博物館が収蔵品として購入した「力道山vsジム・ライト」のインターナショナル選手権のタイトルの懸ったタイトルマッチ戦の貴重なポスターです。
ふたりのインターナショナル選手権試合は、昭和35年の1月15日は大阪体育会館で、続いて1月30日には東京体育館で、2回行われています。このポスターはそのうちの1月30日の東京体育館の方のポスターです。そして、シュートで行われたのは、1月15日の大阪で行われた方と言われております。
では、なぜ1月15日のタイトルマッチがシュートになってしまったのかという問題です。

この時インターチャンピオンであった力道山のチャンピオンベルトは、実は当時全盛を極めていたルー・テーズが締めていたNWA世界ヘビー級選手権ベルトとそっくりなものでした。それもそのはず、NWAチャンピオンにあこがれていた力道山がアキバ徽章に同じデザインでつくらせたものだったからです。そのベルトがポスターの右側で力道山が締めているものです。
このベルトを見たジム・ライトにとっても、NWAチャンピオンは垂涎のものだったらしく、「何の資格があって、ルー・テーズと同じベルトをお前は締めているのだsign02」と完全シュートモードで阿修羅のごとく力道山をコテンパンに痛めつけました。
このため、力道山もやられっぱなしになるわけにはいかず、また持ち前の興奮体質のため、沖縄空手から習いたての禁じ手「両耳(りょうじ)」(左右の両張り手で相手の両耳を挟み撃ちして両鼓膜を破る技)を連発しました。なお、この両耳を力道山に教えたのは、この時レフェリーをしていたおなじみ沖敷名だったんです。また、事態をより凄惨なものにしたのは、力道山は年末に酒の上の喧嘩がもとで右手に骨まで見える深い裂傷を負っており、興奮して空手チョップを出すたびに包帯を真っ赤に染める鮮血が滴たりました。
ということでこの時のレフェリー沖敷名の裁定は、禁じ手両耳を敢行した力道山の反則負けの宣告でした。私にはちょっと意外なところではありますが、沖敷名って結構、公正な判断をしていたのですね。

さて、次に1月30日大阪でのインタータイトルマッチは無事に行われたのか・・・という問題です。
当時、それほどの強敵とも思われず、おまけに年齢42歳で、筋肉も落ちてきているジム・ライトに大苦戦した、力道山への評価はきびしいものでした。
ジム・ライトは嵩にかかって「ベルトのデザインを変えなければ大阪でも同じ結果になる」と力道山を脅迫しました。そこで力道山、弟子に指示して「アキバ徽章に言って、ベルトのクラウンをちょんぎってしまえ!!」
ベルトのデザイン変更を見たジム・ライト、上機嫌で和解モードで台本プロレスを展開しました。しかし、異常な興奮体質の力道山のことです。最後は怒涛のシュートモード、最後はこれも掟破りの禁じ手、喉への空手チョップの連発でライトの声帯をつぶしてしまいました。
なお、異常な興奮体質による力道山の禁じ手連発の例は枚挙に暇がありませんで、もっとも有名な事件は、1963年5月24日のNWA世界ヘビー級タイトルマッチで、力道山は当時NWAのチャンピオンだったザ・デストロイヤーの顔面に意図的に空手チョップをヒットさせ、デストロイヤーの前歯数本を折っております。

ジム・ライトはこの数年後、マジソンスクウェアガーデンで行われたタッグマッチの試合中に不幸にも死亡されたそうです。

2013.04.23

東深川橋の謎の石碑

Sdsc00779


Sdsc00778上の写真は、我が家の近くを東西に流れる小名木川にかかる橋のひとつの東深川橋です。

この橋のたもとの南詰に写真のような立派な石碑が立っています。私は長い間、この石碑のいわれが気になっておりましたが、このたび偶然にこの石碑の由縁が判明いたしましたので、ここに謹んでご報告いたします。

石碑は相当に立派なのですが、字が読みにくいのが難点です。しかし、読みにくさを我慢して無理して概要をご紹介します。

石碑の建立日は、昭和46年8月15日、すなわち戦後21回目の終戦記念日です。

建立者は、当時の白河2丁目町会と白河二丁目の住人李仁洙さん夫妻の連名となっています。李仁洙さんの名前には、在日54年帰国記念とされているように読めます。

碑文によりますと、

昭和20年3月9日夜の深川大空襲により、下町一帯は火の海となり、わが白河二丁目一帯は、灰尽に帰し、その夜の焼死者実に700余名の多きに至る。我々町民は全くの無一物の焦土の中から立ち上がり、今日ようやく復興を遂げるに至った。顧みて幾多の尊き犠牲者の冥福を祈り、戦争の絶滅を期するとともに、わが町会の復興を記念してこの石碑を建立する。

以上です。

ということで、ちょっと読んだ限りでは通常の平和記念碑の例を超えるものとは思われず、何の疑問も持たずに前を通り過ぎてもおかしくはない石碑です。

しかし、仔細に眺めると「謎の石碑」と呼ぶにふさわしい疑問点が湧き上がってきます。

まず、疑問なのは白河二丁目町会が建立する石碑になぜ朝鮮人の住人が連名で名を刻むのか?という点。
次に、「在日54年帰国記念」とは何を意味するか?
さらに、下町には朝鮮人差別はなかったのか? という問題、などである。

私が偶然仕入れた李仁洙さんに関する情報は、以下の通りです。
まず、この李仁洙さんの素性ですが、昭和7年に来日して以来、いろいろな職を転々とした後、この深川の地で中華料理店で大成功したらしい。
そして、この李仁洙さん、戦災の時は大勢の被災者を助け、戦後は近くの白河小学校に土俵やオルゴールの時報装置など高額の寄付を行い、白河二丁目の町会はもとより深川の住人達から親しまれ、この碑を建碑した昭和46年に住人達から感謝されながら帰国したそうです。当時、李仁洙さん夫妻の年齢は81歳と80歳、夫婦ともに高齢であったようです。
帰国とは、当時朝鮮総連により進められた在日朝鮮人の帰還事業、すなわち在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住事業のことである。
ここいらへんの事情は、映画「キューポラのある町」や小栗康平の「泥の河」を見ればよくわかります。

したがって、「在日54年帰国記念」とは、北朝鮮に帰国することを記念して、李仁洙さんがもう二度と会うことはないであろう、世話になった町会の人たちになにがしかのものを残したいという切ない思いの発露なのでしょう。李仁洙さんの北朝鮮帰国に対する覚悟を感じさせます。
81歳の李仁洙さんが、日朝友好と戦争絶滅(石碑はあえて「絶滅」という激しい言葉を使っています)を期しておそらく慟哭の思いで深川の地に建碑した平和記念碑を残して、移住した「夢の国」北朝鮮・・・・
その国が今原爆を持ち、周辺国を「火の海に」など、恫喝しまくっています。何という皮肉でしょうか?
今もし李仁洙さんがご存命でありましたら、一体どう思っているでしょうか?

深川における当時の朝鮮人差別の実態であるが、私の子供心の記憶では、なかったといえばそれはうそになるが、大人たちのつきあいは、非常に自然であたりまえのものだったように思う。
深川という土地自体が、よそもの、それも不遇の人や身元不明の風来坊でもこだわりなく受け入れる雰囲気を持っていたことによると思う。

この深川の雰囲気というか、風土というか、要するにatmosphereが、
小津安二郎や吉本隆明を輩出する空気につながっているような気がする。

2013.04.07

上野の清水観音堂

上野のお山の西郷さんの銅像の近くに、清水観音堂というお堂があります。

小ぶりなお堂で、ちょっと京都の清水寺のミニチュアのような雰囲気もありますが、ほとんどの観光客からは注目されていないお堂かもしれません。
というのは、現代の清水観音堂の最大の売りは、「人形供養」というのですから、一種のパワースポット的ないかがわしさも感じさせます。
現実に私は、宜保愛子氏全盛時代に彼女の「押し入れに忘れられている人形の恨みが・・・」とかなんとかいう発言を真に受けて一度日本人形を供養しに来たことがございます。確か料金は三千円から五千円だったと思います。
以上がこれまでの私の人生で、清水観音堂に対してかろうじて持っていた印象です。
ところが、今回この観音堂を偶然調べてみて、サプライズ情報の連続に驚かされましたので、以下に報告します。
まず、このお堂のそもそもの氏素性ですが、「人形供養」だけを看板にしていては罰が当たるほど立派なものです。
すなわち、1631年、日光で有名な天海大僧正が開山した天台宗東叡山寛永寺の一環として創建されたそうです。比叡山が京都御所の鬼門を守護し王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣って、江戸城の鬼門の守りをも意味しているそうです。そうした趣旨から、天海大僧正が比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立したなかのひとつが、この清水観音堂なわけです。このお堂は、お花見の名所でもあり、清水堂の上からは、不忍池や中島弁財天とそれらをとりまくみごとな桜を見ることができます。
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さて、そこでサプライズのその1です。
この清水観音堂は、なんと古典落語のあの「崇徳院」に出てくるのです。
「崇徳院」とはどういう落語かと申しますと、ある大店の若旦那が恋煩いで寝たきりの重病となり、困った親旦那が、幼馴染の熊五郎に相手の娘を探させるという話です。娘を探すヒントはただひとつ、娘が料紙に崇徳院のあまりにも有名な句、すなわち「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」の上の句だけ書いて若旦那にわたしたことだけなんです。熊五郎は江戸中をこの句を叫びながら探し回ります。床屋や風呂屋など人の集まるところを集中してさがします。そしてついに御嬢さんを探し出して・・・というお話です。
この御嬢さんと若旦那が初めて会ったのが、何を隠そうこの清水観音堂の茶店なんです。春風亭一之輔によりますと、この茶店はたいそう羊羹がうまかったそうであります。
また、上方落語では場所が違いまして、桂枝雀では高津神社となっております。
次は第二のサプライズです。
清水観音堂は、歌川広重の名所江戸百景の「上野清水堂不忍ノ池」として出てくるのです。画面には、名物の「ぐるぐる松」もユーモラスな姿を描かれています。この松は、「月の松」とも呼ばれるそうで、先年、約150年ぶりに復活いたしました。しっかりと写真に撮ってきましたのでお楽しみください。
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第三のサプライズは・・・・。
時は1868年7月4日、いよいよクライマックスに差し掛かった戊辰戦争。天野八郎率いる彰義隊をはじめとする旧幕府軍と、大村益次郎率いる新政府軍がこの上野のお山で激突します。その名を「上野戦争」と申します。
この上野戦争で、血で血を洗うもっとも激戦地となったのが、この清水観音堂の坂下にあった黒門周辺であったと伝えられております。

2013.04.01

拝啓!浜田宏一先生

Hamadakouichi

アベノミクスが全盛です。

一に、インフレターゲット2%による金融緩和。第二に、緊急経済対策など経済対策の実行。第三に新産業の育成。以上、3本の矢による所得拡大と経済成長。
簡単に言うとこういうことのようです。
アベノミクスの掛け声としての効果は絶大で、実質的にまだ何も動かしていないにもかかわらず、円安は進行し、株も上がり続けています。しかし、実際の正念場は、3段目のロケットに相当する「新産業の育成」に着火するか否かだというのが、冷静なエコノミストの評価でしょう。
しかし、メディアをはじめ世間の期待は大きく、いつの間にか、私のように「ハイパーインフレと高金利時代到来による超格差社会の実現と年金生活者の悲惨な窮乏化」を心配する者は、まるで国賊であるかのような扱いを受け始めています。
とりあえず、ABEとMIXの間にNもOもないのになんで「アベミクス」なんだと文句を言ってはいけないんですかねぇ。
このアベノミクスの理論的支柱が、「学会のハマコー」ことエール大学の浜田宏一教授。私の学んだ舘ゼミの最も俊秀との呼び声高く(だからエール大学から呼ばれたんでございましょう)、私のようにゼミの最劣等生を自他ともに任じるものからははるか雲の上の先生です。
私のように「ヘクシャ・オーリンの定理」も「ハロッド・ドーマー分析」ももはや頭の中になく、「ケインズの美人コンテストのアナロジー」だけを明晰に覚えているゼミの後輩が、反論するのはおこがましすぎるかもしれません。
それでもやっぱり「日銀が国債を無制限で購入するなど、絶対に間違っている!!」と言わざるを得ません。
私だけが反論してても、なんの説得力もないでしょうから、ここで久しぶりに「時間厳守子」にご登場願って、援護射撃をお願いします。

題名は「浜田宏一教授、御存知のこと」。
 ニュー・ハマコーこと浜田宏一イェール大名誉教授は、アベノミクス、特にそのうちの金融政策についての理論的支柱であり、この道の大家である。
 その浜田教授が以下のことについて御存知ないはずはない。
 しかし、その著「アメリカは日本経済の復活を知っている」ではまったく触れられていない。 (この本は賢いゴーストライターによるもので、そのライターが意識的にカットしたのではないかと筆者は疑っているが、下司の勘繰りというものかもしれない。)
 このため、浜田メソッドが万能特効薬であるかのように誤解されてしまうおそれがある。それは浜田教授の意図に反するものでもあると思う。
 本稿はそのような老婆心からの報告である。

 まず、浜田教授主張の金融緩和策は為替レート引き下げ(円安)を媒介項とする景気回復策であり、このアイデアはオーソドックスな金融政策ではない。
 オーソドックスな金融緩和策は、期待利潤率の低い状態にある民間企業に対して低金利の資金を供給することによりその投資活動を刺激しようとするものである。決して、為替レート引き下げを媒介項として景気回復を図ろうとするものではない。
 為替レート引き下げ策は各国の際限なき引き下げ競争を呼ぶことになるおそれがあり、それは禁じ手とされている。
 安倍・オバマ会談でアベノミクスは容認されたが、容認された理由は、円安が目的ではなく、オーソドックスな景気回復策の結果として発生したものとされたからである。(アメリカ自体が禁じ手を使っているという後ろめたさも一原因であると思われる。)

 次に、浜田教授は、引き続いた円高の原因を他の通貨(ドル、ユーロ)に比べての円の供給量不足によるものと断じている。
 しかし、外国為替市場における価格形成(円相場、ドル相場等々)は需給関係で説明できるほど単純なものではない。
 膨大な投機的資金が短期の売買を繰り返しているマーケットであり、将来の為替レートの動きを予測させる各国の財政金融政策の節度及びアメリカをはじめとする主要国の市場介入態度が投機筋の判断の大きな要素である。
 安倍・オバマ会談でアメリカが円安傾向にNOを突きつけていたら、現在の相場展開はなかったであろう。

 すなわち、禁じ手の利用と円安水準についてアメリカの容認、追認があったことが現在の円安、株高の背景となっている。
 そしてこのことは、次の2点があることを示唆している。
 ①アメリカの円安許容水準に一定の限度がある、②アメリカの容認、追認を獲得するにあたり、(当然安倍・オバマ会談の前にシェルパが交渉しているはずで)、安倍政権は何らかの土産をアメリカに取られている、ということである。

 円安許容水準の限度はどのあたりか?
 いろいろ憶測を呼ぶところであるが、日本の満足は他国の不満であり、95円は大きな成果であるが、先はそう遠くはないと思われ、また相場定着の保証があるわけでもない。
 安倍政権がさらにいかなる対米譲歩をするかに依存するといってもいいだろう。
 要は、先々そう単純な明るい展望が開けているわけではない、ということだ。
 
 以上、浜田教授は先刻御承知のはずのことである。
ということで、時間厳守子さんの相変わらずの切れ味でございました。

2013.03.25

渋谷物語3 「天井桟敷と状況劇場」乱闘事件

むかしむかし、まだ私が学生だった頃、若者という若者はみ~んな、誰もが目を吊り上げて、何かに向かって怒っている時代が確かにありました。かくいう私のような温厚な人ですら、怒っていたのです。
若者みんなが怒っているとはどういう状況かと申しますと、キャンパスのそこかしこはもとよりとして、街のそこかしこなどで、みんながみんな口から泡を飛ばし目を血走らせて、議論しあっておりました。

そのうちに、議論などと言う生易しいことでは済まなくなり、あるいは胸倉をつかみあい、あるいは殴り合い、俗にいう「乱闘事件」などという神聖な呼称をつけられて、伝説化される場合もありました。1969年前後だったと思います。
以下のお話は、その頃のいわゆるひとつの典型的な集団乱闘事件です。
当時、日本を席巻していたアングラ劇団。天井桟敷の寺山修司、状況劇場の唐十郎、早稲田小劇場の鈴木忠志、黒テントの佐藤信。以上4人は、アングラ四天王と呼ばれ、小劇場ブームを巻き起こしておりました。
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四天王の中でも、最も過激とおぼしきが状況劇場の唐十郎。状況劇場を有名にしたのは「新宿西口公園事件」です。それは今の都庁の西側に広がる公園で起きた事件です。東京都の中止命令を無視して、新宿西口公園にゲリラ的に赤テントを建て、「腰巻お仙・振袖火事の巻」公演を決行。200名の機動隊に包囲されながら、最後まで上演しきったのが状況劇場です。

上の写真は、この新宿の赤テントとは別に、状況劇場が常設でテントを張っていた渋谷金王八幡宮の現在の様子です。相変わらず「リュックをしょったシニア」が多いですね。
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一方、上の写真は、当時寺山修司の天井桟敷のあった渋谷駅南側の写真です。状況劇場の常設テントのある渋谷金王八幡宮とは、歩いて5分くらいの距離でしかありませんでした。

仕掛けたのは、唐十郎。近くで上演された天井桟敷の旗揚げ公演にパチンコ屋の開店祝いの花輪を送りました。
これに対する意趣返しとして、1969年12月5日天井桟敷側は、渋谷金王八幡宮で行われる状況劇場のテント興行の初日に、葬式用の花輪を祝儀としておくりました。
一週間後の12月12日、唐は劇団員を引き連れて天井桟敷を襲撃、大立ち回りを演じた末、唐と寺山を含んで双方の劇団員9人が暴力行為の現行犯で逮捕されるという大事件となりました。
なお、私はこの喧嘩が本気だったとは思っていません。なぜなら、唐さんは今でも寺山修司を語るとき、最大級の敬語を使うからです。
それから、もうひとつ。
もはやこの種の乱闘事件は、二度と起きないと思います。
なぜなら、現代の若者で、本気で何かに怒っていたり、語るべき演劇の核心を命懸けで論争しそうなアーティストが見当たらないからです。

2013.03.16

渋谷物語2 私の生まれた家

S20130310_103210私の生まれたところは、もう既にこのブログで何回か書きましたように、渋谷区の神宮通り、電気館の近く、渋谷タワーレコードのはす向かいです。
今は左の写真のように、いつのまにか最近更地になったようです。2階建ての家自体は、昭和30年代建築の古い家で、前を通るたびになつかしかったのですが残念です。
私は母親の初産でしたので、母親の実家である渋谷に母親が生みに来たのです。昭和24年の昔のことですから、お産婆さんが取り上げました。

私の母親の実家、すなわち母方の祖父は小さな三味線屋を営んでおりました。私の記憶では、ほとんど三味線の皮の張り替えで生計を立てておりましたので、円山町界隈の粋なお姉さんがたくさん出入りしていたような記憶があります。

S20120815_141850昭和24年当時の神宮通りの写真は上。今となっては相当に貴重な写真です(江戸東京博物館が収蔵しています)。
真ん中を上下に通るのが、山手線。下が渋谷駅方面、上が原宿駅方面。真ん中ちょっと上の白い大きな建物が、移転前の渋谷区役所(今の電気館)。その下画面真ん中から左下に走る道路が神宮通りで、このすぐ先で渋谷西武AB館の前を通って渋谷駅のハチ公広場に通じています。。画面左隅真ん中の白い建物が今は高層ビル化された日本生命の営業所で、問題の三味線屋はその向かって右隣だったはずです。なお、この白いビルに沿って左に坂を上がると、今の公園通りパルコはすぐです。
ついでに、画面右下1/4に広がる更地は何かと申しますと、、今の宮下公園のはずです。

この三味線屋、当主(すなわち私の祖父)が死んでからは、継承する者がおらず、また娘3人はいずれも嫁いでしまったため、廃業となりました。
なお、先日仕事の関係で、仲良くなった祖父と同じ渋谷で三味線屋を営んでいるお年寄り(渋谷区指定の技術マイスターと呼ぶのだそうです)のお話によりますと、お客さんの関係で、三業地の近くにはどこでも三味線屋が多いそうです。今は、継承する人がおらず、どんどん減ってはいるが、組合の会員の数は23区で60~70人くらいいらっしゃるそうです。

というわけでうちの爺ちゃんの三味線屋なきあと、この区画の歴史は渋谷の異常な発展とともに変遷していきました。
ちょっと記憶をたどりますと、まずファストフードのカレー専門店、全店カウンターでしたね。次がスニーカーの専門店。そして直近がカラーワイシャツ専門店だったと思います。いずれも共通項は「専門店」というのが、渋谷らしい矜持の名残でありましょうか。

2013.03.10

渋谷物語1 百軒店

久しぶりに渋谷をゆっくり歩いてみました。
午後の渋谷は、若者たちの圧倒的な熱気と喧騒で落ち着けませんので、ゆっくり歩ける朝の渋谷を歩きました。

渋谷は変わりました。
ヒカリエができた東側は当然として、西側の文化村から松濤美術館方面も、かつてのホテル・旅館街の増殖に多くの超高級マンシヨン群が団体でくさびを打ち込んだかのような大きな変化です。

しかし、私の学生時代以来、ほとんど変わらないたたずまいのうれしいゾーンが一か所だけ残っています。

それが百軒店です。「ひゃっけんだな」と読みます。
道玄坂を上った中腹。渋谷109の裏手に当たります。
1950年に始まった朝鮮戦争が休戦となり、本国へ帰る米兵との別れを惜しんだ多くの日本女性が英文の代書屋にラブレターの代筆を頼んだといわれています。その代書屋があった関係で、長く「恋文横丁」とも言われてきました。

S20130310_095140_4百軒店入口のこの劇場は、「道頓堀劇場」と申します。
少なくともこの40年、全く変わらない正真正銘のストリップ劇場です。(もちろん出演者は代っています)
既に浅草のロック座やフランス座の火が今まさに消えようとするとき、堂々たる安定感で運営されています。
今、東京23区内で唯一のストリップ劇場と言っても誤りではないような気がしますが・・・

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百軒店を上っていくと、

こちらも言わずと知れた「インド料理のムルギー」が現れます。
連れ込みホテルに挟まれながら、はずかしそうに立っているレストランです。なぜか「インド料理」と標榜されていますが、実はビルマのカレーです。ビルマカレー独特の味と香りが楽しめます。
芥川龍之介をはじめとして、幾多の文学作品に登場しています。どういうわけか「純文学専門」です。

そのほか、もう少し、奥に歩を進めると、これまたあまりにも有名な名曲純喫茶「ライオン」が50年前のままのたたずまいを見せてくれます。「ライオン」の方は、耐震上そろそろ限界が近づいていそうですので、見学するならばお急ぎになった方がよさそうですよ。超大型のステレオスピーカーだけでも見ものです。

百軒店は道玄坂から入ると、上りの坂になっています。
あまりにも豊かな歴史を背負っているために、これまで多くの歴史的事件の舞台となってきています。

私が知っている百軒店の路上で起きたふたつの事件をとりあえずご紹介します。

ひとつは、酩酊した今は亡き中村勘三郎と これまた酩酊した野田秀樹が、初対面で偶然ばったり鉢合わせしたという事件です。
二人はすぐに意気投合して朝まで痛飲し、野田は勘三郎に新作を書く約束をします。それが、芸術劇場で2年前に上演された「表に出ろィ!!」です。

二つ目の百軒店路上事件は、これはあまりにも有名な話です。
女優の酒井法子と夫の髙相祐一が覚せい剤所持の現行犯で逮捕されたのが、この坂なんです。この時、職務質問した警官に酒井があびせた啖呵のすさまじさは今も語り草となっております。

渋谷については、他にも書きたい場所がありますので、しばらく続きます。

2013.02.25

能とシェイクスピア

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能を見ました。2013都民芸術フェスティバル参加作品の「式能」です。
場所は、国立能楽堂。番組は、「翁」「高砂」「経政」、狂言は「福の神」と「蝸牛」。
私は「経政」の哀愁がたまりませんでしたね。
お客さんはほぼ満員。男女は半々、予想以上に妙齢の育ちの良さそうな女性が多かったような気がします。
私がちゃんとした能楽堂で能を鑑賞したのは、高校1年の古典の授業以来ということになりますから、貴重な鑑賞経験です。
当時、探究心旺盛な高校生の私が、能の関連の本を読んで勉強した結果、高校以来四十数年にわたって抱えている疑問がひとつあります。今でも覚えているその疑問は、日本の能とヨーロッパのシェイクスピア演劇の間の奇跡といっていいような驚くべき類似点についてなんです。
その第一は、(これは誰でもすぐ気が付くことですが)両者とも女性が出演しません。オフィーリアとか謡曲隅田川の狂女とか、みんな男性が代わりに演じます。したがって、両者ともせりふが少ないのが一般的です。
第二に、両者とも長い道のりを歩くことを表現するために、舞台を何周か円を描いて歩きます。両者ともかなり狭い円形劇場で上演するのが常ですので、こうした表現の仕方になるのでしょう。
第三は、両者とも簡略化された舞台の制約の中で、遠近感を表現するために、能舞台で言えば、松のフェイクは近い松ほど大きく遠い松は小さく配置されています。
他にもあるかもしれませんが、即座に思いつくのはこの程度でしょうか。
はたして偶然の一致なのか、それとも両者にはなんらかの関連があるのか否か?
数年前に、私は蛮勇を奮い起こして、我が国シェークスピア研究の第一人者、小田島雄志東京芸術劇場名誉館長に聞いてみたんですよね。
注目すべき回答は、はなはだにべもなく「偶然じゃないかなぁ」というもので、小生すっかり落ち込んでしまったのを思い出します。

2011.10.21

白河3丁目の回覧板

先日、近所の床屋に行こうとして、朝、外に出たのですが、あいにく9時開店に少々早すぎたため、床屋がまだ閉まっているという不運に出会いました。
仕方がないので、床屋のご町内を中心に散歩気取りでダラダラと歩いていますと、軒下にA3版程度のラックに挟まれてささやかに置かれている白河三丁目町会の回覧板を発見しました。

まず何よりも、今時ご町内の回覧板が存在するという事実に驚かされます。私もこの近くの下町で育っていますので、かつては回覧板はいやっというほど見慣れておりますが、あまりに突然に不意を衝いて視野に入ってきたものですから、びっくりしましたし、なつかしくもありました。
最近は下町とは言いましても、マンションが増えたり、近所づきあいの希薄化もあって、回覧板というものは、全く見かけませんよね。
しかし、この白河三丁目はほとんどが一戸建てで、昔からの住人が多いためでありましょうか、まだ最も正調と思われる回覧板が機能してくれていたのであります。

ということだけであれば、普通のマイ サプライズのご紹介にすぎないのでありますが、本当のサプライズは、実はこれからなんです。
もっと驚かされるのは、その回覧板の伝達内容なのです。

なんとsign03 「秋の町内日帰りバス旅行」です。
参加費は
3000円sign03
まさしく、下町の住民たちのささやかな幸福をつむぎだす、心温まる企画です。

ちょうど同じ日の朝刊の一面広告で「豪華客船飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ 期間は半年 参加費一人五百万円」を見たばかりのショックがさめやらない朝でしたので、サプライズは倍でした。

しかし、500万円の世界一周クルーズより、3000円の町内日帰りバスツアーの方が、心に残るという皮肉が得てしてこの世の中には多いというのが、おもしろいところなんですよね。

2011.03.31

「スパリゾートハワイアンズ」の奇跡

東日本大震災のような大惨事の起きた時には、得てしてたくさんの美談がねつ造されるものです。
しかし、ここでご紹介する美談は、生まれたてで感涙必至の正真正銘の美談です。
「ほぼ日刊イトイ新聞」のツイッター経由で紹介された「Web SPA !」の記事を勝手に以下に転載します。
みなさま、ハンカチの用意をしたうえで、お読みください。


震災当日、休暇をとって家族旅行中だった本誌記者(注:SPAの記者)は福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで被災。そこで記者が見た、「スパリゾートハワイアンズ」スタッフの「プロフェッショナルな姿勢」とは?

 3月11日。運命の日。記者は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」で被災した。久々にとった有休休暇。家族サービスと称し、妻と2歳10か月の息子を連れ、無料送迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、今にして思う。それも、特上の。

 まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。しかも、食料の備蓄があり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提供してくれた。しかも、ビュッフェ形式で。これは、2歳児を抱える家族としては、とてもありがたいことだった。

 震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。眠れぬ夜が明けて、土曜日。記者は、とある従業員にふと、聞いてみた。

「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」

 すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。

「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」

 聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとのこと。そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数秒後、気付いた。......じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ? 親戚は? 友人や恋人は? 恥ずかしながら、記者はこの時まで、本当にこの瞬間まで、彼らも"被災者"であることを忘れていたのだ。それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあるのだ。恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事というのは考えにくい。連絡が取れない、友人、知人が山ほどいるはずだ。そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい場所があるだろう。しかし、彼らはそんなことを態度にはまったく出さず、自らの職務をまっとうした。その行為は、我々の体ではなく、心を救ってくれた。

 トドメは日曜日だ。朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝食が始まった。ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に、静かに話し始める。

「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」

 満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。

「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、"走行可能"という判断を下しました」

 その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない道を、被災した「お客様」のために走る。それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があることを知った。

 それから、12時間を超える長旅を経て、記者は今、東京で原稿を書いている。そして思う。絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」などではない。「行為」だ。何をすべきかを論じているだけでは、誰一人救えないのだ。我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。

 いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。それも、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。

 彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。

以上です。いかがでありましょうか?

なお、この美談の舞台の「スパリゾートハワイアンズ」とは、旧姓を「常磐ハワイアンセンター」と申しまして、今回「悪人」で映画賞を総なめした李相日監督の出世作にして2006年の映画界を席巻した「フラガール」の舞台であることもご紹介しておきたいと思います。
「フラガール」は今をときめく名女優「蒼井優」の出世作でもあります。
「この映画にして、このホテルあり」と申しましょうか、この偶然は決して偶然ではないような気がしてきます。
とにかく、惨憺たるニュースのただなかで、心を打つ暖かいニュースではあります。

2011.03.23

もういちど「実用洋食 七福」

今週の週刊現代で、慶応大学の福田和也教授があの「実用洋食七福」をエッセイで取り上げておりますので、その文章を紹介して再度七福の偉大さを語りたいと思います。

このエッセイによりますと、「実用洋食七福」のファンだったのは、福田教授ではなく、洲之内徹という作家だったようであります。
この洲之内徹さん、私は寡聞にして存じ上げなかったのですが、どこの馬の骨かと申しますと、福田教授のご紹介によれば、
「世間的に言えば、銀座に画廊を構えた画商であり、同時に作家・・・芥川賞の候補に三度なったことがあるし、横光利一賞を大岡昇平と争ったこともある」そうです。
とはいえ、その本領はエッセイストだったとして、「白洲正子が心酔し、小林秀雄が当世随一の批評家と讃嘆した文章家」だったそうであります。なにしろ、空前絶後の批評家である小林秀雄自身が「当世随一の批評家」と評したわけでありますから、最高の賛辞です。

この洲之内徹のエッセイ集「気まぐれ美術館」の中の「深川東大工町」という文章に七福周辺が出てきますので、引用します。
「今年の冬、私は浜町の、明治座の裏手あたりにいることがよくあった。その部屋の窓から見下ろす地下鉄工事の現場から、ついこの間ナウマン象の骨が出たりしたが、部屋の主の持っている都内の道路地図をある日見ていて、私は、明治座横の大通りはまっすぐ行くとやがて清洲橋を渡り、更にまっすぐ行けば、その道が白河町、すなわち昔の深川東大工町であることを発見したのであった。」
なんと白河町は「深川東大工町」というすっばらしい町名だったのですね。この町名が現存していれば、「清澄白河駅」は「清澄深川東大工駅」だったかもしれないわけです。また、江戸東京博物館の常設展によりますと、江戸中期の下町の職業分布で最も人数の多かったのは大工で一町内に15人以上もいたそうですので、この町名もさもありなんという気もします。

横道にはずれましたが、福田教授の洲之内徹紹介に戻りますと、「昭和5年、洲之内徹は東京美術学校(現東京芸術大学)建築科に入学。大久保百人町、本郷丸山福山町、東中野桜山と下宿を転々とした後、6年に深川東大工町の同潤会アパート第5号館の独身者棟4階に入った」そうであります。
ということで、話は部屋の主の道路地図に戻りまして、洲之内は連れと一緒にかつて住んだ東大工町まで歩いてみたようなんです。清洲橋を渡り、わずか30分でかつての東大工町に到着したそうです。
アパートはそのままの姿で残っており、出版社に勤めていた連れは、この時アパートのはす向かいにある「実用洋食」という看板に強い興味を持ち、その価格をメモしたそうであります。
「実用洋食」のパンチ力は不易のようであります。

東大工町の同潤会アパートは、昭和戦前を代表する近代集合住宅事業を興した同潤会の中でも最大規模のプロジェクトだったそうで、総戸数663戸は、2位の代官山337戸を大きく引き離しています。
暗殺された日本社会党委員長浅沼稲次郎も東大工町の同潤会アパート在住でした。残念ながら当時のアパートはこの4~5年で、相次いでURの賃貸マンションになってしまいました。

2011.02.07

八百長の悪質性について

ここでニューヨークシリーズを小休止しまして、大相撲春場所中止決定の日に寄せまして、床間彼方さんのブログ「青二才赤面録」から「八百長の悪質性について」を引用します。床間彼方さんのご了解はいただいております。
私にとりましては、今回の事件を考えるに当たりまして、まったくもって「目から鱗」の卓見とお見受けしました。なお、床間彼方さんは、学生時代から相撲をこよなく愛する方でして、実技の方もクラスの相撲大会で無類の強さを誇った方であります。
以下、引用します。

 相撲界及びその周辺のPTA的潔癖主義及びその潔癖主義に隠れたいじめ体質に我慢できなくなって相撲界に絶縁宣言をしてからもう何年かが経過しました。
 したがって、今回の八百長問題について相撲ファンの立場から発言するものではありません。大相撲の再興が成るかどうかについても関心はありません。
 しかしながら、今回の八百長問題について、不祥事発覚と見るやハイエナの如く相撲界に群がり、たかるマスコミ、世論に対して異常なものを感じさせられます。
 その異常さはこの八百長問題だけに限られるものではない、社会的病理をはらんだ現象なのではないかとも思います。
 
 八百長が応援するファンを裏切るもので、許されない行為であることはいうまでもありません。
 しかし、一言で八百長と言っても、実際には様々なレベルのものがあります。
 その勝負が賭けの対象になっており、八百長によって特定の者に莫大な利益がころがりこむというのが悪質性の最も高い八百長でしょう。 
 一般には八百長とはこのタイプのものであり、当初から当たらない賭けにお金を投入させられた被害者が存在する犯罪行為です。
 多くの場合、暴力団が資金源とする組織犯罪です。
 
 一方、現在のところでは、今回の大相撲での八百長は、十両から幕下への陥落を避けるために力士の間で星をやり取りするというものです。
 特別調査委員会の調査には時間がかかるようであり、調査結果によっては今回の問題の性格が変わるかもしれませんが、今のところ賭けの対象となった取組についての八百長ではないようです。
 6勝8敗と7勝7敗の力士の千秋楽での取組で7勝7敗の力士を勝ち越しさせるといった八百長です。
 このようなことは、万年大関などと言われて毎場所すれすれの勝ち越しを繰り返す大関同士で、大関陥落を避けるために、八百長とは言わずに、無気力相撲などと言われてきたことに近いレベルのものです。今回は、それが仲介者の存在など、やや組織的に行われたということでしょう。
 相撲ファンの期待が裏切られると言っても、実際にはほとんど関心が向けられないような十両下位の取組が八百長の対象です。
 八百長の被害者は、それがなければ十両昇進可能だった幕下の力士だけでしょう。

 「無気力」という意味では、プロ野球やサッカーなどでも「消化試合」などと言われ、ファンもそれなりに許容している試合もあります。
 今回の相撲の八百長は、賭博がらみの暴力団介入の八百長と比べれば、「消化試合」のほうに極めて近い八百長でしょう。
 動いたお金の金額も一桁か二桁の違いがあるでしょう。

 そこらへんの見極めもなく、「正義の味方」の方々は高らかに正義の旗を掲げて、大衆が愛してきた、伝統あるエンターテイメントを滅ぼしてしまうのでしょうか?
 ファシズム的ファナティックを感じると言えば、杞憂と笑われるでしょうか?

以上です。
野球との比較をされたところで、私もあっと気が付いたのですが、いわゆるプロ野球の「消化試合」では、自軍の選手にホームラン王や首位打者を取らせるために、ライバルを敬遠攻めにしたり、挙句の果ては不出場を重ねたりしてますよね。結局あれと今回の相撲の八百長と称される「配慮」はほとんど同じ程度の悪さではないのかという気がしてきました。

最後に、理事長魁傑に熱烈なるエールを送りつつこの記事を終えます。
私の職場は、偶然ではありますが、くだんの焦点である両国国技館の直近に位置しております。そのため、現在の理事長魁傑が就任して以来、何度か彼が両国駅から国技館まで大股で歩く姿をお見かけしております。
魁傑は車に乗りません。魁傑は一人で歩きます。魁傑は下を向いて歩きます。魁傑の歩く姿は孤独をかみしめるようです。魁傑は力士時代の古傷なのでしょうか、右足をひきずるようにして歩きます。哀愁が漂います。
魁傑は、おそらく歴代の相撲協会の理事長の中でも、もっとも困難な時代を託された理事長でしょう。しかし、魁傑は泣き言を言わず、ひたすら誠実に自らの運命を引き受け、逃げようとせず、敢然と困難に立ち向かっています。彼の姿こそが、いわゆる「真摯」というものでしょう。
そして、何より私が感動しているのは、記者会見などでおそらく弁護士たちが用意してくれたであろう原稿を魁傑はあてにしません。魁傑はこうした事務方のペーパーを咀嚼したうえで、必ず自分の言葉で語ろうとしています。したがって、あるいは訥弁となったり、あるいは繰り返しとなったりしますが、魁傑は堂々と主張しています。
感動せざるをえないじゃありませんか。

理事長をやりたそうな貴乃花君sign03
あなたはこんなすばらしい理事長を超えられると思っているのですかsign02
十年以上早いと思いますよ。
いや、生涯無理かもしれないなぁ・・・・

2011.02.01

NY#5 またまたNYの地下鉄

[その4] さらに東京の地下鉄とニューヨークの地下鉄を決定的に特徴づけるサプライズ必至の事実があります。
それは「ニューヨークの地下鉄にはトイレがないsign03というシンプルな事実です。

私のように東京中を地下鉄や電車を乗り継ぎながら散歩しまくることを、無上の喜びとして趣味にしている者にとっては(おまけに冷えるとトイレの近くなる者にとっては)、地下鉄の駅に必ずトイレがあるという単純な事実は、何にも代えがたい安心を保証することなのです。
この地下鉄のトイレが、なんとsign03ニューヨークの地下鉄には全く一か所もないのですsign03

その理由は類推するしかないのではありますが、どうやら犯罪の温床になりやすいということのようです。もちろん、クリーンに保つための経営上の要請もあるかもしれません。同様の理由なのでしょうが、セントラルパークをはじめとしたニューヨークの名だたる公園にもトイレはありません。これは私のような者には、大変つらいものがありました。

それではトイレの近い人々はどうすればよいのでありましょうか?
どうやら、マクドナルドやスタバのお世話になるようなのです。
しかし、トイレに行きたくなるたびに、マクドやスタバに行っていたならば、おそらくトイレだけで出てくるわけには行かないでしょうから、お腹はガボガボで余計にトイレに行かざるを得なくなるでしょうね。

[その5] それから、これは前回書いた「駅員のいないニューヨークの地下鉄」に関係することなのでありますが、ニューヨークの地下鉄駅の切符を売る自動販売機についてです。
これがかなりの確率で壊れています。要するに、お札やコインを飲み込んだまま、切符はどうしても出てこないのです。
地下鉄の客にとっては、駅員に文句を言おうとしてもどこにもいないし、電車に乗り遅れるわけにはいかないし、緊張した場面に追い込まれます。結局どうするかと申しますれば、簡単なことです。飲み込まれたコインはあきらめて、次なる券売機にまたコインを投じることになるわけです。かなり切ないものがあります。

[その6] ニューヨークの地下鉄は建設されたのが古いためでしょうか、ほとんどが第三軌条です。
鉄男君・鉄子さんであれば、みなさんご存知と思いますが、第三軌条とは何ぞやということから説明します。東京の地下鉄ではそのほとんどが、電車はレールと頭の上のパンタグラフみたいなものの間で電気を通して動力とするわけですが、第三軌条はそうではありません。二本のレールの外側にもう一本のレールがありまして、三番目の軌条だから第三軌条。電車は頭の上の代わりにこの第三軌条とレールの間で電気を通して動力として走るようです。
したがって、レールと第三軌条の間に体を横たえると感電により一瞬であの世行きと聞かされたものです。
このため、電車はこの第三軌条に触れるための金属の爪を車体の下から伸ばしており、この爪と軌条の摩擦音がキーキーきしむわけでありまして、この音がいいと言う人もいるわけです。当然、この方式では時々爪と軌条が一瞬ではありますが離れるため、車内の電気が消えることがあります(今は技術進歩により改良されているようで、NYでは気になりませんでした)。

なお、東京では古い地下鉄、すなわち銀座線と都営浅草線が第三軌条だと思います。

[その7] 長くなりましたが、もうひとつだけ語らせてください。
ニューヨークの地下鉄の特質として、もうひとつ。それはジャズやバイオリンやとにかく自由なパフォーマンスがとっても多いのです。
以前パリに旅行で行った時も、地下鉄のパフォーマンスはかなりのものだったのでありますが、その場所はパリでは駅構内の通路だったんですよね。ところが、ニューヨークの地下鉄でのパフォーマンスは、全然違うんです。なんとsign02 電車が行き交うプラットフォームでやっているのですよsign02

私の乗り合わせた電車では、これまたsign03なんとsign03電車の中でラップを歌い始めたのですよ。
歌う前に若干の口上がありまして、どうやら「これからぼくはここでラップをやるが、うまいと思ったらチップを頂戴sign01」といっているらしい。
これがまたおっそろしくうまい(らしい)。歌い終わると瞬く間にチップが集まっていましたね。
若い黒人の男でしたが、何しろ走っている電車の車内という密室で目の前で歌われるパフォーマンスでしたから、大変な迫力でしたね。

2011.01.17

NY#4 ニューヨークの地下鉄

冷蔵庫もさることながら、東京と比較してビックリ仰天させられたのは、ニューヨークの地下鉄事情です。東京の都営地下鉄あるいはメトロと比較してあまりに常識が違うことが多く、ちょっと長くなるかもしれませんが、その違いをひとつづつ説明していきたいと思います。

[その1] まず最初に挙げなければならない最大の相違は地下鉄職員の数の少なさです。
NYの地下鉄の職員は、地下鉄駅構内のどこを探してもまずほとんどお会いできません。一人もいないのです。もちろん、地下鉄の運転士はおりますが、通常東京で見かけるホームを整理するような駅員はNYでは全く遭遇しません。
したがって、駅のホームで駅員に目的地までの乗り換え経路を教えてもらおうと思っても、駅員に尋ねることはできないのです。
私の場合、地下鉄を乗り過ごしてしまい、反対側のホーム(NYの場合、ほとんどの駅が対面式であり、東京のような島式がないので反対側のホームに行かなければならない)への行き方を訊こうとしても、駅員はどっこにもいないのであります。私のケースでは結果的に、反対側のホームに行くには、一度改札を出て、地上まで一端上がり、通りをクロスして反対側の入口から入場し直して、やっと向こう側に出られるということがわかりました。
これを駅員なしで理解することは、英語のあやふやな日本の旅行者にとって至難のことであることは、容易にご想像できることと思います。
昨年封切られたデンゼル・ワシントン主演のノンストップアクション映画「サブウェイ123」は、テロリスト対地下鉄の管理司令室の職員の対決でしたよね。要するに、駅にはいないけれども、司令室には結構いることがわかりましたよね。
なお、駅員の顔はほとんど見ませんでしたが、掃除作業員にはかなり会いました。次に多かったのは、夜になると、かなりの数の警官が駅構内のポイントとなる見通しの良い場所に席をしつらえて待機します。我々は、夜の地下鉄の乗り換えに迷った時は、こうした警官に乗り換え方を教えてもらったほどなのであります。

[その2] 次のサプライズは、NYには終電がないということですすなわち東京のように大晦日だけではなくていつでも終夜運転なんです。
その代わりと言ってはなんですが、NYの地下鉄には時刻表がどこにも見あたりません。
その結果、乗客はどういう状況になるかというと、「地下鉄は昼間でも深夜でもいつでも動いているけれども、とりわけ深夜はいつ到着するかはわからない」ということになります。
この状態を称して「便利」と言うべきなのでありましょうか・・・

[その3] そしてNYの地下鉄の駅構内にはゴミ箱がたくさんあります。
東京の地下鉄の駅構内には、テロ対策なのでしょうか、ある時からゴミ箱を一切置かなくなりましたよね。NYではいわば東京と正反対の判断をして、大きなゴミ箱がたくさんあります。
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よく考えてみると、東京では地下鉄の駅どころか地上の大通りにもゴミ箱は一切ありませんよね。ところが、NYではこれでもかこれでもかというが如く、バカでかいゴミ箱があっちにもこっちにも置いてあります。そして、このゴミ箱のゴミを朝から深夜まで、間断なく清掃作業員(ほとんどが圧倒的に黒人です)がトラックで集めて回ります。したがって、NYというところは街も駅構内もゴミは少なく、とてもきれいな街です。
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そして、地下鉄の車内に張られたはでな商品広告の中に、私は奇妙な公共広告を見つけました。写真をご覧戴きたいのですが、要するに「ごみをゴミ箱に捨てましょうsign03」という広告です。これは何を意味するかというと、あなたが今道路に捨てようとするゴミを捨てないでくださいsign01ゴミを捨てるために行政はいろいろな場所にゴミ箱を置いて、24時間収集していますsign01あなたが最低限ゴミ箱に入れるところまでやってくれれば、後は私たち行政が、分別して処分しますからsign03と訴えている広告なのです。
驚くべき広告です。
わが東京では、駅にも大通りにもちっちゃなゴミ箱すらなく、ささいな紙ゴミであったとしても、家まで持ち帰ることをなかば強制され、家に持ち込んだら持ち込んだで、今度は世界に冠たる非常に複雑な分別ルールを厳しく遵守したうえで、やっとのことで行政の清掃作業に委ねることが可能となるのです。
我が国民のきめこまかな神経構造と「優秀な国民性sign02」を再認識させられたのです。

ちょっと長くなりましたので、残りは次回にします。

2010.12.31

NY#3 ニューヨークの洗濯機

今回のNY訪問は、いろいろびっくりさせられることが多かったのですが、その中でも最も私の常識的な感覚を震撼させられたことを、出し惜しみせずにシリーズの早めにまず書いてしまうことにします。

それは「ニューヨークには洗濯機がない」という驚くべき事実についてなのです。
「洗濯機がない」ということは、電気屋さんに行っても「洗濯機は売っていない」ということです。これは外国人にはにわかには信じられないことですが、間違いのない事実です。
では、その理由を説明しましょう。

まず、NYを歩いていてすぐ気がつくことですが、NYのマンハッタンはほとんど高層ビルだらけですが、その高層ビルが日本でいうところの「業務ビル」なのか「住居用のマンション」なのかは外見では区別がつきません。なぜならマンションには日本のようなベランダがないからです。
「マンションにベランダがない」ということは、日本のように布団はもとよりとして、洗濯物を干さないからして、ベランダが必要ないということなんです。
このことは、結果として、都市の美観上は大変好ましいことで、NYの都市としての美しさは、このことによる貢献が大きいと思われます。

Dsc00261
ちなみに、NYの国連ビル前という一等地にある超高級高層マンションの写真をここで証拠写真としてお示ししておきます。ご覧の写真の真ん中から左に並ぶ3棟の茶色の高層ビルが、なんと日本で言うところの高級高層マンションなんだそうであります。

では次に、「洗濯物を干さない」とは、何を意味するのかsign02という問題について考えましょう。
それは簡単に言ってしまえば「洗濯物を干す必要がない」からです。
「洗濯物を干す必要がない」とは、「ニューヨーカーは家で洗濯をしない」から「洗濯物を干さない」という意味なんだそうです。

では最後に、「家で洗濯をしない」とは何を意味するかsign02ですが、
ここから先は所得階層によって違うらしいのですが、高級マンションに住むセレブの場合は、ドアの外に洗濯物を置いておけば、マンションのコンシェルジュが持って行って翌日にはきれいに洗濯して届けてくれるそうです。一方、それほど裕福でない一般的なニューヨーカーの場合は、みんな日本でいえば「コインランドリー」のようなところへ行って洗濯するそうなのであります。

要するに、ほとんどのニューヨーカーは、日本では独身の若者たちの定番の光景であるコインランドリー通いをしているようなのです。にわかには信じられない事実ではありますが、マンションか業務ビルかわからない美しいNYの高層ビル群の間を歩きながら、私は納得せざるを得ませんでした。

2010.12.24

NY#2 JALのサービス

今回は往きも帰りもJALに乗りました。
JALと言えば、京セラの稲盛和夫氏を会長に迎えて、会社更生法を申請し、血の滲むような経営再建計画を実施中の会社のはずです。
昨年は映画「沈まぬ太陽」のモデルとしても話題になり、どこまでが事実なのか定かならず、挙げ句の果ては、日本アカデミー賞まで取ってしまったのには驚かされましたね。

というわけで、注目の更正会社JAL、社員の3分の1にあたる1万6千人の整理解雇を目指すが集まらず強制解雇がうわさされるJAL。なんとなく応援したくなるJAL。そうした話題のJALに乗ったわけです。

スッチーの配膳とか基本的サービスには、もちろんそれほど大きな変化は見あたりませんが、スッチーの乗客に対する応対の反応が私には大変印象深いものでした。具体的に申しますと、スッチーが乗客に応対する時、いちいち何度もお辞儀をするのです。そして何度も「申し訳ありません」を繰り返すのです。一部のスッチーだけかと思いましたが、どうやらかなりの割合のJALのスッチーは、あたかも米つきバッタのごとく、はたまた商店街の魚屋のおっさんのごとく、冷酷な言葉を使えばいわゆる「卑屈なほどに」、一生懸命お辞儀を繰り返し、「申し訳ありません」を繰り返すのです。

政府から支援を受け、主要銀行からの債務を踏み倒してしまった会社の社員は、かくのごとくにも卑屈な態度を取らなければ世間のお許しをいただけないものなのでありましょうかsign02
私は彼女たちの額に汗を光らせながらの必至のお辞儀を見つめながら、すっかり考えさせられてしまいました。

一方、お辞儀事件とは反対に、JALの職員の隠れた矜持を私にとって明確に感じさせられたことがありますので、次にご紹介します。

それは、各乗客の席の前に据え付けてあるディスプレイの番組の充実についてなんです。
まず一番に目に付くのが「映画」の充実です。現在封切り中の話題の映画はほとんど見ることができます。邦画は「悪人」,洋画は「ロビンフッド」「ソルト」・・・見たい映画は何本でも見ることができますので、飛行機を下りる時に「3本見た」と話していた豪の者までいる始末です。
私の臨席の若者などはよほどこの映画サービスが楽しみであったのか、「ディスプレーの映りが悪い!」とスッチーにクレイムをつけ、席を代えてもらったほどなんです。しかし、お客様は神様とは申せ、ここまでしてあげる必要があるのかしらsign02 隣席でありますこと故、私は容易に彼のディスプレーを見ることができたのですが、私とさして変わらぬ鮮明度でした。

ところで、私の言いたいことはこんなことではございません。
この番組の中に「J-POPスタンダード」というチャンネルが3つあったわけなんですがこの番組についてなんです。映像は出ないで、ヘッドホンによる音楽だけの番組です。「スタンダード」とわざわざ銘打っているのは、1970年代から80年代のヒット曲をピックアップしており、一言で言えばいわゆる「なつメロ」ねらいの企画のようです。ひとつの番組に12曲程度ですから、3チャンネル併せても35曲程度しかありません。
私は何の気なしにこのチャンネルのひとつを聴いてみて、しだいに胸がうち震えるような感動を覚えました。私が感動したのは、その選曲のすばらしさについてなんです。
選曲の画面は次の通り。

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このソフトを担当させられた職員はただ単に「70から80年代のヒット曲を順番にならべればいいんだろう」と楽な仕事をしようと思えば、奥村チヨの「北国の青い空」ではなく「終着駅」にしていたはずでしょうし、泉谷しげるの「春夏秋冬」ではなくてよりによって「寒い国からきた手紙」を選曲したからには一本の筋を通した明確な企みが匂います。
ランチャーズの「真冬の帰り道」、ご存じ内藤洋子の夫にして喜多嶋舞の父親の喜多嶋修の作曲した曲がトップに来ております。吉田拓郎作曲の名曲で音楽の教科書にも載せられたことのある猫の「雪」があって、五輪真弓は「恋人よ」ではなくデビュー曲の「少女」を採用します。そして永遠の名曲小林啓子の「比叡おろし」と畳みかけられたら、ほとんどの団塊世代は滂沱の如き涙に震えるであろうと、この選曲をなしたJALの担当者は企み、そして明確な主張をもって編成したはずです。簡単に申せば、「どんなささいな仕事でも誠心誠意乗客のために手を抜かないで渾身の力を尽くす」という思想を感じます。
その主張の志の高さが尊いのです。
そして布施明は「甘い十字架」を選んでいます。

もちろん、正確に申しますと、JALの職員ではなく、JALに委託されたただの孫請け会社の社員かも知れませんが、これだけ極端に主張の強い選曲をする以上、何らかの形でJALの担当者の意志が入っているはずです。
そして、こうした矜持の高い職員がいる限り、確信を持って言えると思います。

「JALは不滅ですsign03

2010.12.19

NY#1 NYへ行ってきました

恥ずかしながら還暦を過ぎた老体を鞭打ち、仕事の都合があった関係もあって、生まれて初めてニューヨークに行ってきました。
あいにく12月に入ってからしつこい風邪に悩まされ、なんとか熱は下がったものの、咳は収まらず、若干の懸念はありましたが、生涯初めての機会であり、おそらく二度とないものとも思われ、決行しました。

NYと言えば、時差はおそらく日本からは世界最長と思われる14時間。
私のように毎日日本で暮らしていても熟睡の得られない慢性睡眠障害の者にとって、この14時間のジェット・ラグは恐ろしい結果を招くのではないかと心配しましたが、不幸にもこの予想はドンピシャで的中。しつこい咳による不眠とも重なって、5日間のほぼ全行程が夢うつつで朦朧状態、夜ホテルに帰ってからは、逆にらんらんと目が冴えわたるという完璧なジェット・ラグ状態に悩まされ、夜中の激しい咳もあって命の危険まで意識される始末。なにしろ米国という国は米国人ですら医療サービスを受けにくい医療環境にあり、外国人など幸運に医療を受けられたとしても法外な治療費を請求される恐ろしい国と聞いていただけに、徐々に自分がパニックに追い込まれる危険すら迫りくる。

とまぁ、ここまで言うとちと大げさでありますが、本人は結構マジです。
ということで、激しいジェットラグによる意識混濁状態の中で感じた最新NY事情を、次回から当分の間、書いていくつもりです。

2010.12.18

結婚していた千葉さな子

本年2月の記事(千葉の鬼小町「千葉さな子」)で、竜馬の婚約者千葉さな子さんは、竜馬との純愛に殉じて生涯独身を守ったと断言しました。しかし、なんと本年7月になって、実は竜馬の死後結婚していたということが、発表されておりましたので、遅ればせながらご報告いたします。よりによって、なぜ今年になるまでわからなかったのでありましょうかsign02 不思議ですねぇ。

さな子さんのお相手につきまして、「週刊新潮」に詳しかったので以下に引用します。

さなの父定吉が鳥取藩の剣術師範を務めた縁で藩士山口菊次郎と結婚したさなだったが、維新後、山口は東京で魚市場を設立すると称して主家の親戚、旧岡山藩主池田家から預かった出資金を返さず訴えられた。山口の浮気とこの金銭トラブルで、さなは離婚したとみられる。

さなは晩年、現在の千住市場の近くで家伝の針きゅうを開業して自活していたそうですが、はたして夫の詐欺話と関連はあるのでしょうかsign02
それにしても、さな子の骨を分骨してお墓を建て、墓石の後ろに「坂本竜馬室」と刻印してまで弔った山梨県の民権運動家小田切謙明さんはこの辺の事情を知っていたのでしょうか・・・

2010.09.30

インドの携帯

Photo 我が家の26歳になる娘は、ヨガの勉強をしているのでありますが、その関係で今回インド中部のナグプールなる人口240万人程度の都市で、約10日間、集中講義を受けてきました。
その娘が話すインドおもしろばなしの中に、非常に興味深いものがありましたので、ご紹介します。
我が娘が話すこと故、聞き違い、勘違いも充分ありえますが、信用してしまうことにします。

話の主題は、インドの携帯電話についてです。
インドの携帯は、その発展形態がちょうど中国のそれと似ており、有線電話の普及をすっ飛ばして一気に携帯電話がドット普及してしまったために、日本のように有線と携帯の混在という状況はなく、みんなが携帯電話を持っている状況のようです。

このこと自体は、さしておもしろいことではありません。
おもしろいのは、その使い方です。
自分の携帯に電話がかかってきた時に鳴る着信音の音量が半端な音量ではないそうです。
日本人の通常の着信音の常識から考えると、体感で約5倍以上の音量なのだそうです。日本人の体感では、まるで爆音の目覚まし時計の音と思えばわかりやすいそうです。
なぜそのようにバカでかい着信音にするかと言えば、インド人は携帯による会話を最優先するからだそうであります。日本人のように会議の時とか、友人と話している時とか、目上の人に説明する時とか、携帯の着信音を消して後でコチラからかけ直すという習慣がないそうです。そうした配慮を全くしないのだそうであります。
要するに、どんなに重要な人と大事な会話をしている最中であろうと、今かかってきて着信している携帯の発信者が最優先されてしまうのだそうであります。だから着信音がバカでかい音量なのです。
まっ、ここいらへんは、価値観の違いもあるでしょうし、文化の違いに関わるものであるかもしれないし、ひとつの見識として理解するしかないのかも知れません。

もうひとつ、こうした携帯電話に対するインド人の特殊な生活習慣は、当然の帰結として、さらにおもしろい事実を招来します。
携帯の着信に最大の優先度を与えてしまうという習慣は、すなわちメールの必要性をなくしてしまうんです。それはそうですね、どんな時でも相手が携帯にでてくれるのであれば、わざわざ相手の状態を配慮してメールで用を足す必要は無くなってしまうわけです。
その結果、我が娘の言うには、10日間の滞在中、現地インド人が携帯でメールをチマチマ打っている場面をついに一度も見なかったそうであります。

以上、これって本当だったら相当おもしろい国民性だと思うのですが・・・・

2010.08.16

絶倫パンダ永明(エイメイ)

sign03新聞によりますと、和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」は、先週8月12日、雌のジャイアントパンダ良浜(ラウヒン)が、自然交配で雄と雌の双子の赤ちゃんを11日に出産したと発表しました。

Panda ・・・とまぁ、ちょっと読むだけでは何の変哲もないおめでたい記事なのでありますが、まだあまり知られておりません内部情報を総合いたしますと、このおめでたい事件の裏には、調べれば調べるほど驚愕の事実が隠されているのであります。
そのサプライズは、すべてこの出産の原因となったお父さんパンダである永明(エイメイ)君についてのものです。

世間には俗に「絶倫sign03と形容される幸せな男性がちらほらおりますが、何を隠そう、この永明君、パンダ界に隠れも無き正真正銘の絶倫パンダなのであります。
「イタリアの種馬、ロッキー・バルボア」とか「宮崎県の種牛」が束になってかかっても一蹴してしまうような桁違いの絶倫振りなのであります。

まず、第一に、
この永明君、なんと2年前の2008年にも同じ良浜(ラウヒン)チャンをはらませており、その時も双子であったそうで、なんと3年で2度目の双子出産だったのです。

そして、第2は、いずれの場合も自然交配だったということです。
パンダの交配はパンダが大変神経質な動物であることもあって、通常人工交配によるものだそうであります。何より雌のパンダの排卵期は、なんとsign031年間にたったの2日間だけなのだそうでありまして、自然交配は事実上不可能だと言われているのです。
であるにもかかわらず、我らの永明君は年に一度しかめぐって来ないこのチャンスを3年で2回も大ホームランをかっ飛ばしたことになります。
動物園関係者の証言では、3月27日と28日の自然交配は、なんとsign036回に及んだそうであります。

第三に、この永明君、年齢は17歳だそうであります。
人間の年齢に換算しますと、なんとsign0350~60歳に相当するそうなんです。

実際にはこの事実が最も衝撃的だと感じる読者が多いかもしれません。

もひとつおまけのサプライズsign03
この永明君、とにかく遠慮というものを知らないパンダで、今回出産した良浜(ラウヒン)チャン以外にも、なんとsign03その良浜(ラウヒン)チャンの母親との間でも子供をもうけているそうですし、さらにsign03良浜(ラウヒン)チャンのおばさんにも子供を生ませているんですよsign03
ねっ、すごいでしょsign03
しかし、こうなると永明君、もし彼が人間であったとしたならば、ほとんどセックス依存症と呼ぶべき状態であろうと思われますし、そうでないとしても何らかの性犯罪者として隔離されるはずです。
それが、パンダとして生まれ出でたおかげで、稀少生物としてのパンダのサバイバルをたった一匹で獅子奮迅の勢いで支えている英雄となってしまうのですから、おもしろいですよね。

何はともあれ、この「アドベンチャーワールド」のパンダは永明君の活躍によりまして、計8頭となり、現在国内の全パンダ10頭のうち8割が、ここ「アドベンチャーワールド」にいることになります。

遠からず、我らが上野動物園にも1億円パンダがやってきますが、是非sign03永明君にはるか白浜から上野にご出張いただいて、種付けをお願いしたらいかがでありましょうか・・・・

(今回の記事は、TBSラジオ安住紳一郎の「日曜天国」を参考にしました。)

2010.07.19

名古屋場所放送中止の本当のダメージ

今回の大相撲の不祥事を契機として、NHKは名古屋本場所の放送中止という前代未聞の意思決定をおこないました。
暴力団関係者が土俵下の砂被りに陣取って、投獄中の組幹部と相撲のテレビ中継を利用して連絡を取り合っていたということですから、名古屋場所に限らず、1年くらいはテレビ中継を自粛するのはやむをえないことだと私は思います。

しかし、よりによってその最初のターゲットが「名古屋場所」であったというのは大変残念なことでした。
というのは、何を隠そう「名古屋場所のテレビ放送」だけは、他の場所と違って相撲の取り組み以外の独特の要素で全国的に根強い興味をつないできている背景があるのです。

奥歯に物の挟まった言い方はやめて、率直に申し上げますと、過去10年以上にわたって(一説には15年前に、もういたという証言もございます)、名古屋場所の全ての興行を、ある女性が一日も欠かさず、それも全く同じ座席で見続けているという事実があるのです。

その座席というのは、力士たちが取り組みのため控え室と土俵を行き来する通称「花道」沿いの、それも常に西の花道(テレビで見ていると画面に向かって右側)、前から7番目の席で10年以上不変であるそうです。
おまけに、このお姐さん、テレビの画面を通しても大変目立つのです。まず、一日の例外もなく大変高価で趣味の良い和服を着ています。さらに目立つのは、髪の毛を高く高く巻き上げています。あたかも塩沢ときのごとく・・・ ねっ、目立ちますよね。
そして、テレビ観戦の相撲ファンは、名古屋場所に限って力士の背景に現れるこのご婦人を見つけて、「あぁ、今年も名古屋場所が来たんだなぁ」と感慨を抱いたり、「あぁ、あのお姐さん、今年も変わらず元気そうだなぁ、おれもがんばらなきゃ・・・」などと元気付けられているのであります。
ちなみにこのご婦人、ウェブでは「白鷺の姉御」と名づけられております。いいネーミングですね。

要するに、少なからずいるはずの「NHKの名古屋場所中継を見ながら観客席の白鷺の姉御の変わらぬ元気な姿を見つけて元気付けられていた視聴者」を今回のNHKの処置は、完全にそして無慈悲に無視してしまった事になります。

なお、このお姐さん、例の維持会員云々の関係者ではないのかsign02 その風体のあやしさから当然懸念のあるところでありまして、であればそれこそ今場所から西側花道前から7番目にはいないことになってしまうわけです。
みなさん、安心してくださいsign03 既にウェブ上ではお姉さんの変わらぬ雄姿が、いつもどおりの例の席に見えるというレポートが報告されていますよ・・・・

日本相撲協会の未来

大相撲が開闢以来のピンチにあります。
現在進行中の名古屋場所は、なんと25年ぶりに初日に「満員御礼」が出ませんでした。
土日には何とか満員になるものの、平日は半分程度の入りにしか見えません。
NHKも中継してくれません。

まさか、暴力団の入場を禁じてしまったために、入りが半分になったわけではないんでしょうねsign02 (要するに今までの観客の半分が暴力団だったという説もあるとか・・・)

日本相撲協会の財団法人認可も取り消しになるという議論もあります。
しかし、元気を出そうよsign01 日本相撲協会sign03
かつて昭和38年、当時全盛期のプロレス興行の元締め、日本プロレスの力道山が赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」であえなく刺殺されたときのプロレス界も大混乱。
日本プロレスは一瞬にして四分五裂状態sign01あの頃のプロレスに学びましょう。
ジャイアント馬場の通称「コミックプロレス」と揶揄された「全日本プロレス」。
ストロングスタイルの真剣勝負で人気を得たアントニオ猪木の「新日本プロレス」。
グレート草津やラッシャー木村の「国際プロレス」。
真剣勝負の関節の取り合いで終始することでおなじみの前田日明の「UWF」。
流血の金網デスマッチでおなじみの大仁田 厚の「FMW」。
群雄割拠の中で、かつて以上の隆盛を見たのは、ついこの間のことですよね。

ということで、日本相撲協会もたとえ財団の認可取り消しそしておとりつぶしになろうとも、そこからが勝負だと思いますよ。
すなわち、かつてのプロレス同様に自由な発想で「新しい大相撲」を見せて欲しいものです。
たとえば、いくつか例をあげてみましょう。

ストロングスタイルの真剣勝負が売りの「新日本相撲協会」。
ショッキリをはじめとしてコミック相撲が売りの「全日本相撲協会」。
息の詰まるような関節技の応酬が売りの「UWF相撲協会」。
そして流血の金網デス相撲が売りの「FMW相撲協会」。
ねっ、ドンドン無限の夢が広がってくると思いませんかsign02

かつてあの「プライド」の勝利者インタビューで、元力士の戦闘竜が「相撲が一番強いんだよsign03」と絶叫していたあの姿が忘れられません。

«岡城趾がすばらしい!!

読んだぞ!リスト

  • 堀田 善衞: 時間 (岩波現代文庫)

    堀田 善衞: 時間 (岩波現代文庫)
    1936年から37年の南京事件を被害者の立場から描いた小説。「事実のけたはずれのすごみがかえって出来事をストーリー化のあたわぬものとして宙ずりにしてしまう」という逸見庸の解説が的確。ミクロの事実のディテールを克明に追うことによって、被害者の数ごときでは思い及ばぬ真実を読者に理解させる。 (★★★★★)

  • Henry Hazlitt(ヘンリー・ハズリット): 日経BPクラシックス 世界一シンプルな経済学

    Henry Hazlitt(ヘンリー・ハズリット): 日経BPクラシックス 世界一シンプルな経済学
    今売り出しのリベタリアンによる経済学の基本書です。いわば自由市場至上主義のおっそろしくわかりやすい入門書です。わかりやすすぎて読んでいると、眠くなります。昔、そういえばサミュエルソンの基本書を読むときも同様の眠さを感じました。睡眠導入書として一冊いかがでしょうか? (★★★)

  • 司馬 遼太郎: 関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)

    司馬 遼太郎: 関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)
    古今最大の戦闘となった天下分け目の決戦の過程を描かせたら司馬遼太郎の右に出る人はおりません。広大な関ヶ原を舞台に、これ以上ないような複雑な人間関係を生き生きと描写して最後まで一気に読ませます。しかし、私は今さらながら知ったのですが、関ヶ原の戦いって、ギリギリの好勝負だったんですねぇ。 (★★★★★)

  • 鈴木 大拙: 禅 (ちくま文庫)

    鈴木 大拙: 禅 (ちくま文庫)
    難解な禅の神髄そして悟りについて、平易に説得力をもって解説してくれる禅入門の名著。要するに「色即是空、空即是色」の世界を噛んで含んで丁寧に教えてくれる。世界の見え方が変わるほど理解できた気になるのは、大拙師のおかげか、はたまた訳者の工藤澄子氏のおかげなるや? (★★★★★)

  • 岸田 秀: ものぐさ精神分析 (中公文庫)

    岸田 秀: ものぐさ精神分析 (中公文庫)
    「人間は本能の壊れた動物である」から始まってフロイトもユングもぶっ飛ばして、人間存在の幻想性を鍵に、独自の「岸田唯幻論」を展開する。作者自身が自信なさそうで、こちらも今一つ乗り切れない。 (★★★)

  • 辺見 庸: 1★9★3★7(イクミナ)

    辺見 庸: 1★9★3★7(イクミナ)
    いつも戦争を被害者の目から見がちな我々だが、加害者の目から徹底的にリアルに掘り下げる逸見先生。1937年の南京事件を糸口に、現代の安保法制に渾身の怒りをぶつけ咆哮する。しかし、作者が激怒する昭和50年の昭和天皇の記者会見発言、ぬかったことに私は知りませんでした。戦後から現代に至る我が国の総無責任気質の根源はここにあったんですね。 (★★★★)

  • エマニュエル・トッド: 「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)

    エマニュエル・トッド: 「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
    最近珍しい元気のいいフランス人エマニュエル・トッドが、没落するフランスをほとんどドイツのせいにして悪態をつく。ドイツにとって、東西ドイツ統合もEU統合も千載一遇の濡れ手で粟であることを声高く主張するトッドさん。割り引かなければならないが、説得力あるよ。 (★★★★)

  • 司馬 遼太郎: 世に棲む日日 (文春文庫)

    司馬 遼太郎: 世に棲む日日 (文春文庫)
    どんな幕末オタクでも、苦手とするわかりにくい時期があります。蛤御門から薩長合同の時期の長州の実情です。久坂玄瑞をはじめ手当り次第で死んでいき、誰もがもはや長州は壊滅と確信した瞬間、鬼神とも雷神とも称される高杉晋作の奇跡的怒涛の進撃で情勢逆転。この様子がよくわかる司馬遼太郎の天才的作品です。 (★★★★★)

  • 百田 尚樹: 影法師 (講談社文庫)

    百田 尚樹: 影法師 (講談社文庫)
    本屋大賞作家百田尚樹の小説作法のよくわかる作品。あらかじめ伏線を思い切り撒いておいて、最後にかたっぱしから回収しまくる方式が、読み手としては快感。しかし「永遠の0」の時も思ったのですが、本作の彦四朗といい主人公の潔い高潔さと自己犠牲の姿勢はちょっと非現実と言ってはいけませんかねぇ。 (★★★)

  • 菊地 明: 新選組三番組長 斎藤一の生涯 (新人物文庫)

    菊地 明: 新選組三番組長 斎藤一の生涯 (新人物文庫)
    「寡黙で猟奇的な人切り」なのかはたまた「最後は警官と東京高師の事務官を勤め上げた謹厳実直の人」か?謎の新撰組隊士の全貌が見渡せる。読後、最大のサプライズは、斉藤の妻はなんと!山本八重に勝って会津藩の照姫の祐筆を射止めた高尾(貫地谷しほり)だったということです。 (★★★)

  • 佐野 眞一: 甘粕正彦 乱心の曠野

    佐野 眞一: 甘粕正彦 乱心の曠野
    著者独特の克明な調査を反映して大変な長編ルポルタージュになっており、部分的にディテールに入り込みすぎてわかりにくいところはあるものの、最終盤にかけてドラマチックでとってもおもしろい。甘粕憲兵大尉については吉田喜重の「エロス+虐殺」以来デモーニッシュなイメージが先行してしまいがちな我々の世代にとって、あっと驚く新事実続出で当時が決して異常な世相とは思えない気がしてくる。要するに今でも起こりうるという意味で・・・ (★★★★★)

  • 鹿島 圭介: 警察庁長官を撃った男

    鹿島 圭介: 警察庁長官を撃った男
    あの立花隆大先生が週刊誌で推薦している本。あまりに有名な'65年の国松孝次警察庁長官狙撃事件のノンフィクションルポ。立花先生が珍しく「真犯人はこの老人だ!」と興奮して断言する。著者はフリーのルポライターなれど、文章力弱く読みにくい。しかし、これが事実とすると当時の米村警視総監の責任は非常に重い。 (★★★★)

  • 北野 武: 超思考

    北野 武: 超思考
    私はこれまでのタケシ本をほとんど読んできましたし、読んで損はなかったケースがほとんどでした。今回も幻冬舎が満を持して出版したようですが、さすがに新鮮味が薄れてきました。タケシの少年期における母親の教育を何度か賛美しているが、これはたけちゃんらしくなくて、「タケシ!老いたり!」と思わせます。 (★★★)

  • 渡辺 淳一: 孤舟

    渡辺 淳一: 孤舟
    某一流広告会社をそこそこの役員で退職した高級サラリーマンの定年退職後を「失楽園」の渡辺淳一が意欲的に描いたはずだったのですが・・・この小説は全くひどいですねぇ。この主人公、とにかくウジウジした思いっきり情けないおっさんです。あの「失楽園」で過激に世間を挑発した同じ作者とは到底思えません。 (★)

  • 町田 康: 告白 (中公文庫)

    町田 康: 告白 (中公文庫)
    明治26年に実際に起きた大阪府南東部赤阪水分の11人斬殺事件を題材としたロックンローラーで作家の町田康の傑作。全編独特のロック調とも言うべき文体で、かつ河内音頭の熱と意気を感じさせる。事件後わずか1ヶ月で河内音頭として大ヒット。「男持つなら熊太郎弥五郎、十人殺して名を残す」と歌っている。 (★★★★)

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