2011.10.21

白河3丁目の回覧板

先日、近所の床屋に行こうとして、朝、外に出たのですが、あいにく9時開店に少々早すぎたため、床屋がまだ閉まっているという不運に出会いました。
仕方がないので、床屋のご町内を中心に散歩気取りでダラダラと歩いていますと、軒下にA3版程度のラックに挟まれてささやかに置かれている白河三丁目町会の回覧板を発見しました。

まず何よりも、今時ご町内の回覧板が存在するという事実に驚かされます。私もこの近くの下町で育っていますので、かつては回覧板はいやっというほど見慣れておりますが、あまりに突然に不意を衝いて視野に入ってきたものですから、びっくりしましたし、なつかしくもありました。
最近は下町とは言いましても、マンションが増えたり、近所づきあいの希薄化もあって、回覧板というものは、全く見かけませんよね。
しかし、この白河三丁目はほとんどが一戸建てで、昔からの住人が多いためでありましょうか、まだ最も正調と思われる回覧板が機能してくれていたのであります。

ということだけであれば、普通のマイ サプライズのご紹介にすぎないのでありますが、本当のサプライズは、実はこれからなんです。
もっと驚かされるのは、その回覧板の伝達内容なのです。

なんとsign03 「秋の町内日帰りバス旅行」です。
参加費は
3000円sign03
まさしく、下町の住民たちのささやかな幸福をつむぎだす、心温まる企画です。

ちょうど同じ日の朝刊の一面広告で「豪華客船飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ 期間は半年 参加費一人五百万円」を見たばかりのショックがさめやらない朝でしたので、サプライズは倍でした。

しかし、500万円の世界一周クルーズより、3000円の町内日帰りバスツアーの方が、心に残るという皮肉が得てしてこの世の中には多いというのが、おもしろいところなんですよね。

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2011.03.31

「スパリゾートハワイアンズ」の奇跡

東日本大震災のような大惨事の起きた時には、得てしてたくさんの美談がねつ造されるものです。
しかし、ここでご紹介する美談は、生まれたてで感涙必至の正真正銘の美談です。
「ほぼ日刊イトイ新聞」のツイッター経由で紹介された「Web SPA !」の記事を勝手に以下に転載します。
みなさま、ハンカチの用意をしたうえで、お読みください。


震災当日、休暇をとって家族旅行中だった本誌記者(注:SPAの記者)は福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで被災。そこで記者が見た、「スパリゾートハワイアンズ」スタッフの「プロフェッショナルな姿勢」とは?

 3月11日。運命の日。記者は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」で被災した。久々にとった有休休暇。家族サービスと称し、妻と2歳10か月の息子を連れ、無料送迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、今にして思う。それも、特上の。

 まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。しかも、食料の備蓄があり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提供してくれた。しかも、ビュッフェ形式で。これは、2歳児を抱える家族としては、とてもありがたいことだった。

 震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。眠れぬ夜が明けて、土曜日。記者は、とある従業員にふと、聞いてみた。

「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」

 すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。

「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」

 聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとのこと。そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数秒後、気付いた。......じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ? 親戚は? 友人や恋人は? 恥ずかしながら、記者はこの時まで、本当にこの瞬間まで、彼らも"被災者"であることを忘れていたのだ。それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあるのだ。恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事というのは考えにくい。連絡が取れない、友人、知人が山ほどいるはずだ。そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい場所があるだろう。しかし、彼らはそんなことを態度にはまったく出さず、自らの職務をまっとうした。その行為は、我々の体ではなく、心を救ってくれた。

 トドメは日曜日だ。朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝食が始まった。ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に、静かに話し始める。

「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」

 満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。

「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、"走行可能"という判断を下しました」

 その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない道を、被災した「お客様」のために走る。それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があることを知った。

 それから、12時間を超える長旅を経て、記者は今、東京で原稿を書いている。そして思う。絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」などではない。「行為」だ。何をすべきかを論じているだけでは、誰一人救えないのだ。我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。

 いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。それも、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。

 彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。

以上です。いかがでありましょうか?

なお、この美談の舞台の「スパリゾートハワイアンズ」とは、旧姓を「常磐ハワイアンセンター」と申しまして、今回「悪人」で映画賞を総なめした李相日監督の出世作にして2006年の映画界を席巻した「フラガール」の舞台であることもご紹介しておきたいと思います。
「フラガール」は今をときめく名女優「蒼井優」の出世作でもあります。
「この映画にして、このホテルあり」と申しましょうか、この偶然は決して偶然ではないような気がしてきます。
とにかく、惨憺たるニュースのただなかで、心を打つ暖かいニュースではあります。

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2011.03.23

もういちど「実用洋食 七福」

今週の週刊現代で、慶応大学の福田和也教授があの「実用洋食七福」をエッセイで取り上げておりますので、その文章を紹介して再度七福の偉大さを語りたいと思います。

このエッセイによりますと、「実用洋食七福」のファンだったのは、福田教授ではなく、洲之内徹という作家だったようであります。
この洲之内徹さん、私は寡聞にして存じ上げなかったのですが、どこの馬の骨かと申しますと、福田教授のご紹介によれば、
「世間的に言えば、銀座に画廊を構えた画商であり、同時に作家・・・芥川賞の候補に三度なったことがあるし、横光利一賞を大岡昇平と争ったこともある」そうです。
とはいえ、その本領はエッセイストだったとして、「白洲正子が心酔し、小林秀雄が当世随一の批評家と讃嘆した文章家」だったそうであります。なにしろ、空前絶後の批評家である小林秀雄自身が「当世随一の批評家」と評したわけでありますから、最高の賛辞です。

この洲之内徹のエッセイ集「気まぐれ美術館」の中の「深川東大工町」という文章に七福周辺が出てきますので、引用します。
「今年の冬、私は浜町の、明治座の裏手あたりにいることがよくあった。その部屋の窓から見下ろす地下鉄工事の現場から、ついこの間ナウマン象の骨が出たりしたが、部屋の主の持っている都内の道路地図をある日見ていて、私は、明治座横の大通りはまっすぐ行くとやがて清洲橋を渡り、更にまっすぐ行けば、その道が白河町、すなわち昔の深川東大工町であることを発見したのであった。」
なんと白河町は「深川東大工町」というすっばらしい町名だったのですね。この町名が現存していれば、「清澄白河駅」は「清澄深川東大工駅」だったかもしれないわけです。また、江戸東京博物館の常設展によりますと、江戸中期の下町の職業分布で最も人数の多かったのは大工で一町内に15人以上もいたそうですので、この町名もさもありなんという気もします。

横道にはずれましたが、福田教授の洲之内徹紹介に戻りますと、「昭和5年、洲之内徹は東京美術学校(現東京芸術大学)建築科に入学。大久保百人町、本郷丸山福山町、東中野桜山と下宿を転々とした後、6年に深川東大工町の同潤会アパート第5号館の独身者棟4階に入った」そうであります。
ということで、話は部屋の主の道路地図に戻りまして、洲之内は連れと一緒にかつて住んだ東大工町まで歩いてみたようなんです。清洲橋を渡り、わずか30分でかつての東大工町に到着したそうです。
アパートはそのままの姿で残っており、出版社に勤めていた連れは、この時アパートのはす向かいにある「実用洋食」という看板に強い興味を持ち、その価格をメモしたそうであります。
「実用洋食」のパンチ力は不易のようであります。

東大工町の同潤会アパートは、昭和戦前を代表する近代集合住宅事業を興した同潤会の中でも最大規模のプロジェクトだったそうで、総戸数663戸は、2位の代官山337戸を大きく引き離しています。
暗殺された日本社会党委員長浅沼稲次郎も東大工町の同潤会アパート在住でした。残念ながら当時のアパートはこの4~5年で、相次いでURの賃貸マンションになってしまいました。

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2011.02.07

八百長の悪質性について

ここでニューヨークシリーズを小休止しまして、大相撲春場所中止決定の日に寄せまして、床間彼方さんのブログ「青二才赤面録」から「八百長の悪質性について」を引用します。床間彼方さんのご了解はいただいております。
私にとりましては、今回の事件を考えるに当たりまして、まったくもって「目から鱗」の卓見とお見受けしました。なお、床間彼方さんは、学生時代から相撲をこよなく愛する方でして、実技の方もクラスの相撲大会で無類の強さを誇った方であります。
以下、引用します。

 相撲界及びその周辺のPTA的潔癖主義及びその潔癖主義に隠れたいじめ体質に我慢できなくなって相撲界に絶縁宣言をしてからもう何年かが経過しました。
 したがって、今回の八百長問題について相撲ファンの立場から発言するものではありません。大相撲の再興が成るかどうかについても関心はありません。
 しかしながら、今回の八百長問題について、不祥事発覚と見るやハイエナの如く相撲界に群がり、たかるマスコミ、世論に対して異常なものを感じさせられます。
 その異常さはこの八百長問題だけに限られるものではない、社会的病理をはらんだ現象なのではないかとも思います。
 
 八百長が応援するファンを裏切るもので、許されない行為であることはいうまでもありません。
 しかし、一言で八百長と言っても、実際には様々なレベルのものがあります。
 その勝負が賭けの対象になっており、八百長によって特定の者に莫大な利益がころがりこむというのが悪質性の最も高い八百長でしょう。 
 一般には八百長とはこのタイプのものであり、当初から当たらない賭けにお金を投入させられた被害者が存在する犯罪行為です。
 多くの場合、暴力団が資金源とする組織犯罪です。
 
 一方、現在のところでは、今回の大相撲での八百長は、十両から幕下への陥落を避けるために力士の間で星をやり取りするというものです。
 特別調査委員会の調査には時間がかかるようであり、調査結果によっては今回の問題の性格が変わるかもしれませんが、今のところ賭けの対象となった取組についての八百長ではないようです。
 6勝8敗と7勝7敗の力士の千秋楽での取組で7勝7敗の力士を勝ち越しさせるといった八百長です。
 このようなことは、万年大関などと言われて毎場所すれすれの勝ち越しを繰り返す大関同士で、大関陥落を避けるために、八百長とは言わずに、無気力相撲などと言われてきたことに近いレベルのものです。今回は、それが仲介者の存在など、やや組織的に行われたということでしょう。
 相撲ファンの期待が裏切られると言っても、実際にはほとんど関心が向けられないような十両下位の取組が八百長の対象です。
 八百長の被害者は、それがなければ十両昇進可能だった幕下の力士だけでしょう。

 「無気力」という意味では、プロ野球やサッカーなどでも「消化試合」などと言われ、ファンもそれなりに許容している試合もあります。
 今回の相撲の八百長は、賭博がらみの暴力団介入の八百長と比べれば、「消化試合」のほうに極めて近い八百長でしょう。
 動いたお金の金額も一桁か二桁の違いがあるでしょう。

 そこらへんの見極めもなく、「正義の味方」の方々は高らかに正義の旗を掲げて、大衆が愛してきた、伝統あるエンターテイメントを滅ぼしてしまうのでしょうか?
 ファシズム的ファナティックを感じると言えば、杞憂と笑われるでしょうか?

以上です。
野球との比較をされたところで、私もあっと気が付いたのですが、いわゆるプロ野球の「消化試合」では、自軍の選手にホームラン王や首位打者を取らせるために、ライバルを敬遠攻めにしたり、挙句の果ては不出場を重ねたりしてますよね。結局あれと今回の相撲の八百長と称される「配慮」はほとんど同じ程度の悪さではないのかという気がしてきました。

最後に、理事長魁傑に熱烈なるエールを送りつつこの記事を終えます。
私の職場は、偶然ではありますが、くだんの焦点である両国国技館の直近に位置しております。そのため、現在の理事長魁傑が就任して以来、何度か彼が両国駅から国技館まで大股で歩く姿をお見かけしております。
魁傑は車に乗りません。魁傑は一人で歩きます。魁傑は下を向いて歩きます。魁傑の歩く姿は孤独をかみしめるようです。魁傑は力士時代の古傷なのでしょうか、右足をひきずるようにして歩きます。哀愁が漂います。
魁傑は、おそらく歴代の相撲協会の理事長の中でも、もっとも困難な時代を託された理事長でしょう。しかし、魁傑は泣き言を言わず、ひたすら誠実に自らの運命を引き受け、逃げようとせず、敢然と困難に立ち向かっています。彼の姿こそが、いわゆる「真摯」というものでしょう。
そして、何より私が感動しているのは、記者会見などでおそらく弁護士たちが用意してくれたであろう原稿を魁傑はあてにしません。魁傑はこうした事務方のペーパーを咀嚼したうえで、必ず自分の言葉で語ろうとしています。したがって、あるいは訥弁となったり、あるいは繰り返しとなったりしますが、魁傑は堂々と主張しています。
感動せざるをえないじゃありませんか。

理事長をやりたそうな貴乃花君sign03
あなたはこんなすばらしい理事長を超えられると思っているのですかsign02
十年以上早いと思いますよ。
いや、生涯無理かもしれないなぁ・・・・

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2011.02.01

NY#5 またまたNYの地下鉄

[その4] さらに東京の地下鉄とニューヨークの地下鉄を決定的に特徴づけるサプライズ必至の事実があります。
それは「ニューヨークの地下鉄にはトイレがないsign03というシンプルな事実です。

私のように東京中を地下鉄や電車を乗り継ぎながら散歩しまくることを、無上の喜びとして趣味にしている者にとっては(おまけに冷えるとトイレの近くなる者にとっては)、地下鉄の駅に必ずトイレがあるという単純な事実は、何にも代えがたい安心を保証することなのです。
この地下鉄のトイレが、なんとsign03ニューヨークの地下鉄には全く一か所もないのですsign03

その理由は類推するしかないのではありますが、どうやら犯罪の温床になりやすいということのようです。もちろん、クリーンに保つための経営上の要請もあるかもしれません。同様の理由なのでしょうが、セントラルパークをはじめとしたニューヨークの名だたる公園にもトイレはありません。これは私のような者には、大変つらいものがありました。

それではトイレの近い人々はどうすればよいのでありましょうか?
どうやら、マクドナルドやスタバのお世話になるようなのです。
しかし、トイレに行きたくなるたびに、マクドやスタバに行っていたならば、おそらくトイレだけで出てくるわけには行かないでしょうから、お腹はガボガボで余計にトイレに行かざるを得なくなるでしょうね。

[その5] それから、これは前回書いた「駅員のいないニューヨークの地下鉄」に関係することなのでありますが、ニューヨークの地下鉄駅の切符を売る自動販売機についてです。
これがかなりの確率で壊れています。要するに、お札やコインを飲み込んだまま、切符はどうしても出てこないのです。
地下鉄の客にとっては、駅員に文句を言おうとしてもどこにもいないし、電車に乗り遅れるわけにはいかないし、緊張した場面に追い込まれます。結局どうするかと申しますれば、簡単なことです。飲み込まれたコインはあきらめて、次なる券売機にまたコインを投じることになるわけです。かなり切ないものがあります。

[その6] ニューヨークの地下鉄は建設されたのが古いためでしょうか、ほとんどが第三軌条です。
鉄男君・鉄子さんであれば、みなさんご存知と思いますが、第三軌条とは何ぞやということから説明します。東京の地下鉄ではそのほとんどが、電車はレールと頭の上のパンタグラフみたいなものの間で電気を通して動力とするわけですが、第三軌条はそうではありません。二本のレールの外側にもう一本のレールがありまして、三番目の軌条だから第三軌条。電車は頭の上の代わりにこの第三軌条とレールの間で電気を通して動力として走るようです。
したがって、レールと第三軌条の間に体を横たえると感電により一瞬であの世行きと聞かされたものです。
このため、電車はこの第三軌条に触れるための金属の爪を車体の下から伸ばしており、この爪と軌条の摩擦音がキーキーきしむわけでありまして、この音がいいと言う人もいるわけです。当然、この方式では時々爪と軌条が一瞬ではありますが離れるため、車内の電気が消えることがあります(今は技術進歩により改良されているようで、NYでは気になりませんでした)。

なお、東京では古い地下鉄、すなわち銀座線と都営浅草線が第三軌条だと思います。

[その7] 長くなりましたが、もうひとつだけ語らせてください。
ニューヨークの地下鉄の特質として、もうひとつ。それはジャズやバイオリンやとにかく自由なパフォーマンスがとっても多いのです。
以前パリに旅行で行った時も、地下鉄のパフォーマンスはかなりのものだったのでありますが、その場所はパリでは駅構内の通路だったんですよね。ところが、ニューヨークの地下鉄でのパフォーマンスは、全然違うんです。なんとsign02 電車が行き交うプラットフォームでやっているのですよsign02

私の乗り合わせた電車では、これまたsign03なんとsign03電車の中でラップを歌い始めたのですよ。
歌う前に若干の口上がありまして、どうやら「これからぼくはここでラップをやるが、うまいと思ったらチップを頂戴sign01」といっているらしい。
これがまたおっそろしくうまい(らしい)。歌い終わると瞬く間にチップが集まっていましたね。
若い黒人の男でしたが、何しろ走っている電車の車内という密室で目の前で歌われるパフォーマンスでしたから、大変な迫力でしたね。

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2011.01.17

NY#4 ニューヨークの地下鉄

冷蔵庫もさることながら、東京と比較してビックリ仰天させられたのは、ニューヨークの地下鉄事情です。東京の都営地下鉄あるいはメトロと比較してあまりに常識が違うことが多く、ちょっと長くなるかもしれませんが、その違いをひとつづつ説明していきたいと思います。

[その1] まず最初に挙げなければならない最大の相違は地下鉄職員の数の少なさです。
NYの地下鉄の職員は、地下鉄駅構内のどこを探してもまずほとんどお会いできません。一人もいないのです。もちろん、地下鉄の運転士はおりますが、通常東京で見かけるホームを整理するような駅員はNYでは全く遭遇しません。
したがって、駅のホームで駅員に目的地までの乗り換え経路を教えてもらおうと思っても、駅員に尋ねることはできないのです。
私の場合、地下鉄を乗り過ごしてしまい、反対側のホーム(NYの場合、ほとんどの駅が対面式であり、東京のような島式がないので反対側のホームに行かなければならない)への行き方を訊こうとしても、駅員はどっこにもいないのであります。私のケースでは結果的に、反対側のホームに行くには、一度改札を出て、地上まで一端上がり、通りをクロスして反対側の入口から入場し直して、やっと向こう側に出られるということがわかりました。
これを駅員なしで理解することは、英語のあやふやな日本の旅行者にとって至難のことであることは、容易にご想像できることと思います。
昨年封切られたデンゼル・ワシントン主演のノンストップアクション映画「サブウェイ123」は、テロリスト対地下鉄の管理司令室の職員の対決でしたよね。要するに、駅にはいないけれども、司令室には結構いることがわかりましたよね。
なお、駅員の顔はほとんど見ませんでしたが、掃除作業員にはかなり会いました。次に多かったのは、夜になると、かなりの数の警官が駅構内のポイントとなる見通しの良い場所に席をしつらえて待機します。我々は、夜の地下鉄の乗り換えに迷った時は、こうした警官に乗り換え方を教えてもらったほどなのであります。

[その2] 次のサプライズは、NYには終電がないということですすなわち東京のように大晦日だけではなくていつでも終夜運転なんです。
その代わりと言ってはなんですが、NYの地下鉄には時刻表がどこにも見あたりません。
その結果、乗客はどういう状況になるかというと、「地下鉄は昼間でも深夜でもいつでも動いているけれども、とりわけ深夜はいつ到着するかはわからない」ということになります。
この状態を称して「便利」と言うべきなのでありましょうか・・・

[その3] そしてNYの地下鉄の駅構内にはゴミ箱がたくさんあります。
東京の地下鉄の駅構内には、テロ対策なのでしょうか、ある時からゴミ箱を一切置かなくなりましたよね。NYではいわば東京と正反対の判断をして、大きなゴミ箱がたくさんあります。
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よく考えてみると、東京では地下鉄の駅どころか地上の大通りにもゴミ箱は一切ありませんよね。ところが、NYではこれでもかこれでもかというが如く、バカでかいゴミ箱があっちにもこっちにも置いてあります。そして、このゴミ箱のゴミを朝から深夜まで、間断なく清掃作業員(ほとんどが圧倒的に黒人です)がトラックで集めて回ります。したがって、NYというところは街も駅構内もゴミは少なく、とてもきれいな街です。
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そして、地下鉄の車内に張られたはでな商品広告の中に、私は奇妙な公共広告を見つけました。写真をご覧戴きたいのですが、要するに「ごみをゴミ箱に捨てましょうsign03」という広告です。これは何を意味するかというと、あなたが今道路に捨てようとするゴミを捨てないでくださいsign01ゴミを捨てるために行政はいろいろな場所にゴミ箱を置いて、24時間収集していますsign01あなたが最低限ゴミ箱に入れるところまでやってくれれば、後は私たち行政が、分別して処分しますからsign03と訴えている広告なのです。
驚くべき広告です。
わが東京では、駅にも大通りにもちっちゃなゴミ箱すらなく、ささいな紙ゴミであったとしても、家まで持ち帰ることをなかば強制され、家に持ち込んだら持ち込んだで、今度は世界に冠たる非常に複雑な分別ルールを厳しく遵守したうえで、やっとのことで行政の清掃作業に委ねることが可能となるのです。
我が国民のきめこまかな神経構造と「優秀な国民性sign02」を再認識させられたのです。

ちょっと長くなりましたので、残りは次回にします。

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2010.12.31

NY#3 ニューヨークの洗濯機

今回のNY訪問は、いろいろびっくりさせられることが多かったのですが、その中でも最も私の常識的な感覚を震撼させられたことを、出し惜しみせずにシリーズの早めにまず書いてしまうことにします。

それは「ニューヨークには洗濯機がない」という驚くべき事実についてなのです。
「洗濯機がない」ということは、電気屋さんに行っても「洗濯機は売っていない」ということです。これは外国人にはにわかには信じられないことですが、間違いのない事実です。
では、その理由を説明しましょう。

まず、NYを歩いていてすぐ気がつくことですが、NYのマンハッタンはほとんど高層ビルだらけですが、その高層ビルが日本でいうところの「業務ビル」なのか「住居用のマンション」なのかは外見では区別がつきません。なぜならマンションには日本のようなベランダがないからです。
「マンションにベランダがない」ということは、日本のように布団はもとよりとして、洗濯物を干さないからして、ベランダが必要ないということなんです。
このことは、結果として、都市の美観上は大変好ましいことで、NYの都市としての美しさは、このことによる貢献が大きいと思われます。

Dsc00261
ちなみに、NYの国連ビル前という一等地にある超高級高層マンションの写真をここで証拠写真としてお示ししておきます。ご覧の写真の真ん中から左に並ぶ3棟の茶色の高層ビルが、なんと日本で言うところの高級高層マンションなんだそうであります。

では次に、「洗濯物を干さない」とは、何を意味するのかsign02という問題について考えましょう。
それは簡単に言ってしまえば「洗濯物を干す必要がない」からです。
「洗濯物を干す必要がない」とは、「ニューヨーカーは家で洗濯をしない」から「洗濯物を干さない」という意味なんだそうです。

では最後に、「家で洗濯をしない」とは何を意味するかsign02ですが、
ここから先は所得階層によって違うらしいのですが、高級マンションに住むセレブの場合は、ドアの外に洗濯物を置いておけば、マンションのコンシェルジュが持って行って翌日にはきれいに洗濯して届けてくれるそうです。一方、それほど裕福でない一般的なニューヨーカーの場合は、みんな日本でいえば「コインランドリー」のようなところへ行って洗濯するそうなのであります。

要するに、ほとんどのニューヨーカーは、日本では独身の若者たちの定番の光景であるコインランドリー通いをしているようなのです。にわかには信じられない事実ではありますが、マンションか業務ビルかわからない美しいNYの高層ビル群の間を歩きながら、私は納得せざるを得ませんでした。

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2010.12.24

NY#2 JALのサービス

今回は往きも帰りもJALに乗りました。
JALと言えば、京セラの稲盛和夫氏を会長に迎えて、会社更生法を申請し、血の滲むような経営再建計画を実施中の会社のはずです。
昨年は映画「沈まぬ太陽」のモデルとしても話題になり、どこまでが事実なのか定かならず、挙げ句の果ては、日本アカデミー賞まで取ってしまったのには驚かされましたね。

というわけで、注目の更正会社JAL、社員の3分の1にあたる1万6千人の整理解雇を目指すが集まらず強制解雇がうわさされるJAL。なんとなく応援したくなるJAL。そうした話題のJALに乗ったわけです。

スッチーの配膳とか基本的サービスには、もちろんそれほど大きな変化は見あたりませんが、スッチーの乗客に対する応対の反応が私には大変印象深いものでした。具体的に申しますと、スッチーが乗客に応対する時、いちいち何度もお辞儀をするのです。そして何度も「申し訳ありません」を繰り返すのです。一部のスッチーだけかと思いましたが、どうやらかなりの割合のJALのスッチーは、あたかも米つきバッタのごとく、はたまた商店街の魚屋のおっさんのごとく、冷酷な言葉を使えばいわゆる「卑屈なほどに」、一生懸命お辞儀を繰り返し、「申し訳ありません」を繰り返すのです。

政府から支援を受け、主要銀行からの債務を踏み倒してしまった会社の社員は、かくのごとくにも卑屈な態度を取らなければ世間のお許しをいただけないものなのでありましょうかsign02
私は彼女たちの額に汗を光らせながらの必至のお辞儀を見つめながら、すっかり考えさせられてしまいました。

一方、お辞儀事件とは反対に、JALの職員の隠れた矜持を私にとって明確に感じさせられたことがありますので、次にご紹介します。

それは、各乗客の席の前に据え付けてあるディスプレイの番組の充実についてなんです。
まず一番に目に付くのが「映画」の充実です。現在封切り中の話題の映画はほとんど見ることができます。邦画は「悪人」,洋画は「ロビンフッド」「ソルト」・・・見たい映画は何本でも見ることができますので、飛行機を下りる時に「3本見た」と話していた豪の者までいる始末です。
私の臨席の若者などはよほどこの映画サービスが楽しみであったのか、「ディスプレーの映りが悪い!」とスッチーにクレイムをつけ、席を代えてもらったほどなんです。しかし、お客様は神様とは申せ、ここまでしてあげる必要があるのかしらsign02 隣席でありますこと故、私は容易に彼のディスプレーを見ることができたのですが、私とさして変わらぬ鮮明度でした。

ところで、私の言いたいことはこんなことではございません。
この番組の中に「J-POPスタンダード」というチャンネルが3つあったわけなんですがこの番組についてなんです。映像は出ないで、ヘッドホンによる音楽だけの番組です。「スタンダード」とわざわざ銘打っているのは、1970年代から80年代のヒット曲をピックアップしており、一言で言えばいわゆる「なつメロ」ねらいの企画のようです。ひとつの番組に12曲程度ですから、3チャンネル併せても35曲程度しかありません。
私は何の気なしにこのチャンネルのひとつを聴いてみて、しだいに胸がうち震えるような感動を覚えました。私が感動したのは、その選曲のすばらしさについてなんです。
選曲の画面は次の通り。

Sdsc00404_2
このソフトを担当させられた職員はただ単に「70から80年代のヒット曲を順番にならべればいいんだろう」と楽な仕事をしようと思えば、奥村チヨの「北国の青い空」ではなく「終着駅」にしていたはずでしょうし、泉谷しげるの「春夏秋冬」ではなくてよりによって「寒い国からきた手紙」を選曲したからには一本の筋を通した明確な企みが匂います。
ランチャーズの「真冬の帰り道」、ご存じ内藤洋子の夫にして喜多嶋舞の父親の喜多嶋修の作曲した曲がトップに来ております。吉田拓郎作曲の名曲で音楽の教科書にも載せられたことのある猫の「雪」があって、五輪真弓は「恋人よ」ではなくデビュー曲の「少女」を採用します。そして永遠の名曲小林啓子の「比叡おろし」と畳みかけられたら、ほとんどの団塊世代は滂沱の如き涙に震えるであろうと、この選曲をなしたJALの担当者は企み、そして明確な主張をもって編成したはずです。簡単に申せば、「どんなささいな仕事でも誠心誠意乗客のために手を抜かないで渾身の力を尽くす」という思想を感じます。
その主張の志の高さが尊いのです。
そして布施明は「甘い十字架」を選んでいます。

もちろん、正確に申しますと、JALの職員ではなく、JALに委託されたただの孫請け会社の社員かも知れませんが、これだけ極端に主張の強い選曲をする以上、何らかの形でJALの担当者の意志が入っているはずです。
そして、こうした矜持の高い職員がいる限り、確信を持って言えると思います。

「JALは不滅ですsign03

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2010.12.19

NY#1 NYへ行ってきました

恥ずかしながら還暦を過ぎた老体を鞭打ち、仕事の都合があった関係もあって、生まれて初めてニューヨークに行ってきました。
あいにく12月に入ってからしつこい風邪に悩まされ、なんとか熱は下がったものの、咳は収まらず、若干の懸念はありましたが、生涯初めての機会であり、おそらく二度とないものとも思われ、決行しました。

NYと言えば、時差はおそらく日本からは世界最長と思われる14時間。
私のように毎日日本で暮らしていても熟睡の得られない慢性睡眠障害の者にとって、この14時間のジェット・ラグは恐ろしい結果を招くのではないかと心配しましたが、不幸にもこの予想はドンピシャで的中。しつこい咳による不眠とも重なって、5日間のほぼ全行程が夢うつつで朦朧状態、夜ホテルに帰ってからは、逆にらんらんと目が冴えわたるという完璧なジェット・ラグ状態に悩まされ、夜中の激しい咳もあって命の危険まで意識される始末。なにしろ米国という国は米国人ですら医療サービスを受けにくい医療環境にあり、外国人など幸運に医療を受けられたとしても法外な治療費を請求される恐ろしい国と聞いていただけに、徐々に自分がパニックに追い込まれる危険すら迫りくる。

とまぁ、ここまで言うとちと大げさでありますが、本人は結構マジです。
ということで、激しいジェットラグによる意識混濁状態の中で感じた最新NY事情を、次回から当分の間、書いていくつもりです。

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2010.12.18

結婚していた千葉さな子

本年2月の記事(千葉の鬼小町「千葉さな子」)で、竜馬の婚約者千葉さな子さんは、竜馬との純愛に殉じて生涯独身を守ったと断言しました。しかし、なんと本年7月になって、実は竜馬の死後結婚していたということが、発表されておりましたので、遅ればせながらご報告いたします。よりによって、なぜ今年になるまでわからなかったのでありましょうかsign02 不思議ですねぇ。

さな子さんのお相手につきまして、「週刊新潮」に詳しかったので以下に引用します。

さなの父定吉が鳥取藩の剣術師範を務めた縁で藩士山口菊次郎と結婚したさなだったが、維新後、山口は東京で魚市場を設立すると称して主家の親戚、旧岡山藩主池田家から預かった出資金を返さず訴えられた。山口の浮気とこの金銭トラブルで、さなは離婚したとみられる。

さなは晩年、現在の千住市場の近くで家伝の針きゅうを開業して自活していたそうですが、はたして夫の詐欺話と関連はあるのでしょうかsign02
それにしても、さな子の骨を分骨してお墓を建て、墓石の後ろに「坂本竜馬室」と刻印してまで弔った山梨県の民権運動家小田切謙明さんはこの辺の事情を知っていたのでしょうか・・・

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2010.09.30

インドの携帯

Photo 我が家の26歳になる娘は、ヨガの勉強をしているのでありますが、その関係で今回インド中部のナグプールなる人口240万人程度の都市で、約10日間、集中講義を受けてきました。
その娘が話すインドおもしろばなしの中に、非常に興味深いものがありましたので、ご紹介します。
我が娘が話すこと故、聞き違い、勘違いも充分ありえますが、信用してしまうことにします。

話の主題は、インドの携帯電話についてです。
インドの携帯は、その発展形態がちょうど中国のそれと似ており、有線電話の普及をすっ飛ばして一気に携帯電話がドット普及してしまったために、日本のように有線と携帯の混在という状況はなく、みんなが携帯電話を持っている状況のようです。

このこと自体は、さしておもしろいことではありません。
おもしろいのは、その使い方です。
自分の携帯に電話がかかってきた時に鳴る着信音の音量が半端な音量ではないそうです。
日本人の通常の着信音の常識から考えると、体感で約5倍以上の音量なのだそうです。日本人の体感では、まるで爆音の目覚まし時計の音と思えばわかりやすいそうです。
なぜそのようにバカでかい着信音にするかと言えば、インド人は携帯による会話を最優先するからだそうであります。日本人のように会議の時とか、友人と話している時とか、目上の人に説明する時とか、携帯の着信音を消して後でコチラからかけ直すという習慣がないそうです。そうした配慮を全くしないのだそうであります。
要するに、どんなに重要な人と大事な会話をしている最中であろうと、今かかってきて着信している携帯の発信者が最優先されてしまうのだそうであります。だから着信音がバカでかい音量なのです。
まっ、ここいらへんは、価値観の違いもあるでしょうし、文化の違いに関わるものであるかもしれないし、ひとつの見識として理解するしかないのかも知れません。

もうひとつ、こうした携帯電話に対するインド人の特殊な生活習慣は、当然の帰結として、さらにおもしろい事実を招来します。
携帯の着信に最大の優先度を与えてしまうという習慣は、すなわちメールの必要性をなくしてしまうんです。それはそうですね、どんな時でも相手が携帯にでてくれるのであれば、わざわざ相手の状態を配慮してメールで用を足す必要は無くなってしまうわけです。
その結果、我が娘の言うには、10日間の滞在中、現地インド人が携帯でメールをチマチマ打っている場面をついに一度も見なかったそうであります。

以上、これって本当だったら相当おもしろい国民性だと思うのですが・・・・

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2010.08.16

絶倫パンダ永明(エイメイ)

sign03新聞によりますと、和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」は、先週8月12日、雌のジャイアントパンダ良浜(ラウヒン)が、自然交配で雄と雌の双子の赤ちゃんを11日に出産したと発表しました。

Panda ・・・とまぁ、ちょっと読むだけでは何の変哲もないおめでたい記事なのでありますが、まだあまり知られておりません内部情報を総合いたしますと、このおめでたい事件の裏には、調べれば調べるほど驚愕の事実が隠されているのであります。
そのサプライズは、すべてこの出産の原因となったお父さんパンダである永明(エイメイ)君についてのものです。

世間には俗に「絶倫sign03と形容される幸せな男性がちらほらおりますが、何を隠そう、この永明君、パンダ界に隠れも無き正真正銘の絶倫パンダなのであります。
「イタリアの種馬、ロッキー・バルボア」とか「宮崎県の種牛」が束になってかかっても一蹴してしまうような桁違いの絶倫振りなのであります。

まず、第一に、
この永明君、なんと2年前の2008年にも同じ良浜(ラウヒン)チャンをはらませており、その時も双子であったそうで、なんと3年で2度目の双子出産だったのです。

そして、第2は、いずれの場合も自然交配だったということです。
パンダの交配はパンダが大変神経質な動物であることもあって、通常人工交配によるものだそうであります。何より雌のパンダの排卵期は、なんとsign031年間にたったの2日間だけなのだそうでありまして、自然交配は事実上不可能だと言われているのです。
であるにもかかわらず、我らの永明君は年に一度しかめぐって来ないこのチャンスを3年で2回も大ホームランをかっ飛ばしたことになります。
動物園関係者の証言では、3月27日と28日の自然交配は、なんとsign036回に及んだそうであります。

第三に、この永明君、年齢は17歳だそうであります。
人間の年齢に換算しますと、なんとsign0350~60歳に相当するそうなんです。

実際にはこの事実が最も衝撃的だと感じる読者が多いかもしれません。

もひとつおまけのサプライズsign03
この永明君、とにかく遠慮というものを知らないパンダで、今回出産した良浜(ラウヒン)チャン以外にも、なんとsign03その良浜(ラウヒン)チャンの母親との間でも子供をもうけているそうですし、さらにsign03良浜(ラウヒン)チャンのおばさんにも子供を生ませているんですよsign03
ねっ、すごいでしょsign03
しかし、こうなると永明君、もし彼が人間であったとしたならば、ほとんどセックス依存症と呼ぶべき状態であろうと思われますし、そうでないとしても何らかの性犯罪者として隔離されるはずです。
それが、パンダとして生まれ出でたおかげで、稀少生物としてのパンダのサバイバルをたった一匹で獅子奮迅の勢いで支えている英雄となってしまうのですから、おもしろいですよね。

何はともあれ、この「アドベンチャーワールド」のパンダは永明君の活躍によりまして、計8頭となり、現在国内の全パンダ10頭のうち8割が、ここ「アドベンチャーワールド」にいることになります。

遠からず、我らが上野動物園にも1億円パンダがやってきますが、是非sign03永明君にはるか白浜から上野にご出張いただいて、種付けをお願いしたらいかがでありましょうか・・・・

(今回の記事は、TBSラジオ安住紳一郎の「日曜天国」を参考にしました。)

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2010.07.19

名古屋場所放送中止の本当のダメージ

今回の大相撲の不祥事を契機として、NHKは名古屋本場所の放送中止という前代未聞の意思決定をおこないました。
暴力団関係者が土俵下の砂被りに陣取って、投獄中の組幹部と相撲のテレビ中継を利用して連絡を取り合っていたということですから、名古屋場所に限らず、1年くらいはテレビ中継を自粛するのはやむをえないことだと私は思います。

しかし、よりによってその最初のターゲットが「名古屋場所」であったというのは大変残念なことでした。
というのは、何を隠そう「名古屋場所のテレビ放送」だけは、他の場所と違って相撲の取り組み以外の独特の要素で全国的に根強い興味をつないできている背景があるのです。

奥歯に物の挟まった言い方はやめて、率直に申し上げますと、過去10年以上にわたって(一説には15年前に、もういたという証言もございます)、名古屋場所の全ての興行を、ある女性が一日も欠かさず、それも全く同じ座席で見続けているという事実があるのです。

その座席というのは、力士たちが取り組みのため控え室と土俵を行き来する通称「花道」沿いの、それも常に西の花道(テレビで見ていると画面に向かって右側)、前から7番目の席で10年以上不変であるそうです。
おまけに、このお姐さん、テレビの画面を通しても大変目立つのです。まず、一日の例外もなく大変高価で趣味の良い和服を着ています。さらに目立つのは、髪の毛を高く高く巻き上げています。あたかも塩沢ときのごとく・・・ ねっ、目立ちますよね。
そして、テレビ観戦の相撲ファンは、名古屋場所に限って力士の背景に現れるこのご婦人を見つけて、「あぁ、今年も名古屋場所が来たんだなぁ」と感慨を抱いたり、「あぁ、あのお姐さん、今年も変わらず元気そうだなぁ、おれもがんばらなきゃ・・・」などと元気付けられているのであります。
ちなみにこのご婦人、ウェブでは「白鷺の姉御」と名づけられております。いいネーミングですね。

要するに、少なからずいるはずの「NHKの名古屋場所中継を見ながら観客席の白鷺の姉御の変わらぬ元気な姿を見つけて元気付けられていた視聴者」を今回のNHKの処置は、完全にそして無慈悲に無視してしまった事になります。

なお、このお姐さん、例の維持会員云々の関係者ではないのかsign02 その風体のあやしさから当然懸念のあるところでありまして、であればそれこそ今場所から西側花道前から7番目にはいないことになってしまうわけです。
みなさん、安心してくださいsign03 既にウェブ上ではお姉さんの変わらぬ雄姿が、いつもどおりの例の席に見えるというレポートが報告されていますよ・・・・

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日本相撲協会の未来

大相撲が開闢以来のピンチにあります。
現在進行中の名古屋場所は、なんと25年ぶりに初日に「満員御礼」が出ませんでした。
土日には何とか満員になるものの、平日は半分程度の入りにしか見えません。
NHKも中継してくれません。

まさか、暴力団の入場を禁じてしまったために、入りが半分になったわけではないんでしょうねsign02 (要するに今までの観客の半分が暴力団だったという説もあるとか・・・)

日本相撲協会の財団法人認可も取り消しになるという議論もあります。
しかし、元気を出そうよsign01 日本相撲協会sign03
かつて昭和38年、当時全盛期のプロレス興行の元締め、日本プロレスの力道山が赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」であえなく刺殺されたときのプロレス界も大混乱。
日本プロレスは一瞬にして四分五裂状態sign01あの頃のプロレスに学びましょう。
ジャイアント馬場の通称「コミックプロレス」と揶揄された「全日本プロレス」。
ストロングスタイルの真剣勝負で人気を得たアントニオ猪木の「新日本プロレス」。
グレート草津やラッシャー木村の「国際プロレス」。
真剣勝負の関節の取り合いで終始することでおなじみの前田日明の「UWF」。
流血の金網デスマッチでおなじみの大仁田 厚の「FMW」。
群雄割拠の中で、かつて以上の隆盛を見たのは、ついこの間のことですよね。

ということで、日本相撲協会もたとえ財団の認可取り消しそしておとりつぶしになろうとも、そこからが勝負だと思いますよ。
すなわち、かつてのプロレス同様に自由な発想で「新しい大相撲」を見せて欲しいものです。
たとえば、いくつか例をあげてみましょう。

ストロングスタイルの真剣勝負が売りの「新日本相撲協会」。
ショッキリをはじめとしてコミック相撲が売りの「全日本相撲協会」。
息の詰まるような関節技の応酬が売りの「UWF相撲協会」。
そして流血の金網デス相撲が売りの「FMW相撲協会」。
ねっ、ドンドン無限の夢が広がってくると思いませんかsign02

かつてあの「プライド」の勝利者インタビューで、元力士の戦闘竜が「相撲が一番強いんだよsign03」と絶叫していたあの姿が忘れられません。

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2010.04.30

岡城趾がすばらしい!!

Sdsc00101
あまり旅行などしない私ですが、珍しく遠出をして、九州大分空港から湯布院で湯治、そして久大本線と豊肥本線を乗り継いで、豊後竹田に行って来ました。
帰路、大分から空港までのホバークラフトがいつの間にか廃止になっていたのにはあわてさせられました。(営業不振と部品不足で昨年の9月に廃止になったそうです)

そして、今回私が語りたいのは、豊後竹田で下りて徒歩30分、岡城趾のすばらしさについてなんです。
今まで私は城の残っていると失われているとにかかわらず、ずいぶんたくさんの城跡やお城を見てきました。ちょっと思い出しても、高知城、熊本城、姫路城、青葉城、名古屋城、大阪城、そして忘れちゃ行けない江戸城etc・・・・
こうしたあまたの名城が全国にひしめく中で、今回旅した豊後竹田の岡城趾は文句なしに最高だと思いました。

そもそも岡城趾とは、江戸時代、岡藩主中川氏の本拠地だった城の跡。典型的な山城で、渓谷が深く、切り立った地形に石垣が大変美しく映える。お城は明治になって取り壊されてしまったので、今は石垣のみが往時の姿を伝える。
渓谷が深い分本丸への道筋は、大変急坂で登るのがしんどいが、登るまでの苦労は本丸でのすっばらしい景観によって充分に報われます。

城趾は滝廉太郎作曲「荒城の月」のモデルとされ、本丸跡の近くには廉太郎の銅像が建っている。滝廉太郎は、少年期の一時期(12歳~14歳)を父親の転勤の関係でここ竹田市で過ごし、そのイメージを元に「荒城の月」を作曲したと伝えられる。
竹田市には「滝廉太郎記念館」があり、名誉館長はなんと故筑紫哲也氏だったそうなsign03なぜかと係員に聞けば、「廉太郎の妹のお孫さん」であるそうな。なんとなんと筑紫哲也は廉太郎までわずか4親等の近さの親族なんです。
稀代の音楽家の遺伝子が、どのような脈絡のもとに稀代のジャーナリストの遺伝子に乗り代われるものなのか、はなはだ興味深い。

Sdsc00112
話を元に戻して、岡城趾のすばらしさについてです。
いかに「急峻な山城だからして景観がすばらしいのは当たり前」と説明されても、上から見晴るかす城下町や山並みの感動は不思議に思えるほど尋常のものではありません。他のお城では全く感じられない性質のものに思えます。

Sdsc00113 なぜだろうsign02 としばし熟考・・・
わかりましたsign03
急峻な本丸までの道すがら、ほとんどすべての場所が優れた景観を提供する自然の展望台みたいなものなのですが、要するに展望できる場所の全てに柵がないんですsign03
ちょっとふらついたら真っ逆さまに渓谷を転落していく恐怖と裏腹な場所ばかりなんですよ。
岡城建設後数百年が経っているわけですが、酔って落ちたか、めまいで落ちたか、子供が遊んで落ちたか・・・何人かは落下しているはずです。
東京ではセキュリティーの面から、絶対に許されない観光スポットだと思いました。
しかし、このちょっと危ないスリルが岡城趾の景観から得られる感動のかなりの部分を占めることも事実であり、人間の感興など本当にやっかいなものだと思わさせられます。
このスリルによる情動の興奮という効果は、ひょっとするとメジャーリーグの観客席のフェンスが、日本のフェンスに比べてほとんど無きに等しくセキュリティーを犠牲にすることによって感動が深まることと同じことなのかもしれないと思わさせられました。

[城取り壊しの経緯]
なぜ岡城が明治になってから取り壊されたかについては、以下の通り。
明治2年版籍奉還後、明治4年277年間続いた中川氏が廃藩置県によって東京に移住。
明治7年、城の建物は大分県による入札・払い下げで全てが取り壊されたそうである。
おそらく大分県としては「管理しきれないから、お城は壊して売りやすくして払い下げてしまおう」と思ったのではないでしょうか。今では考えられない大ざっぱな判断です。


[竹田市内を歩いて一番驚いたこと]
市内をそぞろ歩いていて、一番驚かされたことをご紹介します。
中学生・高校生がみ~んな、町で市民のおじちゃんやおばちゃんと会うたびに、きちんと帽子を取って挨拶するのです。これにはびっくりさせられました。
まぁ、それだけ町に人口が少ないのかも知れませんが、東京では絶対に考えられません。第一、東京では脱いだ帽子をかぶり直す暇がないほど、都民達が町に出ていますものね。
喫茶店でおばさんに「誰が教えるの。親ですか、学校ですか?」と聞いてみると、「いやぁ~、誰が教えるわけでもなく、自然にだよ。」とのことです。
いよいよびっくりです。
一説には、城下町では今もこのような伝統が受け継がれている地方が多いとも言われますが、東京人には感動的な光景でした。

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2010.03.21

再会する歌ベストワン

Fukuyama
お待たせしました。(待ってないかsign02)
それでは前回に続いて、「昔つきあっていた初恋の人と再会する歌」の最後の1曲です。
これは個人的には「マイ再会ソング」の白眉に位置するもので、ぶっちぎりのベストワンとして謹んでご推薦いたします。
このカテゴリーの歌には非常に珍しく、歌うのは男性歌手です。毎週日曜日の大河ドラマで坂本龍馬を熱演しているご存じ福山雅治歌うところの「はつ恋」です。作詞・作曲ももちろん福山雅治でございます。

あまりに歌全体のバランスがすばらしいので、この歌については、抜粋ではなく、前半の詞の全文をご紹介します。

noteこの想いが君を 苦しめてしまうとしても
 傷つけてしまうとしても 君が欲しくて

 たがいに手に入れた 新しい幸せ 
 いまこの手で 壊してしまいそう

 帰るべき場所がある 守るべき人がいる
 愚かすぎる過ちと 知っているから・・・・

 友達ではいられないことも 恋人には戻れないことも
 わかってるよ でもこの真心を 
 永遠の はつ恋と呼ばせて・・・・ note


いかがでございましょうか? もはや何事も付け加えるものもなく、いかなる論評も不用であるかのごとき完璧な詞に思えます。
しかし、少しだけ論評しますと、
note帰るべき場所がある 守るべき人がいる
 愚かすぎる過ちと 知っているから・・・・ note

たった2行のこのフレーズで、過不足無く最短距離でふたりの状況が理解できます。
要するに、この二人はいずれも既婚者であり、「幸せを壊して、愚かすぎる過ち」に突き進むか否かのギリギリの判断をしようとしているのであります。

そしてこの絶体絶命の崖っぷちを、稀代のシンガーソングライター福山雅治は、
日本歌謡界でも屈指の歴史的名フレーズでアウフヘーヴェンしてしまいます。すなわち、
note友達ではいられないことも 恋人には戻れないことも
 わかってるよ でもこの真心を 
 永遠(とわ)の はつ恋と呼ばせて・・・・ 
note

いやはや名曲であります。
福山はこの「はつ恋」を昨年末の第60回紅白歌合戦で歌いましたが、そのおかげか正月のシングルCDの売上げはダントツだったようであります。
なお、今はやりのi Podではこの曲は聴けません。福山雅治はi Tuneで自分の歌を売らないからです。こうしたプリンシプルを持っている歌手は、そんなに珍しいことではなく、サザンの桑田佳祐もそうなんですよ。
福山雅治は、一生分の能力をこの「はつ恋」で使い尽くしてしまったような気がします。

「永遠のはつ恋」という用語は、まぁ言ってみれば一種のみごとな撞着語法(oxymolon)だと思いますが、読者の皆様すでによくご存じのように、私はこの撞着語法が大好きなんですよ。

すなわち、「合理的な愚か者」だしぃ・・・・
     「壮大なる零」だしぃ・・・・・・

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2010.03.14

初恋の人と再会する歌

古来、日本のポップス・歌謡曲あまたある中で、恋の歌は星の数ほどあります。
それらの歌の類型もハッピーエンドから失恋まで、無数のバライティーがあります。
しかし、かつてつきあっていた初恋の人との不幸にして悲しい別離の後、数年または数十年後に再会する状況を描写した歌は、不思議なことについ最近までほとんど存在しておりませんでした。

この理由はおそらく二つ考えられます。
ひとつは、「昔つきあっていて再会する」という設定自体が、あまりにドラマチックなため、3分から4分で納めなければならない歌謡曲の制約の限界を超えるものであること、
もうひとつは、消費者自身にあまりニーズがなかったのでありましょう。
しかし、我々団塊の世代が今まさにシニアの入り口にさしかかって、はるけく過去の青春を振り返る時、シニアとして口ずさむべき歌の設定としてこの「昔つきあっていて再会する」という状況は、きわめてロマンチックなものとして再評価されてきていると思います。

ということで、今回は「昔つきあっていた恋人たちが再会する歌」として、とりあえず4曲を分析したいと思います。

1曲目は、この設定を事実上わが国で初めて取り上げたと言っても過言ではない草分けの曲を紹介します。原曲はシャンソンです。
わが国シャンソン界の大御所金子由香利の事実上の出世作「再会」です。
松尾和子の歌とは全然違いますよ。作詞はPatriciaCarli & EmilDamitrov、訳詩は矢田部道一。
noteあら! ボンジュール 久しぶりね その後 お変わりなくて 
 あれから どれくらいかしら あなたは 元気そうね 私は変わったでしょう?
あれから旅をしたわ いろんな国を見てきたの 少しは 大人になったわ
 あら 私って おしゃべりね 引き止めてごめんなさい
 あんまり 懐かしくて 声を掛けたのよ・・・・ note

きわめて淡々とした偶然の出会いです。しかし、この出会いの時、男は奥さんと一緒です。
この奥さんを遠目で見ながら、この女性は
noteあの方 奥さんでしょ?  とても素敵な人ね
 私に少し 似ているわ 私をどう思うかしらnote

と歌われるように、むき出しの敵愾心を示す自信家の女性なのです。
この歌を全盛期の金子由香利は、ほとんど語るように歌います。もろに自分と遠くにいる元カレの奥さんとを比較対照して自信を見せる気の強さが、かえって女心の悲しさを際立たせるという効果を出しています。

「再会」はまるで何事もなかったかのように偶然の再会後、「じゃ、またね」とあっさりと別れていくのであろうのに対して、2曲目はドロドロの再会を歌います。
歌も作詞・作曲も全部庄野真代の「アデュー」です。
noteあの日 待ち続けてたの ほんとよ しずむ夕陽の中
 まさか同じこの街で あなたと 出会うなんて 不思議ね
 若くはないわ もう昔のように 心が揺れても きっと飛び込めはしない
 そうよ 違う人生を夢見た 二人だから哀しいnote

庄野真代のヒット曲で有名なものは、何と言っても「飛んでイスタンブール」や「モンテカルロで乾杯」ですが、そうした大ヒット曲と伍してこの「アデュー」もカラオケで長く歌い続けられているスタンダード曲です。
ただし、そのカラオケに妙齢(微妙な年齢の意)の女性も参加している場合、「若くはないわ もう昔のように 心が揺れても きっと飛び込めはしない」のさびの部分で、異様な緊張感がその場を支配しますのでお気をつけ下さい。
この歌の場合、男女共に既婚者でしょう。女性は道を踏み外す寸前です。男性は決断できません、そういう状況のようです。ラストで庄野真代は畳み掛けます。
note若くはないわ でも昔のように 抱きしめられたら すべてを捨てた きっと・・・note
おっとっと、せつない歌ですねぇ・・・

3曲目は、世代を超えて女性陣に圧倒的な支持を得ているヒットメーカー、山下達郎の嫁さんでもある竹内まりやの作詞・作曲・歌の大ヒット曲「駅」です。
この歌の歌詞の表現力は抜群のものがあります。さびを引用します。
note二年の時が 変えたものは 彼のまなざしと 私のこの髪
 それぞれに待つ人のもとへ 戻ってゆくのね 気づきもせずに
 ひとつ隣の車両に乗り うつむく横顔 見ていたら
 思わず涙 あふれてきそう 今になってあなたの気持ち 初めてわかるの
 痛いほど 私だけ 愛してたこともnote

いやぁ~、名曲です。何度聞いても涙が出てきます。とりわけ  
note今になってあなたの気持ち 初めてわかるの 痛いほど 私だけ 愛してたこともnote
の部分は「そうだろっsign03そうだろっsign03ねっ、わかったsign02」と言ってはいけないんでしょうね。
この曲の設定は、男女共に既婚者と思われます。しかし、ほんの2年前には二人は付き合っていたようです。たった2年でこのような関係になるというのは、ちょっと考えられませんが、10年後でも30年後でもこの設定は当然有効です。むしろ、時間が経過するほどこの設定の切なさは何倍にもなるものだということは、竹内まりや自身も気がついていないと思われます。
金子由香利の描く女性は、平生を装いながら気軽に挨拶したのに対して、竹内まりやは声をかけられず帰宅する男性の後ろ姿を黙って見送る女性としています。この差は時代の差なのか、作詞家のちがいによるものなのか、興味は尽きません。
しかし、誰にでも遭遇しうる日常の中での永遠の青春の一場面を鮮烈に切り取ったこの曲は、私の知らない間に女性陣の中では世代を問わず不動の名曲となっているようです。

もう1曲は、最近のヒット曲ですが、長くなりましたので、回を分けて書きます。

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2010.02.09

千葉の鬼小町「千葉さな子」

NHKの今年の大河ドラマは「龍馬伝」、好調のようです。
コンスタントに視聴率は20%を超え、ほとんど週間視聴率のトップを独走中。
さて、この「龍馬伝」、現在の展開は、江戸の京橋桶町の千葉定吉道場で、龍馬は北辰一刀流の稽古三昧。

Kantiya
ここで出会ったのが千葉道場の「鬼小町」こと千葉さな子。演じるは貫地谷しほり。千葉家一男三女のうちの長女。
十代で早くも皆伝の腕前と伝えられ、当初は龍馬も勝てなかったと司馬遼太郎も言っている。
京橋桶町とは、現在の東京駅八重洲口、八重洲ブックセンター裏と思われますが、石碑等モニュメントは一切残っていません。土佐藩の江戸藩邸が現在の国際フォーラムの場所にあり、龍馬は江戸藩邸で寝起きしていたはずであるので、千葉道場までは歩いて5分程度の至近距離だったはずです。

ご存じ女好きの龍馬、生涯で三人の女性と恋仲になっている。
最初が、竹馬の友平井収二郎の妹で、初恋の女と言われる平井加尾(広末涼子)
二番目が、この千葉さな子
そして最後が、ご存じ炎の女、龍馬が結婚した唯一の女、お龍(真木よう子)。

このさな子について、龍馬は当時ぞっこんで、乙女姉への手紙の中で、
「かほかたち平井(加尾)より少しよし。十三弦の琴よくひき、絵もかき申し候」
と絶賛している。
しかし、実際には嘉永六年の約五ヶ月の短い修行の後、いったん土佐に帰った龍馬は、その後脱藩し、二度と千葉道場には姿を見せてはいない。
脱藩後、再度江戸に来た龍馬は、勝海舟の弟子となり、さな子チャンのことは眼中になくなってしまうのである。
一方、さな子の方は、龍馬一筋で心を定めて、全ての縁談を断り、独身のまま、慶応三年 30歳の時、運命の龍馬暗殺の報を聞いたはず。

龍馬の死後、さな子が生涯独身を貫いたのに対して、お龍の方は土佐の龍馬の姉乙女の元に一時身を寄せたが、勝ち気な女同士のこととてうまくいかず、間もなく立ち去り、30歳の時旧知の商人西村松兵衛と再婚。晩年はアルコール依存状態で、「私は龍馬の妻だ」と松兵衛に絡んでいたという。このあたりの詳細については、映画「龍馬の妻とその夫と愛人」で、鈴木京香が好演している。
お龍の千葉さな子評が大層悪意に満ちていることを考え合わせると、龍馬とさな子の関係はかなり深いものであり、乙女姉も、お龍よりもさな子に好意を持っていたことがうかがわれる。

Sanako

なお、東京千住に住んでいた千葉さな子と、竜馬の死去後転々として横須賀で西村松兵衛の妻となっていたお龍の二人は、最後まで直接顔を会わせる機会はなかったと思われる。

この時代に女が独身を通して自立して生計を立てることは至難のことだったと推察されるが、さらに加えて千葉さな子は兄重太郎(渡辺いっけい)にもそして二人の妹にも先立たれ、晩年は全くの天涯孤独の身になってしまう。

さな子は、維新後は学習院女子部の舎監として奉職した後、千住で家伝の針灸を生業として生計を立てていたという。
死後は身寄りがなくて無縁仏になるところを、親しかった山梨県の民権運動家小田切謙明夫婦が哀れみ、甲府市の日蓮宗清運寺に納骨した。

清運寺の千葉さな子の墓の裏面には、「明治29年10月15日没、坂本龍馬室」と刻まれている・・・・・

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2010.01.17

ウィーンフィルのニューイヤーコンサート

Newyearconcert 資産以外でセレブと呼ばれるにふさわしい定番の行動パターンと言えば、何を思い浮かべますか?
船による長期間の世界旅行、リヨンの三つ星レストランでの食事・・・・
自分とはあまりにかけ離れていることなので、思いつきませんが、他にもいろいろあるかもしれません。
そして、この正月、私はもうひとつの典型的な「セレブの正月の過ごし方」を知ることになりました。

それは毎年正月元旦恒例のウィーン楽友協会大ホールで行われるマチネのニューイヤーコンサートを飛行機に乗って、ウィーンまでわざわざ聞きに行くことなんです。
演奏は言わずと知れたウィーンフィルハーモニー管弦楽団。
このコンサートの模様は毎年NHKで実況中継されてきたらしいのですが、私は今年はじめてこの演奏会を偶然テレビで見ることとなりました。
そこで感じたことです。

● まず、なぜ「セレブの証明」なのかという問題についてですが
このニューイヤーコンサートのチケットのお値段がおっそろしく高額なのであります。
その価格たるや、世界にニューイヤーコンサートあまたある中でもみなさんのあらゆる予想を凌駕するほど、非常識なほどに高額なんです。
年々上がっているらしいのですが、今年も深刻な世界不況はここだけ無関係であるかのごとく上昇して、「60万円」sign03だったそうなんですsign03
実際にかかる費用をちょっと計算してみますと、チケット代以外に往復の飛行機代とホテル代を加えれば、お一人様100万円sign03 夫婦で行けば200万円sign03は下らないと予測されます。
恐るべき金額です。

● 次に、会場のウィーン楽友協会大ホールですが、これがまたすばらしいsign03
Viennagakuyukyokai 写真で雰囲気がお伝えできるかどうか定かではありませんが、装飾や彫像、まばゆく光る金箔の乱舞で、「黄金のホール」という呼び名はまさにその通り、うそではありません。
不思議なことにこのニューイヤーコンサートは、コンサートの最初から最後まで、演奏中も客席は明るいままで暗くなりません。
おそらくこのキンキラキンの豪華ホールの景観を楽しみながらコンサートを聴くようにとの配慮からのことであろうと思われます。
加えて、NHKのカメラワークも見事で、豪華さを効果的に際だたせます。

● NHKでは、観客席も頻繁に映像に出てくるため、客層がかなり正確に把握できるのですが、これがまたおもしろいsign03
このコンサートの観客は、驚いたことにとにかく日本人が多いんですsign03
目の子で数えて、10人に1人は日本人だと思います。当然ながらこれらの日本人観客のほとんどが、200万円を苦もなく負担したと思われる夫婦連れです。お幸せなセレブのみなさんです。ひょっとすると、外交官や一流企業の現地駐在員たちもいそうです。
一部和服のおばさんたちの3人組がいい席に座っていたのが、テレビでは目に付きましたが、彼女たちの亭主達は、日本でさびしい正月をすごしているのでありましょうかsign02  それとも、早くに資産家の夫と死に別れたかわいそうなウィドウのみなさんでありましょうやsign02
興味は尽きません。
舞台に最も近い二階席には、新生銀行会長である八城政基氏が、ちゃっかりご夫婦でいらっしゃるのが再三テレビに写ってしまっていましたね。

ところで東京のニューイヤーコンサートで一番人気のコンサートはご存じでしょうかsign02
そうですsign03 言わずと知れた、上野にある東京文化会館、正月三日恒例の東京都交響楽団によるニューイヤーコンサートです。
今年の分もあっという間に売り切れる人気sign03 なによりもS席が、たったの6,000円sign03
ウィーンの1/100のリーズナブルなお値段です

Endoukanako[追伸]
東京都交響楽団と言えば、主席第二ヴァイオリンであらせられる遠藤香奈子女史をご存じでしょうか。いつもニコニコ、愛くるしい笑顔の圧倒的な人気ヴァイオリニストです。
私が都響のコンサートを聴くのは、彼女の笑顔を見るのが楽しみのひとつなんですが、この遠藤女史、今年は海外研修に選抜されたため、今回のニューイヤーコンサートには参加しておりません。
残念でした・・・・

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2010.01.08

今回の紅白歌合戦

私とNHKの紅白歌合戦は、同じ還暦であり、私はほぼ全ての紅白の歴史を見続けてきたいわば「紅白マニア」であることは、既に書きました。
そうした筋金入りの紅白マニアである私から見て、今回の紅白歌合戦について、印象に残ったいくつかのシーンをランダムに振り返ってみたいと思います。

● まず、初めての試みという「子供歌合戦」は全くの無意味。不必要。時間のムダsign03
プロでない歌手の歌ならば、みなさん年末のカラオケで食傷気味のはず。
もちろん、美空ひばり以来の天才子供演歌歌手「さくらまや」だけは例外。
しかし、「さくらまや」のあのボディーアクションは、著しく悪趣味sign03 
誰がやらせているのかsign02 かわいそうだ。

● なぜ何のヒット曲もない伍代夏子が出場できるのかsign02
反面、なぜ藤あや子、長山洋子、香西かおりは出場できないのかsign02
そして何より「亀戸の歌姫」every・little・thingが出ないなんて、ありえないsign03
NHKの選考基準は明らかに説明不可能。しかし、古来、紅白の選考基準をあげつらい始めれば、夜が明けてしまいますので、ここでやめておきます。

● スーザン・ボイルのエスコート役を務めたキムタクの英語が通じなかったのは、かわいそうsign03 
そんなにへたな英語には、聞こえなかったが・・・・
スーザン・ボイルが、所詮英国の田舎育ちのためきれいな英語が聞き取れないのでは ?
なお、英国の大衆誌ザ・サンによりますと、昨年来スーザン・ボイルは精神疾患を発症しており奇行が目立ち、つい先日もロンドン・ヒースロー空港でモップをマイク代わりに卑猥な言葉を大声で叫んだと報道されています(ザ・サンの記事はこちらから)。

 秋元順子のステージのプロデュースは、テリー伊藤が担当。さすがにすばらしいステージ。
今後いろいろな人に、紅白のステージをプロデュースさせるというのは、グッド・アイデアsign03
余談ですが、テリー伊藤の実家は、今話題の築地の魚河岸の卵焼き屋さん。
彼の目の障害は、日大の学生時代に遡る。時は1970年、日大古田学長VSあの秋田明大ひきいる日大全共闘の激闘、激闘また激闘。この乱戦のまっただ中で、デモ行進中のテリー伊藤青年の目に、不幸にも投石の流れ弾が当たったのであります。
失明の危機はもとよりとして、命も危なかったと伝えられております。
ということは、彼もアラ還暦のはずなんですが、いやはやお元気ですよねぇ。

● 司会の仲間由紀恵と中居正広は、最近ではベストの組み合わせなれど、仲間は良いとして、中居の貧困なボキャブラリーは目を覆うばかりsign03
それなら「代案を出せ」と言われると困ってしまうが、中居は不合格寸前。
いまだにかつての名コンビ、高橋圭三と中村メイ子を超える司会コンビは現れていないsign03

● いつもの紅白は、最初から最後まで出場者が駆け足で走っているような感じで落ち着かなかったが、今回は出場者数を絞ったためなのか、全体に進行に余裕があって、その時間を審査員に焦点を当てて、コメントさせていた。これがうまく機能せず、かえって間延びしてしまったのは残念sign03
これは審査員のボキャ貧が、企画について行けなかったため。

● 超サプライズは矢沢永吉sign03
しかし、意外なことに我らの永チャンはどうしたわけか顔面蒼白sign03
何万回と歌い慣れたはずの「時間よとまれ」の歌詞を間違える始末。
しかし、永チャンはいくら緊張しても永チャンで、今回の紅白全体のあらゆる失敗と不行き届きを帳消しにするほどのカリスマぶりsign03
ちなみに紅白マニアとして言わしてもらいますが、紅白で歌詞を間違えるのは、圧倒的にベテラン歌手が多いんです。私の記憶では、フランク永井が毎年のように間違えていましたし、三波春夫が思いっきり間違えたこともあったと思います。

最後に、番外エピソードをひとつsign03sign03

この年始めに、私はNHKの福地会長と仕事の関係で親しくお話しする機会がありました。
その際、話題は自然に紅白の話になり、
私が「なぜ今度の紅白は、矢沢永吉の出場をサプライズにしたのですか ?  事前に告知すれば、視聴率は10%以上違ったはずだと思いますが・・・・」と不遜にも水を向けたところ・・・・

福地会長の答えは以下の通り。
いろいろなところで、そのようなご指摘を戴くのですが、私は担当の職員に『視聴率は気にせずに思い切ってやってくださいsign03』と檄を飛ばしてしまっているのです。
したがって、何も言えんのです。
」とおっしゃっていました。

僭越ながら、なかなかすばらしいリーダーとお見受けしました。
なお、今回の紅白歌合戦の瞬間最高視聴率は
ドリカムの時の 50.1% (関東地区)だそうです。

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2009.12.14

昔の記事を読む方法

最近、「更新のペースが遅すぎる」と、関係各方面からお叱りのお言葉を受ける頻度が高くなり、大変恐縮しております。

更新のペースにつきましては、このブログをスタートさせた5年前には、原則週1本だったはずですが、最近はいつの間にか月1本になってしまいましたので、著しくスローダウンしてしまっていることは間違いありません。
これには理由があります。
このブログもスタート以来5年9ヶ月、累計230本の記事をえっちらおっちら書き繋いできたわけですが、いよいよ「種切れ」というのが、偽らざるところであります。
週刊誌に随筆を長期間にわたって毎週連載しているビートたけしをはじめとした有識者の皆様には、畏敬の念を禁じ得ません。
今後とも、皆様方の暖かい叱咤激励を糧としまして、新しい年も奮闘努力してまいる所存ですので、改めましてよろしくお願いいたします。

さて、そこで一言ご案内するべきことがございます。
それはこのブログのスタート時点まで遡って昔のブログ記事を読む方法についてです。
このブログでは、その設定上ちょっとしたコツがあるのです。

まず、このブログの左欄中程の「バックナンバー」と書いてあるところをご注目ください。その下には、過去10ヶ月分の年と月の表示しかないため、一見11ヶ月以上前の記事にはアクセスできないように見えます。
さて、ここでお立ち会いsign03sign03
昔の記事にアクセスしようと思し召されたならば、どうか「バックナンバー」の文字をクリックしてみてください。
さすれば、最初の時点の過去5年9ヶ月前まで遡って、全ての年と月がズラッと表示されるはずです。
この年月表示を下から順番にクリックして行っていただければ、このブログの最初の頃の記事にも容易にアクセスできるわけです。
万一うまく行かない場合は、こちらから入ってみてください。うまくいくはずです。

当時の記事は、自分で今読み返してみますと、(自分で言うのも何なのですが)大変おもしろくて元気がいい記事だと思います。

是非、お試しいただければ幸いです。

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2009.12.03

伝説の「夜へ急ぐ人」

Photo 4年前に一回書きましたが、再び「ちあきなおみ」を取り上げます。
先日のNHKのBS2では、なんと2週連続で、合計5時間に及ぼうかという彼女の特集番組が組まれました。
どうやら、NHK BSの番組企画担当者は、私と同様にちあきなおみをなんとか復活させたいという強い希望を持っているようです。

とりわけ、久しぶりに聞いた彼女の「夜へ急ぐ人」は圧巻でした。
是非みなさんも動画でその迫力をこちらからご覧ください。
私は実はこの歌を歌うちあきなおみを、テレビで見たのは三度目になります。
前回は4年前のやはり同じNHKBSの「歌伝説/ちあきなおみの世界」、そして最初に見たのは昭和52年の紅白歌合戦でした。

32年前の紅白歌合戦は、まだまだ視聴率の高い時期でなんとsign03視聴率は堂々77%でした。
司会者は白組が山川静夫、紅組は佐良直美。
ちあきなおみの出番は、トリから4っつ前の勝敗を決定づける重要な位置での歌唱でした。

32年前の私の印象は、あまりの壮絶と呼ぶべき迫力に声もないという状況でした。一言で言えば、今までに一度も聞いたことのない驚くべき歌い方でした。
とりわけ、最後のスキャットは、その後のいろいろな芸能評論でも一致して「鬼気迫る」という形容をしております。

しかし、今回はさすがの私も三回目でしたので、かなり冷静に見ることができました。
その結果、わかったことがあります。
ちあきは司会の佐良直美に紹介された直後から、ハンドマイクを手でくるくると弄びながら、意気揚々と拍子をとるかのごとく中央に向かいます。私が見たところ、既にこの時点で、ちあきは尋常ならざる精神状態を感じさせます。
すなわち、ちあきは最初から「やってやるぞsign03」という、理由はわからないがなにか得体の知れない破壊衝動を持っていたとしか思えません。
早い話が、ちあきはこの時点で一種のテロリストになっていたのだと思います。

「夜へ急ぐ人」の作詞・作曲は、フォーク界でも異色の風雲児・友川かずきでした。友川かずきと言えば、フォーク界でも異色過ぎて一種のテロリストではありましたが、作者の友川もびっくりのちあきのテロリストぶりであったろうと思います。
彼女の真実の意図は図りかねますが、歌の最後のいわゆるひとつの鬼気迫るスキャットが終わった時、紅白歌合戦の会場であるNHKホールは一瞬静まりかえります。
観客の反応を今推し量れば、「この歌はなんだったのだろう、歌だったのだろうかsign02」という率直な驚きだったろうと思います。
司会の山川静夫も例外ではなく、リアクションの術もなしという状況だったと思います。その証拠に不自然に長い間の後で、NHK屈指の名アナウンサーであった山川は、よりによって紅白では絶対に言ってはならない一言を発します。すなわち「気持ち悪い歌ですねぇsign02と言ってしまったのです。
NHKの紅白での司会者の失言には、あの生方アナの「美空・・・」発言を筆頭にして、思えば数々の歴史があります。この山川の発言は、そのうちのひとつとして特筆すべきものだと思われます。

この後、歌唱力合戦を想定したのでしょうか、白組は歌唱力抜群の布施明が「旅愁~斑鳩にて」を歌いますが、ちあきの後では鎧袖一触、会場の注意を引きつけることすらできなかったと思います。

このテロ攻撃が影響したのでありましょうか、ちあきは翌年の紅白から落選します。
同じ時期に、南沙織も突然引退して紅白から姿を消して、紅白はすっかりさびしくなっていきます。

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2009.11.05

いなくなったブスちゃんとブ男ちゃん

明確にいつからとは定かに判別できないものの、言われてみて改めて周囲を冷静に観察すると、いつの間にか静かで着実な変化が起きていたことに気づいてびっくりする、ということが時々あります。

ちょっと例を挙げてみましょう。
たとえば、録音テープもビデオテープも気がついたら、もうほとんど売っていません。この調子で行くと、CDも遠からず姿を消すのではないでしょうか?
日本人の場合、こうした庶民生活での便利さの受容は世界に冠たるスピードで、よく言われるのは、明治時代に日本人の和時計から洋時計、和暦から西洋暦への変化は世界一のスピードだったようで、一瞬にして洋時計そして西洋暦への変化が行われたようです。

こうした事実と関係があるか否かは、微妙なのですが、私が最近改めて「ああっ! そうだ!!」と思わず声を出すほど驚いたある変化があります。
それは、いつの間にかブスちゃんとブ男チャンが、私の周辺から忽然とその姿をほとんど消してしまったということなんです。

かくいう小生も典型的なブ男ちゃんなのですが、小生の場合、わが半生において、タダの一度もこの事実に対して、引け目とか劣等感とか感じたことはありません。むしろ、精神的にはイケメン君よりも安定した生活を送ってきたと思います。
その理由をツラツラ考えてみますと、私の青少年期におきましては、ブスちゃんとブ男チャンこそが圧倒的多数派だったと思います。概ね6割sign01と言ってもいいくらいの割合だったと思います。したがって、多数派に属していることの安定感があったわけです。
しかるに、いつの頃からなのか判然としませんが、最近の若者は誰も彼ももれなく女は美人、男はイケメンなのです。全くインクレディブルです。
最も典型的なケースとして、最近の新入社員を見てみれば、このことは一目瞭然です。

理由を考えてみました。
●栄養がよくなったので、みんな骨格が充分に発達し顔もよくなった。
●教育が普及して、みんな教養レベルが高くなり、それが顔を上品にしている。(じゃぁ、小生の顔など相当よくなっているはずだけれども・・・)
●各人の個性を生かした化粧の技術が、飛躍的に進歩している。
●ファッションセンスが昔をはるかに凌駕しており、みんなセンスの高い似合うものを着ている。(私の場合、着るものにこだわるなど、男としてあるまじきことという教育を受けてきた。)

これくらいしか考えつかないのですが・・・

それにしても不思議なことです。
っていうか、小生としては、とっても落ち着かないことになってしまっています。

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2009.09.29

散骨について

最近、我が家の近くに不思議な店がオープンしました。
どうやら葬儀屋さんの一種であるようですが、「葬儀屋」という看板はどこにもありません。そして、「散骨のお手伝いいたします」というチラシが傍らに置いてあります。
どうやら「散骨屋」さんと呼ぶべき商売を営むお店のようです。

「散骨」とは、なんぞやsign02と申しますと、
「遺骨をお墓に埋葬せず海や野山に撒く行為」と定義づけられるようです。
散骨については、長い間「墓地、埋葬等に関する法律」、通称「墓埋法」や、刑法によって違法行為と考えられておりました。しかし、1991年関係省庁から「法の規制外」という見解が正式に出されたことによって、近年脚光を浴びてきたようです。

チラシによりますと、「合同散骨式」であれば、乗船2名以内で、お値段は126千円、オリジナルの散骨式であれば、30万円程度であるようです。散骨する海域は、東京湾外の特定の場所のようです。

さて、私がなぜ散骨に興味を持ったかについてのいきさつでありますが、別に私の葬式を考えているわけではありません。
現在、老人性認知症の前期症状にある85歳のわが母が、忘れもしません、今を去る13年前に突然「私が死んだら沢村貞子みたいに散骨にして頂戴sign03」と叫んだことをおぼえていたからです。
私の母親は、若い時からこの浅草育ちで日本女子大出身のインテリ下町女優「おていちゃん」を心の底から尊敬していたのであります。その沢村貞子が、その頃、87歳で亡くなりまして、本人の意思により、遺骨は先だった夫の遺骨と共に相模湾に散骨されたのです。この事実が、私の母親をいたく感動させたのだと思われます。

しかし、沢村貞子と私の母親のケースを比較しますと、決定的な条件の相違がございます。
すなわち、沢村貞子は「夫と一緒の散骨であること」に大きな意味があるのに対して、私の母親はむしろ逆でありまして、既に先だって菩提寺の墓に葬られている夫とは一緒の墓に入りたくないという強い意志が理由だったからです。

まぁ、それはそれとしまして、徐々に認知症が進行しつつある母親に対して、13年前に告白された彼女の散骨についての強い意志につきまして、息子として確認する必要があったわけです。これまでは「冗談だろう」で済ましてきたわけですが、まじめに意思確認する必要が抜き差しならなくなって来つつあったのです。

というわけで、私は勇を奮い起こして、大変失礼ではありましたが母親に率直に聞いてみました。母親は意外なことに、進行しつつある認知症の下でも、どうやら13年前の自分の沢村貞子への強いあこがれは、今でも覚えていたようです。
そして、母親は珍しくにっこり笑いまして、全くこちらの気遣いをあざ笑うかのように、ごくごくあっさりと明快に答えました。

「どっちでもいいよ~sign03

おい、おい、おい・・・・・

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2009.08.17

月光仮面その他

昨日(09.8.16)、NHKFMで「なつかしのヒーロー特集」をやっておりまして、その中でも川内康範原作の「月光仮面」についての分析が、非常に興味深かったので、引用します。

「月光仮面」とはTV映画バージョンから実写映画バージョン、そしてアニメ版に至るまで、各種制作されておりますが、我々団塊の世代が語る「月光仮面」と申しますれば、やはり昭和33年から数年間にわたって、大人気を博し、ちょうどテレビの普及期に放映されたTV映画バージョンでしかありえません。その放映がテレビの普及期とピッタリ一致したため、教室ではテレビの買えない子供を仲間はずれにしたまま、前日の月光仮面談義が教室内で際限なく繰り返されました。(当時「月光仮面」は、月曜から金曜まで帯で15分番組として放送されていたと思います。したがって、「前日の」なのです。)今考えると、子供は残酷なものだと考えさせられます。
主演は大瀬康一、制作は宣弘社。

NHKFMで興味深かったのは2点。
まず第一は、原作の川内広範は、「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という明確な勧善懲悪の理念を持っていたこと。ここで注目すべきことは、けっして「許しましょう」ではありえず、「赦(ゆる)しましょう」であること。すなわち、論理的な許しではなく、情念としての赦しであること、を川内は後の小説版でもはっきりと主張しているというものです。
  うぬぬsign02深いsign03
第二は、毎日15分づつ放映される「月光仮面」の冒頭テロップには、これまた毎日まず最初に「
月光仮面:?、祝十郎:大瀬康一」とでてきます。
私たちは当然「月光仮面は祝十郎でしかありえず、したがって大瀬康一でしかありえない」と思いこんでいたのですが、作者としては「みんなが月光仮面なのだ」という哲学的意図で「
月光仮面:?」としたそうです。
  うぬぬsign02またまた深いsign03

この番組は、さらにサプライズを提供してくれました。
それはゲストとしてインタビューに応じた川内広範の息子さんの証言。
川内広範は、大変な女性好きで、そのために最初の奥さんとは離婚している。証言した息子さんは最初の奥様のご子息で、現在弁護士です。
もうひとつ、川内広範を理解するためには、彼が並はずれた子煩悩であったことと、暖かい家庭に心の底からあこがれていたことを知らなければならない。
ご子息の話では、川内広範の溺愛振りはすさまじかったそうで、しかしながら離婚した以上、思うように息子に会えなかったことが川内広範にとって大変な悲しみとなっていたらしい。
したがって、我が息子に自分の存在を主張するために、息子が最も喜びそうな子供向けのテレビ番組に自分の考えを仮託して書いたということなのです。それが「月光仮面」だったわけです。川内広範は自分の姿を息子に見せるために、映画バージョンの「月光仮面」では、タイトルバックの自分の名前の場面でわざわざ顔を出すことまでしているそうです。
もうひとつ、川内のこうした性格からひとつの推測が可能となります。
すなわち、もはやあまりにも有名になった森進一による川内広範作詞の「おふくろさん」改作事件の真相についてです。なぜ川内広範はあんなにもかたくなに森進一を許さなかったのでしょうか ?

前にも触れましたが、川内広範は家族とりわけ母親への愛情は強烈なものがあり、彼の「おふくろさん」という作品は彼にとって一字一句の改作も頑として許され得ない完璧なものだったのだと思われます。
どうして肝心のこういう場面で「
赦(ゆる)しましょう」とはならないのだsign01と怒っているあなたsign03 人間とはかくも矛盾に満ちた存在なのですよ・・・・

もうひとつ、これは余談。
大瀬康一:主演、宣弘社:制作 と言えば、これも昭和34年頃の作品で「豹の眼」を思い出します。これは「ジャガーのめ」と読みます。私は「豹の眼」は「月光仮面」のひとつのシリーズだと思いこんでおりましたが、今回調べてみて独立の作品だと言うことが判明しました。この作品の中で秘密結社「青竜党」の娘、美貌のヒロイン錦華を近藤圭子が演じております。
近藤圭子は当時大人気の童謡歌手(今では考えられないことですが、当時は「童謡歌手」という呼称が人気を呼ぶひとつのステイタスだったようです)。この後、妻ある男性との凄惨な心中事件をおこし、その後、本郷赤門のまん前で「ココス」という喫茶店を開きました。当時、首に痛々しい傷跡があるとうわさされ、彼女はいつもスカーフを巻いておりました。
先日、赤門前をうろついてみましたが、このお店すっかり影も形もなくなってしまっていましたネ。


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