2009.06.06

映画のシニア料金

そもそも映画料金は高いのか安いのかsign02
この議論にはいろいろな意見がありそうですが、現在のわが国の1800円という水準は、どうやら国際的に見ても、先進国の中ではかなりイクスペンシブではあるようです。
そのせめてもの埋め合わせに・・・というわけではないと思うのですが、わが国の映画料金の例外的な割引料金は、あの手この手とい~っぱいあるのです。
全部でどうやら6種類の割引がありそうです。いずれも1800円を1000円に大幅に割り引くものです。

最も有名なのが、毎週水曜日のレディースデイsign03
男性がうっかり間違えて水曜日に映画館に入ってしまうと、きわめて場違いではずかしい立場においこまれてしまいます。

次に毎月1日は、ファーストデイsign03
この日は入場者全員が対象で、誰でも1000円で映画を見ることができます。

三番目は、夫婦の日&カップルデイ。
毎月22日は、男女ペアの鑑賞であれば二人とも1000円になります。
四番目は、もうすっかり有名になりました、
夫婦50割引sign03
夫婦どちらかが五十歳以上であれば、二人とも1000円になります。これは、いつでも適用されて制限はありません。
五番目は、
高校生友情プライス。
高校生三人以上のグループで鑑賞すれば、全員が1000円になります。これもいつでもOKです。前に書いた私の高校のホームルームでの映画鑑賞を思い出します。46年前にこの制度があったらなぁ・・・と思わせます。

そして、最後が私の還暦到達以来、すっかりお世話になっているあのシニア割引です。
このシニア割引もありがたいことに適用日の制限はありません。いつでも1000円なのです。
そしてあまり知られておりませんが、このシニア割引の制度はあの天下のTSUTAYAにもあるのです。TSUTAYAの場合は、DVDの準新作及び旧作のみでありまして、残念ながら新作とCDには適用されません。また、割引率は半額です。

ということで、例によって私が今回この記事で書きたかったのは、そうした生活情報ではもちろんありません。
私がシニア割引でチケットを買おうとして、とある映画館のチケット売り場で遭遇した売り子とのやり取りについて報告したいのです。
わたしの場合、前にも書きましたように運転手をしている中学校の同級生のタクシーに偶然乗り合わせて、その45年ぶりに会った運転手さんから「お前、全然変わらないな」と言われるほどの童顔でありますことゆえ、映画館でシニア割引を適用してもらうためには、身分証明書が必携なのであります。
ということで、先日もいつものようにチケット売り場で身分証明書をカバンから出しながら「一枚お願いします」と言いつつ、「シルバーね」と付け足そうとした矢先に、くだんの売り子に先制されてしまったのです。
なんとその売り子は、私が「シルバー」と言う前に、当然のように「シルバーですね」と言いやがったのです。もちろん身分証明書も要求しようとしない始末なのです。

私にとっては予想だにしなかった出会い頭の屈辱でした。
あまりのことにショックでしばらく口も聞けませんでしたし、映画も頭に入りにくかった私です。

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2009.05.19

巨人松本のてんびん打法

Matumoto2 巨人の松本哲也選手をご存じでしょうかsign02
2006年育成ドラフト三位で巨人に入団し、その後右足くるぶしの剥離骨折などを経て、今年初の育成枠出身の開幕一軍選手となった苦労人です。
経歴は、山梨県出身、山梨学院大学付属高校一年で夏の甲子園に出場。その後専修大学へ進学、四年で主将、東都大学リーグ九期ぶりの一部復帰に貢献、25歳、といったところです。
体は身長170cmと小柄、しかし、俊足で守備範囲も広く、原監督の信頼も厚く、今シリーズ絶好調の巨人の核弾頭となってます。

この松本選手、こうした苦労人とか、俊足とかのセイルスポイントをはるかに上回る驚くべき特質を持っています。それは独特の打法にあります。
すなわち、1960年から三年連続セリーグの打率二位に輝いた大洋ホエールズの近藤和彦選手以来40年振りの「てんびん打法」の再来なのです。この近藤和彦、三回の打率二位の内二回は長嶋に負けたというのですからかわいそう。
Tenbin 「てんびん打法」とは、当時の近藤選手の写真を見れば容易におわかりのように、バットを握る右手と左手の間をあけて構え、あたかも天秤をゆらすかのごとく構えることから命名されたものです。世にも奇妙な打法であり、その後マネをする選手の出ようのなかった面妖な打法であります。
私の聞いたところでは、MLBで戦前の大スター、終身打率.366のタイ・カッブも天秤打法だったという情報もあります。

巨人の松本と近藤和彦は、同じ左打者で、実際に打つときには、左手が右手にスライドしていき、打つポイントでは通常通り両手は近接しています。
両者の違いは、近藤和彦はバットを真横に持って構えるのに対して、巨人の松本はバットをかなり立てて構えることだけのようです。

さて、これからがこの記事で私が本当に書きたいことなのですが、私の中学校時代は私は熱狂的な野球少年でありまして、速球を恐れず振り遅れないでバットを振るにはどうすればよいか、日々寝ても覚めても考えている少年でありました。
そうした私が、ある日考えついたのがこの「てんびん打法」なのであります。
当時、近藤和彦は既に有名でしたが、どういうわけか近藤和彦をまねした記憶は全然ありません。どうやら、本場のメジャーリーグのタイ・カッブをまねたと思われます。

なぜなら、私の天秤打法は近藤和彦とも松本哲也ともかなり違っていたのです。
まず、第一にグリップの方の手(右打者の私の場合は左手)は、私の場合バットのグリップを覆ってしまうのです。
第二に、これがタイ・カッブ仕込みなんですが、打つポイントになっても、私の場合は左手と右手の間隔は開いたままでバットを振るのです。
こうすることによって、何よりもボールを見きる位置が極端に近くなりますので相当のスピードボールでもバットに玉を当てることだけは、比較的容易になるのです。
そのかわりにこの打法では、宿命的にジャストミートしにくいためにボールがあまり飛ばないという致命的な弱点もあります。

しかし、メジャーリーグでマリナーズのイチローがわざとポイントをずらして、故意に当たりそこねの打球を打って内野安打を稼いでいるのを見ていますと、まるで自分を見ているような気がしてくる・・・・ということはありません。うん??baseballbaseballbaseball

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2009.04.30

草彅剛事件について

Kusanagi SMAPの草彅剛というアイドルが、夜中に泥酔して公園で大声を出しながら全裸になったということで、逮捕されました。

かわいそうに草彅剛君は、世間全体を敵に回したかのごとき嵐のような怨嗟の洪水に見舞われ、中止されたコマーシャルに対しては多額の損害賠償を求められたり、挙げ句の果てには鳩山総務相ごときに「人間として最低」とまで言われる始末です。まるで、連続殺人鬼もかくやというブーイングの殺到です。

草彅剛君のやったことを落ち着いて反芻すれば、誰でも気がつくと思うのですが、この事件にはいくつかの腑に落ちない点が見えてきます。

まず第一に、泥酔して公園で裸になることが、はたして逮捕されたうえで家宅捜索をされるような重大な犯罪と言えるのでしょうか?
草彅剛君は泥酔してもうろうとした頭の中で、本能的に「深夜の都心の公園はほとんど人がいないから、裸になっても見られない」と確信していたはずです。
また、大声を出して善良な六本木住民の安眠を妨害したとのことですが、公園周辺の六本木住民は、ほとんど高層マンションの住民であり、近隣公園の大声などで眠れない人などほとんどいないということもわかっていたはずです。事実、ニュースに出てきた近隣住民のおばさんの証言では「誰かが大声を出しているらしいことはわかった。草彅君が裸になっていたなら、見に行けば良かった。」などという始末です。
かような次第であり、この事件には明白な被害者すら皆無と思われます。こうした状況で、捜査令状がよく出されたものだと驚いてしまいます。

第二の疑問は、公然猥褻物陳列罪でなぜ家宅捜索されなければならないのでしょうか。当局は、家宅捜索で一体何を探し出そうと意図したのでありましょうや。
どう考えても思いつきません。エロ本とかエロビデオをみつけたかったのでしょうか。要するに、草彅君が変質者であることの証拠が欲しかったのでしょうか。
このことについて、一部報道では、あまりに強烈な泥酔振りに捜査当局が、覚醒剤を確信していたのではないかという解釈もあります。

第三の疑問ですが、実はこれがこの記事の最大の論点なのですが、あまりにも明白に事件性のないこのケースに対して、報道される限りにおいて、いわゆる「街の声」も「識者の声」も、なぜ一方的に草彅君の非をあげつらう意見ばかりなのでありましょうか。
このケースに対する常識人による常識的な見解というものは、石原都知事に代表されるように「だいぶストレスが貯まっていたんじゃないの? 裸になりたい気持ちはわかるけどね・・・」程度であるはずです。確かに悠に二十年を超えるほど継続してトップアイドルを維持するなんてことは、常人のうかがい知れないストレスを伴うものなのだろうということは、容易に想像できます。(あの美空ひばりですら二十年も人気を維持できなかったんです)
要するに、この草彅剛事件が明確に印象づけた最大の問題は、この国の現代の大多数の一般的市民が、このケースに見られるような極端にシンプルな事例に対してさえも、もはや自分の頭では考えられず、メディアの反応を無批判に反芻し続ける従順な羊の群になりはてているらしいということなんです。
これはショックです。もはや、だれも北朝鮮を笑えないと思いますよ。北朝鮮より罪が重いのは、日本の場合、この状態を国民自身が自ら選択しているということです。

国民意識という面での我が国の危機的状況は、とっくに「フェイズ4」だと思います。
この調子だと「フェイズ5」になるのも、早いと思いますよ。
「フェイズ5」とはどういう段階かといいますと・・・・
泥酔して道端で嘔吐したり、電車で居眠りして隣の人に寄りかかると、逮捕されたうえに家宅捜索される段階です。そこまで行ってしまえば、政府を批判する発言は即座に厳罰に処せられる
ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界はすぐそこです。

しかし、ジョージ・オーウェルもこの世界を自ら選び取る国民があり得るとは思わなかったでしょうね・・・・

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2009.04.04

白線の内側

"電車が来ます。危険ですから、白線の内側をお歩きください。"
または"白線の内側にお下がりください。"

駅のプラットホームで、ぼーっと電車を待っていると、JRや各私鉄の駅のホームの上では、どこの駅でも例外なく、このような放送が流れてきます。
私は、この放送を聴くといつでも、その言葉の使い方の無神経さにイライラしてくるのです。
それは、この放送が表現する"白線の内側"の意味についてなのです。

Sdsc00393 まず、もし仮にこの放送が流れているその瞬間に、私が白線の電車側を歩いていたと思し召せ・・・・
私にとっての「白線の内側」とは、当然「白線と電車の間の狭い空間」ということになります。
したがって、放送の言葉を正確にその意味通りに受け止めますれば、ホームに入船する電車と白線の間の狭い空間を命の危険を冒しながら、歩き続けなければならないことになります。

危険きわまりないではありませんかsign03

ではどう言えばいいのか? という問題ですが、正解は次の通りです。
"電車が来ますsign03 危険ですから、白線を中心に見て電車とは反対側を歩いてくださいsign03" となります・・・・

ちなみに蛇足ですが、もう賢明な読者はお気づきのことと思いますが、最近はさらに大きな間違いが発生しつつあります。写真をご覧になればおわかりのように、かつての白線はいつの間にか視覚障害者用のイボイボつきの黄色い帯状の境界に変更されており、一見してもはや白線すら存在していないのが実態なのです。

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2009.03.23

本当の「ワールドシリーズ」

Wbc 第二回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の準決勝、日本対米国は、9対4で日本が圧勝しました。
はるばる太平洋を超えて、旧制一高に野球が伝来して悠々七十五年sign03 あの正岡子規がよくぞ名付けた「野球」sign03 
「ベースボール」ではなく、「野球」が七十五年にして、先生である米国を完膚無きまでに叩きのめした瞬間が、ついにやってきました。
ああっ、喜ばしきことこのうえなしsign03

相手の米国チームにどの程度の集中力があったのか?? はたまた、米国チームはそもそもベストメンバーだったのであろうか? そんなつまらない詮索はやめにして、まず今日のところはこの瞬間を喜びましょう。

キューバが第二ラウンドで、日本に二連敗して敗退していったとき、あのカストロ議長はいみじくも言ったそうです。
「米国は卑劣だsign03 誰もが認める世界の三強である日本・韓国・キューバを同じグループにして共倒れさせようとした」と・・・
なるほど。そのとおりの卑劣な画策をものともせず、アジアの二強は優々と決勝進出を決めたのです。その結果、なんと、なんと、日韓戦はついに五度目の勝負を決勝戦として戦うことになりましたsign03 
まぁ、この異常な事実だけを見ても、カストロ議長の発言を待つまでもなく、今回の組み合わせが正常ならざる思惑の下に編成されたのは、火を見るよりも明らかであります。
それにしても、てっきり死にかけていると思ったキューバのカストロ議長sign03 きわめて的確に米国の巧妙な策略を看破するなんて、どうしてどうして、まだまだ無視できない存在らしいことがわかります。

ところで、以上のような喜びに思う存分に浸ったら、その後でみなさんsign03 ゆっくりと冷静に考えてみてください。そして、米国のメジャーリーグ(MLB)を思い出してください。
米国のメジャー・リーグは、一年を戦い終えるとまず両リーグでディビジョンシリーズを戦いますネ。次にその勝者同士でリーグチャンピオン決定戦を行います。そして、最後に、両リーグ、すなわちアメリカンリーグとナショナルリーグで最後の優勝決定戦を行います。
賢明な読者諸兄は、もう既に私の主張したいことをご理解いただけたと思います。
米国では、単なる米国内のMLBの優勝決定戦にすぎないこの試合を、なんとsign03sign03ふざけたことにワールドシリーズなどと僭称しているのですよsign03
こんなことが今後許されていいものでしょうかsign02 当然「アメリカシリーズ」と名称変更すべきものですし、今後「ワールドシリーズ」の呼称は、WBC優勝国にのみ許されるべきものでしょう。

baseballところで、これからは余談です。
日本と韓国が、なぜかくのごとくWBCで異常な強さを見せるかという理由についてなのですが・・・
もちろん、本当に強くて負けない野球をできるからなのですが、その負けない野球はどこで培われたのかという問題です。
日韓の野球事情だけが、他国の野球と鮮明に違うある特徴があります。
それは、両国とも勝ち抜き方式による高校野球が異常に盛んだということです。
したがって、負けてはいけないWBCの緊張感に慣れているのではないかという俗説があるんです。
あくまで、俗説ですが、なんとなく説得力がありますよね。baseball

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2009.03.02

相撲協会の秘密兵器「琴風」

三遊亭歌武蔵という落語家がいます。
後にも先にも彼しかいないだろうと言われている、なんと相撲取り出身の落語家です。
平成10年に真打昇進していますから、立派な中堅の落語家さんです。
この方のまくらで聞いた話で、大変興味深かった話を今回はご紹介します。
なにしろ相撲界出身ですので、信頼できる話だと思われます。

Skotokaze 三重県津市出身、佐渡ケ嶽部屋の元名大関、琴風 豪規についてです。
この琴風、相撲も強かったのですが、歌もうまかったんです。'82には「まわり道」という歌のレコードを出して、堂々五十万枚のヒットを飛ばしておりますし、'84にはあの石川さゆりとデュエットで「東京めぐり愛」というレコードを出しています。

ということで、私の語りたいのは、もちろんそういうことではございません。
歌武蔵さんの落語のまくらに出てくる話では、この琴風、無茶苦茶勉強ができる子だったそうなんです。
歌武蔵の話では、おそらく相撲界発足以来、空前絶後の秀才だそうであります。
なにしろこの琴風、中学時代から土俵に上がっていたのですが、中学時代の通信簿の成績が、保健体育以外はオール五というのですから、半端じゃない。
ちなみに、琴風の通った中学校は、おそらく墨田区立両国中学校だと思われますが、この中学校は偶然現在の私の職場の隣であり、決して水準の低い中学校ではないことを証言しておきます。
さらに、歌武蔵の話はまだ続きまして、なんとsign03中学校から高校にかけて、この琴風sign03連続四期にわたって生徒会長を務めるという前人未踏の離れ業を演じているのだそうであります。よっぽどの人望があったものと推察されます。

参考のために、私の中学校の話もさせていただきましょう。
私の中学校は両国から比較的に近いこともあって、同級生には相撲取りが一人おりました。ところが、このお相撲さんのクラスメートは体はでかいのですが、なんと毎日教科書もカバンも持ってこないのです。出席率も50%なかったと思います。
私の場合そういう同級生を中学時代に持っていたので、オール五で生徒会長の同級生相撲取りsign03なんてインクレディブルsign02なんですよ。

そして、大関引退後も、尾車親方として尾車部屋を率いて後進の指導にあたり、相撲協会でもトントン拍子で順調に委員にまであがったのです。朝青龍や麻薬問題を始め、問題頻発の日本相撲協会、そして人材枯渇の相撲協会にとって、最後は尾車親方こそが、瀕死の相撲界を救える最終秘密兵器だという評判が着実に広がり始めていたところなのであります。

あぁ、まさにその大事なときに、よりによって尾車部屋の若麒麟の馬鹿者がsign03大麻所持で捕まってしまった顛末はご承知の通りであります。
結果は、尾車親方は二階級降格の処分。

ひょっとすると、この経過は日本相撲協会を滅ぼすかもしれないきわめて危険な道に通じているような気がします。

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2009.02.15

秋元順子「愛のままで」への誤解

Sdsc00392 「愛のままで・・・」という題名の歌があります。
作詞・作曲は、花岡優平。歌うは、秋元順子。
世間では「演歌」に分類しているようですが、私は「シャンソン」だと思います。

昨年、大晦日の紅白歌合戦で、還暦の初出場六十一歳の秋元順子が、紅白歌合戦史上、最高齢の初出場歌手として歌って、話題となった歌です。

反響は予想以上に大きく、あけて正月以降、しばらくはシングルCD売上げランキングの首位を走り続け、今も上位に食い込む根強い人気が続いています。なお、61歳7ヶ月は、オリコンウィークリーのシングル最年長首位記録だそうであります。

秋元順子・・・。
これまでハワイアンからシャンソン、カンツォーネ、民謡に至るまで、多彩な経験を持つプロ中のプロの歌手とお見受けしました。
私の調査では生まれも育ちも私と同じ江東区深川。私よりわずか一学年上でありますので、どこかで私と接近遭遇している可能性は相当高いと思われます。

紅白歌合戦では、六十一歳の年齢を全く感じさせない堂々たる歌いぶりで、すっかり感動させられてしまいました。
私の記憶に残る高齢女性歌手と申しますと、何と言っても1964年の紅白で五十七歳で「別れのブルース」を歌った淡谷のり子を真っ先に思い出します。
淡谷のり子は、自他共に認めるすばらしい音程と発声の不世出のブルース歌手ですが、五十七歳で紅白最後の彼女は、音程は揺れ高音は出ず、声もかすれて、痛々しかったことを私は知っています。

五十七歳の淡谷のり子と、六十一歳の秋元順子を比べてみますと、団塊世代の私たちは、かつての時代の高齢者とは、次元の違う地平を生きているらしいということを、つくづく納得させられます。

以上の事実をふまえた上で、私が今回主張したいのは、「愛のままで・・・」という歌を、NHKをはじめ多くのメディアがなんと「熟年離婚防止ソング」または「熟年夫婦応援ソング」と命名し、あろうことか大まじめで幸福な熟年夫婦を讃える歌として紹介していることについてです。
私は大変な誤解だと思いますし、見当はずれだと断じたいのです。
あまつさえ、先日の「徹子の部屋(2/11)」では、秋元順子自身ですらこう言われることを是認し、喜んでいる始末なのです。

ではまず、この歌の実際の歌詞を検証してみましょうsign03

小鳥たちは 何を騒ぐの 甘い果実が欲しいのですか
誰かと比べる幸せなんて いらない
あなたの視線が愛しくあれば・・・・
あぁ この世に生まれ 巡り逢う奇跡
すべての偶然が あなたへとつづく
そう 生きてる限り ときめきをなげかけて
愛が愛のままで 終わるように・・・


以上です。
一体この歌詞のどこが「熟年離婚防止ソング」なのでありましょうかsign02
ちょっと読んでいただければ、賢明な読者であれば、とんだ勘違いだということが、すぐにご理解いただけると思います。
むしろ全く逆のことを表現していることに容易にお気づきになると思われます。
具体的な言葉に着目してみましょう。
誰かと比べる幸せなんて いらない」とか「すべての偶然が あなたへとつづく」なんですよ。全体のトーンが、はっきりと非日常的な究極の愛の世界を志向していることは、明白であります。さらに二番では、「糸引くような口吻しましょう」と禁断の肉欲を斬新な言葉で表現した後で、「あぁ 生きてる意味を求めたりしない」と今度はきわめて哲学的で、魅力的な殺し文句を持ち出しているのです。実に見事な詞です。
この歌詞の一体どこが「熟年夫婦応援ソング」なのでありましょうかsign02
むしろ、その対局にある世界を描いているのです。花岡優平という作詞家は、こうした意味で二番底・三番底の意味の逆転を用意して、世間には一見優等生の歌として化粧しきってしまう、手練れの罪深い作詞家とお見受けしました。

なんと表現したらいいのか、ちょっと言葉がないのですが、要するにわかりやすく言えば、この歌は、既婚か未婚かとか、年齢の上下、などをはるかに超越した「恋愛至上主義」の甘美な香りが色濃く感じられるのです。むしろ、それこそ誤解を恐れずにあえて言えば「熟年離婚促進ソング」と呼ぶべきなんですよsign03

そうした歌を臆することなく、六十一歳の新人女性歌手が、なんと天下の紅白で堂々と歌いきったという事実の重みに、私は二十一世紀の確かな未来をはっきりと見たような気がするのです。
要するに、賞賛しているんですよsign01私は・・・・・

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2009.02.08

「おくりびと」の外国語映画賞は?

監督:滝田洋二郎、 主演:本木雅弘、広末涼子、
脚本:小山薫堂、  音楽:久石譲
32回モントリオール世界映画祭 グランプリ受賞
第81回米国アカデミー賞 外国語映画賞ノミネート決定sign03

Okuribito_2 気になっていたけれども、ずっと見る機会のなかった松竹映画「おくりびと」を見ました。
予想以上にいい映画だと思います。加えて、とってもおもしろい映画です。
プロットがいいですね。おっもしろいです。
何よりも助演陣のキャスティングが最高!! 最高!! もひとつおまけに最高!! この映画の成功の最大の要因はキャスティングの妙にあると思います。
山崎努の演技には、思想があります。
笹野高史(銭湯の常連客)は、エンディングで確実に泣かせる必殺の演技です。
余貴美子(事務員)が吉行和子(銭湯の女主人)と、イメージが似すぎていますが、ここはグッとこらえましょう。
モックンは、はっきり言って演技が上手な俳優ではありません。しかし、精一杯の演技で好感が持てます。おそらく彼の生涯の代表作となるでしょう。
広末涼子については、ひょっとすると「いつも褒めるじゃないか」とお叱りを受けそうですが、彼女の演技はやっぱりうまいと私は思いますよ。鼻にかかった甘え口調が気になるかも知れませんが、最近の若妻ってみんなあんなもんじゃないのかなぁ。

音楽は、言わずと知れた久石譲。この類の作品への音楽付けは、手慣れたものです。

ということで、おそらく日本アカデミー賞は、楽々と総取りするでしょう。
しかし、私は断言します。アカデミー賞、外国語映画賞は絶対に取れません。
私は確信しています。

まぁ、そんなに力まなくても良いのですが、ではなぜ「おくりびと」はアカデミー賞を取れないのかsign02

山田洋次の「たそがれ清兵衛」や、昨年は「モンゴル」の浅野忠信があと一歩及ばなかったあの悲願の外国語映画賞を、取らせてあげたいのはもちろん山々なのでありますが、おそらくきっと無理でしょうsign01

まず第一の理由は、相手が悪い。
ライバルのノミネート作品は、ザ・クラス(フランス)、バーダー・マインホフ・コンブレックス(ドイツ)、レバンチェ(オーストリア)、ワルツ・ウイズ・バミール(イスラエル)の
以上四作品。

今年は珍しくいずれも前評判が非常に高く、問題作が集中した当たり年となりました。

第二の理由は、
この映画、原作良し! キャスティング良し! 音楽良し! いずれも非の打ち所がありません。しかし、映画はこうした要素だけではないのです。
感動させるいい映画には、カット毎に周到なサプライズが必要です。演技にも、せりふにも、カメラ割りにも、画面の隅々まで神経を研ぎ澄ませて、常に観客を驚かせそして緊張させる仕掛けが必要だと、私は思っています。
たとえば、北野武の映画などは、その好例で、極端なほどに全編にわたってサプライズを潜ませているのです。
山田洋次の「男はつらいよ」にも、よく見ていないと見逃しがちですが、たとえば画面の隅の町会の掲示板には、生活感のつまったよくできたビラが張ってあるはずです。
この映画には、いい映画に必須のそうしたサプライズが決定的に欠けているのです。

したがって、プロットはとってもおもしろいにもかかわらず、場面の展開がほとんど読めてしまうのです。展開が読めてしまうと、まるでありきたりの連続テレビドラマを見ているような感じであり、観客は途端に興ざめとなるのです。
残念です。

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2009.01.29

札幌でコンサートを聴く

Sdsc00386 仕事の関係で、札幌中島公園の中にある札幌コンサートホールKitaraでクラシックを聴く機会がありました。
東京文化発信プロジェクトの東京都交響楽団ハーモニーツアー。曲目は、ブラームスの「ハンガリー舞曲第一番」、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」、ドボルジャークの「交響曲第九番新世界」。

クラシックを聴くのに、東京で聴こうが札幌で聴こうが、はたまたモンゴルで聴こうが、違いはなかろうと私は思っていたのですが、東京と札幌で明確に異なるちょっとしたサプライズな相違点を発見しましたので、報告します。

まず、最初のサプライズ。札幌の観客は圧倒的に男性が多いんです。
東京の場合、女性、とりわけおばさん達が圧倒的で、ざっと見て全体の6~7割が女性です。しかし、札幌ではこの男女比が見事に逆転します。すなわち、観客の7割以上が男性なのです。それも概ねアラ還(アラウンド還暦)前後とお見受けしました。
一生懸命考えたのですが、この理由はわかりません。

第二のサプライズは、開演前の観客の集まり具合の差です。
東京のクラシックコンサートでは、開演十分前でも客席は半分程度の入りで、「今日はやけにすいているなぁ」と思う間もなく、開演直前のこの十分で半数近くの観客がドドドッと席に着きます。まるで、魔法のようです。要するに、東京の観客は、コンサート慣れしていて一分のムダもしないように行動するかの如く見受けられます。
一方、札幌の観客は、全く違います。
開演前三十分の開場時間以前に、既にエントランスに入りきらないほどに観客が詰めかけて、みんなでじっと整然と並びながらおとなしく開場を待っているのです。これには驚きました。sign03

こちらの方の理由は、なんとか見当がつきました。
要するに、札幌の冬のコンサートは雪がつきものです。雪の日は、電車が遅れがちです。車で行っても時間通りにつかないリスクは大きいです。したがって、札幌のクラシックファンは、早めにコンサート会場にかけつけるのであろうという結論に達しました。

土地土地で、あらゆる場面で、生活の知恵があるのです。

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2009.01.11

「バレエ」を見ました

生まれて初めて「バレエ」なるものを見ました。自分の意志では一生涯見るはずのないものだったでしょう。いい経験をしました。
場所は「東京文化会館」、演目は「眠れる森の美女」、出演は「東京バレエ団」、振付・演出は「ウラジーミル・マラーホフ」です。

Sdsc00385 何しろ私は完全無欠の門外漢ですから、相当の勘違いである可能性はあるものの、とりあえず率直な感想を恐れずに申しあげます。

まず第一に、気がつくことは客層が圧倒的に女性に偏っていることです。
今は、美術館にしても博物館にしても、そして映画館にしても女性の観客が圧倒的であることは、常識なのでありますが、それにしてもバレエの場合は男女比にすさまじい差があります。概数で申し上げて、9:1 といっても間違いではないでしょう。
まるで、宝塚の男女比なのです。

驚いたことの二番目は、掛け声がかかることです。
まるで歌舞伎座で、いいタイミングで「成駒屋!!」なんて掛け声がかかりますが、あれと全く同じような感じでタイミングを計って、掛け声がかかるのです。
叫んでいる言葉の内容は、残念ながら聞き取れませんが、これらの掛け声によって踊り子たちの踊りが、それとわかるほど活気付くのが感じられます。
何より不思議なのは、この手の掛け声は観客の九割を占める女性からは決して発せられません。全て一割の男性が発しているのです。おもしろいでしょう !!!

S1_098 私が驚いたことの最後は、フラメンコとの共通点です。
私が昨年スペインに行った時に、フラメンコなるものを、これまた生まれて初めて見たのですが、このフラメンコとバレエが無視し得ないほどの共通点を持っているのです。
「同じ舞踊であるゆえ、共通点があるのは当然だ」などと言われては実も蓋もないんですが、具体的に申します。
最大の共通点はプロットと踊りの関連性の希薄さなんです。声を発しないでプロットを伝える以上当然なのですが、最初から詳細を表現しようなどという意志は、両者ともないようです。両者ともに、基本的にそれぞれの踊り子が、プロットをある程度離れることは承知で、基本的にひとりづつ交代に自分の個性的な踊りを、能力と技術の全てを使って踊りきることによって、それぞれお互いに競い合っている様子なのです。
そして、一人づつが踊り終わるたびに、観客からは率直な評価の拍手や掛け声が掛かるのです。そうです、掛け声が最も掛かるタイミングが、このそれぞれが踊り終えた時なのです。個性的で難易度の高い踊りであればあるほど、拍手も大きく掛け声もたくさんかかるのです。
このタイミングと掛け声の乗りは、バレエとフラメンコで全く共通だと思いました。

興味深いでしょう !!!

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2008.12.15

オスカー・デラ・ホーヤ讃歌

私は大学入学時、自分自身信じられないことですが、実はボクシング部に在籍していました。
このボクシング部は、陸上競技場の端っこでランニングの練習をするのですが、その際、上半身はランニングシャツを着るものの、下はボクシングパンツの上からなんとファウルカップをはくという思いっきりトンマな格好で練習をしていたんですよね。
というわけで、私のボクシング部経験はわずか一週間でした。

そこで、今回はプロボクシングのオスカー・デラ・ホーヤの話です。

Delahoya オスカー・デラ・ホーヤという名前のプロボクシングの選手がいます。
リングアナウンサーが紹介するときの「オスカー~・デ~ラ・ホーヤ~~」という音の響きが、なんとも心地よく響くすばらしいリングネームです。

バルセロナオリンピックで金メダルを取って以来、プロ転向して連戦連勝、ひとつの階級を制覇するだけで至難のプロボクシングの世界タイトルをなんと六階級にわたって制覇した男です。
顔はボクサーには珍しく整ったいわゆる「イケメン」で、プロモーターとしての能力も一流という文武両道の才能を持ち、神から祝福された運命を思わせるようなうらやましい男です。
渾名は言い得て妙で、「ゴールデン・ボーイ」。今回のパッキャオ戦も自らのリスクをものともせず、ドリームマッチとして自分でプロモートしました。

一方、対戦相手のマニー・パッキャオは、WBC世界フライ級を手始めに、現在保有するWBC世界ライト級に至るまで、これまたなんと四階級を制覇した「フィリピンの英雄」であります。

彼らふたりの獲得した世界チャンピオンベルトは、パッキャオのフライ級から、デラ・ホーヤのミドル級に至るまで、プロボクシングのほとんど全ての階級を網羅してしまいますから、体重別制度をルールの根幹とするボクシングというスポーツにおいて、事実上その前提を震撼させかねない重大な試合となりました。言い換えれば、文字通り真の世界チャンピオンを決定しようとする「ドリームマッチ」だったわけです。
体重は、両者のベストウェイトの間を取って、ウェルター級ノンタイトル戦として行われました。

結果は大方の予想を覆し、体格的に劣るパッキャオが8R終了後、TKOで見事に勝利しました。

まるで「あしたのジョー」の 矢吹丈 対 力石徹 を思わせる夢の対決でした。
「あしたのジョー」のラストシーンでもおわかりのように、本来体格的に下回るジョーのハンデもさることながら、ベストの体重を究極まで絞って戦う力石の負担も想像を絶するものがありました。
ご承知のように、力石は、この試合の直後に亡くなります。
現実に、盛大な葬儀が営まれたことをご記憶の方も多いことでしょう。
このように、ウェイトが下回る選手以上に、ウェイトが上回る選手の負担も想像以上に過酷なのです。

そして、デラ・ホーヤもおそらくは減量に負けたのであろうと思われます。
六階級制覇で見せたいつものスピード溢れる小気味よいパンチの連打はまるで見られず、動きが鈍く、パッキャオのストレートはおもしろいように決まっていました。

一方、パッキャオの方は、この試合を制するためには、デラ・ホーヤをはるかに上回るスピードに磨きをかけられるか否かが鍵になると作戦上確信し、その作戦が見事に成功したわけです。

もちろんパッキャオもすばらしかったのでありますが、本当にリスペクトされるべきは、デラ・ホーヤだと私は思います。
先ほども述べたように、得てして体重ランクが大きく異なる選手同士の試合は、体重が重い方の選手もかなり大きなリスクを背負い込むことになります。そうしたリスクを飲み込んだ上で、このマッチメイキングに敢然と挑戦したオスカー・デラ・ホーヤの勇気はどれだけ賞賛しても賞賛し足りないほど志の高いことだったと思います。

さらに、オスカー・デラ・ホーヤの試合後のインタビューがまたすばらしかった。
明らかに過酷な減量により動けなかったことが彼の敗因の全てであるにもかかわらず、彼は減量について一言も言及せず、なんのいいわけもせずに、ただひたすらに、パッキャオのスピードを讃え続けたのです。

オスカー・デラ・ホーヤ、あなたは英雄です。
高潔で、勇気溢れる、稀代の世界チャンピオン、
オスカー・デラ・ホーヤは、永遠に不滅です。

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2008.12.09

「元次官襲撃事件を考える」を考える

ということで、人間は青春時代において、自己肯定感に飢えているものらしく、それを保証するさまざまなセーフティネットと呼ぶべき装置を必要とするものです。

少なくとも我々団塊の世代までは、こうした装置がふんだんに用意されていたような気がします。
こうした装置・・・・わかりやすく言えば、「青春期自己肯定感充足装置」。
この辺は、具体的に語らないとわかりにくいと思うのですが、要するにごく端的に言えば「一生懸命勉強して、いい学校を出ていい会社に就職する」という選択をしなかった、あるいはできなかった若者が、自己肯定できる装置です。
かつて我々団塊世代の青春期には、私がこのブログの草創期に書いた「バス遠足のヒーロー」だった左官屋のF君に代表されるような大工や電気屋・ペンキ屋等職人として生きる道のステイタスはかなり高かったはずです。
あるいは、親の商売の後継者になったり、奉公人として商売を身につけ独立するという選択枝もあったはずです。
こうしたさまざまな選択肢は、大工がそのいい例なのですが、職人の領分への企業の浸食、それに伴うペイの減少、それに伴うステイタスの相対的低下。商売の方は、大手スーパーに駆逐されたあわれなシャッター商店街を見れば、その惨状は目を覆うばかり。

かくして、「いい会社を目指して一生懸命勉強するために塾へ行く」という選択肢だけが、独占的な地位を確保し、気がついたらいつの間にかその独占的選択枝をとらなかった者に対するセーフティーネットらしきものは全く見あたらないと言う異常事態に突入していたのです。

そして、こうしたセーフティーネットが拾いもれた若者たちにとっての最後の安全ネットとして、これまで待ちかまえていたはずなのが、前回記事で引用したX氏言うところの「新宗教」と「社会主義思想」だと思います。
「新宗教」と「社会主義思想」は、あらゆる自己肯定充足装置の編み目から漏れてしまった青年にとって、最後の防波堤になるはずのものでした。
しかし、この二つの最終装置ですら、現代においてきわめて不確かなものになってしまったというのが、X氏のご主張だったと思います。
すなわち、新宗教はその非科学性によって、社会主義思想はその経済的非効率性によって、歴史の舞台から退いてしまったとX氏は言います。

私は、新宗教はオウムの犯罪によって、社会主義思想はソ連の崩壊によって、消滅せざるを得ない結末を迎えたのだと思います。
かつて、「新宗教」と「社会主義思想」は、セーフティーネットから漏れた若者たちの必ず一定割合を救う必須の機能を持つと長い間信じられてきました。
その結果、新宗教が衰退すると社会主義思想志向の若者が増え、新宗教が隆盛となると社会主義思想が衰退するといった奇妙で顕著な二律背反の傾向がありました。
俗説ですが、若者たちにとって「新宗教」と「社会主義思想」両者を信奉する者の割合は、合計で15%程度。いつの時代でも不思議なことに、一定していると言われておりました。

そして、今、最後のセーフティネットを失った若者たちは、一体どこへ行けばよいのでしょうか?

団塊世代が生きてきた時代では考えられなかったような、世にも荒涼とした時代が待ちかまえているような気がします。
あらゆるセーフティネットからこぼれ落ちた若者たちの激増。彼らは、蟹工船の労働者のように団結し反乱することも知りません。孤立して世間全体をマスで捉えて、復讐することしか知らない若者が、再生産されざるを得ない時代の到来が見えてきます。

かなり危険な時代の到来を覚悟する必要がありそうです。
秋葉原事件も元厚生労働次官襲撃事件も日常茶飯に起きるような無感情な時代です。

ちょっと今回は暗くなってしまいました。
やっぱり、社会性を扱う記事は苦手かも・・・

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2008.11.27

元厚生労働次官襲撃事件を考える

「おまえのブログは、自分がおもしろいと思う話ばかりで、社会性がない !!」というお叱りがそろそろ聞こえてきそうな気がします。したがって、今回は、おもいっきり社会性のあるテーマにしてみました。

最近、元厚生労働次官襲撃にしても、秋葉原通り魔事件にしても、これまででは想像できなかったと思われるタイプの事件がいくつも起きています。はたして、これらの事件は必然なのか、偶然なのか?
そこで、これらの事件を対象にして、今の社会を考えてみたいと思います。

まず、考える素材として、元厚生労働次官襲撃事件を取り上げたX氏の意見をご紹介します。このご意見をきっかけとして、私の思うところは次回書きます。
それでは、まずX氏の意見は以下の通りです。

 人間はただ生きているだけという生き方ができない特異な生物です。
 生きていることに意味を求め、その意味によって自己肯定感、自己正当感を得て、人間は生き続けることができます。 

 自己肯定感、自己正当感を得るにはいくつかの途があります。
 順不同で思いつくままにあげてみます。
1 自分の生き方が、「正義」に合致していると考えることです。
2 自分が、賢くて、「合理的」であると考えることです。
3 人に好かれていると考えることです。
4 他者の自己肯定感、自己正当感を間違っていると否定することです。

 いずれも、客観的に正しい必要はありません。
 自分をそのように感じることができればいいのです。
 これらの感じは、お金、権力、能力(知的能力、肉体的能力を問わず、社会的に評価される能力であればよい)によって獲得することができます。     
 したがって、人々はお金、権力、能力を求めるのです。

 さて、社会はお金、権力、能力を構成員に平等に配分することはできません。
 しかし、自己肯定感、自己正当感のほうは、それを各人に配分しないと構成員は生き続けることができず、社会は崩壊してしまいます。
 そのため、どの社会もお金、権力、能力の配分の仕組みとは別の自己肯定感、自己正当感の配分装置を装備することになります。

 この自己肯定感、自己正当感の配分装置の機能を果たしてきたひとつが身分制です。
 身分制は、身分ごとに異なる自己肯定感、自己正当感を提供する社会システムであり、提供するのは人間一般に通用する自己肯定感、自己正当感ではありません。
 奴隷には奴隷の、商人には商人の自己肯定感、自己正当感を提供するのです。
 そのことによって社会は一定の安定を実現します。

 そして、身分制終了後、民主主義の世の中になって、この機能を果たしてきたのが「宗教」と「社会主義思想」です。

 「宗教」では、「神」が人々一般に自己肯定感、自己正当感を保証してくれます。 
 しかし、「宗教」は、その非科学性によって昔日の実力を失ってしまいました。
 「社会主義思想」は、プロレタリアートこそ価値の生産者であり、新しい時代の担い手であるという物語によって、お金、権力、能力なき人々に自己肯定感、自己正当感を提供してきました。
 しかし、「社会主義」は、その経済的非効率性によって歴史の舞台から退いてしまいました。

 「宗教」なく「社会主義思想」ない時代に自己肯定感、自己正当感を自力で獲得するのは容易ではなく、多くの若者たちがその獲得に失敗しています。
 元次官襲撃犯・小泉はそのうちのひとりなのではないかと思われます。

 なお、自己肯定感、自己正当感を提供してくれるものとして「ナショナリズム」が息を永らえています。
 しかし、その倫理道徳性の基盤の脆弱さ、無謬にこだわる非科学性、更にその存在理由自体が自己肯定感、自己正当感を提供するところにあるというトートロジー的・非知的性格により、「ナショナリズム」は歴史的限界を迎えていると思われます。
 (国政の中枢にいる高級官僚をターゲットとしていることからすると元次官襲撃犯・小泉は「ナショナリズム」に依存する人間かもしれません。)

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2008.11.13

割り箸の「鉄腕アトム」

何度かこのブログでも書きましたように、我が家にテレビが来たのは私が小学校入学以前の昭和二十八年です。
したがって、私は労せずしてテレビの番組発達史の生き証人ということになります。
そこで、今回のテーマは「国産アニメ第一号」です。

今は「アニメ大国日本」の名前をほしいままにするほど、世界に冠たる我が国のテレビアニメの隆盛ぶりで、世界中に輸出されているようです。
しかし、テレビの草創期においては、外国アニメは、ご存じディズニーアニメを筆頭に相次いで輸入され大評判であったのですが、国産アニメの方は影も形も存在しないというちょうど今と逆さまの状況であったのです。

Photo 国産アニメの登場が切望されていたそんな時期に、テレビに初めて登場したのは「鉄腕アトム」です。あれはおそらく昭和三十一~三十二年頃だったと思います。
ということで、私が今回お話ししたいのは、当時の「アニメ」「鉄腕アトム」がどのような様子で放映されていたのかについて、歴史の生き証人として証言してみたいのて゛す。
うっかり「国産アニメ第一号」と言ってしまいましたが、「アニメ」が動画という意味でありますれば、それは全く別物だったのです。

今ではちょっと考えられない番組ですので、みなさんには少なからぬ想像力を呼び起こしていただかなければなりません。
まず、登場人物はアトムやお茶の水博士をはじめ、それぞれひとりづつ別々に表用と裏用の二枚づつ紙に描かれています。そしてその二枚の紙は割り箸のようなものをはさんで、表と裏として張り合わされています。
そして、その割り箸のごとき登場人物は、割り箸の一番下の部分で、黒子の手に支えられ、あるいは左右に動き回り、あるいは表裏をひっくり返されたりしながら番組が進行していくのです。表が笑顔であれば裏は泣き顔であったり、表が右を向いていれば裏は左を向いていたりしていました。
もちろん、割り箸の動きにあわせて、せりふが語られます。

おわかりいただけましたでしょうか・・・・
誤解を恐れず簡単に表現すれば、
要するに「割り箸に貼り付けられ平面的に描かれたキャラクターによる一種の人形劇」といったようなものなんです。

私は当時小学校一年生でいわゆる典型的な「年端もいかない子供」であったわけなんですが、その子供である私が思わず「これは何か変 ! 子供だましだ !」と慨嘆せずにはおられなかったほどのくだらなさでした。
私の記憶では、この「鉄腕アトム」はほんの数回でうち切られてしまったと思います。
アニメ大国日本の今振り返ってみますと、隔世の感です。

どなたかおぼえていらっしゃらないでしょうか・・・・
おぼえていらっしゃったら、コメント願います。

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2008.10.24

昭和五年の浅草六区

Sdsc00372

まず上の写真をご覧ください。
昭和五年の浅草六区の状況です。
左が「電気館」と思われますので、花やしき方向から雷門通り方向を見ていることになります。
非常に興味深い写真です。

現在両国の江戸東京博物館では、「浅草今昔展」を好評開催中です。
ご覧の写真はこの「浅草今昔展」の一環として、常設展示場に現在展示されています。

写真が撮られた時間ですが、大変な混雑ですので、おそらく日曜日の午後と思われます。
昭和五年ということは、既に大恐慌は来ています。翌年は満州事変のはずです。そうした時代背景のわりには、浅草は思いっきりにぎわっていますね。人々の様子も、時代の暗さを感じさせないほどに活き活きしていますね。

ところで、私の言いたいことは実はそうした通り一遍のことではもちろんありません。
もう一度、みなさんこの写真をよ~く見つめてください。
少なくとも私は不思議だと感じたことがふたつあります。それを言いたいのです。

Sdsc00371 まず、第一は、女性と子供が異常に少ないのです。
これが、昭和三十年代の浅草だと、我が家がそうであったように、親子連れだらけであるはずです。
そして、現在ただ今の浅草の六区に行ってみてください。おそらく七割は女性、それも複数のおばさん達がやったら多いんです。
一方、昭和五年はご覧のように男だらけだったんですねぇ。興味深いです。
おそらく、当時の男達には、男女で盛り場に遊ぶという風習があまりなかったのでしょう。まして、子供を連れた家庭サービスなんぞ、常識にない行為だったんでしょうね。
すっごくおもしろいことだと思います。

さて、第二の不思議な事実。
その男達の一人一人を見てみると・・・・
み~んな帽子をかぶっているんです
野球帽ではありません ! 中折れ帽というのでしょうか、鳥打ち帽というのでしょうか、立派な紳士用の帽子です。
当時の男性諸君は、帽子がアイデンティティであり、おしゃれのポイントであったようです。
いやはや、興味深いです。
二枚目の写真の左下は今もこのとおりの姿である「花やしき」、下の真ん中の掘っ建て小屋風の建物は、おそらく現在の初音小路に名残を残す煮込み屋さんたちではないでしょうか・・・・

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2008.10.14

天気予報を変えた男

NHK関係が続いて大変恐縮ですが、今回もNHK関連の記事です。

今から四十年前、私が大学生の時に、今考えれば物好きなことですが私は「NHKのモニター」なるものに応募し、採用されて約一年間のモニター経験があります。
「NHKのモニター」とはどのような仕事かと申しますと、正直言って大してむずかしいことではありません。
月に一回、NHKから封書が郵送されてきまして、一ヶ月の間にモニターが見たり聞いたりすることを義務づけられるテレビ・ラジオ番組が、ミッションとして指定されます。その指定された番組を、モニターは何としてでも視聴し、指定された番組毎に、400字詰め原稿用紙1~2枚に感想を書いて、送り返すのです。
ノルマは、はっきり覚えていませんが、確か一週間に一番組程度であり、それほど大した負担にはならなかったと思います。その代わり、ペイもその当時で月数千円で、大して魅力のあるものではなかったはずです。

負担は軽かったとは言いましても、困難な事態ももちろん起こりました。
たとえば、私の場合、どうしても興味のわかない番組をミッションとして指定された場合の対処の仕方です。例を挙げれば、長唄とか浪曲のラジオ番組の感想を求められた場合です。もっとひどいときは、ビデオやテレコがない時代ですから、指定された番組を聞き逃したケースもありました。
そうしたケースでは、無理を承知で感想文を創作していましたが、意外にそうした方が上手に書けるから不思議です。

一方、我ながら目から鱗が落ちるような、すっばらしい改善提案もいくつかしました。
そうした中で、今でもテレビを見るたびに、「これがおれの提案だ !!」と人知れず誇らしく思い出し笑いをしているのが、NHKのテレビの天気予報における私の提案なんです。

NHKの天気予報と言えば、今や半井小絵チャンをはじめ、かわいいお天気お姉さんたちが登場して、はなやかでわかりやすく、そして見やすくなっておりますが、今を去る四十年前、それはそれは地味な天気予報(おまけに今ほど当たらなかったんですよネ)だったんです。
当時のNHKの制作責任者の方々が、私の提案を受けてよくぞ即座に変更し、今に至るまで改善し続けているのを見るにつけ、私は思わず涙ぐんでしまう始末です。

さて、もったいぶらずに申し上げましょう。
おまえは一体何を四十年前に提案したのか ? と言われれば、天気予報における地域別の警報・注意報の表示方法の変更を行ったのです。
これは具体的にテロップを見ながら説明しないとわかりずらいのですが、多少の無理は承知で説明します。
私が改善提案をするまでのNHKの天気予報における地域別の警報・注意報は、
「大雨注意報: A区 B区 C市」  「強風注意報: A区 C市 E市」
といった調子で表示されるため、たとえばA区の住民は台風の時など、ずらっと並んで表示されている警報・注意報の全てに瞬時にして目を走らせ、「A区関連の情報」を自分で抽出して確認しなければならなかったのです。
手間はかかるし、見にくいことこの上なかったのです。

こうした不合理な番組運営に対して、当時学生であった私が、強く改善を指摘したのです。かすかな記憶では、NHKに対して「常識を疑う」とか「視聴者の立場に立っていない証拠だ」などと、かなり強い言葉を使ったような気がします。
具体的には、
「A区: 大雨注意報・強風警報」
というように、
地域ごとにまとめて警報・注意報を表示することを主張したのです。
容易におわかりのように、さすればA区の住民は一番左欄に「A区」とある欄だけを見ればいいわけで、あちらこちらキョロキョロする必要はまったくなくなるのです。

私のこの提案は、びっくりするほど速やかに採用され、おそらく1~2ヶ月後には、実際の天気予報の改善が行われました。

なお、民間放送の天気予報も、若干タイミングが遅れましたが、同様の表示方法の修正を当時行っています。
したがって・・・  そうです・・・・
私は「日本の天気予報を変えた男」ということになります。

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2008.09.29

当マイクロフォン「中西龍」

かつて中西龍という名のNHKのアナウンサーがおりました。
ご記憶でございましょうか。
独特の「復古調」とも形容すべき名調子の朗読で、根強い人気がありました。徳川夢声や森繁久弥の系譜に列なる職人的朗読技術を持っていたアナウンサーだったと私は思います。
Microphone 中西龍の評伝とも言うべき小説「当マイクロフォン(角川書店)」三田完:著を読み終わりました。
いい本でした・・・・・   感動しました。

それほど波瀾万丈の人生とは言えないまでも、誇り高き孤高の気性ゆえ、サラリーマン世界の常として、再三の島流し的な人事異動にモロに遭遇しながらも、行った先々で、情の濃い女性と深い関係になります。それにしては、中西龍の奥さんは旭川支局で出会った妙子さんだけで済んだのは不思議です。
なにしろ昭和28年、NHK入局以来の彼の異動経路をたどるだけで、その異常さがしのばれます。
熊本・鹿児島・旭川・富山・名古屋・大阪・東京・・・ 大変な異動距離です。
最初の赴任地熊本には、新橋の芸者と駆け落ち同然で夫婦として乗り込み、同僚や上司を驚愕させます。この時の奥さんは、新橋を足抜け同然で出てきたため、後から暴力団風の輩に追っかけられたため、やむを得ずふたりは別れると共に、中西龍は急遽鹿児島に転勤させられます。
鹿児島では、今度は、上司の紹介してきた県庁の偉い人のお嬢さんとの見合いを断ったため、逆鱗に触れてなんと旭川まで飛ばされます。これはNHKの人事異動の歴史上記録的な移動距離だそうです。

ここまでは、強烈な個性ゆえの破天荒な人生を感じさせますが、本人は恬淡としていたようです。
鹿児島では、「お昼のニュース」で鹿児島のローカルニュースを担当し、全国ニュースを当時人気絶頂の宮田輝が読み終えた後のローカルニュースの読みで、宮田輝の声色と抑揚を寸分違わずまねして、周囲を驚かせる茶目っ気もありました。

Nakanisi 彼の運気が急上昇したのは、名プロデューサーの和田勉と後の会長坂本朝一に見出されてNHKゴールデンタイムの意欲作「文吾捕物絵図」に抜擢されたとき。
この時中西龍は、名古屋支局にいて、例によって次なる土地に飛ばされることが確定していたタイミングだったそうです。当時の島会長の改革号令の勢いで、逆に初めての東京赴任に異動が書き換えられたようです。
「文吾捕物絵図」は大人気となり、一気に中西龍は大ブレークします。そして、大河ドラマ「国盗り物語」やフリー後の「鬼平犯科帖」のナレーターにつながり、名ナレーター中西龍の名は不動のものとなります。

そして、昭和52年から平成3年まで、十四年間続いた「にっぽんのメロディ」を担当します。

" 唄に思い出が寄り添い、  思い出に唄は語りかけ、
 そのようにして  歳月はしずかに流れていきます。
 皆様こんばんは、  中西龍でございます。 "

この名調子は、NHKラジオ第一の電波に乗って全国津々浦々にまで、彼の職人芸を染み渡らせることになります。
当時のNHKアナウンサーの人気ナンバーワンのアンケートをとりますと、女はご存じ広瀬修子、男は中西龍が指定席となりました。
おもしろいのは、きらいなアナウンサーのベストワンも中西龍だったことです。
そして、フリー後は「浅田飴」のCMのナレーションで絶賛を浴びます。
浅田飴のおかげで、NHK時代は島流し異動の連続でさほど裕福でなかった龍も、フリーになってからはそこそこ潤ったようです。

おかげさまで、私の尊敬する「普通でない人」がまたひとり増えて、読んだ後とても豊かな気分に浸れました。
残念ながら、中西龍は我々よりもちょうど一世代上に当たり、十年前の平成10年10月、脳梗塞でひっそりと既に亡くなっています。享年70歳でした。
なお、中西龍のお父さんは、嘗ての中央区長中西清太郎さんです。

「にっぽんのメロディ」・・・・  CD化されないですかねぇ・・・

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2008.09.20

星野ジャパンの大チョンボ

2008年北京オリンピック・・・・
「オリンピック最後の野球」は、多くの日本人の熱い期待にもかかわらず、準決勝では韓国に 6対2 で敗れ、続く三位決定戦でも米国に 8対4 で敗れ、あえなく四位と情けない結果に終わってしまいました。

しかし、オリンピックの野球を熱心に応援された方々はみなさん気がつかれたたことと思いますが、準決勝に至るまでの予選リーグにおける星野ジャパンの戦いぶりは、こうした惨敗を充分に予想させる気の抜けたプレーが目立っていたのが、実態なのです。
もちろん私が主張したいのは、レフトのGG佐藤が再三にわたってイージーフライを落球したとか、捕手の阿部が二塁へ普段では考えられない暴投をしたとか、など個人プレーの拙さをあげつらおうというわけではありません。
ましてや、星野監督の理解不能で支離滅裂な投手起用を批判したいわけでもありません。
そんなことより、もっと根元的な星野ジャパンのチーム全体の気迫について、語りたいのです。

それは、予選リーグの最終戦、米国との試合の九回表に起きた事件・・・・
そう、まさしく日本プロ野球史上、前代未聞の大事件が象徴している無気力について語りたいのです。(正確には、以前にも起きていた可能性はありますが、オリンピックのような大事な試合ではまずありえない事件だと思います。)
この予選リーグの最終試合の時点では、日本も米国も既に準決勝進出が決定しており、この試合に勝った方の準決勝の相手がキューバ、負けたチームの相手は韓国ということが事前にわかっていた試合でした。
両チームとも投手を頻繁に交代し、文字通り貧打戦の膠着状態で、八回を終了して得点は 0対0 。あたかも、新たに導入された延長11回以降の新ルールを、両チームが納得ずくで試そうとでもするような雰囲気が窺われ始めた頃でした。
その前代未聞の大事件は、九回表の米国の攻撃が三者凡退で3アウトになった時点で発生したのです。

当然3アウトチェンジのルールの筈ですから、攻守交代となるはずなのですが、どうしたわけか主審はその指示を出しません。米国の次打者が、まごつきながらやむを得ずバッターボックスに入ろうとする様子すらみせます。
テレビ放送のアナウンサーによれば、スコアボードのアウトカウントが2アウトのままで、変わらなかったことが影響した可能性が強いようです。

しかし、当然のことなのですが、最も肝心な問題の所在は、審判にあるわけでもないし、ましてや相手チームの米国の責任であるわけでもありません。
偏にわが星野ジャパンのメンバーの真剣さの問題なのです。
わが星野ジャパンの守備に散っている九人の選手たちは、マウンドに立っているあの田中まあちゃん投手をはじめ、驚いたことに誰一人としてアウトカウントが3アウトになったことに気がつかなかったのです。
ひょっとすると、プロ野球の選手というものは、試合中は夢中でアウトカウントがわからないものなのかもしれません。しかし、ベンチでも、星野監督をはじめとして各コーチもみんな気がつかなかったのは、どうしてなのでしょう !!!!
しばらくして、ようやく大野投手コーチが騒ぎ出して審判に抗議し、事なきを得たのはご承知の通りです。大野コーチが気がつかなければ、米国のこの回4アウト目の打者の記録が残るところだったのです。それもオリンピックの晴れ舞台でです。恐ろしいことです。

私は、少年時代から草野球の経験を豊富に持っているつもりです。
そうしたわれわれ草野球の世界の少なくとも常識では、アウトカウントは試合進行上最重要の要素であり、アウトカウントによって通常は守備位置も変えるし、配球も違えるように耳にたこができるほど教育されるのです。

おそらく、北京五輪に出場したすべての日本のプロ野球選手たちにとっては、こうした草野球の常識が通じない世界で、日々野球をやっておられるのでありましょう。
あきれた話です。
日本の野球の面汚し以外の何ものでもありません。
私は本気で怒っています。

ということで、関係者のみなさんに私はお願いしたいのです。
来春には、第二回のWBC(World Baseball Classic)があります。
WBCでは、星野監督は論外として、アウトカウントが数えられない全てのプロ野球選手を出場させないでいただきたいのです。
伏してお願い申し上げます。

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2008.09.08

フェルメール「小路」の謎

よく知られているように、フェルメールという画家は、度を超して寡作な画家で、現存している作品は、世界中あわせても三十数点にすぎないと言われております。そのうちのなんと二割近くに相当する七点が、今、上野の森の東京都美術館に集まっています。

世界中に散逸しているフェルメール作品を、一生かけて少しづつ旅行しながら観賞することを無上の楽しみとしているフェルメールマニアが現実にいることを思うと、一遍に七作品の集結ということは、いわば裏技的とも呼ぶべき僥倖であるわけです。

さてそこで、私が今回お話ししたいのは、この東京都美術館の七作品の中にひとつだけ、不思議なほど私が引き込まれる作品がある、ということなんです。
Sdsc00370 ご覧の作品です。
題名は「小路」といいます。
フェルメールが育ったデルフトの一軒の家の玄関先を描いた風景画と言われておりますが、デルフトの一体どこを描いたものなのか、特定できていません。デルフト中歩き回っても、該当する家が見つからないと言われております。

フェルメールは、都市景観画の独創的な先駆者の一人と言われておりますが、そう言われている割には、風景画はとっても少ないんです。
デルフトを描いたとされる絵も、この「小路」を含めてたったの二枚と言われております。

元々私は絵は好きなんですが、それにしてもこの「小路」には、今まで経験したことがないほど、理由は判然としないのですが、引き込まれます。
「引き込まれる」というのは、どういうことかと申しますと、「いくら長時間見続けても見飽きない」ということです。
美術館ではせいぜい一作品平均五分のペースでスイスイ見て回る私が、この「小路」だけは、不思議なことに三十分見続けてもあきません。

絵を見ながらなぜだろうかとじっくり考えた末、ようやく次の結論に達しました。

結論から言うと、この絵に限らずフェルメールの絵には概ね共通して指摘されていることですが、「絵の中に謎が多い」のです。
そして、じっと見続けていると、謎と謎が共鳴しあって底知れぬ魅力が絵全体を包み込むかのごとく感じられるようになるのです。
この「謎」については、あまり頭で冷静に分析などしないで、ありのままに感じた方がいいと思います。しかし、そうは言っても、それでは何を言っているかおわかりいただけないと思いますので、私が感じた具体的な「謎」について次にご紹介してまいりましょう。
所詮絵画については門外漢の私ゆえ、ひょっとすると独りよがりの大変な勘違いであることも予想されますが、委細かまわず申します。

○まず、みなさん共通にご指摘されることですが、画面下左側の出入り口の奥が異様に明るく、この家の主婦らしい女性が明瞭に描かれています。この光源がどこから来ているのかが第一の謎です。どう考えても、こんなに明るいはずがないんです。

○画面左上。雲の様子が謎です。
晴れているようでもあり、暮れていくようでもあり、雷が鳴り夕立が来るようでもある。いずれにしても、一日のうちで、いつごろの情景であるかがわかりません。

○画面真ん中左側の壁を伝い下りている黒くモヤモヤしたものが、なんだかわかりません。謎です。ツタ系の植物でしょうか。少なくとも、意図的に不鮮明に描かれているらしいことがわかります。

○真ん中下。ふたりの人物が描かれているが、この人物はふたりとも子供らしい。
おはじきとかメンコのようなものを一生懸命遊んでいるらしい。これについても、しっかり描き込めばおもしろいと思われるが、あえて不鮮明にそれも後ろ向きに描かれています。
(なお、フェルメールは子沢山で、子供は11人いたそうです)

○下右側。出入り口にいる婦人は、刺繍をしているようだが、これもあえて不鮮明に描かれており、年齢も不詳です。

○一階の窓が、婦人が刺繍をしている出入り口の左と右で幅も色も違い不揃い。
窓についてはもうひとつ、二階の窓と一階の窓の位置関係も不合理。
どうやら、フェルメールはあえて建物の窓の位置や色を整合させないで、絵全体に独特の緊張感を与えようとしているように考えられる。

○謎については、他にもいろいろあるのですが、キリがありませんので、最後に一つだけ。
建物全体を覆う煉瓦の壁の模様が、実はこの絵全体の中で、最も魅力的な「謎」だと思います。この部分こそが、いくら見ていても見飽きないほど、複雑で意表をついています。

以上のようないろいろな謎が絡まり合うとともに、絵全体の解像度を意図的に下げることによって、観賞側の果てしない想像力をうまい案配に刺激して、際限のない興味をこの絵に呼び起こさせるのだと思います。

私は縁ありまして、この絵と一対一で約十五分にわたって対面する機会を頂戴しました。
これぞ「至福の時」と呼ぶべき瞬間ではあったのでありましたが、却って緊張で上気してしまい、しっかり見続けることができませんでした。
むずかしいものです。
(若い時に、絵画ではないものに対して同じようなことがあったような気もしますが、よく思い出せません)

なお、このフェルメール展は、上野の東京都美術館で、12月14日(日)までです。

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2008.08.31

グーグルの「ストリート・ビュー」

「インターネットは便利だ」と言われるままに、パソコンを購入し、当時としては最新の電話回線にやっと接続してインターネットに繋ぎ、「インターネットで検索しても遅すぎるし、やっと出てきても情報が少なすぎる !!」と怒り、「インターネットは何の役にも立たない、幻想にすぎない」と大声を出していた私は、さて何年前の私でありましたろうか・・・・
あれからかれこれ十年くらいは経っているでしょうか。

あれからADSLから光回線へと、回線スピードは飛躍的に改善され、料金も安くなるなど、インターネット関連の数々のサプライズがありました。
思いつくままに順不同であげてみますと、
○動画が、楽々と見られるようになった。
○辞書が、国語辞典から英和辞典、そしてwikipediaのような百科事典に至るまで、楽々と早く使えるようになった。
○「駅スパート」をはじめ、交通機関の乗り換え検索が簡単にできる。
○住所さえわかれば、全国の地図がピンポイントで判別できる。
等々です。

そして、この8月5日、グーグルはこれらをはるかに凌駕する究極のサプライズを発表しました。
それは「ストリートビュー」と申します。
おなじみのグーグルの地図サービス「Googleマップ」に、道路から撮影した360度パノラマ写真を見る機能が追加されたのです。
すなわち、いつもどおり「Googleマップ」で住所を検索しようとすると、見慣れない「ストリートビュー」なるアイコンが8月5日から追加されているのです。
多くの読者が初耳だと思われますので、早速ご自分の家やマンション、あるいは恋人の住所を「Googleマップ」で検索してみてください。
使い方は、びっくりするほどわかりやすくて簡単です。

S080805_google2 既に日本の十二の都市の地図情報を網羅したそうであります。
道路から見える風景は、全てカバーしてあるようですので、民家はもちろん、道路を走っている車、歩いている人間も写っています。
プライバシーの問題があるので、人の顔や家の表札にはボカシを入れてあるようですが、アメリカでは実際に訴訟も起きているそうです。
風景はクリックすれば、簡単に360度回転しますし、拡大・縮小も自由自在です。

最初の話に戻りますが、私もインターネット生活十年以上のヘビーというか「オールド・ユーザー」でありますが、この「ストリート・ビュー・サービス」は、これまでで一番のサプライズです。
百聞は一見に如かず、です。みなさん、早速試してみてください。

しかし、この「ストリート・ビュー」のおかげで、私たちはわざわざ家の外に出なくとも、パソコン一台さえあれば、日本中のどこへでも気ままに散歩できることになったわけです。
日本どころか、世界中の津々浦々まで、車の通れるところまでではあるものの、気楽に旅行できることになりました。

落ち着いて考えてみますと、相当に恐ろしいことのような気がしてきましたネ・・・

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2008.08.23

社会的偽装としての「人身事故」

久しぶりに時間厳守子さんの「雑学通信」の記事から転載させてもらいます。
相変わらずの時間厳守子さんの鋭い評論をお楽しみください。

 お盆休みが終わって、予想通りまた発生しました。首都圏の鉄道での「人身事故」。お盆休みの前はほぼ連日の感がありました。
 正式発表がないのですべてがそうだとは言い切れませんが、間違いなくそのほとんどは「鉄道自殺」であり、みんな、うすうすそのことに感づいています。

 そして、「鉄道自殺」を「人身事故」と虚偽表示することについて何処からも何の意見表明もありません。
 欺瞞、偽装が嫌いで、説明責任、透明性、知る権利、知る自由が好きなマスコミもこのことをまったく問題にしようともしません。

 毎日の鉄道自殺の発生という禍々しき現実を隠蔽しようという社会全体の暗黙の了解が存在しているのでしょうか?

 暗黙の了解を必要とするほど、この社会はとっくに無くなってしまっている社会の健全性の名目的存在に、今なおこだわっているのでしょうか?

 暗黙の了解が成立するほど、バラバラに見えるこの社会は一体性、結合性が強いのでしょうか?

 「死」を思想的に処理し得ない社会が採らざるをえない、「死」を直視しないという対応なのでしょうか?

 自殺、とりわけ「鉄道自殺」の多発という現実を偽装せず、我々の社会は真正面から受け止めるべきなのではないでしょうか?

 冗談を言えば、天気、気温、湿度、株価動向、金利動向等の指標によって日々「鉄道自殺」予報が可能なのではないでしょうか?
 それによって出勤時間を早めたりの対応がありうるのではないでしょうか?
 すでに個人的予報で行動している人もいるのではないでしょうか?

 いずれにしろ異様な社会現象であり、この社会的偽装が敏感な少年少女の教育上好ましくない影響ををもたらさないわけがありません。


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2008.08.13

スペインの「ハルク」

「ハルク(Hulk)」というアメリカ映画があります。
おなじみのマーベル・コミックによるアメコミ「超人ハルク」の映画化作品です。5年前にアカデミー賞受賞監督である名匠アン・リーによって監督された映画です。監督は定評があったのですが、SFXのリアリティも弱いことに加えてキャラの動きもぎこちなく、盛り上がりも今イチで、私の中では「アン・リーなれどB級映画」として整理しました。ただ、一部のマーベルコミックマニアの間では高く評価されていたと記憶しています。

Shulk_1 ところが、この5年前と思われる「ハルク」の映画ポスターが、今回のスペイン旅行ではバルセロナでもマドリッドでも、あっちにもこっちにも貼ってあり驚かされました。
東京では5年も前に公開された「ハルク」がスペインの各都市で今やっと封切られているようでは、スペインの都会であってもやっぱり所詮田舎なのであろうか、と一瞬思ってしまったわけです。

ところが、日本に帰ってきてから、私は自分の考えが全く間違っていたことを思い知らされます。
私がスペインでいやっと言うほど見かけた「ハルク」のポスターは、実は現在ただいま最も新しいハルク映画であるエドワード・ノートン主演の「インクレディブル・ハルク」のポスターだったらしいんです。
「名優エドワード・ノートンにハルク役を演じさせて、異形の超人の内面の葛藤を描いて成功している」というのが、大方の映評でありまして、総じて予想外に評価は高いのです。

ということで、バルセロナでもマドリッドでも「インクレディブル・ハルク」は、東京よりも逆に一ヶ月も早く見ることができるということが、判明したわけです。

ところで、私が五年前のアン・リー作品の「ハルク」と今度のポスターを見間違えてしまったのには、理由があります。
今度の「インクレディブル・ハルク」のSFXのキャラクター造形が、あまりにも五年前と同じだったからなんです。筋肉お化けであること、顔をいつもしかめていること、そして何より全体の皮膚が緑がかっていること、これら全ての点で、五年前のハルクと今回は同じ特徴を持っているのです。

したがって、五年前のアン・リー作品があまりにも不出来であったので、今回はエドワード・ノートンの演技力を利用して撮り直したのではないか・・・・というのが、今まことしやかにささやかれている有力な意見なんです。

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2008.08.04

ヨーロッパを席巻する「数独」

東京の地下鉄に乗って座席に座ると、決まって少しばかりびっくりさせられることがあります。対面の座席に一列に座っている乗客のほとんどが、携帯電話のメールか、さもなくばゲーム機でゲームに熱中している姿です。ひどい時には、一列全部で八人くらいの全員がチャカチャカと忙しくキーを押しています。

S2_062 さて、それではマドリッドの地下鉄はどうだったんでしょうか ?
「地下鉄に乗ったときは、スリが大変多いので注意してください。特に出入り口近くに立っていると、襲われる確率は大変高くなります。」とJTBの添乗員から繰り返し聞かされていた私たちは、カバンを肩から袈裟懸けにかけることは当然として、しっかりと両手に抱え込んで、乗り合わせたマドリッドの人々をどうしてもうさんくさい目で見てしまいがちでした。
しかし、彼らが意外に人なつっこくて、こちらが何か困ったことがあったら教えたくて仕方がないという性質の善良な人々が多いということにすぐに気がつかされます。

Sdsc00369 そうした彼らをさらに眺めていますと、東京の地下鉄のように携帯電話を操作する人はほとんど見ませんでしたが、なんと !! ニンテンドーDSで一生懸命ゲームをしている人はチラホラ見かけました。
そして、彼らがDSでどんなソフトに夢中になっているかと近づいてみると、驚きました。「DS数独」だったのです。

「数独」については、昨年イタリアを旅行したときにも、問題と格闘している老若男女のヨーロッパの方々を頻繁に見かけたものですが、今回のマドリッドのメトロでも相当のブームを感じさせられました。
マドリッドのメトロはそのような状況でありましたが、実はバルセロナの飛行場でも、地元新聞を熱心に読んでいるとおぼしきスペインの人々が、やっぱりよく見ると新聞に掲載されている「数独」の問題と格闘しているのがわかり、びっくりさせられました。

S2_026 上の写真がその証拠です。
イタリアでもスペインでも、ほとんどの新聞にクロスワードパズルはなくとも、「数独」の問題は毎日掲載されています。
ヨーロッパ民族というのは、数的遊びがお好きなんでありましょうや?
インド人が数学が得意という話は、よく聞くんですが・・・・
日本人は比較的数学が得意な国民と言われています。しかしながら、少なくとも日本の新聞に「数独」の問題が毎日掲載されるなんて想像できません。不思議です。

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2008.07.23

ご無沙汰御免「スペイン便り」

いやはや、なんとも、ご無沙汰でした。
なんと ! 一ヶ月以上にわたって更新しない状況が続いてしまいました。申し訳ございません。
非更新期間の自己新記録になってしまいました。
この間、予想もしないことでしたが、要職にあらせられ、さぞかし多忙と思われる複数の方々から「何やってんの ! なんで更新しないの !」「楽しみにしてんだからまじめに更新しろ !」と厳しくかつ暖かい励ましのお言葉を頂戴しました。
この場を借りて、御礼申し上げます。

もちろん、今回の長い未更新期間には理由があるのです。
まずもって、今年もまた私が海外旅行に行ってしまったのが、最大の理由です。
場所はスペイン、期間は8日間。
もちろん、そのほかにも、旅行から帰って腰痛で寝込んでしまったことや、書こうと思うと、記録的な暑さに挫けてしまうことなど、あれやこれやで一ヶ月を超えるご無沙汰となってしまった次第です。

S1_034 話を元に戻して、スペインです。
印象と言えば、ただただ、暑い ! 暑い ! 暑い ! !  !
とりわけ、南部アンダルシアは、暑い ! いくらなんでも暑い ! 
セビリアなんて、なんと ! 43度もありましたねぇ !
ここまで暑いと冷静に観光なんてしている場合ではありません。

私はアンダルシア地方の中でも、とりわけグラナダのアルハンブラ宮殿を楽しみにしておりました。何よりあのタレガの美しいギター独奏による名曲「アルハンブラの思い出」に魅了された一人であったからです。
S1_056 しかし、ここも暑いんだ !! 暑いことに加えて、アルハンブラ宮殿周辺は坂が多いんです。カァ~と悪魔のように照りつける太陽の下を、坂を上ったり下りたり、冷静に景色や宮殿を観賞する余裕なんて全くありません。
おまけに、音楽の印象とは違って、清掃が行き届いていないという意味で、宮殿の中は意外にきたない。
はっきり言って、私は幻滅してしまったのです。

さらに悪いことに、私たちのツアーには幸か不幸か歴史的な特殊な事件が付け加わったのです。
Spainsoccer 旅行中に、サッカー欧州選手権(UEFA)の決勝を迎え、なんと44年振りに、よりによってスペインが優勝してしまったのです。
スペイン南部の独特の生活習慣と言われる長時間の午睡すなわち「シエスタ」のせいなのかどうか私にはわかりませんが、スペインの国民は一人残らず、暑い日中はひたすら昼寝をしながら英気を養い、夜のテレビでのサッカー観戦とその後表通りに出てのバカ騒ぎのために、全精力をつぎ込もうとしているんだと私は確信しました。
現実にマドリッドのコロン広場では、深夜まで数十万人の人出があったと報道されています。

S2_034 写真は夜のバカ騒ぎでプエルタ・デル・ソル広場の噴水に飛び込む人々をあらかじめ防ぐために取り付けられたフェンスです。

ということで、しばらくスペイン紀行が続くと思います。

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2008.06.13

「アフィリエイト」とは・・・

まず、私のこのブログの右欄「読んだぞ!リスト」をご覧ください。
「読んだぞ!リスト」に掲載されている本の中から、あなたのお好きな本のアイコンをどれでもマウスでクリックしてみてください。「Amazon.com」にリンクされておりますので、即座にアマゾンのサイトに飛び、その本の詳細を調べることができます。さらに、そのままその本をアマゾンのサイトで購入することも、もちろん可能です。
そして、この場合、なんと !!「購入額の3%」が私に支払われる仕組みとなっております。

斯くの如くして、ブログなどのウェブサイトが、アマゾンなどの企業サイトにリンクを張って、閲覧者がそのリンクを経由してその企業のサイトで商品を購入すると、リンク元サイトの主催者に報酬が支払われる広告手法を一般に「アフィリエイト」と申します。

読者の中には、「おまえに3%もの取り分をもうけさせるのは、間尺に合わない。もうけた分をおごれ !!」とおっしゃる方もままおられますが、ご安心ください。
私が「Amazon.com」とアフィリエイト契約を開始してからかれこれ三年が経過しようとしておりますが、この間に私が取得するべき紹介料は累計でわずか78円という報告を受けております。
これを3%で除しますと、2600円という数字が出てきます。
すなわち、このことは読者のうちのどなたかご奇特なお方が、私のブログの右下「読んだぞ!リスト」からアマゾンのサイトに飛び、大枚2600円の本を購入した方がこの三年間にお一人だけいたことを意味しております。

なお、アマゾンとの契約では、この紹介料が五千円に達し次第、私の口座に現金が振り込まれることになっております。
したがって、三年で78円ということは、このペースで推移しますと、紹介料の累計額が五千円を超えて、実際に振り込みが行われるのは、なんと !! 192年後ということになります

ということで、私にアフィリエイトの恩恵が実際に及ぶのは、どう考えても今世紀中にはあり得ないと言うことをおわかりいただけたと思います。
皆様、ご安心いただけたでありましょうか・・・・

ということで、どなた様も遠慮無くドンドン「読んだぞ!リスト」から本を買ってください。

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