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2006.03.25

吉永小百合のリサイタル

昭和37年という年は、吉永小百合にとっては大変幸運な年となりました。
すなわち、映画では「キューポラのある街」でブルーリボン主演女優賞、歌っては「いつでも夢を」でレコード大賞。演技と歌と両者の最高峰の評価をいっぺんに獲得してしまったわけです。

歌もそれほどうまいわけではなく、演技もただ一生懸命な一途さだけがとりえのひとりの美少女が、ほぼ偶然にしてこの世のすべての評価を独り占めしてしまったような趣がありました。究極の神の恩寵が、燦然と彼女の頭上に輝いた一瞬でありました。しかし、別の言い方をすれば、「早すぎる絶頂期」でもありました。
冷静に考えれば、「実力以上」「でき過ぎ」ということは、彼女自身が誰よりも十分にわかっていたはずなのですが、その後、小百合は嵩にかかったように、映画に出演し、歌も歌い続けますが、マンネリからの明白なスランプ状態は、隠しようもなくなります。

同時に、外部からはあまりわからなかった小百合の内心での不満足感・未充足感は、徐々に大きなものになっていきます。そして、小百合は、操り人形のような自らの状況を強引に変えるために、やみくもに強い意志を意図的に外部に見せ始めます。
ひとつは、早稲田大学受験そして合格。
さらに、昭和40年の「愛と死を見つめて」については、自分で「この本を映画にしたい!」と思いっきり強く主張したそうです。
そして、時間的状況から考えて、おそらくはこうしたやみくもな自己主張を示す行動の典型的事例の一つが、今回の主題である「リサイタルへの挑戦」であったんだと思います。

s-DSC00715 私は、前々回「そもそもの吉永小百合」で、「小百合が生涯にただ一度だけ開いたリサイタル」と、うかつにも書いてしまいましたが、よく調べましたところ、どうやら小百合のリサイタルは足掛け2年にわたって全部で4回行われたようです。
まず最初は、昭和40年9月、場所は大阪新歌舞伎座。昭和41年3月には新宿厚生年金会館ホール。同年4月大阪毎日ホール。そして最後は、41年10月の新宿厚生年金会館ホールです。
私が花の高校2年生の時に友人と行った「吉永小百合リサイタル」は、本棚の奥からようやく探し出した当時のプログラム(このプログラム、今ネットオークションに出せば相当の高値がつくよねぇ!今や我が家で唯一の家宝です。)によりますと、昭和41年3月27日の新宿厚生年金会館公演でございました。

さて、私はこの吉永小百合リサイタルに関連して、生涯残るひとつの感動的な(?)エピソードを持っています。したがって、ここから話の主題が吉永小百合から大きく逸れることをあらかじめお許しください。
私が書きたいターゲットは、大変突然で恐縮ですが、ここからは、小百合のリサイタルに私と一緒に行くことになった同じく熱烈なサユリストであったわが友人の、そのまたお母さんの話についてなんです。

当時、リサイタルのチケットはどうやって入手したと思いますか?
世間知らずのウブな高校二年生だった我々にとっては、この問題が最大の難関だったんです。
現代であれば、パソコンを開いて、「チケットぴあ」のサイトに行って、チョチョイのチョイで容易に確保できますね。また、発売日の朝一番に人海戦術で電話しまくる方法もありますね。
s-DSC00720_r1 しかし、ウブな我々二人の当時の知識を思いっきり寄せ集めても、銀座のソニービルの1階にあるプレイガイドでチケットを購入することしか、せいぜい思い浮かばなかったのです。我々にとって、プレイガイドなるものは、銀座のソニービルにしかないと思っていたのです。
しかし、「吉永小百合リサイタル」は、当時大変なプラチナチケットでありまして、徹夜組まで出るといううわさでした!
何より我々二人にとって致命的だったのは、チケットの発売開始日が平日であったため、授業をずる休みしなければチケットを確保できないという窮地に一気に追い込まれてしまったのです。
したがって、まじめでウブな我々二人の高校生にとって、リーズナブルな選択は、たったひとつしかありません。
そうです。私の方の母親は商売をしていましたので、わが友人の方の母親に頼み込むという離れ業しかなかったのです。
二人で恐る恐る頼んで見ますと、この若干理知的な、友人の母親は、いとも簡単に請け負ってくれたのです。そして数日後、私たちが手にした吉永小百合リサイタルのチケットは、なんとなんと!新宿厚生年金会館1階SS席、前から5番目、真ん中の超プラチナチケットだったのであります。わが友人ともども、本当に腰を抜かすほど驚かされました。
おそらく友人のお母さんは、発売開始日の朝早くか、ひょっとすると前日の夜、ソニービルに出かけて並んでくれたはずです。何度も申し上げて恐縮ですが、何しろそのお母さんは理知的なものですから、詳細については何も語らなかったのでありますが、相当の無理をしてくれたはずなんです。それを考えると、我々は涙が出るほど感激しました。

s-DSC00718 リリーフランキーの「東京タワー」に出てくるお母さんも、ビートたけしの母親も、同じだったようでありますが、我々の母親の世代は、戦後の混乱期から一生懸命食うために働き続けてきて、この頃やっと余裕ができてきた世代であり、彼女らの共通の特徴として、なけなしのその余裕を今まで彼女自身のためにはどうしても消費することができなかった「教育・文化」に思いっきり使ってしまおうという気迫を持っていた世代だったと思います。
とりわけ、「子供たちの教育・文化」には、命がけで使い切ろうとする世代だったと思います。

というわけで、ここで話を元に戻します。
そんなにまでして手に入れたプラチナチケット、新宿厚生年金会館SS席、前から5番目、熱演する小百合ちゃんのつばが飛んできそうな席で堪能して帰る中央線の電車の中、ウブな二人の高校生がはからずも共通してもらした感想は、
「まるで立体大型テレビを見ているようなもので、目の前に小百合ちゃんがいる実感が全然わかなかったなぁ~」という気の抜けるほど罰当たりなものでした。

さて、この一緒にリサイタルを見に行った純正サユリストの高校時代の友人は、その後、日刊スポーツ新聞社の記者となり、現在は論説委員をしております。
そういう意味では、彼のほうは、この経験をしっかりとその後の進路に活かして、無駄がなかったということです。理知的なお母さんもさぞやお喜びでございましょう。

それに比べて私のほうは・・・・  無駄だらけでして・・・・

注)今回、使用している写真はいずれもこの「吉永小百合リサイタル」のプログラムから転載しています。

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「吉永小百合」カテゴリの記事

コメント

田舎育ちにとっては、大都会ならではのリサイタルのエピソード、なんともうらやましい限りです。
吉永小百合の青春映画を殆ど観なかった私にとって、当時の小百合
はむしろ“歌手”のイメージが強かったように思います。
「歌もそれほどうまいわけではなく」と片付けられてしまい、正直ややむっとしてしまいました。
手元にある「いつでも夢を」を聴き返してみましたが、確かに音程もしっかりしていて「お上手」って感じで歌っている橋幸夫と比べると不安定感はあるものの、一応歌がうまいと言ってあげてもいいのではありませんか?いまどきのへたくそなアイドルに比べれば充分合格点をあげられると思います。
それに何と言ってもあの「あま~い」なんともいえないお声、もう少しほめてあげてもいいのでは?

投稿: 男たちの飛鳥 | 2006.03.25 10:26

いや、いや、やっぱり小百合ちゃんの歌は、決してうまいとはいえないと思いますよ。
そんなことよりも、致命的だったのは、彼女の声帯がかなり弱いことだと思います。ある程度のサユリストは、みなさん覚えていると思うのですが、あれは確か「勇気あるもの」をヒットさせた直後だったと思うんですが、完全に声が出なくなってしまったことがありました。この時は、歌どころか、映画にも出られなくなり、しばらく休養しています。その後、現在に至るまで、二度と歌手にはなっていないはずです。

投稿: 壮大な零 | 2006.03.26 17:37

サユリストとは、隠れ切支丹のように陰で誰にも気づかれないようにサユリ様を慕う人々かと思っていましたが、壮大な零さんは慕っているのか、けなしているのか、よくわからないところがあります。思慕とか拝跪というより、強いていえば科学的観察の対象にしているような気配を感じます。
私の感想をいえば、吉永小百合が大女優ということは誰も否定できないとしても、いったい何がそんなにいいんだろうか、というのが正直なところです。
このブログ右上の写真にも関連しますが、倍賞千恵子なんかはどうでしょう。いずれここで倍賞千恵子シリーズが始まる予感がしています。

投稿: とつぱ | 2006.04.01 15:15

「慕っているのか、けなしているのか、よくわからない」というのは、全くそのとおりでして、この辺の呼吸は、ちょうど肉親に対すると同じような感覚だと思います。
すなわち、私の高校時代の一時期を思い出してみますと、肉親と一緒にいる時間をはるかに上回る時間を彼女の顔を見て過ごしていたわけですから、自然に姉弟のような感覚になるのだと思います。

投稿: 壮大な零 | 2006.04.01 21:57

末学の新進としては、同時代者の証言はたいへんためになり有り難いのですが、事実関係に誤りが
散見されるのは残念です。例えば、前々回での吉永さんの父上や山東昭子さん(ナレーション)の経歴がそうでしたし、今回も大学進学とリサイタルを「不満足・不充足感の発露」とする根拠が弱いように思われます。大学進学は当初からの彼女の希望で、大検→進学を目指すことは1963年の「卒業」時から知れ渡っていました。1963年が映画女優として充実した年であったことは関川夏央氏でさえ認めているところです。通説的にはマンネリによるスランプが顕在化したのは1966年後半であり、厚生年金リサイタルは同年3月、大阪での初リサイタルは前年5月ですので歌手活動の充実を示しているというだけのことではないでしょうか。
「嵩にかかった操り人形」というのも変ではありませんか?
なお、「愛と死をみつめて」は1964年の作品で65年ではありません。コメントで言及なさっている発声障害は1971年であり、「勇気あるもの」以後にも「恋の歓び」や「坂道のクラブ」などのヒット曲があります。
勝手なことを書かせていただき恐縮しておりますが、先生の仮説の前提に関わることなので御一考いただけれは幸いです。

投稿: いちはつ | 2006.04.03 23:36

「いちはつ」さん、ご丁寧なご批判感謝です。
事実関係での厳しいご指摘につきましては、私の場合記憶に頼って書く部分が多いため、止むを得ないこととは申せ、お詫び申し上げます。
小百合の父親の経歴につきましては、おそらく外務省の役人としての身分についてのご指摘と思われますが、事実はどうなんでしょうか?次回は小百合ちゃんの父親について書くつもりでしたので、ご教授戴けると大変ありがたいです。
リサイタルと自己主張を結びつけるのは、確かに少し無理があったかもしれません。チョット反省しています。
「勇気あるもの」ですが、本人としては事実上初めての主張らしい主張がある歌詞で、本人も大満足で歌っていたことを思い出します。しかし、「恋の歓び」や「坂道のクラブ」という歌は、全然覚えていないなぁ。本当にヒットしたんですかぁ?
「愛と死を見つめて」については、小百合は「一晩一睡もしないで一気に読み終えた。涙が止まらなかった。是非映画化したい。」と何かのインタビューで最大級の評価をしていました。仕方がないので、私も当時原作を読んでみましたが、冷静に読んだ方は皆さん指摘することですが、この本には、ミコの闘病生活の末期に非常に不可解なマコの行動があり、どうしても感情移入できません。したがって、小百合ちゃんのエキセントリックな感動の発露に、当時何か異常なものを感じたことを思いだします。

投稿: 壮大な零 | 2006.04.05 22:30

私は学ぶ側の人間ですのに、丁重なご挨拶を頂き困惑しております。
僭越ながらご指摘の点について申し上げると、
「恋の歓び」(67.9)「坂道のクラブ」(68.6)はともにビクター・ヒット賞を受賞しており、前者は1人GSの傑作(ジャケットデザインが素晴らしいことでも有名)として、後者は清純派からの脱皮が毀誉褒貶かまびすしかったことで有名です。歌手としての最後のリリースは1971年の「遠い空の彼方に」ですので「勇気あるものの直後に・・・」はご記憶違いと思われます。
「勇気あるもの」はメッセージ性が表面に出た曲ですが(「遠い空の彼方に」はさらに明確な反戦歌です)小百合さんのヒット曲は「寒い朝」以来、「いつでも夢を」にせよ「明日は咲こう花咲こう」にせよ、多少なりともメッセージソングだったのではないでしょうか。これらのうち、「坂道のクラブ」以外の全ての曲は昨年1月のホテルオークラのチャリティで歌われており、歌手吉永小百合の代表曲と申せましょう。
「愛と死をみつめて」の原作を読んでいませんので何とも申し上げられないのですが、18歳の女性の言動としてそれほど奇矯なものでしょうか?
原作が135万部を越すベストセラーになったということは、同様の大感激を発した人々が多かったということになりませんか。吉永さんは、これ以前にもジッドの「田園交響楽」の映画化を熱望していましたし、1967年には太田治子さんの「手記」
を「斜陽のおもかげ」として映画化しています。
「愛と死をみつめて」の映画化希望は最初の例でも最後の例でもありません。
最後に吉永芳之氏の経歴については、関川夏央氏の「昭和が明るかった頃」(2002.文藝春秋社)が詳しく、それによれば帝大卒業後、九州耐火煉瓦(株)に入社、1937年外務省通商局嘱託、1943年日本出版局(吉永さんによれば「出版統制局」)勤務を経て出版社を経営するも失敗、となっています。
関川氏のこの著作は細部の誤りが多く、恣意的な引用やご自分の結論に不利な事実の無視も目立つのですが、芳之氏に関する記述は力が入っており説得的です。

投稿: いちはつ | 2006.04.06 22:44

ええっ?はぁ~!へぇ~!
いやぁ、そうですか。私は学生時代、小百合ちゃんが出演するほとんどすべての歌番組を見ていましたので、おそらく「坂道のクラブ」他の歌は、テレビではほとんど歌っていないんではないでしょうか?
それより何よりびっくり情報は、小百合ちゃんが昨年1月にホテルオークラでチャリティコンサートを開いていたんですか?ちっとも知りませんでした。知っていたら、また日刊スポーツの友達と一緒に今度は一番前のかぶりつきの席で見に行きましたものを・・・・
さて、関川夏央さんについては、時々テレビでお見かけしたことはありましたが、そうですかこういう本をお書きになっている方なんですか・・・いずれにしても、瞠目の情報の数々を感謝です。

投稿: 壮大な零 | 2006.04.09 19:35

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