必見 ! 紙屋悦子の青春
映画監督黒木和雄が、4月12日脳梗塞で急逝する直前に完成させた「紙屋悦子の青春」を岩波ホールに見に行ってきました。
左欄「映画鑑賞履歴」にも書きましたが、まさしく「黒木和雄が自らの命を差し出して完成させた作品」と言うべきでしょう。傑作です。名画です。すっばらしい出来です。私は諸手を上げて満点をつけます。久しぶりに、見終わって拍手をしたくなった映画です。
約2時間の映画ですが、冒頭と最後の病院の屋上での紙屋悦子夫婦だけ(原田知世と永瀬正敏)の会話シーンを除けば、終始一貫悦子の兄夫婦(小林薫と本上まなみ)の家だけのシーンです。登場人物も原田知世・永瀬正敏・小林薫・本上まなみ・松岡俊介のたった五人だけ、という異色の設定だったのですが、そんなことにはまるで気が付かなかったほどに、私は映画の中に感情移入させられてしまいました。
そもそも私と黒木和雄の関わりは、今から四十年前の私の大学入学時にさかのぼります。
当時、黒木和雄なる新進気鋭の映画監督が、岩波映画社での企業PR映画にあきたりず、劇映画に進出し、問題児加賀まりこを主演に抜擢して「飛べない沈黙」という傑作をものした(昭和41年)といううわさが流れていました。
私の大学では、ちょうど私が入学した途端に、医学部の学生処分問題から一気に全学無期限ストライキに突入してしまい、私は突然いやっというほどに膨大なヒマな時間の中でおぼれることになってしまったのです。そんな時、ひとつの反代々木系映画サークルが「飛べない沈黙」上映会のチケットを八百円で売っておりまして、暇つぶしにそのチケットを買ってみたのが、そもそもの黒木映画と私の関わりのはじめだったんです。
わたしは、決められた日時に、所定の上映場所である教室に行きましたが、折悪しく映写機が壊れていて、この映画会は流れてしまい、結果的に私は大枚八百円を踏み倒されたといういやな思い出があるのです。
さて、くだんの「飛べない沈黙」はいまだに見る機会がないのですが、その後の黒木作品は、「竜馬暗殺」はもちろん、戦争レクイエム三部作と言われる「TOMORROW明日」「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」も含めて好んで見てきたつもりです。
そして、今回の「紙屋悦子の青春」です。黒木は自分の死期を感じていたとしか思えません。冒頭の病院屋上シーンから、シナリオの濃密さ、そして各シーンの緊張感がすごいんです。構成も文句なし !
おそらく本年度の日本映画ベストワンは、ぶっちぎりで確実と思われます。(李相日監督「フラガール」もいいといううわさですが・・・)
ということで、今回は「紙屋悦子の青春」のどこがすっばらしいのかについて、具体的に書きたいと思います。
まず、冒頭の病院屋上シーンのすばらしさです。
老人となった原田と永瀬の夫婦が屋上のベンチで二人だけで静かに話しています。この冒頭シーンは、一台のカメラで約十五分の超長回しです。この会話がすごいんです。
映画の冒頭から、日本映画史に残る名シーンだと思います。老夫婦がそれとなくお互いに寒くないかと思いやる静かな会話だけでつなぐ十五分です。
このなんでもない会話だけで、この夫婦がいかに長い間強い愛情で結びつきながら今日に至っているかを、見る人の胸に確実に染み渡らせます。十五分間のこのシーンだけで、落涙必死です。保障します。(ん ? もちろんその人の感受性にもよりますが・・・)
何度も言いますが、「寒くないか」と夫婦がお互いを思いやる、ただそれだけの会話です。
シナリオの底知れない力を感じさせ、映画の魔法を感じさせる、死を前にしての鬼気迫る黒木和雄マジックの独壇場です。
この夫婦の会話シーンだけで、完結した崇高なある普遍的なるものを語っていると思います。このシーンを見て、今この国で、この役を演じきれるのは、原田知世しかいないだろうなと確信できました。(ちょっと、ほめすぎたかなぁ)
それほどまでに原田知世がすばらしいのです。
昭和58年「時をかける少女」でデビューした原田知世。
団塊世代を中心に根強い人気があります。演技力ももちろん確かなものを感じさせますが、どういうわけか作品に恵まれず、これまでの23年間、映画賞にもあまり縁がなかったですねぇ。
しかし、この23年間は、決して無駄ではなかったようです。
この「紙屋悦子の青春」に出会うまでの必然的な助走期間だったのかもしれません。「紙屋悦子の青春」は原田知世でなければ成り立ち得なかったのではないかと思わせるほどに主人公に同化しています。
全編スッピンでモンペ姿の三十九歳の原田知世が、抑えて抑えて熱演します。
間違いなく本年度の主演女優賞を総なめするでしょう。
靖国だ ! 先制攻撃だ ! 経済制裁だ ! と、粗雑で感情的な議論が横行している今日この頃ではありますが、そうした声高な怒鳴りあいの中で、ともすれば見失われてしまいがちな最も大切な視点を、この映画はそれこそ目から鱗が落ちるように、静謐にそして明確に主張し続けてくれます。
黒木和雄は、銃撃シーンや爆撃シーンなしに戦争を描くことを流儀としておりますが、「紙屋悦子の青春」はこうした黒木メソッドが最も効果を挙げえた作品として長く語り継がれることになると思います。
黒木監督は、意図的に情報を制限することによって(たとえば、明石少尉の悦子への最後の手紙は開封されません)、観客の想像力を極力触発しようとします。
長い夜、ウィスキー片手に、気の合う友と、時を忘れて語り合いたくなる映画です。
なお、蛇足ですが、冒頭のクレジットによると、この映画は「東京都知事 推奨」になっています。
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コメント
はじめまして。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
ときどき寄ってみてください。
「紙屋悦子の青春」、私も見ました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
投稿: kemukemu | 2006.09.10 21:25
kemukemuさんのブログ、見させてもらいました。
いろいろな場所の大道芸を追いかけていらっしゃるようで大変ですね。しかし、大道芸がターゲットのため、類似のブログがほとんどない、とっても個性的なブログとお見受けしました。これからも時々寄らしてもらいます。
投稿: 壮大な零 | 2006.09.10 22:36
味わい深い映画でした。原田知世はじめ5人の演技がすばらしかった。私にとって思い出に残る1本となりました。戦争シーンがないだけに、かえって反戦の主張が生きています。岩波ホールには74年からときどき通っていますが、ここの映画には不思議とハズレがないですね。
投稿: RADIO | 2006.09.28 22:04
RADIOさん、お久しぶりです。
岩波ホールがハズレがないというのは、同感です。しかし、岩波ホールには、ひとつの欠陥があります。すなわち、完全無欠の単館上映のため、平日でない限りいつでも大変並ぶんですよね。岩波ホールのあの階段をグルグル回りながら待たされる気持ちは、あまり心地よいものではないですよね。
投稿: 壮大な零 | 2006.09.30 11:07