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2010.02.09

千葉の鬼小町「千葉さな子」

NHKの今年の大河ドラマは「龍馬伝」、好調のようです。
コンスタントに視聴率は20%を超え、ほとんど週間視聴率のトップを独走中。
さて、この「龍馬伝」、現在の展開は、江戸の京橋桶町の千葉定吉道場で、龍馬は北辰一刀流の稽古三昧。

Kantiya
ここで出会ったのが千葉道場の「鬼小町」こと千葉さな子。演じるは貫地谷しほり。千葉家一男三女のうちの長女。
十代で早くも皆伝の腕前と伝えられ、当初は龍馬も勝てなかったと司馬遼太郎も言っている。
京橋桶町とは、現在の東京駅八重洲口、八重洲ブックセンター裏と思われますが、石碑等モニュメントは一切残っていません。土佐藩の江戸藩邸が現在の国際フォーラムの場所にあり、龍馬は江戸藩邸で寝起きしていたはずであるので、千葉道場までは歩いて5分程度の至近距離だったはずです。

ご存じ女好きの龍馬、生涯で三人の女性と恋仲になっている。
最初が、竹馬の友平井収二郎の妹で、初恋の女と言われる平井加尾(広末涼子)
二番目が、この千葉さな子
そして最後が、ご存じ炎の女、龍馬が結婚した唯一の女、お龍(真木よう子)。

このさな子について、龍馬は当時ぞっこんで、乙女姉への手紙の中で、
「かほかたち平井(加尾)より少しよし。十三弦の琴よくひき、絵もかき申し候」
と絶賛している。
しかし、実際には嘉永六年の約五ヶ月の短い修行の後、いったん土佐に帰った龍馬は、その後脱藩し、二度と千葉道場には姿を見せてはいない。
脱藩後、再度江戸に来た龍馬は、勝海舟の弟子となり、さな子チャンのことは眼中になくなってしまうのである。
一方、さな子の方は、龍馬一筋で心を定めて、全ての縁談を断り、独身のまま、慶応三年 30歳の時、運命の龍馬暗殺の報を聞いたはず。

龍馬の死後、さな子が生涯独身を貫いたのに対して、お龍の方は土佐の龍馬の姉乙女の元に一時身を寄せたが、勝ち気な女同士のこととてうまくいかず、間もなく立ち去り、30歳の時旧知の商人西村松兵衛と再婚。晩年はアルコール依存状態で、「私は龍馬の妻だ」と松兵衛に絡んでいたという。このあたりの詳細については、映画「龍馬の妻とその夫と愛人」で、鈴木京香が好演している。
お龍の千葉さな子評が大層悪意に満ちていることを考え合わせると、龍馬とさな子の関係はかなり深いものであり、乙女姉も、お龍よりもさな子に好意を持っていたことがうかがわれる。

Sanako

なお、東京千住に住んでいた千葉さな子と、竜馬の死去後転々として横須賀で西村松兵衛の妻となっていたお龍の二人は、最後まで直接顔を会わせる機会はなかったと思われる。

この時代に女が独身を通して自立して生計を立てることは至難のことだったと推察されるが、さらに加えて千葉さな子は兄重太郎(渡辺いっけい)にもそして二人の妹にも先立たれ、晩年は全くの天涯孤独の身になってしまう。

さな子は、維新後は学習院女子部の舎監として奉職した後、千住で家伝の針灸を生業として生計を立てていたという。
死後は身寄りがなくて無縁仏になるところを、親しかった山梨県の民権運動家小田切謙明夫婦が哀れみ、甲府市の日蓮宗清運寺に納骨した。

清運寺の千葉さな子の墓の裏面には、「明治29年10月15日没、坂本龍馬室」と刻まれている・・・・・

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コメント

幕末にも竜馬にも新撰組にも興味がない(っていうより、嫌い)もので、「また大河は幕末モノかー幕末やれば視聴率とれると思って安易だなー」と冷ややかに見ておりましたが
なーんと千葉さな子さん!墓に「室」って書かれちゃうような関係だったんですか!!
やっぱり龍馬は嫌なやつだ。だからイケメン男はいかん。(意味不明)

大河ドラマ、大化の改新とかやってくれないかな・・・

投稿: piglet | 2010.02.12 09:12

龍馬がイケメンであったか否かについては、実はかなり議論があります。
一方、説得能力や相手の気を逸らさない話題性など、いわゆる「人たらし」能力はおそらく最高級だったと思われます。
顔の美醜の方は、あまりにも有名な、懐手で総髪姿の写真がたった一枚だけ残されています。
この湿版写真の現存する唯一のガラス板写真の原版は、高知県立歴史民俗資料館が収蔵しています。
ということで、さぁお立ち会いsign03
来る4月27日から江戸東京博物館で開催される「特別展:龍馬伝」では、この龍馬が唯一残した日本中探してもたった一枚しかない「ガラス版写真」のオリジナルが展示されます。
このガラス版写真、大変傷みやすいため展示されるのは(ここだけの話ですが)冒頭の三日間だけになる予定です。
見逃せませんよsign03

投稿: 壮大な零 | 2010.02.12 11:13

龍馬もほれた佐那の錦絵と題して13日付の朝日新聞に載りましたね。
千葉貞女という女性が薙刀を持って男と剣術をしている絵ですが、専門家の意見では佐那に間違いないとのこと。発見者は、京都国立博物館考古室長の宮川禎一氏であると記されています。佐那は龍馬に相当惚れていたようで、龍馬の死後「私は龍馬様のいいなずけでした」と語っていたと結んでいます。そういうこともあって、佐那の墓には龍馬室と彫られたのでしょうね。
それにしても、NHKの龍馬伝に出てくる岩崎弥太郎は汚れ過ぎていませんか?どうも毎回気になります。我家の近くに岩崎別邸都立殿ヶ谷戸庭園があるものだから余計にね。

投稿: 西恋おじん | 2010.02.15 23:05

私がこのブログで「千葉さな子」を取り上げた途端に、ご指摘の朝日新聞の記事が掲載されたので、その偶然にちょっとびっくりさせられました。
お話の「千葉佐那の錦絵」は見れば見るほど興味深いですねぇ。当時の女性は長刀の試合をする時も、ダブダブでとっても動きにくそうな大仰な衣服を着ていたのですね。あの錦絵を見るだけで、今の女性達がいかに幸せな時代を生きているのかがわかります。

投稿: 壮大な零 | 2010.02.18 13:20

岩崎弥太郎、きたないですね。三菱がNHKに抗議した、って話もありましたが、真相は、三菱グループ各社幹部の新年の賀詞交歓の席で弥太郎の描き方(外見があまりにきたない)にクレームの声があがったようです。でもきっと当時の庶民はあんな感じだったのでしょう。龍馬がきれい過ぎる。それにしても香川照之はますますスゴ味が出てきて、老い先が楽しみです。

投稿: piglet | 2010.02.19 11:38

品川の新八つ山橋近く、ホテルラフォーレ東京や御殿山ガーデンの向かい側に、うっそうとした広大な森に囲まれてpigletさん好みの知る人ぞ知る「謎の名建築」があることをご存じでしょうかsign02
「三菱関東閣」と申します。三菱グループの迎賓館として使用されております。非公開です。
設計は、鹿鳴館やニコライ堂を設計したコンドル。岩崎小弥太が病魔と闘いながら命がけで完成させたと言われる名建築。
三菱マンは誰でも知っている割に、世間では知名度がほとんどない珍しい建物です。
さしずめ、くだんの「三菱グループ各社幹部の新年の賀詞交歓会」なるものは、ここで開かれたのでありましょう・・・

投稿: 壮大な零 | 2010.02.19 16:48

三菱関東閣!知ってますよぅ!一度は行ってみたいんですが、なんかツテありませんかぁ?

投稿: piglet | 2010.03.01 09:46

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