新シルクロード展と井上廉(江戸東京博物館)

GWに近所(自転車で片道20分)の江戸東京博物館に行ってきました。
今回の出し物は、現在NHKで放送中の新シルクロードとばっちりタイアップして、~幻の都楼蘭から永遠の都西安へ~と副題を設定して、大変な人気。午後には入場制限になるほどでした。
近年、シルクロードの要衝に当たる中国新彊ウイグル自治区と、その出発地で同時に到着地でもある古都西安では、シルクロードの歴史に関わる新たな発見が相次いでいるそうです。
いろいろと目玉出品があるようでしたが、私が興味をそそられたのは、次の二点に集約できます。

ひとつは、木製ミイラです。立木に腕や足の如き切れ込みを入れて、本物のミイラと同じように、靴下や極彩色の衣服を着せ、帽子をかぶせた上に、さまざまな副葬品と一緒に埋葬したようです。どうせ何年も年を経れば、ミイラか木か、判別がつかなくなります。
興味深いのは、木製のいわば偽ミイラを埋葬した理由です。推測されているのが、遠くで亡くなった親類を、亡骸のない故郷で埋葬するために、ダミーとして使用したとされています。なるほどであります。

二つ目のお薦めは、ダンダンウィルク出土、世界初公開、優れた筆致で柔和な表情の仏画を描いた壁画「如来像」です。
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この壁画の良さは、あなたの全神経を集中してこの絵を見なければわかりません。よ~く写真をご覧下さい。どうですか?何とも言えない流し目による色気に、魅入られてしまいますよね。
この壁画は、その謎の微笑から別名西域のモナリザとも呼ばれているところです。

さて、大変な人混みの後ろから、辛うじてかいま見ながら「新シルクロード展」を見終わりましたが、時間もちょっと早かったので、次に常設展を見てみることにしました。
ここで、私は偶然の幸運に出くわすことになります。
すなわち、常設展の端で、第二企画展と称して~ある幕臣の幕末・明治~「井上廉と川村帰元」なる展示がなされていたのです。要するに、常設展以外にダブル企画展だったようであります。
しかしながら、こちらの企画展の方は、場所も狭い上に、なによりお客さんがほとんどいないのです。私が見た時は、ガランとした企画展示場にたった三人しかおりませんでした。花のGW中で、一方の新シルクロード展が入場制限までしているまさにその真っ最中に、怖いほどにガランとした展示場でゆっくりと心ゆくまで見ることが出来たわけです。

私がこの第二企画展に興味を持った理由は、井上廉(1846~1913)その人に対する興味からなのです。
井上家は、砲術を職能とするご家人で、父は幕府勘定所の下級役人である普請役をつとめ、イギリス公使館の建設や和宮降嫁の折りの接遇賄いの仕事までやっていますから、何でもありだったようであります。これだけでも、相当おもしろいですよね。要するに、技官と文官と両方の役割をやらされていたのかもしれません。
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この井上廉さんは、大変な勉強家でかつ筆まめでもあったらしく、普請役になった1856年から亡くなる前年の1913年までの堂々58年間の日記を残しておりまして、主な展示品は、ただひたすらこの膨大な日記だけなのです。
日記と言っても、当時は市販の日記帳など売っていませんから、自分で大きさとしてはA5判程度の大きさの和紙をこよりで綴じて使用しております。書いてある内容は、多くが小遣い帳的な記述だったり、あるいは家族のことについて書かれたものです。
したがって、展示をいくら一生懸命見ていても、全然おもしろくも何ともないわけです。

じゃ、私にとって何がおもしろいのかと申しますと、まず第一に、この井上廉さんは激動の幕末の時点で、毎日漢詩や書写を初め大変な勉強量だったようなのであります。問題は、彼のこのエネルギーが何を目的にどこから発していたのかという事なのです。現代であれば、大学受験とか司法試験とかそれらしい目的がわかるのですが、廉は何を目指していたのか?
ひょっとすると、激動する幕末の不安の中で、闇雲に自分を研鑽することで、心の安寧を得ようとしたのではないかという気がしてきます。

もう一点、私にとって大変興味深いのは(何人かの読者はまたかと言うかも知れませんが)、1868年井上廉22歳の時、幕軍の一員として甲府に従軍し、官軍との戦いに敗れた廉が、江戸に向かって敗走しようとしていたちょうどその時、甲府に向かう途中の新選組すなわちかの甲陽鎮撫隊とすれ違ったと廉は日記に書いております。
22歳の勤勉実直多感な青年井上廉が、敗戦必死の戦にノー天気で勇躍行軍していく新選組を見て、果たして何を感じたでありましょうか?興味は尽きません。

さて、その後の井上廉ですが、明治維新で幕府勘定方の人材の多くは、明治政府に引き継がれたそうですが、廉も会計官勤務となりました。
そして、実務官僚として優れた能力を発揮し、最後は内閣会計局長・恩給局長にまで昇進したそうです。
まっ、そう言う意味で、廉の若い時の無目的の猛勉強は、結実したわけです。

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