相撲と言えば・・・

前回に続いて今回も相撲について書きます。
例によってで恐縮ですが、私の小学生時代を今思い出してみますと、いつでも相撲をとっていたような気がします。
私の世代は、正真正銘の戦後ベビーブーム真っ盛りでありまして、私の小学生時代は、とにかくどこのご町内の横丁にも子供があふれるほどいたのです。したがって、放課後、ちょっとご町内の横丁に入れば、ある集団はベーゴマ、ある集団はメンコ、そしてある集団は相撲をとっていたものです。
たとえば、たかがメンコと申しましても、通称「ダシ」と呼ばれる遊び方の場合は、実に何百枚ものメンコをつなげまして、十人を超える子供たちが、順番に自分のメンコを張ることによりまして、特定の一枚のメンコだけを分離できれば、何百枚のメンコを総取りできるという、ギャンブル性の強いルールで遊んでいたものです。

ある集団とは申しましたが、実際には相撲を始めますと、他の集団もみんな参加したがりすぐに吸収されてしまうほど、圧倒的に人気の高い遊びでした。
その結果、われわれの世代の横丁での相撲は、通常10~20人という多くの人数で遊ぶのが常でした。
相撲のとり方も、勝ち抜きあり、トーナメントあり、総当りありといろいろでした。体の大きさや年齢によるハンデのないようにするために、勝ち続ける限り続けて相撲をとり続けなければならない「勝ち抜き」が一般的だったような気がします。
そして、今考えるとうそのように思えることではありますが、女子も一緒に参加していたはずです。もちろん、かわいい女子というよりも、強い女子ではありますが・・・ なぜなら、私はある時、クラスメイトの某女子が勝ち抜いて得意満面であったことを、鮮烈に覚えているからであります。
今もそうでしょうが当時も、同学年では女子のほうが体も大きく、まともに相撲を取れば、女子のほうが強かったはずです(もちろん、人によりますが・・・)。当然、小学校の体育の授業でも相撲をとらせましたし、男女混合で相撲をとらせられた記憶もあります。

ところが、今現在はどうなっているかと申しますと、男女が一緒に相撲をとるなどという恐ろしいことなど想像もできないことはもとよりとしまして、子供たちが相撲を取ること自体ほとんど有り得ない事になっていることに驚かされます。
子供たちは、ひょっとしてもはや相撲のとり方すら知らないのではないでしょうか?
我々の時代の生育環境との大きな相違点のひとつの典型例がこの事にあると思い当たります。

ご町内の横丁に子供たちが自然発生的に集まり、強そうな女の子も仲間に入れて、体の大きい子も小さい子も上級生も下級生もハンデのないように、自分たちで勝ち抜き戦のルールを決め、自主的に自己責任で遊んだあの頃・・・・
当然、怪我をするリスクは今よりも数倍もあったんでしょうが、今考えると、まるで夢の国のような理想的な子供の生育環境がそこにあったんだなぁと、改めて感慨深いものがあります。

あっ、いけねぇ!
また、ノスタル爺と言われちゃうかなぁ?

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大相撲人気回復策の提案

9月25日に千秋楽を迎えた大相撲秋場所は、新関脇琴欧州との優勝決定戦の末、モンゴル出身の横綱朝青龍が、大横綱大鵬以来となる六連覇を達成しました。ご同慶の至りであります。
秋場所は、ブルガリア出身の琴欧州が初日から12連勝して最後まで優勝を争うなど、最近は欧州勢の躍進も著しく、外国出身力士がこの一年間賜杯を独占する結果となりました。

この秋場所の初日に、私は偶然の縁がありまして、何十年ぶりかで相撲を観戦する僥倖に巡り会うことが出来ました。
昭和60年オープンの両国国技館に私が足を踏み入れましたのは、なんと生まれて初めての経験でありました。我が家から自転車ならわずか20分、いつも徒歩でその前を通りかかる両国国技館の内部にようやく入ることができたわけであります。
大相撲の本場所は、国技館が連日満員になることが当然と思っていた私でありますが、その日は初日であったにもかかわらず、1階席はほぼ埋まってはいたものの二階席は空席がかなり目立つという状況でありました。
原因としては、外国出身力士の活躍しすぎの状態がまず第一に考えられるところでしょう。しかし、よくよく子細に国技館の内部を眺め回してみると、あまりにも旧態依然、超保守的な相撲協会の経営姿勢、そして恐ろしいほど低いサービス水準など、観客の立場が全然考えられていないことに驚かされます。ちょっと国技館の内部を見回しただけで、多くの改革案が浮かんできます。
今時、サッカーはもとより、野球にしてもラグビーにしてもあらゆるプロスポーツは、時代と共に変転する浮気なファンの興味を捕らえるべく、血のにじむようなファンサービス向上の努力をしています。しかし、大相撲に限っては、そうした努力の形跡が全く感じられないのは、どうしてなのでしょうか?そこで、大相撲の人気回復策として、私が考えついたいくつかの提案をご披露したいと思います。

  1. まず、取り組み表示板があまりにも不親切です。もっと情報量を増やすべきです。せめて過去の対戦成績や決まり手程度の最低限の情報は表示して欲しいものです。
  2. せめて、現在土俵に上がっている二人の力士の名前ぐらいははっきり知らせて欲しい。そのためには、土俵の4方向どこからでも容易に見ることの出来る大型スクリーンディスプレイが、是非とも必要です。
    このディスプレーには、力士の写真、所属部屋、身長、体重、今場所の成績等、最低限の情報を表示すべきです。
    このスクリーンでは、直前の取り組みのビデオを上映すべきことも当然です。
    大変奇妙なことではありますが、先頃挙行された大相撲ラスベガス場所では、なんとこの4方向の大型スクリーンディスプレイがありました!日本の相撲協会は、どうやら外国人に対しては、サービスが良いようです。
  3. 国技館入場時に観客に配布される当日の取組表が掲載されたペーパーが広告だらけであまりにもお粗末です。こうした紙ベースのチラシですら、対戦成績等満足な情報を載せようとしない相撲協会の救いようのない問題意識のなさには、驚かされます。

最低限、以上の事ぐらいは、やって頂きたいものです。
要するに、今の国技館のシステムでは、今土俵に上がっている二人の力士の名前は辛うじてわかるとはいうものの、彼らの今場所の成績も、対戦成績も、所属する部屋も、体重などの基礎的情報ですら、全くわからないんですよ! こんなことってありますかねぇ?
日本相撲協会の猛省を促したいと思います。

いずれにしても、「昭和の黒船来航」と言われた高見山などハワイ出身の力士の時代から、朝青龍に代表されるモンゴル勢全盛の時代へ、さらに今、欧州出身力士という「第三の波」に洗われている大相撲。
現在、幕内力士に占める外国出身力士の比率は、なんと28.6%、実に4人に1人以上は外国人なんです。
きっと黒人力士の登場もそんなに遠くないでしょう。むしろ、その時が待ち遠しいものです。

最後に、モンゴルの朝青龍とブルガリアの琴欧州の優勝決定戦をTVで見た後、私が気が付いた大いなる矛盾についてです。
優勝力士の表彰の際、国技館ではおきまりの「君が代」を演奏し、観客に歌わせます。これって、おっそろしくおっかしいですよねぇ~!
だって、優勝決定戦はモンゴル対ブルガリアだったんですよ! どうして「君が代」なのでありましょうか?千秋楽に流す国歌は、当然優勝力士の出身国の国歌(すなわち今場所はモンゴル国歌)を歌うべきでしょう!!!

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福岡県立小倉高校

s 8月20日(土)決勝を迎えた今年の第87回全国高校野球選手権大会で、北海道の駒大苫小牧高校が京都外大西を5-3で破り、大会史上6校目の2連覇をめでたく達成しました。ご同慶の至りです。
夏の大会の連覇ということになりますと、なんと遡ること57年、昭和22~23年の九州の小倉中学(現在の小倉高校)以来となります。

さて、57年の時を隔てた小倉高校と駒大苫小牧高校ではありますが、実は奇妙な共通点があります。
駒大苫小牧高校の昨年の優勝は、北海道勢としては、史上初めての優勝であったのですが、それがそのまま、今回の57年ぶりの2連覇に結びついたわけです。
一方、57年前の小倉中学も、昭和22年の優勝は、九州勢では史上初めての全国優勝であったのです。これも史上初から一気に2連覇につなげたわけです。不思議な偶然です。

さてさて、小倉高校と言いますと、この昭和22~23年の全国高校野球大会2連覇の後も、北九州の強豪として何度も甲子園に出場してくるほど、野球の強い高校でありましたが、お勉強の方も大層得意で、当時の有名大学合格ランキングでも全国ベスト20位に入るほどの受験校でもありました。
私には、野球も強くて勉強も出来る文武両道の高校生というのが、あり得ない存在と思っていましたので、とっても不思議でした。

ところが、私が大学に入ると、運良く同じクラブ(ラグビー同好会)に、この小倉高校出身者が一人おりましたので、早速尋ねてみました。
この小倉高校OBのA君は、性格も外見も共に典型的な九州男児のスポーツマンでありまして、真っ向勝負、語る言葉は真実のみの木訥一本槍の快男児でありました。
彼が明快に説明してくれたところによりますと、
「まぁ、東京の人が不思議に思う気持ちもわからなくはないが、我々小倉高校OBにとっては何の不思議もない。
小倉高校という学校は、旧制中学時代から九州の高校の中でも、抜きんでて生徒数が多い大規模校であって、勉強の出来る奴も、野球のうまい奴も、みんな入ってくるほど規模が大きいだけの話だ。したがって、勉強の出来る奴が同時に野球もうまいわけではない。やっぱり、野球の得意な奴のほとんどは、勉強が出来ない。」と言っておりました。

しかし、この小倉高校は、その後今日に至るまで、甲子園には全く縁がなくなってしまったのはご存じの通りです。
小倉高校のHPを見てみますと、大学受験の成績の方は、相変わらず好調のようであります。
一方で、県下屈指の進学校で同じ北九州市のライバル校東築高校は、依然として文武両道を貫いております。
小倉高校は、厳格な校風が売り物で、校則も厳しく、勉強も徹底的にしごくそうでありまして、だからこそ、進学実績も非常に良いようです。
最近は、こうした超管理教育を売り物にして、それが見事に効を奏して、高い進学実績を残す高校が、東京でも多いようです。

かつて、東京では受験校と言えば都立高校を指す時代があり、そうした都立高校の中でも、抜群の進学実績を誇っていた日比谷高校にしても、新宿高校にしても(ついでに両国高校にしても)みんなみんな自由な校風で(悪く言えば、しばりなしの完全フリーで)、その代わり自己責任は厳しく問われていたものです。
はたして、教育が変わらざるを得なかったのか、それとも学生の方が変わってしまったのか?
ひょっとすると、あの時代のあの高校教育は、もう永遠に戻ってこないのでありましょうか・・・・

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「4番~サード~長嶋~」

先日、知人からナイターのチケットを戴いた。7月3日(日)の東京ドーム、巨人対広島戦である。どうやら、ネット裏らしいが、何しろ正真正銘の最下位争いである。
ついこの間まで、私は、早く帰宅できた時は必ずビールを飲みながら巨人戦のナイターのTV観戦をしていたものである。風呂にはいる時も、わざわざ購入した防水ラジオを風呂場に入れて試合中継を聞いていたものである。TV放映が、試合途中で切れてしまえば、ラジオで試合終了まで聞かなければ気が済まなかったほどの熱狂的な巨人ファンだったのである。
その私が、巨人戦ナイターのTV中継に全く興味がわかなくなったのは、いつの頃からだろう。江藤・清原・ローズ・小久保とバランスを考える最低限の戦略もなく、札束で頬をはって獲得するかの如き、えげつない巨人のフロントに愛想が尽きたのが、最大の理由かも知れない。
今年に入って、巨人戦の視聴率もかつてないほどの低水準だそうであり、東京ドームも空席が目立つという。そりゃそうだろう。何を隠そう、小学校以来、「巨人命」で毎夜一喜一憂しながら熱狂していた不肖私やご同輩のかつての野球少年達はもとより、若者達は見向きもしなくなっているのであろう。

そんな状況での巨人対広島戦のチケットである。まぁ、例えて言えば、瀕死の巨象の臨終に立ち会うつもりで見に行くことにした。
しかし、世の中、何が起こるかわからないもので、単なる最下位争いの無感動ゲームであったはずが、なんとあの長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督が、脳梗塞で倒れて以来初めて486日目で、姿を見せる超プレミアゲームに変わってしまったのである。

長嶋さんは、ネット裏の3階にあるスイートルームに来たようであるが、私の席はよりによって彼の真上の4階席だったため、長嶋さんの顔を直接拝むことはできなかった。
s-DSC00651 したがって、写真でご覧のように、スコアボードの大型スクリーンで間接的に、にこやかに手を振る長嶋さんを見たわけである。右手は不自由されているようであるが、表情も豊富でしっかり歩けるようでもあり、ご同慶の至りである。

我々にとって長嶋をスターとして決定づけたのは、何と言っても昭和34年6月25日、場所も同じここ後楽園球場での天覧試合、巨人阪神戦でピッチャー村山から打ったサヨナラホームラン。あれが、全てである。
実は、長嶋は個人記録としては、生涯打率も生涯本塁打数も、スター選手の中ではそれほど目立ったものではない。しかし、天覧試合のように、どういうわけか大事な試合では必ず目立つプレーをするのである。というわけで、我々団塊おじさんの小学生時代は、長嶋の一挙手一投足をまねし合ったものである。
典型的なのは、足を運べば楽に裁ける三遊間のゴロを、あえて足を運ばずに横っ飛びに倒れながら捕球する派手なパフォーマンスのまねは、我々の世代の野球少年にとっては、朝飯前であったのです。

その他、あの後楽園球場のウグイス嬢による選手紹介アナウンスの名調子、「4番~サード~ナガシマ~」は、当時全国の草野球で、まねされたものである。まるで、4番バッターは、サードを守るのが当たり前であるかのように・・・
ところで、急に話は変わりますが、なぜ我が国のプロ野球の球場における選手紹介は、お決まりのようにウグイス嬢なのでありましょうか?(ま、私としては別に文句があるわけではないのですが・・・)
と言いますのは、メジャーリーグでは、どの球場も男性の声で選手紹介がされているようであります。そのうえ、節を付けている様子もなさそうです。
あっ、そうそう、マリナーズのセイフコフィールドでは、セカンドのブレット・ブーン(先日解雇されましたが)の紹介アナウンスだけは、「ブ~~~ン」と低音で思いっきり節を付けていましたネ。(そう言えば、神宮球場の六大学野球も伝統的に男性の声ですネ)

同じ職業野球でありながら、この他にもディテールの部分で日米で微妙に違う場合が、少なからずあるが、これはこれで大変興味深いことである。

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イチローの大記録につけられた綾への大反論

ついにイチローのメジャー年間最多安打記録が達成されました!
熱心なMLBファンのひとりである私としては、誠に慶賀に堪えません。
とりわけ今年のマリナーズは、シーズン当初からチーム状態が極めて悪く、最下位を独走しておりはがゆい思いをさせられてきました。その一方で、チーム内でイチローだけが(と言っても言い過ぎではないと思います)文字通り黙々と孤独に集中力を持続させた結果であり、驚嘆すべき記録です。

しかし、改めて感じますが、今年のマリナーズはひどかった。とりわけ、打線がひどかった。イチローがいくら一生懸命出塁しても、後続打線が本塁に返してくれないのです。あんなにも頼りにしていたかつての黄金のクリーンアップであるところの、マルティネス(今年限りで引退)も、オルルッド(シーズン途中でヤンキースに移籍)も、ブーン(打率.250前後に低迷)も、み~んな不調でした。
したがって、今年のマリナーズの試合は、本当に本当につまらなかったんです。そんな中で、イチローだけが集中力を切らさなかったのです。あらゆる絶賛の言葉を費やしても足りないくらいの快挙です。

しかし、こんなすばらしいイチローの記録に対して、米国スポーツジャーナリズムのほんの一部ではありますが、好ましからざる綾をつける動きがありましたので、不本意ながらその記事をご紹介すると共に、私なりの大反論を展開したいと思います。

くだんの記事は、米国スポーツジャーナリズムの「スポーツイラストレーテッド」誌上に掲載されたリック・レリー氏の署名記事です。
ここでその記事を要約すると、「1920年のジョージ・シスラーの記録は、全154試合での記録であり、今年のイチローの記録は160試合目での記録だ。イチローの154試合目では、シスラーの記録には及んでいなかったので、イチローは新記録とは言えない。」というものです。
こうした悪意の綾をつける意見が出てくることは、私も予想していたので驚きはしませんが、一応完膚無きまで反論しておく必要があると思いますので、ちょっと長くなりますが、あらかじめご容赦下さい。

このリック・レリー氏の最大の誤りは、84年前と現在のメジャーリーグの環境面での大きな相違について考えていないことです。これまでの年間安打記録の史上ベスト10が、イチローが登場するまでなぜ全て1930年以前だったのかという問題について、想像力が及んでいないことです。

84年前は、大リーグの球団数はたったの16だったのに比べて、現在は約2倍の30であり、だからこそ年間試合数も8試合多いわけです。この結果、イチローは、今日西海岸のシアトルでナイターを戦ったすぐ翌日には、東海岸のニューヨークでデーゲームに出場するなど珍しくない過酷な試合消化を余儀なくされているのです。
したがって、ヤンキースのジョン・トーリ監督や前マリナーズのピネラ監督など合理的な監督達は、実際には大事な選手であるほど意識して定期的に休ませて使っています。
これが、まず84年前との大きな違いであります。

さらに、シスラーに比べて84年後のイチローが負わされているハンデにはどんなものがあるのか、ひとつづつ以下に具体的に述べていきたいと思います。
第一に、84年前に比べて球場のグラウンドコンディションは劇的に改善されています。その結果、イレギュラーヒットが激減してきたと言われております。イチローの打撃スタイルの基本がたたきつけて足で安打を稼ぐスタイルであることから、84年前だったらイチローの安打数は激増していたことは明白です。
第二に、84年前は照明設備がなかったため、ボールが見にくくなるので打者にとって不利と言われるナイター試合がありませんでした。
第三に、現代は投手の変化球開発が進展し、おなじみのスプリットフィンガーボールだとかフォークボールなどにより、打者がきりきり舞いさせられておりますが、昔は直球とカーブだけの単純な組み立てだったんです。
第四に、84年前は先発した投手が完投することが当然と考えられていましたが、今はご承知のように、先発・セットアップ・抑えの分業制が確立しているため、対戦する投手数が激増しており、疲れた投手は投げません。例えば、’20のシスラーは自軍(ブラウンズ)以外の対戦投手数が56人だったのに対して、イチローはなんと約4倍の197人の投手と対戦しているのです。

わかりやすい話が、イレギュラーヒットの出やすい整備不良のグラウンドのデーゲームで、直球とカーブだけで最後まで投げ続ける先発投手を相手に、もし仮にイチローが打つとしたら、果たして何本ヒットを打ってみせるでしょうか?考えて見てください。
おそらく五割を超える打率で打ってみせるのではないでしょうか。

もうここまで申し上げれば、これ以上はもはや言わずもがなではありますが、念のためにもうふたつだけ言わせてください。
イチローは、記録達成にとって極めて大切な時期であったはずの絶好調で迎えた8月下旬に、後頭部にブラッシュボールの直撃を受けております。
もうひとつ、アメリカンリーグでトップのイチローの敬遠数19個についても指摘せざるを得ません。この敬遠がなければ、イチローはもう7~8本の安打を余計に打っていた計算になります。

ここまで言えば、誰もイチローの記録に綾をつける人はいないと確信しております。
さて、イチローの次の目標は、やっぱり四割でしょうか?

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プロ野球選手会スト無血革命説

古田敦也プロ野球選手会長指揮の下、去る9月18日(土)19日(日)の二日間、史上初めてという歴史的なプロ野球選手会によるストが整然と打ち抜かれました。
今、この時代のこの国で実施されるあらゆるストライキの中で、このプロ野球選手会によるストだけが、国民的に指示される唯一のストと言っても言い過ぎではないでしょう。
そういう意味では、極めて幸せなストであったと言えると思います。

さらにもうひとつ、プロ野球選手会にとってこの上ない僥倖であったことは、曲がり角にあるプロ野球にとって、過去に例のない危険で困難な時期にあるよりによってこの時代の選手会長として、古今未曾有の卓抜した人材である古田敦也という会長を得た事だと思います。

以上のように神の恩寵としか思えない幸運に恵まれた今回のプロ野球選手会によるストではありましたが、少し冷静に距離を置いてこのストを見つめ直してみますと、何かすんなり飲み込めない不可解な部分が残ります。
それがなんなのか、私としてははっきり出来ないまま、今日に至ったのではありますが、このやり場のない不透明感を明解に分析してくれた文章に遭遇いたしましたので、ここにご紹介したいと思います。

この文章は、これまで私のブログにも時々辛口のコメントを寄せてくれている敬愛する「時間厳守子」さんが管理するメールマガジン「雑学通信」で、先日配信されたものであります。
「時間厳守子」さん独特の妥協を許さない明晰な論理展開で、目から鱗が落ちる文章であります。
ご本人のお許しを得た上で、以下に謹んで引用させていただきます。
[以下引用]

 プロ野球の球団再編問題は選手会のストが2週目には回避され、一応はめでたき方向への決着となりました。
 この一連の過程を「正統と思われていた基本的制度が社会的な力によって乗り越えられる過程(=革命)」と見ることができます。

 すなわち、今回の事態では、「制度」を絶対不可侵のものと考えていたならば混乱はなお続いており、「制度」を超越したからこそ解決が得られたと考えられるのです。

 事業を廃止・縮小するか否か、他会社と合併するか否かといった事柄の決定権は、経営権として制度上株主によって選ばれた経営者が持っています。これは資本主義経済社会において基本的な制度です。
 労働組合は事業の廃止等に伴う労働条件の変更について交渉権がありますが、経営権に介入することはできません。

 したがって、制度上からのみ言えば、選手会の要求は労働組合の交渉権の範囲を逸脱しており、仮に経営者側がストによる損害賠償請求の裁判を起こしていれば、選手会は敗訴していたでしょう。
 しかし、今回の場合、選手会の主張に大衆の圧倒的支持が集まり、経営者側は制度逸脱を理由にして選手会の主張を斥けることができませんでした。
 以後、これを前例として選手会は経営権への一定の発言権を確保したことになり、経営者側は基本的な制度に変更を加えてしまったことになります。

 このように大衆の力によって、かつ暴力的な手段によることなく、基本的な制度が変更されるという事態は、歴史上「無血革命」と呼ばれます。
 制度の番人である元検事総長の根来プロ野球コミッショナー(ある意味では彼は職務に忠実であった。)が一貫して悪役(あるいは役立たず)であり続けたのが、今回の一連の事態が「無血革命」であったことを象徴しています。

以上です。

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メジャーリーグと日本プロ野球比較

日本のプロ野球では、近鉄とオリックスが合併するか否か?1リーグ制か2リーグ制か?熱っぽい議論が、現在展開されております。
かく言う私も、イチローそして両松井とメジャーへ相次いで人材が流失したことをキッカケにして、BSでメジャーリーグを観戦することが無上の楽しみになって以来、気がついてみると、日本のプロ野球の試合にTVのチャンネルを合わせることが、すっかり珍しくなった自分に驚く今日この頃であります。
ということで、今回は前々回の「サッカーとラグビー」に続いて、「スポーツ比較シリーズその2」として、メジャーリーグと日本のプロ野球の違いについて書こうと思います。

メジャーリーグと日本のプロ野球の大きな違いで、私がすぐに気づかされる「しきたり」は、ふたつあります。
ひとつは、引き分け試合の扱いについてです。
メジャーは原則として引き分け試合を許しません。じゃ、どうするかというと、夜中だろうと明け方だろうと、決着がつくまで無制限に試合を続けます。驚くべき事です。
一方、日本では、ご承知の通り延長12回でケリがつかなければ、自動的に引き分けとなります。かつて、試合時間3時間で引き分けとした時代には、引き分け試合が非常に多く、極端なケースでは、’82のセリーグで、引き分け試合なんと19試合の中日が勝ち星で二つ巨人を下回っていながら、勝率でわずかに上回るということで、優勝したケースがあり、これにはさすがに温厚な私も、義憤に駆られて「もう野球は見ない!」と、息巻いたことを思い出します。
しかし、この点についてのメジャーの徹底ぶりは、すさまじいですね。徹頭徹尾、競争社会の国民性なのでしょうか?その他、日本に比べてマイカーでの来場者が圧倒的に多いとか、日本とは異なる条件があるようです。
したがって、この点については、メジャーと違ってもやむを得ないと思います。

一方、次に述べる二つ目の違いについては、どう考えても日本の方式が許せないと思われるケースです。
それは、雨天中止後の試合スケジュールの扱いについてなのです。
まず、日本の場合は、ご承知のように、年度当初に定められた年間スケジュールをアンタッチャブルとし、雨天順延の試合は、シーズン終盤に集中的に配分されます。
これに対して、メジャーの場合は、雨天中止後のスケジュールはどうなると思います?
日本方式に慣れている我々にとっては、ちょっと予想外ですよ~。なんと、その順延試合については、直近の対戦試合を(土日になるケースが多いように思えますが)ダブルヘッダーにして日程消化してしまうんですよ。(直近の対戦がない場合は、変則ダブルヘッダーにしてしまう事さえあります。昨年のヤンキースで実際にありました。)
したがって、ファンにとっては、雨天中止になるとその代わりに次の週末あたりがダブルヘッダーになるという予想がつくことになります。
(話は変わりますが、パーティに誘われたが先約があって断る場合「また今度・・・」と言うときは、「Sorry.Give me a rainy chiket.」と言うらしいよ。)

この結果、日米の順位表をよくよく見ると、大きな違いがあることに気がつきます。
すなわち、メジャーは、シーズン中どの時点で見ても、各チームの消化試合数に3試合以上差がある場合は、ほとんどあり得ません。
これに対して日本の場合は、例えば現時点のセリーグを例に取ってみますと、東京ドームでは雨天中止があり得ないため、最も消化のいい巨人と悪いヤクルトでは8試合も差があります。
今年は、天候がいいせいか、これでも差は少ない方でして、とりわけ、広島については、雨天中止が多く、毎年終盤では巨人に対して、15試合前後は消化が遅くなり、シリーズ終盤の忘れた頃に毎年恒例のように、消化に努めます。これで、ファンが何も言わないのが不思議です!
明らかにアンフェアな運営です。
どちらが有利かについては、諸説ありますが、ある人は「巨人は試合が計画的に出来て有利だ」と言い、反対にある人は「広島は途中で休みが取れて有利だ」と両説が主張されております。
これは、当然、メジャー方式を手本としてフェアーな運営をするべきものです。

最後に、今度は逆にメジャーの試合スケジュールの矛盾について、触れておきたいと思います。
それは’97から公式戦で採用されたインターリーグすなわちアリーグとナリーグの交流戦の対戦相手についてなんです。
これについては、ほとんどのメジャーリーグのファンは不思議に思っているはずなんですが、相手リーグの全チームと戦うわけではないんですよ!
アリーグ14球団は、全チームがナリーグチームと3連戦を6シリーズ戦い、ナリーグは、チームによって4~6回とマチマチなんですよ!
いずれにしても、最大でも6シリーズですから、当然相手リーグの全チームとは戦えないんですよ!
さらに、ご存じニューヨークサブウェイシリーズ(ヤンキース対メッツ)のような人気カードとなりますと、毎年必ず日程に組まれます。
これで、フェアーな日程と言えるんでしょうか?
余談ですが、今年インターリーグで思わぬ得をしたのは、イチローの所属する現在絶不調のマリナーズでして、エクスポズ・パイレーツという相手リーグの最下位を争う2チームと相次いで対戦したため、連勝して一息ついていましたよね。

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とりあえずの結論(続・サッカーとラグビー)

サッカーとラグビーの線審(タッチジャッジ)のジャッジ方法(旗を挙げる方向)についての私のささやかな疑問に対して、熱心なコメントを頂き、恐縮しております。ご協力いただいた3人の皆様には、伏して御礼申し上げます。
3人の方のコメントを参考にして、私なりの「とりあえずの結論」に到達いたしましたので、謹んでご報告いたします。

まず、思考を整理するために、極端に単純化した架空の競技を仮定してみます。
すなわち、バトルフィールドに敵1人味方1人の2人しかいない競技の場合です。
この場合の線審のジャッジは、おそらくボールを支配すべき者一名を具体的に指させば済む話です。
このように、線審のジャッジ方法の原点は、「あなたのボールなのですよ!」と具体的に競技者を特定して指さすことにあると思います。
この場合のアナロジーが容易なのは、ラグビーです。ラグビーは、集団として攻守の活動をしますので、「お前達のボールだよ!」と右か左かの方向で、容易に指し示すことができます。
ここまでは、すんなりと理解できますよね。

問題は、サッカーです。
サッカーの場合は、時間厳守子氏も述べておられますように、いわゆる「敵と味方の混合度が高い」、すなわち敵味方が混ざり合って競技する性格を持つため、ラグビーのように集団を指さすことが、不可能であるからです。
おそらく、19世紀のサッカーのルールを考えた人々は、相当困ったと想像できます。
「ラグビーと同じ方向でいいではないか」という意見も当然あろうかと思われますが、それでは具体的な競技者との対応関係が切れてしまい、一旦敵と味方の陣地を脳で抽象化してから、方向を理解するという作業が必要となってきます。
このように、「脳による抽象化」といういわば迂回した理解をしていたのでは、サッカーのように一瞬の反応で素早くプレーすべきスポーツでは、不都合と考えられた可能性は、大いにあり得ます。また、事実、不都合です。
その結果、とちめんぼう氏が、いみじくも示唆されているように、11人のサッカープレイヤーの中で唯一敵と混合しないでプレーする競技者であるところのゴールキーパーに注目するというのが、自然な思考の流れと思われます。

ここからが結論です。
サッカーの場合、線審は、唯一固定したポジションであるところのゴールキーパーを指さして「お前を目指して攻めているチームにボールがわたるから、ボヤボヤするなよ!気をつけろよ!」と旗を挙げて、注意を喚起しようとしたのが、事実ではないでしょうか。

やっと、謎が解けた思いです。
これで、心穏やかに眠れます。
ご協力に重ねて感謝いたします。

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サッカーとラグビー

折しも、サッカーのUEFA欧州選手権が佳境に入っており、フランス・ドイツ・イタリア・スペインなどの本命が、次々に姿を消しています。そこで、今回はこの欧州選手権にちなんで、サッカーとラグビーの話をしたいと思います。

まず、ラグビーの発祥から申しますと、あまりにも有名な話で恐縮ですが、1823年イギリスのラグビー校でフットボールの試合中に、ルールを無視したウィリアム・ウェッブ・エリス少年が、彼の腕にボールを抱えて最初に走ったことが、そもそもの起源と伝えられております。エリス君という子は、よっぽど気が短かかったんでしょうね。
しかしながら、当時のフットボールという競技のルールでは、もともと一部手を使うことが許されていたようでもあります。そして、1871年最初のラグビー協会がロンドンで設立されました。
サッカーについては、「フットボール」のルールがだんだん洗練され、成熟していき、今の「サッカー」になったようであるが、史上初のサッカーの国際試合は、1872年のスコットランド対イングランドと言われている。
要するに、ごく大雑把に言うと、サッカーもラグビーもイギリスが起源であり、いろいろな経緯があった後、両者共に競技ルールが洗練されていって、ほぼ同じ時期の1870年代にひとつの形になったようである。

以上のように、その出自においてかなり共通点が多いサッカーとラグビーであるが、その違いというと何でありましょうか?
「そんなこと簡単でしょ!手を使っていいか否か、競技者の人数が11人か15人か、サッカーのゴールは1点だがラグビーのトライは5点などなど」とおっしゃる方もいると思いますが、ここではそうしたルール上の基本的な違いを説明しようというわけではありません。
違う観点から、私がいつも感じている両者の大きな相違について、述べたいと思います。

ひとつは、競技者側の心理面に関する違いについてです。
私は、学生時代に4年間15人集めるのがやっとという弱小クラブチームで、ラグビーをやった経験があります。その経験から実体験として申し上げられるのですが、ラグビーでのタックルは、する方もされる方も、その恐怖感はやった者しかわからないすさまじいものでありまして、大げさではなく「命を賭けてタックルを仕掛けない限り、絶対に相手は倒れない」ということを身をもって思い知らされます。要するに、怖がっていては、相手は倒れないのです。倒す方に必殺の気構えがなければ、絶対に倒れません。相手が大きければ、なおさらです。
私は、サッカーを本格的にやった経験がないので、公平な立場で言うことは出来ませんが、これに比べてサッカーは、この面ではやはり紳士的であるはずでして、これがまず第一の大きな違いでしょう。
言い換えれば、ラグビーの試合を戦っている者にとっては、擬似的な「戦争状態」に限りなく近い心理状態にあると言えます。

もう一つ、私がどうしても理解できない不思議に思う両者の違いがあります。それは、一見些細な事に思えますが、よく考えると根本的な違いなのです。それは、線審(タッチジャッジ)の旗の挙げ方についてなんです。ボールがエンドライン(サイドライン)から外へ出た場合、線審(タッチジャッジ)が、どちらのチームが支配すべきボールかについて、ジャッジする方法についてなんです。
なんと意外なことに、こんな基本的なイロハのイにあたることが、サッカーとラグビーでまるで正反対なのであります。
わかりにくくて恐縮ですが、ゲームを見ながら説明すれば簡単なんですが・・・・
すなわち、サッカーにおいて線審が旗を挙げる方向は、「その旗の方向に攻撃しているチームのボールだぞ」とコールしていますよね。
一方、ラグビーでタッチジャッジが旗を挙げる方向は、「その旗の方向に陣地があるチームのボールだぞ」とコールするんですよ!
全く正反対の方向ですよね。だから、ラグビーファンがサッカーの試合を見ていると(その逆も当然そうだが)、みなさんこの線審(タッチジャッジ)のジャッジで例外なく混乱してしまいます。

サッカーもラグビーも同じイギリスで、同じ頃相次いで成熟していった競技であるにもかかわらず、しかもラグビーはエリス少年によりフットボールから分岐していったように、いわば両者の血縁関係は相当濃いスポーツであるにもかかわらず、なぜこんな不思議な正反対の違いがあり得るのでしょうか?

どなたかこの辺の事情につきまして、ご存じの方がいらっしゃいましたら、コメント欄でもトラックバックでも使っていただいて結構ですので、ご教授いただければ幸いであります。

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プロレスごっこの効用

前回テーマに対する酢豆腐さんのコメントに敬意を表しまして、今回は「プロレスごっこ」なかんずく「凶器攻撃ごっこ」の不思議な効用について、書こうと思います。
このところ小中学校時代の思い出シリーズが続いて恐縮ですが、ご辛抱願います。

私の中学時代、すなわち昭和37年の深川2中1年E組では、プロレスごっこが熱病のようにはやっておりました。
とりわけ、当時の外人悪役レスラーのまね(おそらく銀髪鬼フレッド・ブラッシー)で、級友にヘッドロックをかけたまま、隠し持った教室のダルマストーブ用のコークスを使って、額に凶器攻撃を仕掛け合うという遊びが流行しました。
その結果、かなりの割合の級友(もちろん男子だけですが)の額には、大小の傷跡があったことを思い出します。
そして、この経験が、きわめて意外なことに「同じ仲間に帰属している」という結構気持ちのいい共同体意識に結びつく効果があったような気がします。

わかりやすく言いますと、額の傷から血が流れることを通して、いじめっ子もいじめられっ子も同じ痛みそして同じ紋章を図らずも共有する結果となったようです。
さらに言い換えますと、大人には絶対に評価されない、ばかばかしくて、ちょっと危険でちょっと不良な、同じ無償の行為を協力して企み実行することによって、プリミティブなそしてプリミティブだからこそ堅固で尊い共同体意識または連帯感を感じることが出来たのではないでしょうか。(ここいらへんの感覚は、映画「スタン・バイ・ミー」と共通すると思うんですが・・・)
その証拠の一つとして、絶対傷を負わされるはずのない最強の番長までもが、「俺も額に傷をつけてくれ」と級友に頼んでいた姿を、私はしっかり見ています。

今考えますと、この共同体意識というか連帯感は、10代前半の少年達が、成長の過程で必ず習得しなければならなかった貴重な感覚のひとつだったのではないかと、実は相当の確信をもって、今、言うことが出来ます。

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「紅梅キャラメル」と「わかもと」(後楽園球場を想う)

先日、何年ぶりかで東京ドームに巨人戦のナイターを観戦しに行きました。
ナイター照明に浮かび上がるグラウンドは、夢のように美しい。一方、内外野の応援団は、聞きしに勝る騒音で、辟易とさせられました。観戦しながら、騒音の不快さもあるが、何か漠然とした物足りなさを感じました。美しいグラウンドも何か野球盤を見ているようで、物足りない。うまく言えないが・・・・そうだ!現実感がないのである。そして、突然、昭和30年代、私の小学生時代に父親に連れられて行った後楽園球場の内野席をまざまざと思い出しました。

現在の東京ドームの巨人戦は、ダブルヘッダーは絶対やらないし、全試合ナイターである。しかし、昭和30年代の後楽園球場での日曜の巨人戦は、ダブルヘッダーのケースが一般的だったはずです。確か、第一試合の試合開始は午後3時頃で、家で昼飯を食べてゆっくりして、おもむろに後楽園に出かけても、結構いい内野席に親子二人分の席を確保できたのであるから、今思えば、いい時代である。
もちろん、現在のような応援による騒音はなく、関谷某という私設応援団長なる者が、いわばボランティアであるが、笛を吹き手拍子の音頭を取るという牧歌的な応援風景であった。
また、騒音がないため、内野席では、観客のヤジが、今では信じられないほどはっきりと、聞こえたものである。したがって、おもしろいヤジが出ると、観客が一斉にどっと受けるということが頻繁であり、さながら、ヤジのおもしろさを競い合うヤジ合戦の趣があった。子供時代から冗談好きであった私にとっては、この雰囲気がこの上なく好きで、肝心の野球のゲームよりも心浮き立つものがあった。そして、背伸びして大人に混じって大声でヤジって、父親を赤面させたことを思い出す(今考えると、やな子供だね~)。
こうした後楽園球場3塁側内野席の牧歌的な応援風景を、後ろからじっと見守っていた照明灯の脚部には、鮮やかな赤色で「紅梅キャラメル」と大きなロゴが貼り付けられていたのである。

紅梅キャラメルは、昭和25年、東京紅梅製菓により、おまけとして野球カードをつけて売り出された(このカードは、不思議なことに巨人軍の選手しか入っていなかったんだよね)。かすかな記憶であるが、味の方は一言で言って、要するに「はっきりしない味」だったと思う。
販路は主に関東で、このカード集めは、結構加熱して、当時社会問題にまでなったとも言われております。
その後、昭和29年に一旦倒産したものの、すぐに新紅梅製菓が設立され、紅梅キャラメルも復活したが、昭和34年に再度倒産している。
ということは、後楽園球場のナイター照明設備の紅梅キャラメルの広告は、5年程度のほんの短い期間だったはずであるが、私にとっては、後楽園球場=紅梅キャラメルと言ってもいいほど、強烈な印象を残している。

私は、どうやら広告に対して異常な興味を持つ子供であったらしく、「紅梅キャラメル」と同様に、昭和30年代の後楽園球場の左中間の外野フェンスの広告「わかもと」も、はっきりと思い出すことが出来る。すなわち、お腹をこわした時に飲む整腸薬「わかもと」の広告である。
こっちの方は、昭和34年創刊の週刊少年サンデー連載、寺田ヒロオ作「スポーツマン金太郎」において、金太郎の打った左中間へのライナーが、この「わかもと」ならぬ「ばかもと」と書かれたフェンスの「ば」の位置に吸い込まれて消えてしまうという、奇想天外な展開の思い出に結びついている。

この他にも、ポールに近づくほどせり上がる特徴あるポール際ライトフェンスには、「大和証券」の重厚なロゴ。
そして極め付きは、昭和53年の日本選手権ヤクルト対阪急第7戦、勝敗の明暗を分けることになった大杉のホームランの録画に再三出てくるレフトポールの興銀「ワリコー」のロゴ!
みんなみんな、なつかしい広告である。

ということで、私はどう考えても、東京ドームより、昔の後楽園球場の方が、数倍好きなんだよなぁ~。

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