駐車監視員制度に思う

Chuusya この6月1日から東京・大阪など大都市と県庁所在地で、駐車違反の取締りが格段に強化された。
大きな特徴は、「駐車監視員」と称する資格を持つ民間人が警察官に代わって取り締まりに当たれるようにしたことである。また、駐車違反を発見されても、従来は実質30分程度の猶予があったものが、今度は5~10分程度の短時間で摘発されてしまうなど、大幅に短縮されたそうだ。
反則金についても、運転手が払わなければ、車の所有者に放置違反金が課せられることになり、払わないと車検が不許可になるというほどの厳しさだそうである。

こうした駐車違反取締り強化の背景には、この十年間に駐車違反の通報や苦情が倍増し、とりわけ大都市圏では交通渋滞の元凶になっていることに原因があるようだ。
さらに、駐車監視員制度導入によって警察官500人分の労力が減らせ、その分本来警察官が担当するべき事件や事故の捜査に専念できるという効果を狙っているらしい。

ここで監視員の具体的な仕事の内容をご紹介しておくと、二人一組で巡回し、駐車違反の車を見つけるとデジタルカメラで撮影し、携帯端末機に日時と場所を打ち込み、違反ステッカーを貼る、というのが一連の仕事の流れである。
この際、5~10分以内で運転手が戻らない場合は、違反としなければならない。

駐車監視員制度が導入されたのは、大都市部を中心に全国1219警察署の2割強に当たる270警察署。監視員はみなし公務員扱いで、入札の結果、主として警備会社など74法人が落札、約1600人が新たに雇用されたそうである。
その効果はご承知のようにてきめんで、大方のドライバーの感想では、道路混雑が画期的に改善され、運転もスムーズらしい。ガソリン代大幅アップによる交通量の減少と相まって、渋滞は目に見えて解消しつつあるらしい。ご同慶の至りである。

さて、今回私の語りたいテーマでありますが、もちろんそんなつまらないことではありませんで、おそらく民間の警備会社に新たに採用されたのであろう1600人の新人駐車監視員についてである。

6月1日のニュースによれば、携帯端末の不具合のためか、それとも不慣れのためか、汗びっしょりで端末と格闘したり、違反者に暴言を浴びせられて立ち往生している新人駐車監視員たちの姿が放映されていましたね。
あのニュースの画面を見て、皆さん不思議に思われなかったでしょうか。新人たちは、揃いも揃って、みんな50歳は十分超えているのではないかとお見受けするおじさんばかりでしたよね。
あれは単なる偶然だったのでしょうか?
まるで申し合わせたように、リストラされたおじさんたちを集めた集団のように見えましたね。
そのおじさんたちが、使い慣れない携帯端末やデジタルカメラと汗びっしょりで格闘しながら、頭をひねっている姿は、私など悲壮なまでの哀愁を感じ、涙なしには見れませんでしたよ。

なぜ新人駐車監視員たちは、おじさんばかりなのでしょうか?
給与が低いため、馬鹿にして若者たちが応募しようとしなかったのでしょうか?
それともみなし公務員と言う権力行政の一端を担う役割の重要性から、意識的に人格円満と思われる熟年を採用したのでしょうか?
それとも、採用条件の一つに、「リストラされた方」とでもなっていたのでしょうか?

不思議です・・・・

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獄中立候補

参議院選挙もようやく終わり、「民主躍進、自民と拮抗」の結果となりました。
いわゆる「注目の選挙区」と言われる選挙区で、私が刮目して見ていた選挙区がふたつあります。
ひとつは、北海道選挙区の鈴木宗男氏、もうひとつは大阪選挙区の辻本清美氏であります。2人の共通点と言えば、言うまでもなく、お二人とも投獄され、煉獄の苦しみを経験したと言うことであります。しかしながら、結果はお二人とも今一歩及ばず、惜敗となりました。
そこで、今回は鈴木宗男と辻本清美両氏(もう1人おまけに松山千春氏も)のご健闘をねぎらう意味を込めまして、私の小学生時代の「獄中立候補」の経験について書きます。
また、例によって「思い出シリーズ」になってしまいますが、ご容赦下さい。

時は、またまた昭和30年代前半、私が可憐な紅顔の美少年であった小学校二年生時代の7月初旬だったと思います。
当時、私の在籍した明治小学校(ちなみに、この小学校の誇るべき卒業生には、あの小津安二郎監督がおります)では、朝礼の際に、ベビーブーム世代で押し寄せた生徒達全員を一遍に校庭に並ばせきれなかったため、校庭の一角にあったプールの上に大きな木製の蓋を掛けて、校庭の一部として使っておりました。
ところが、この日、すなわち7月初旬のある日、そろそろプールを使用し始める時期が到来したため、その木製の大型の蓋を撤去した上で、一部の先生達と用務員さんが協力しあって、くだんのプールの清掃をし始めたのです。
私たち二年生の、とりわけ好奇心旺盛だった数人(私の記憶では、おそらく10人はいたと思います)が、いつもは視野になかったプールが突然口を開け、校庭の景色が一変したことに驚愕し、驚きのあまり呆けたように口を開けて、そのプールの清掃作業をじっと見つめていたとおぼしめせ・・・・・
そうこうしているうちに、ご存じのように小学校の休み時間は、短いです。チャイムが鳴って、授業開始を告げます。しかし、この10名の二年生は、何度も申し上げますが、好奇心旺盛なんです。自分の目の前にある非日常的な光景にうっとり見とれてしまって、チャイムの音なんて聞こえません。
そのうちに、担任のイシイケイコ先生の甲高い声が、突然聞こえ出します。「君たち、何度言ったらわかるの!とっくにチャイムは鳴っていますよ!みんな廊下に立っていなさい!」と、日頃温厚なイシイ先生にしては、珍しく激しい叱り方だったと思います。

この好奇心旺盛な立たされ坊主の10人組のうちの1人が、何を隠そう小生であったわけであります。
当時、廊下での立たされ方にもいろいろありまして、重罪の場合は、両手に水の入ったバケツを下げさせられたり、極刑に相当する生徒には、机を両手で頭の上に支えたまま立ち続けるという、身の毛もよだつ刑罰もありました。
我々の場合は、イシイ先生は、あまりの人数の多さを斟酌したのか、幸いただボーっと立ち続けるという刑罰でありました。

我々が、手持ちぶさたに廊下でただ漠然と立ち続けていた間、教室内では、かのイシイケイコ先生は、彼女の決めたその日のスケジュールどおり学級委員の選挙をやろうと思いました。ところがギッチョン!イシイ先生は、ここに至ってようやく気がついたのです。
廊下にいる10人の中に有力な候補者が2人もいたのです。
何しろ昭和30年代の小学二年生ときたら、今は知りませんが、当時は内気なものでして、手を挙げて学級委員に立候補するなどという教師に協力的で図々しい生徒は、ほとんどいなかった時代なのです。
そこで、しばらく考え込んでいたイシイ先生は、意を決して教室の扉を勢いよくガラッと開け、廊下の10人に向かって大声で「廊下にいる君たちも立候補していいわよ!」とやったんですワ。これには、驚きました。
実は、廊下の我々もヒソヒソと「教室の中にいるヤツで、立候補するヤツいるかな?」と言い合っていたんです。
結局、立候補者は教室内1名、廊下から2名、全部で3名でありました。申すまでもないと思いますが、このうちのひとりは私です。
投票は挙手により行われ(今考えると、ずいぶん乱暴な投票方法ですよね!)、結果は、不肖、私めが、めでたく地滑り的大勝利を収めた次第であります。

この経験以来、私は「獄中立候補」というものが、選挙において戦術的に極めて有効に働くのだと言うことを、子供心にたたき込まれたのであります。
ところで、たった今、改めて思い出したことですが、この選挙の際、イシイ先生は廊下に立たされていた生徒達に対して、立候補する権利は認めたくせに、投票はさせなかったんですよ!
これは、絶対、おかしい判断だったよね~!!

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9・11同時多発テロ謀略説について

3月24日、米国の「同時テロをめぐる国家調査委員会(9.11委員会)」において、リチャード・クラーク元テロ対策担当特別大統領補佐官が衝撃的な証言をしました。すなわち、「9.11テロの前、ブッシュ政権は、再三の強い進言にもかかわらず、意図的にテロを緊急の問題と認識しないようにした」「当時の情報を正常に分析すれば、イラク攻撃は不必要であり、テロとの戦いも著しく阻害した」として、激しいブッシュ政権批判を展開したことは、すでに大きく報道されています。このクラーク証言は、それまであまり注目されていなかった9.11委員会に世間の注目を集めると共に、委員会での証言を拒否し続けていたライス大統領補佐官(国家安全保障担当)への疑惑が高まる結果をもたらすこととなりました。結果的に、ライス補佐官は、4月上旬にも委員会での宣誓証言をせざるを得ない立場に追い込まれました。
9.11テロについては、発生直後から陰でさまざまな憶測が報道されてきました。すなわち、ブッシュ政権は、飛行機乗っ取りによるテロの危険性が迫っていることを承知していながら、意図的に対策をとらなかった。もっと過激な意見としては、すでによく知られているように、米国とアルカイダは、古くから密接な援助関係にあったことは事実なのですが、テロ対策を口実とした米国の世界戦略をやりやすくするために、筋書きをブッシュ政権のネオコンが作り、ビンラディンが実行に協力した。その証拠にビンラディンは、永久に捕捉されないはずだ・・・・等々の憶測であります。
この手の謀略話については、米国人は大層好きで、古くはケネディ暗殺CIA謀略説、マリリンモンロー殺害謀略説、最近では(これは英国であるが)ダイアナ元妃殺害謀略説と枚挙に暇がない。

結局のところ、事の真偽については、藪の中なのであるが、ここにひとつの知る人ぞ知るHPサイトをご紹介することによって賢明な読者の冷徹なご判断を仰ぎたいと考えます。このサイトは、「9.11にペンタゴンに激突したはずのホーイング757-200(64人乗り)旅客機は、現実には存在していない」ということを主張する写真による実証的なサイトであり、事件の直後に立ち上げられたものであります。
このホーイング757旅客機をめぐる謎は無数に語られておりますが、最も単純で基本的な疑問は、事件の直後から、当時様々に報道されたいずれの写真にも飛行機の破片らしきものが全く見あたらない、写っていないということにつきます。2001年9月11日AM8:10乗客乗員64人を乗せてワシントンダレス空港を離陸し、ロスアンゼルスに向かっていたはずのホーイング757旅客機はいったいどこへ消えてしまったのでしょうか?可能性としては
1.ペンタゴンに激突した結果、跡形もなく粉々に粉砕されてかけらも残らなかった。
2.ホーイング757は、米軍によって他の場所で撃墜されたが、その事実を隠蔽するためにねつ造された。
3.ペンタゴンの自作自演
4.すべてがブッシュ政権のネオコン派による謀略の一環
などが考えられます。賢明なる読者諸兄の推理の結果を、下記コメント欄を使って、奮ってお寄せ下さい。

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