スペインの「ハルク」

「ハルク(Hulk)」というアメリカ映画があります。
おなじみのマーベル・コミックによるアメコミ「超人ハルク」の映画化作品です。5年前にアカデミー賞受賞監督である名匠アン・リーによって監督された映画です。監督は定評があったのですが、SFXのリアリティも弱いことに加えてキャラの動きもぎこちなく、盛り上がりも今イチで、私の中では「アン・リーなれどB級映画」として整理しました。ただ、一部のマーベルコミックマニアの間では高く評価されていたと記憶しています。

Shulk_1 ところが、この5年前と思われる「ハルク」の映画ポスターが、今回のスペイン旅行ではバルセロナでもマドリッドでも、あっちにもこっちにも貼ってあり驚かされました。
東京では5年も前に公開された「ハルク」がスペインの各都市で今やっと封切られているようでは、スペインの都会であってもやっぱり所詮田舎なのであろうか、と一瞬思ってしまったわけです。

ところが、日本に帰ってきてから、私は自分の考えが全く間違っていたことを思い知らされます。
私がスペインでいやっと言うほど見かけた「ハルク」のポスターは、実は現在ただいま最も新しいハルク映画であるエドワード・ノートン主演の「インクレディブル・ハルク」のポスターだったらしいんです。
「名優エドワード・ノートンにハルク役を演じさせて、異形の超人の内面の葛藤を描いて成功している」というのが、大方の映評でありまして、総じて予想外に評価は高いのです。

ということで、バルセロナでもマドリッドでも「インクレディブル・ハルク」は、東京よりも逆に一ヶ月も早く見ることができるということが、判明したわけです。

ところで、私が五年前のアン・リー作品の「ハルク」と今度のポスターを見間違えてしまったのには、理由があります。
今度の「インクレディブル・ハルク」のSFXのキャラクター造形が、あまりにも五年前と同じだったからなんです。筋肉お化けであること、顔をいつもしかめていること、そして何より全体の皮膚が緑がかっていること、これら全ての点で、五年前のハルクと今回は同じ特徴を持っているのです。

したがって、五年前のアン・リー作品があまりにも不出来であったので、今回はエドワード・ノートンの演技力を利用して撮り直したのではないか・・・・というのが、今まことしやかにささやかれている有力な意見なんです。

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見ました「母べえ」

Skaabeeこのブログの愛読者の方は、みなさん既に良くご存知のように、私は熱心なサユリストです。そして同時に、このブログの右上欄の写真にありますように山田洋次監督の寅さんの熱狂的なファンでもあります。
したがって、この映画「母べえ」のように、山田洋次監督、吉永小百合主演となりますと、私にとっては見るのが当然の映画ということになります。あまりにも見るのが当然となりますと、本人にとってはかえって見る義務感が発生してしまい、見ることが億劫になってしまうから不思議なものです。しかし、なんとか、億劫な気持ちを克服して見てまいりましたので報告します。

前にも書いたことですが、私はあまりにもヘビーなサユリストでありますゆえ、吉永小百合の映画を客観的には見ることができない習性を持っております。したがって、今回は思いつくままにランダムな感想を書いていきたいと思います。

●まず、総評から。
この映画はベルリン国際映画祭正式出品作品だそうです。そして、山田洋次監督はベルリンは4回目の挑戦だそうで、これまではどういうわけか無冠だったそうです。したがって、山田監督や吉永小百合の思い入れは相当強いと報道されています。
しかし、私は相当いい線は行っているものの、金獅子賞は今回も困難と見ました。ただし、二人の女の子は天才的な自然の演技でして彼女らは何かの賞を取る予感はありそうです。

●土曜日の朝10時10分開演という時間帯でありながら、ほぼ満員。どうやら観客の入りは、好調の様子です。客層は仲の良さそうな初老の夫婦がかなり目立ちましたね。これは、私の長い映画鑑賞歴の中でも稀有なことで、ちょっと驚かされました。おそらく、山田監督のこれまでの誠実な製作態度に対する信頼が、こうした安定した客層を支えているのでしょう。

●このテーマ、このキャスティング、そして監督山田洋次、ということであれば、類型的で古臭い反戦的映画ではないかとせせら笑う向きも多いと思います。
しかし、ご安心ください。どうやらこの心配は我々以上に山田監督自身が、そうしてはならじと肝に銘じたらしく、無用の心配でした。
すなわち、最後まで「戦争と人間」的な臭いシーンは出てきませんし、「反戦」の連呼もありません。これは賢明でした。しかし、それだけに普通の市民の誰でもが好むと好まざるとに関わらず戦争に巻き込まれざるを得なかった状況が、肩に力を入れずに描かれており、この点ではさすが山田洋次と思わせるものがあります。しかし、残念ながらこの点の恐ろしさが描かれていません。点が辛いといわれるかもしれませんが、ここが名画となりうるか否かの分岐点なのです。

●母べえの夫は坂東三津五郎。文学者であるが治安維持法である夜、特高に検挙されます。最後まで、転向はせず、獄死するのですが、ゴリゴリの闘士というわけではなく、ごくありふれたお父さんとして描かれるのが、だんだん効果を挙げていきます。
今の世の中、食うためには、出世するためには、金をもうけるためには、ぜいたくするためには、そして何より家族を守るためにも、右も左もどなた様も何につけやすやすと「転向」しているのが実態です。そうした意味では、あの時代も決して異常な過去の話というわけではないようです。

●母べえの義理の妹を演じるのは檀れい。
余談ですが、私は、とある美術館でこの方を間近に見る幸運に浴したことがございますが、この方は映画の設定どおりにこの世の者とも思えないほどの美人でございます。俗に美人の基準として八頭身と申しますが、檀れいの場合、私の目検討では九頭身でありまして、小顔も極まれりという方でした。

●さて、肝心の吉永小百合についてですが、「北の大地」よりははるかに好演です。これはおそらく山田監督に引き出されたものでありましょう。
しかし、今回も「よくやっている」「好演」に評価はとどまると思われます。どうみても実年齢の63歳には見えません。せいぜい45歳程度にしか見えないのは奇跡です。これだけでも表彰してあげられないものかと思わせるものがあります。

●詳しくはネタバレになりますので書きませんが、この映画はラストシーンがかなりいいんです。脚本による構成がいいんだと思います。
女の子二人は、成長して長女は女医(倍賞千恵子)に、次女は高校の美術教師(戸田恵子)になります。そして、このラストシーンで、われらが戸田のおねえがおいしい役をやっているんですわ。
おかげでほとんどの女性の観客が、ほぼ例外なくみんな涙を流しながら劇場を出てまいります。やっぱり、山田洋次は魔術師だなぁ・・・・

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映画「殯(もがり)の森」

Smogari 他の人はどう見るのかわかりませんが、少なくとも私にとっては河瀬直美監督の映画はとっても難解です。
この映画も例外ではなく、「ドキュメンタリー映画」と呼ばれるべき河瀬直美独特の作風の典型となる映画です。

相変わらず映像の美しさは抜群で、映像にはこれ以上ないほど雄弁に語らせる一方で、せりふがとっても少ないんです。しかも、その少ないせりふが、ほとんど何を言っているか聞き取れないほど不鮮明ときているので、全体のプロットが今ひとつよくわからないのです。
河瀬監督はおそらく、映画にとってはせりふはもちろん説明自体が必要ないものであり、最小限で足りると思っているに違いありません。むしろ、せりふの奥にあるものに語らせたいと思っているはずです。

たとえば、デビュー作の「萌の朱雀」で、父親が自殺したことは、私には最後までわかりませんでした。
今回の「殯(もがり)の森」にしても同様でして、ストーリーを改めて確認してみると、まず第一に、介護福祉士の真千子は子供を亡くしたことがきっかけで夫と離婚したことになっているし、第二に、認知症のしげきは三十三年前に妻の真子が亡くなってからずっと妻との日々を心の奥にしまいこんで仕事に人生を捧げてきた仕事人間であることになっているし、第三には、何より真千子としげきが車で出かけたのは、しげきの妻の墓参りなんだそうであります。
以上三点は、映画のストーリー展開にとっては、きわめて重要な情報であることは当然であるにもかかわらず、私には全くわかりませんでした。
私の耳が悪いのかもしれませんが、河瀬監督はこれらの情報を映像から読みとる感受性を持つようにと観客に過大な要求を強いているのではないでしょうか。
これは無茶ではないでしょうか。

なぜなら、真千子の夫婦げんかシーンはたったの一回出てくるだけですし、しげきが仕事人間だったことは、全編のどこにもヒントはありません。
真千子としげきが二人だけで車で出かけたのは、てっきり仲直りのためのハイキングなのかなと私は思っていたほどです。

しかし、こうした河瀬監督の意図的な説明不足を超えて、心に残るシーンももちろん数々あります。そのいくつかをご紹介しましょう。

まず、冒頭の緑の中の長回しの葬式シーンは、印象的で大変美しいシーンです。このシーンだけで河瀬監督の非凡さが充分伝わってきます。まるで緑が息をしながら語りかけてくるようです。
真千子としげきが森の中をさまよう中で、しげきが激流を一人で渡ろうとすると、真千子が激しく泣いて止める場面。この迫真力は、真千子役の尾野真千子の演技力の確かさを証明するものです。私はこの時、しげきは自死しようとしていたと確信しましたし、真千子もそれを知っていたのだと思います。
最後にラストシーン。しげきと真千子が、森の中で一緒にしげきの思い出の品々を埋める場面。これは妻を失った認知症のしげきと、子供を亡くした正常な真千子が、しげきの認知症という表層の病気を超えた感情の奥深くの部分で、完全に共感しあって究極の癒しの状況に到達した瞬間だったのだと思います。この効果を出すために、しげきは認知症でなければならなかったのでありましょう。

Skawase しかし、これだけ説明不足で難解で、想像力を必要とする日本映画を

カンヌ映画祭グランプリ(審査員特別大賞)に選んだカンヌの審査員の先生たちは、本当にこの映画をわかって選んだんでしょうね ! よく理解できたものだと感嘆せざるを得ません。

せりふに頼らないからこそ国際的評価が得やすいのかもしれません。
(それとも、外国人にとってはスーパーインポーズがあるので、せりふがわかりやすいためであるような気もするけれど・・・・・)

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映画館のおばさん

昨年暮れに、丸の内ピカデリーに「硫黄島からの手紙」を見に行ったときの話です。恐縮ですが、映画については左欄「映画鑑賞履歴」をご覧ください。
私が今回書きたいのは、この映画の内容についてではなくて、映画館の中でたまたま私に隣り合わせたおばさんの二人組みの傍若無人ぶりについてなんです。

「映画館の中で、運が悪い場合、とんでもなく迷惑な観客と隣り合わせることがあり、映画を台無しにする」という話は、聞いてはおりましたが、自分がまともに遭遇するとは思いもよりませんでした。
クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」の評価につきましては、ご覧のとおり私は星三つにしましたが、仮にこのおばさんたちが、品のいいお嬢さんたちであったとしたならば当然星ひとつくらいの増はありうる話ですから重大です。

では、このおばさんたちが、どのような狼藉を働いたかについて、ひとつづつご説明しましょう。
まずは、上映前、席を探す場面から始まります。
松竹直営の映画館はみんなそうなのですが、去年から入館時にもれなく全席指定となり、特定の席を割り振られます。したがって、観客はみんな自分の椅子の番号を上映前に探さなければなりません。当然、準備のよい私は、いつも20分前には着席して、上映される映画の予習に余念がないのです。
そこへ上映直前になって、件のおばさんの二人組が、一直線に私の席に来て、「あなた ! 席が違っているでしょ ! 替わりなさいよ !」と比較的大きな声で、私を恫喝したのです。
驚いたのは私です。正確にまた素早く席を探すことにかけては、プロ級の能力を自認する私です。絶対にこちらのミスではあり得ないという自信があります。思わず「チケットを見せてよ !」と冷静に反撃に出ました。
一瞬の沈黙の後、おばさんたちは一言の謝罪もなく「あら !」と一言つぶやいて、あろうことか私の隣の席に座ったのです。このため、私は映画丸々一本分をこのおばさんたちと隣りあわせで見る拷問を受ける結果になってしまったのです。

次の不幸は、上映開始後かなり早い段階でやってきました。これは最も一般的な迷惑パターンでした。二人でぺちゃくちゃおしゃべりを始めたのです。
こうなってしまうと、こちらには大変なストレスが生じることになります。すなわち「口に出して注意すべきか、黙って耐えるか ?」の究極の選択をしなければならなくなります。この段階で、映画の展開はだんだん頭に入らなくなってきます。
しかし、映画の進行とともに、イーストウッド監督の力によるものなのか、二人の口は閉じて、問題は自然に解決しました。

最後の迷惑は、飲み物すなわちジュースの紙コップなんです。
映画の途中でジュースを買いに行くことは、もちろん許される行為の範囲ですが、彼女たちはこのジュースの紙コップを席の左側、すなわち私とおばさんの席の間のコップ入れに置いたのです。ちなみにピカデリーの場合、紙コップは通常それぞれの席の右側に置くことがルールになっております。私は一瞬むっとしたものの、この所業については、じっとこらえることにしました。
しかし、しかし・・・・ よりによって映画最終盤のクライマックス、栗林中尉の自決の場面で、隣のおばさんはあろうことかこの紙コップを私の席の前に落としたのです。
この時点でも、このおばさんからは謝罪の言葉は一切聞けません。聞けたのは、ただ「あら !」という、小さなつぶやきだけだったのです。
さすがに忍耐強い私も、事ここに至って、ついにすべての忍耐を解放するべく、一言発せざるを得ない立場に追い込まれました。もちろん、周囲の観客に迷惑にならない程度に声を抑えながら、低い声でありながらそれでいておばさんを十分威嚇できるように、「いい加減にしろよ ! !・・・」

さて、この私のとっておきの胴間声に対する注目すべきおばさんの反応なんですが・・・
「だって、しょうがないでしょ !!」でした。

「硫黄島からの手紙」の評価が、星三つで収まったのは、本当に奇跡的なことなんです。

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幻の「洲崎パラダイス・赤信号」を見る

このブログでかつてご紹介しました名匠川島雄三監督の幻の作品「洲崎パラダイス・赤信号」(昭和31年作品)をようやく見ることが出来ましたので、ご報告します。この映画は、今はなき戦後有数の歓楽街洲崎パラダイスの雰囲気を伝える秀作の呼び声高い作品でしたが、なにしろレンタル店などには全く見つかりませんで、ほとんどあきらめておりました。本日折りしも川島雄三特集を組んでおりますWOWWOWで放映してくれました。そういった意味では、正真正銘の「幻の名画」なんです。
ということで、今回は「洲崎パラダイス・赤信号」の鑑賞記録です。思いつくままに書く不精をお許しください。

Susakipara ●主演はご覧のように、新珠三千代と三橋達也。勝鬨橋の欄干にもたれる二人が、今日はどこに泊まるのかというその日暮らしの相談をしているシーンから始まります。
この映画のテーマはどうやら、この男と女の腐れ縁を描くことにあるようなんですが、私にとってはそんな事はどうでもいいことです。
丁度通りかかった北砂町行きの都バスに当てもなく乗ってしまった二人は、これまた衝動的にバス停「洲崎弁天町」で降ります。新珠は昔洲崎パラダイスの中で働いていたのです。
新珠が再び「中」に落ちていく寸前で、写真のネオンのすぐ前の「外」の飲み屋千草の女将(轟由起子)に二人は世話になります。
「洲崎パラダイス」のネオンは、洲崎というふたつの漢字の中に「パラダイス」と書いていたんですねぇ。興味深いです。
●助監督は、なんとこれまた名匠の今村昌平が努めております。
●一説には、この映画はほとんどがセット撮影であるので、当時の洲崎の様子はあまり出てこないといううわさがありましたが、それは誤りであったようです。確かに、丁寧なセットを作ったようですが、昼のシーンはほとんど野外ロケであったことがうかがわれ、今とは全く違う洲崎の情景がふんだんに見ることが出来ます。これだけでも、この映画はすばらしく貴重な映画です。
たとえば、当時の洲崎神社がしっかりと出てきます。今は銘板しかない洲崎橋も現役の橋としてたっぷり見ることが出来ます。沢海橋ももちろんです。歩行者がすれ違うのがやっとの秋木橋は昭和30年3月竣工ですから、できたばかりの新しい橋として登場します。

●昭和31年頃の洲崎は、川には浚渫船が行き交い、洲崎パラダイスのネオンの下には埋め立てのために土砂を積むトラックが頻繁に通る、埋め立て工事真っ盛りの頃だったようです。
●映画の舞台、飲み屋の「千草」は、歓楽街洲崎パラダイスの入り口にあって、「中」で遊ぶ客が繰り出すための度胸付けにまず酒をあおっていく店のようです。
●三橋達也のとりあえずの働き場所として、そば屋「だまされ屋」の出前持ちの仕事が与えられます。このそば屋に、注目すべき二人の従業員が出てきます。
ひとりは、出前持ちの先輩として出てくる小沢昭一です。当時、若干26歳。その後の大成を予感させるように、出前持ちといえども普通には演じません。何か印象に残る出前持ちです。
もう一人は、そば屋のレジを預かる純情可憐な女性、そうです20歳の芦川いづみです。
いやはや、昔の映画にはこういう眼福が隠されているんですよねぇ。
眼福と言えば、今や癖のあるおばあちゃん女優として隠れもなき田中筆子(当時40歳)が洲崎パラダイスに舞い戻ってきた女として出演しています。(あっ失礼、これは眼福とは言いませんでした。)

●我々にとって新珠三千代と言えば、「氷点」における冷たい氷のような母親、「細腕繁盛記」におけるけなげな旅館の女将などによってもたらされる印象が強かったんですが、彼女の原点はこの作品にあったんですねぇ。意外にも相当の演技派とお見受けしました。

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正調寅さんの啖呵売

それでは、世に言う「車寅次郎の啖呵売」を正調でお届けしましょう。

Sdsc00528 角は一流デパートは、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで紅白粉(べにおしろい)つけたお姉ちゃんから、下さい頂戴でいただきますと、五千が六千、七千が八千、一万円は下らない品物だが、今日はそれだけ下さいとは申しません。

さて、まず並んだ数字が一。
物の始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門ならばくち打の始まりは熊坂の丁半てぇぐらいなもの。

続いた数字がだ。
兄さん寄ってらっしゃいは、吉原のカブ。仁吉が通る東海道、日光結構東照宮、憎まれっ子世にはばかる、にっきの弾正は芝居の上での憎まれ役と来た。

産(三)で死んだが三島のお仙、お仙ばかりが女ごじゃないよ、三三六歩で引け目が無い。ねっ、どうだ!
負かった数字が四つ
四谷赤坂麹町チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立ちションベン。白く咲いたかゆりの花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。
一度変われば二度変わる、三度変われば四度変わる、淀の川瀬の水車、誰を待つやらくるくると。
ゴ(五)ホンゴホンと波さんが、磯の浜辺でねぇあなた、あたしゃあなたの妻じゃもの、妻は妻でも阪妻よ!ときやがった!

続いた数字が六つ
むかし、武士の位を禄という。後藤又兵衛は槍一本で六万石、ロクでもない子供ができたんじゃあいけないよってんで、読んでいただきたいのが、この英語の本。abcからxyz、リンカーンに至るまでぜ~んぶ出てるよ!

さぁ、どうだ!続いた数字が
七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の林に茅の屋根、手鍋提げてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新ソバよりも、あたしゃあなたの傍がいい!
あなた百まで、わしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまでときやがった!
ちくしょう!そら、もってけ、泥棒!

以上でございます。
実際の映画での寅さんの口上は、この正調を基本にして、その時々の天気、季節、土地柄、客の質や人数などいろいろな要素を自由自在に映しこんでアドリブで演じます。
アドリブでよく使われる地口としては、

たいしたもんだよカエルのションベン!見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。とか

焼けのやんぱち、日焼けのナスビ、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよ!とか

なぁ~んてぇのをトッピング的に使っています。

ご同輩の方々におかれましても、職場の若い者とカラオケに行って、カタカナだらけの歌に圧倒されながら、かろうじて拓朗や陽水で一矢報いるなどという情けない状況を打開するには、いっそのこと思い切って土俵を変えてこうした啖呵売を覚えて勝負するほうが生産的だとおもうのですが、覚えるつもりになられましたでしょうか?

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寅さんの啖呵売(たんかばい)

Sdsc00523 私は特技と呼べるものが、全くない人間だと思いますが、強いてあげればひとつだけあるかもしれません。それは、あの映画「男はつらいよ」の中で、テキ屋の車寅次郎が、いつもどこかの神社仏閣の境内の縁日で、暖かい日差しを浴びながら、気持ちよさそうにまくしたてるいわゆるひとつの啖呵売(たんかばい)ができることなんです。
今はかなり記憶が薄れたため、正確には「できた」というべきかもしれません。
「啖呵売」とは、「物の始まりが一ならば、国の始まりは大和の国」ではじまる例のあれでございます。

次に、なぜそんなよりによって面妖な芸を自らに仕込んだかという事情についてなんですが、今から三十年以上も遡らなければなりません。私が、まだ二十台半ばの青年だった頃です。私の親しい友人が、不遜にもかなりの美人と結婚することになったんですが、くだんのこの友人、普通の結婚式がいやでいやで仕様がなくて、私に対して「お前に挨拶して欲しいんだが、とにかく普通の挨拶はしなくていい ! 面白ければ、何をやってもいいから、やってくれ !」と強い要請があり、頼まれたらいやと言えないお人よしの私が、例によって安請け合いをしたというわけなんです。

私は「寅さんの啖呵売をやろう」という結論には、すぐ到達したのですが、なにしろ公定力のある台詞が載っている台本がどこにもありません。今の時代であればインターネットをウェブサーフィンしていれば、何とかヒントのひとつやふたつ見つかるものですが、三十年前の当時はそんな便利なものなどありませんから、図書館で長時間ヒントを探すくらいしか方法はありません。しかし、図書館での努力はまったくの徒労に終わってしまったんですね。
すっかり途方に暮れて、半分以上この出し物をあきらめかけた私でありましたが、ここからが我ながら私の真骨頂なのであります。
当時、東銀座三原橋にあった映画館松竹セントラル(今は存在しません)の裏手に、松竹本社があったのを思い出しました。

松竹本社に単身乗り込んで、なるべく気の弱そうに見える松竹の社員を捕まえて「寅さんの啖呵売の資料を頂戴 !」と強談判することにしたのです。

たしか松竹本社の四階だったと思います(当時の松竹本社ビルはとにかく汚いビルでした)。宣伝部のようなセクションに乗り込みまして、予定通りの行動に出ましたところ、予想外に親切な対応を受け、かなりの時間はかかったものの、宣伝用の一枚のチラシの中に、たまたま啖呵売全文が掲載されていたものを探し出してくれました。
三十年後の今に至るまで我が家の家宝としている「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」の宣伝チラシの中の貴重な一枚であります。

その後は、当時私が持ち合わせていたなけなしの暗記力をフルに発揮しまして、全文暗記した後、厳しくかつ周到な練習を経て、かの結婚式における友人代表挨拶として勇躍としてご披露したわけであります。

さて肝心の参会者の反応については、あまり覚えていないのですが、ひとつだけはっきりと覚えていることがあります。
私は新郎の好意 ? によりまして、主賓などVIPが座るメインテーブルの末端に席を占めさせてもらったのですが、たまたま私の隣に座った主賓は、当時わが国の計量経済学では第一人者と言われていた某国立大学の経済学部教授の方でした。この方が、それこそ椅子から転げ落ちるのではないかと心配になるほど、抱腹絶倒で大笑いしてくれたのが、妙に鮮明に記憶に残っております。

しかし、いくらなんでも、「四谷・赤坂・麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立ちションベン・・・・」ですよ !
結婚式の場でよく恥ずかしくもなくやれたものです。
われながら、いい度胸だと感心します。

なお、今回は紙幅がどうやら尽きましたので、この時私が実際に演じた寅さんの啖呵売のテキスト全文については、次回にご紹介いたします。

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必見 ! 紙屋悦子の青春

1 映画監督黒木和雄が、4月12日脳梗塞で急逝する直前に完成させた「紙屋悦子の青春」を岩波ホールに見に行ってきました。
左欄「映画鑑賞履歴」にも書きましたが、まさしく「黒木和雄が自らの命を差し出して完成させた作品」と言うべきでしょう。傑作です。名画です。すっばらしい出来です。私は諸手を上げて満点をつけます。久しぶりに、見終わって拍手をしたくなった映画です。
約2時間の映画ですが、冒頭と最後の病院の屋上での紙屋悦子夫婦だけ(原田知世と永瀬正敏)の会話シーンを除けば、終始一貫悦子の兄夫婦(小林薫と本上まなみ)の家だけのシーンです。登場人物も原田知世・永瀬正敏・小林薫・本上まなみ・松岡俊介のたった五人だけ、という異色の設定だったのですが、そんなことにはまるで気が付かなかったほどに、私は映画の中に感情移入させられてしまいました。

そもそも私と黒木和雄の関わりは、今から四十年前の私の大学入学時にさかのぼります。
当時、黒木和雄なる新進気鋭の映画監督が、岩波映画社での企業PR映画にあきたりず、劇映画に進出し、問題児加賀まりこを主演に抜擢して「飛べない沈黙」という傑作をものした(昭和41年)といううわさが流れていました。
私の大学では、ちょうど私が入学した途端に、医学部の学生処分問題から一気に全学無期限ストライキに突入してしまい、私は突然いやっというほどに膨大なヒマな時間の中でおぼれることになってしまったのです。そんな時、ひとつの反代々木系映画サークルが「飛べない沈黙」上映会のチケットを八百円で売っておりまして、暇つぶしにそのチケットを買ってみたのが、そもそもの黒木映画と私の関わりのはじめだったんです。
わたしは、決められた日時に、所定の上映場所である教室に行きましたが、折悪しく映写機が壊れていて、この映画会は流れてしまい、結果的に私は大枚八百円を踏み倒されたといういやな思い出があるのです。

さて、くだんの「飛べない沈黙」はいまだに見る機会がないのですが、その後の黒木作品は、「竜馬暗殺」はもちろん、戦争レクイエム三部作と言われる「TOMORROW明日」「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」も含めて好んで見てきたつもりです。
そして、今回の「紙屋悦子の青春」です。黒木は自分の死期を感じていたとしか思えません。冒頭の病院屋上シーンから、シナリオの濃密さ、そして各シーンの緊張感がすごいんです。構成も文句なし !
おそらく本年度の日本映画ベストワンは、ぶっちぎりで確実と思われます。(李相日監督「フラガール」もいいといううわさですが・・・)
ということで、今回は「紙屋悦子の青春」のどこがすっばらしいのかについて、具体的に書きたいと思います。

まず、冒頭の病院屋上シーンのすばらしさです。
老人となった原田と永瀬の夫婦が屋上のベンチで二人だけで静かに話しています。この冒頭シーンは、一台のカメラで約十五分の超長回しです。この会話がすごいんです。
映画の冒頭から、日本映画史に残る名シーンだと思います。老夫婦がそれとなくお互いに寒くないかと思いやる静かな会話だけでつなぐ十五分です。
このなんでもない会話だけで、この夫婦がいかに長い間強い愛情で結びつきながら今日に至っているかを、見る人の胸に確実に染み渡らせます。十五分間のこのシーンだけで、落涙必死です。保障します。(ん ? もちろんその人の感受性にもよりますが・・・)
何度も言いますが、「寒くないか」と夫婦がお互いを思いやる、ただそれだけの会話です。
シナリオの底知れない力を感じさせ、映画の魔法を感じさせる、死を前にしての鬼気迫る黒木和雄マジックの独壇場です。
この夫婦の会話シーンだけで、完結した崇高なある普遍的なるものを語っていると思います。このシーンを見て、今この国で、この役を演じきれるのは、原田知世しかいないだろうなと確信できました。(ちょっと、ほめすぎたかなぁ)
それほどまでに原田知世がすばらしいのです。

Kamiya2 昭和58年「時をかける少女」でデビューした原田知世。
団塊世代を中心に根強い人気があります。演技力ももちろん確かなものを感じさせますが、どういうわけか作品に恵まれず、これまでの23年間、映画賞にもあまり縁がなかったですねぇ。
しかし、この23年間は、決して無駄ではなかったようです。
この「紙屋悦子の青春」に出会うまでの必然的な助走期間だったのかもしれません。「紙屋悦子の青春」は原田知世でなければ成り立ち得なかったのではないかと思わせるほどに主人公に同化しています。
全編スッピンでモンペ姿の三十九歳の原田知世が、抑えて抑えて熱演します。
間違いなく本年度の主演女優賞を総なめするでしょう。

靖国だ ! 先制攻撃だ ! 経済制裁だ ! と、粗雑で感情的な議論が横行している今日この頃ではありますが、そうした声高な怒鳴りあいの中で、ともすれば見失われてしまいがちな最も大切な視点を、この映画はそれこそ目から鱗が落ちるように、静謐にそして明確に主張し続けてくれます。
黒木和雄は、銃撃シーンや爆撃シーンなしに戦争を描くことを流儀としておりますが、「紙屋悦子の青春」はこうした黒木メソッドが最も効果を挙げえた作品として長く語り継がれることになると思います。

黒木監督は、意図的に情報を制限することによって(たとえば、明石少尉の悦子への最後の手紙は開封されません)、観客の想像力を極力触発しようとします。
長い夜、ウィスキー片手に、気の合う友と、時を忘れて語り合いたくなる映画です。

なお、蛇足ですが、冒頭のクレジットによると、この映画は「東京都知事 推奨」になっています。

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パイレーツ・オブ・カリビアン「デッドマンズ・チェスト」

Pirateofcalib 今回のお盆休みの一番人気の映画と言われるパイレーツ・オブ・カリビアン「デッドマンズ・チェスト」(しかし、ぜ~んぶカタカナの長い題名ですねぇ、一昔前なら絶対つけない映画の題名です)を見ました。
前作「呪われた海賊たち」も面白かったけれども、この第二作「デッドマンズ・チェスト」は前作を凌駕する出来。奇想天外 ! 全編を疾走し続ける爽快感はやみつきになります。

プロットの細かいところでは、「あれ ?」と思わせる腑に落ちない部分もありますが、細かいところは無視して、各場面を楽しむことに徹すれば、何の苦もなく映画の中に没入できます。
そうは申しましても、几帳面な方のために、私が「あれ ?」と思った典型的な場面をいくつか あげてみましょう。(注)ネタバレ !!

あれ? の1  ベケット卿は、コンパスが欲しかったはずですよねぇ。しかし、ラスト近く、ベケット卿がノリントンから手に入れたのは、デイヴィ・ジョーンズの心臓でした。ベケット卿は心臓で満足したようでしたが、じゃあ最初から心臓を欲しがるはずだったのでは ? 説明不足は否めません。
あれ? の2  ジャック・スパロウはティア・ダルマの館で、指輪らしきものを盗んだように見えるが、このシーンはその後の展開と何の脈絡もない。一体どんな意味があったのでありましょうや ?
あれ? の3  最後の登場人物はキャプテン・バルボッサらしいのですが、前作で死んだバルボッサがどうやって生き返ったのか ? そして、ラストシーンでの彼の再登場は何を意味するのか ?

どうやらこうした疑問は、全作品を読み通しているのが当たり前のはずの欧米の子供たちにとっては、当然知っているはずのことなのかもしれません。したがって、何の解説も必要ないのかもしれません。しかし、日本の少年少女たちには、説明が必要なはずです。
まっ、几帳面でない少年少女たちにとっては、こんなささいな「あれ ?」なんて無視してももちろん何の痛痒もないはずですが・・・・

しかし、快優ジョニー・デップ 一世一代の当たり役ともいえる「ジャック・スパロウ」をこれほどまでに魅力的なキャラクターに練り上げさせたのは、何なのでしょうか ?
実は、ジョニー・デップ本人が自ら証言しているところによると、
「ローリングストーンズのキース・リチャーズを参考に役作りした」そうです。
神がかり的ギタリスト キース・リチャーズ。アルコール中毒によるものか、はたまた薬物中毒によるものなのか、彼の奇っ怪なパフォーマンスがジョニー・デップの演技によってよりデフォルメされることによって、世にも不思議なふたつとない魅力的なキャラクターを造形しえたのであります。
まさに、奇跡と申せましょう。

ということで、聞くところによれば、早くも「パイレーツ・オブ・カリビアン 3」も着々と準備中だそうであります。
楽しみです。

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過剰な映画ブログ

2004年3月開設以来、この私のブログも早3年目に入っております。
そして、最近このブログを見ていただく方々の数は、ほぼ50アクセス/1日で安定してまいりました。一日に約50人の方が、私の拙い記事を見ていただいているわけで、もったいないやらありがたいやら、申し訳ないやらで、胸いっぱいでございます。
そうした一方で、コメントやトラックバックにつきましては、なかなか増えませんが、そこまで望むのは不遜と言うものでございましょう。

ところが、私も長い間ブログを書き続けているうちに、コツがわかってきたのでありますが、コメントやトラックバックの件数を激増させ、おまけにアクセス数までも増やす魔法のような簡単な裏技があることが判明したのです。
何だと思いますか?
張り合いがないほど、簡単な方法なんです。封切られている話題の映画についてブログに書き込むだけでいいのです。
現在ただいまのインターネットの世界で、ネットサーフィンを楽しんでいる諸嬢諸兄のみなさんは、果たして何を目的にインターネットにアクセスするのでしょうか?
ある人は文学や哲学などの勉学の参考にしようとしているかもしれません、ある人は私のように文章を書くための材料を探そうとしているのかもしれません、どうしても思い出せないことを思い出すためのよすがにしようとしているのかもしれません、またある人はeトレードを使って、本やCDを購入しようとしているのかもしれません。しかし、おそらく(これはあくまでも個人的な勘に過ぎないのですが)最も大きなインターネットのニーズのひとつについて、私には確信があります。

映画情報を調べようとするニーズです。
すなわち、「今現在、かかっているロードショーはどういう映画で、主演は誰で、劇場はどこで、何よりも面白いのか否か」について知りたがっている人がとても多いらしいのです。こうしたニーズを持っている人々が、映画関連情報を得るためには、インターネットにアクセスすることが、最も効率的で有効な方法なのです。そして、ホームページの中でも映画関係のブログが、一番手っとり早い情報ソースなのです。
ためしに皆さん、このページの右下ココログのブログ検索で好きな映画の題名を検索してみてください。ヒットしまくりで、異常とも思えるほどの膨大なブログの波にぶち当たります。人気作品の場合、無限とも思えるヒット数になります。そして、それらのブログのひとつひとつが、空恐ろしいほどのおたく的エネルギーに満ち溢れています。
さらに、そうしたブログ同士が、これまた膨大なコメントとトラックバックを相互に交換し、リンクを張り合っているのです。これらを片っ端から追いかけようとすると、目がくらんできます。

実際に私がこのブログで映画をテーマにしたときの事を思い返してみましょう。
「チャーリーとチョコレート工場」が典型的なケースでしたが、急激にコメントやトラックバックが増大しました。
旧作である「砂の器」をテーマにした時ですら、目に見えてアクセスが増えました。

というわけで、このブログのコメントやトラックバック欄は、だんだん音沙汰がなくなってまいりましたが、むりやり映画を話題にして安直にコメントを増やそうとする衝動をやっとこらえている今日この頃の私であります。

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「チャーリーとチョコレート工場」を見ました

前回「もしも私が幕末のテロリストだったら・・・」は、我ながら密かな自信作だったんですが、どういうわけか全く反響がありませんでした。反響があるまで、次は書かないつもりでしたが、気を取り直してやっぱり書いてみました。

choco ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の話題作「チャーリーとチョコレート工場(吹替版)」を東銀座の東劇で見ました。
東劇は、一日4回上映のうち、最初の2回を「チャーリーとチョコレート工場」、後半2回はトム・クルーズの出世作「トップガン(デジタルリマスター版)」を上映するという珍妙な変則ダブルヘッダーでした。

原作は、英国で「ハリー・ポッター」「指輪物語」に次いで子供が好きな本の第三位にランクインされている驚異の大ベストセラーだそうです。
しかし、いつの世も、子供達は残酷なお話が大好きなようで、この映画も貧しくても性格の良いチャーリー少年を除く、工場見学に当選した四人のわがままな少年少女達が、ひとりづつ残酷な刑罰を受けて消えていきます。そう言えば、グリム童話も桃太郎も本当はみんな、相当に怖いお話でしたよね。
お菓子の森とか、巨大なチョコレートの川とか、クルミを仕分ける100匹のリスとか、当然CGなのだろうなと見ておりましたが、なんと監督ティムバートンの鬼のようなこだわりによって実写だと聞いてビックリ!

ティム・バートン、ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター。この三人は、「シザーハンズ」で意気投合したのでしょうか、その後一緒の作品が多く、彼らの作品は、みんなどこか一種独特の普通でない面妖な味があります。
次回作品のアニメ「ティム・バートンのコープス・ブライド」も彼ら三人の作品です。

ジョニー・デップは、’99に「ノイズ」を見た時は、うさんくさいいやな俳優だと思っていましたが、前回の「パイレーツ・オブ・カリビアン」の怪演ですっかり度肝を抜かれ、今回はさらにグレードアップした怪演を披露しています。
一体、この人の顔は、どれが本当の顔なのでありましょうや?今回のメイクは、ジョニー・デップの今までの顔とは、似ても似つかない仕上がりです。

ヘレナ・ボナム=カーターも’96の「十二夜」では、癖のあるプライドの高そうないやな女優だと思っておりました。聞けば、曾々祖父は元イギリス首相、父親は銀行頭取、母親は精神科医という上流階級出身だそうで、さもありなんと納得。しかし、ティム・バートンやジョニー・デップと気が合うということは、きっといい人なのでありましょう。
いずれにしても、この映画は奇想天外、映画の常識にも適度に挑戦しており、私としては、大満足の満点をつけさせて頂きます。

さて、最後に話を東劇に戻しますが、私は東劇が大好きです。
上映作品のチョイスが、普通の松竹封切館とひと味違って、思想が感じられて品もある。とりわけ、劇場が二階にあることもあって、そこに至る長いエスカレーターもとってもよろしい!帰りの赤い絨毯の長い階段も、映画を見終わっての余韻を楽しむのに絶好!
しかし、今回だけはひどかったんですわ!なにしろ、私が見たのが東劇としては「チャーリーとチョコレート工場」の最初の上映だったためなのか、画面が最後まで時々上下に揺れるのですよ!
まるで昔よくあった、三本立ての安映画館を思い出させてくれましたよ!
今時珍しい初歩的な映写技術のミスでした。
東劇さん!頼むよ!恥ずかしいよ!

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もしも私が幕末のテロリストだったら・・・

インドのウパニシャド哲学では、人間の魂は死後、植物も含めたさまざまな他の生物に生まれ変わるとされています。そして、死後何に生まれ変わるかは、その人の生前の業(カルマ)によって決定されるそうです。
同様の輪廻説は、古代ギリシャのピタゴラスやプラトンも説いています。ついでに言いますと、あの麻原彰晃も言っているのはご承知の通りです。

ということで、今回は輪廻転生から話を始めます。
「そもそも自分の前世は何であろうか?」という命題は、誰しもが時間を惜しまず夢想するに値する興味深いテーマです。
なにしろ少し前の世代の先祖ですら、一体何をしていたか判然としない我々でありますから、まして我が身の前世など考えるよすがは全くありません。
せいぜいわが両親、わが祖父母に遡って、人品骨柄を子細に思い出してみますと、わが家系の出自は、武士とか貴族とかそのような気の利いたものではさらさらなく、地を這うようにして必死に生きていた水飲み百姓出身であろう事は、容易に確信できます。

そうしたアナロジーから、今この時点で自ら時代を遡り、わが前世の望ましい姿を創造してみると、次のようなイメージが浮かんできます。

すなわち、時代は江戸時代、それも幕末であります。
当然、生まれは水飲み百姓であります。何しろ今も連綿と伝わる目立ちたがり屋の遺伝子から、きっと絶望的な生まれにもかかわらず、死にものぐるいで抜け出そうとしていたでしょう。そのため、具体的に行動もしたでしょう。その行動は、現代であればガリ勉であるかも知れませんが、時は幕末、きっと超人的な剣術の訓練をこなし、武士になろうと夢見ていたでしょう。何しろ死を賭して猛稽古をしていますから、稽古で強いことはもとより、実戦ではもっと強い。
どこかで聞いたような話だと思ったら、まるであの天然理心流に燃えた近藤勇や沖田総司達にダブります。近藤達はうまく時流に乗ってグループを形成し、運良く新選組という入れ物を獲得しました。私の場合は、なにしろ運がない遺伝子ですから、きっと独立独歩でどのグループにも属せず、最終的にはどこかの藩のお情けで抱えられ、今はやりの刺客、すなわちテロリストになったであろうと相当の確率で想像できます。
そうです、薩摩の桐野利秋、土佐の岡田以蔵、そして新選組の斉藤一等々、寡黙で鋭い眼光、一瞬に仕留める殺人剣を武器に持ちながら、組織にうまく使われた末に、あえなく捨てられていったテロリスト達です。

彼ら幕末のテロリスト達の立場に立って考えてみますと、当時はテロのターゲットを指示されても、何しろ写真がほとんど普及していなかった時代のことですから、相手を特定することが最も困難でまた大切な仕事であったと思われます。
一方、自分の顔もほとんど知られていなかったわけですから、風のように仕事を実行した後、顔を見られないように速やかに現場を去らなければならなかったはずです。
そして、どんなに仕事がうまくいっても、有頂天になってはいられず、まして犯行声明などは絶対に出してはならないのであります。何しろ、誰もテロリストの顔をはっきりわかる者などいないからです。
当時は、仕返し・復讐がとても怖かったはずです。その結果、逆にやってもいないテロの恨みを受ける不幸な場合も出てきます。例えば、坂本竜馬暗殺の犯行を疑われた新選組局長近藤勇は、それを恨んだ土佐藩伊地知某により、最後は切腹も許されず、打ち首により板橋刑場の露と消えました。

こうしたテロリストの末路はさまざまです。岡田以蔵は捕らえられ、最後は狂いながら死んでいったと伝えられております。桐野利秋は、新政府の要職にありながら、西郷と行動を共にし、西南戦争で戦死しています。
saito そして、私の理想とするのは、寡黙なテロリスト、左利きで北辰一刀流居合いの達人、新選組三番隊隊長斉藤一です。彼は戊辰戦争を生き残り、その後警視庁に勤務した後、天寿を全うし、晩年は東京女子高師(現お茶の水女子大学)に勤務し、登下校する生徒のために人力車の交通整理をしながら「庶務係兼会計係」職員として精励したそうです。
おまけに、死後90年の現在においても、映画では佐藤浩市、TVではオダギリジョーと、極め付きの二枚目俳優が演じております。
彼は「人斬り斉藤」と恐れられ、おそらく数十人を斬殺したはずなんですが、彼の業(カルマ)はその後一体どうなってしまっているのでしょうか?

いずれにしても、私の前世としてはあまりにもかっこよすぎる事だけは、やっぱり確かなようです。

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31年ぶりに「砂の器」を見て

私がはじめて「砂の器」を観たのは、1974年ですから、実に31年前、私がまだ20歳代の半ばの頃である。
記憶にあるのは、気分が妙に晴れずにブルーであった31年前のその日、私は「映画でも観てみようか?」と、題名もろくに確認せずに、浅草六区の浅草松竹に入って観たのが、この「砂の器」である。

冒頭、深夜の国鉄蒲田操車場における死体発見シーンから、すっかり引き込まれてしまい、ラストまで時間を感じないほどのめり込んで観た記憶がある。観る前の期待値がゼロだっただけに、見終わっての感動はいわゆる「しばらく立ち上がれないほど」のもので、今でも個人としての映画生涯ベストテンを作ろうとすれば、悠々と上位に入る。

この'74「砂の器」を今回松竹が、イマジカと協働で我が国最先端の高品質なデジタル修復を実現し、'74当時の画像を見事に復元、音声も2チャンネルから5.1チャンネルドルビーへグレードアップしている。名付けて「デジタルリマスター版・砂の器」を、31年ぶりに東劇に見に行った。

まず、最初に驚かされたのは、偶然幸運に久しぶりに休暇が取れた平日の初回(10時開演)であったにもかかわらず、ほぼ9割の席が埋まっていたことである。今時の映画で、平日の初回がほぼ満席になる映画などあり得ないという常識を持っていた私だけに、本当にビックリさせられた。客層と言えば、おそらく定年後と思われる初老の紳士がかなり目立つ。これも今時の映画館の観客は、7割方がご婦人という常識を持つ私にとっては、二重にビックリさせられた。

31年ぶりに観た感想を次に列挙する。
1.やはり31年前は、青春まっただ中で、集中してみたこともあって、かなりのシーンをディテールまで記憶していた。(今は、先週観た映画でもプロットさえ忘れてしまうのはなぜだろう・・・)

2.今観ると、前半2/3は、意外なほど冗長である。しかし、難事件に対して、あらゆる可能性を検証しながら、今西刑事(丹波哲郎)と吉村刑事(森田健作)が、聞き込みを繰り返すわけで、やむを得ない展開である。
そして、この映画の神髄は、何と言っても後半1/3の本村千代吉(加藤嘉)とその子秀夫の親子の放浪シーンの過酷さと美しさ、加えて、警視庁捜査会議での丹波哲郎の捜査報告の名調子に尽きる。
前半2/3の冗長さが、一気にカタルシスに昇華する。たたみかける全体構成のすばらしさは、ひとえに脚本の橋本忍と山田洋次の功績である。
私は、31年前のサウンドトラックレコード(もちろんアナログレコード)を持っており、当時何度も聞いていたので、この丹波刑事の名調子は恥ずかしながら暗記しているほどである。
とりわけ好きなのは、捜査会議冒頭で「渋谷区穏田(おんでん)3の5和賀英了に逮捕状を請求します」と、低く抑えた声で渋く言い切るところである。
ところで、渋谷区には、穏田(おんでん)という町名はありません。きっと神南の語感を拝借したんでしょうね。

3.今回31年ぶりに観て、この映画の白眉だと再確認したシーンがある。
それは、あれほどまでに我が息子秀夫の成長した姿に再会したがっていた父親本浦千代吉(加藤嘉)と今西刑事(丹波哲郎)の岡山のハンセン病療養病棟での対面シーンである。成長した秀夫、すなわち栄光の絶頂にある天才音楽家和賀英了(加藤剛)の写真を今西刑事が千代吉に見せた時の加藤嘉の鬼気迫る演技のすばらしさ!セリフの間の見事なこと! 臓腑から絞り出すような言葉 「しらねぇ!こんなシト、オラ、しらねぇ!」 いやぁ~、すごい!完璧!

4.昨年放映されたTVの「砂の器」と比較してみますと、TVでは和賀英了を中居正広が演じたのはまぁいいとして、この本浦千代吉が、差別に耐えるハンセン病患者として放浪する加藤嘉から、村八分に激怒して村人を皆殺しにした犯人として放浪する原田芳雄に変えてしまったのは、いくら何でも設定に無理がありすぎでしたですよねぇ。

5.最後に、'74のキネマ旬報ベストテンでは、なんとこの「砂の器」は第2位でありました。第1位は、熊井啓の「サンダカン八番娼館望郷」だったんですネ。
毎度、映画の順位付けには難しいものがありますが、確かに良い勝負ではありますが、私には「砂の器」の明確な勝ちだと思いますけどねぇ・・・

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修正「ローハイド」

前々回「ミリオンダラー・ベイビーを見て」の記事中、TV映画「ローハイド」の放送時間を10時~11時としましたが、「そんなに遅くなかったのでは・・・」とのご指摘を受け、改めて調べましたところ、どうやら毎週土曜の9時~10時、放送局はNETだったようです。
それでも、当時の小学生としては、最後まで見終えるにはしんどい時間だったと思われますが、翌日が日曜であったため、何とか堪えられたようであります。
日本人という民族全体が、昭和30年代のその当時、大変健全な国民でありまして、夜9時にはどうやらかなりの割合の国民が就寝しているのが、常識であったようであります。24時間都市東京時代の今、改めて考えてみますと、この生活習慣の激変は、驚きを通り越して恐るべきものがあると、正直思います。

この部分は、信じられない読者もいると思われますので、ちょっと寄り道します。
小津安二郎の昭和32年の映画に「東京暮色」があります。この映画では、女子大生の有馬稲子が家を飛び出して、夜の喫茶店に10時頃一人でいるだけで、刑事の宮口精二に「家へ帰らないのか?」と何度も詰問されてしまうのが、不思議でなかった時代だったのであります。

話を戻します。他にも当時小学生の私の記憶と異なっていたのは、「ローハイド」の放送時期です。
私は、昭和30年代後半に2~3年の長期にわたって放送されていたように記憶していたのですが、実際は昭和34年の一年間だけだったようです。あまりに印象が強かったので、相当長期間放送されていたものと誤解していたようです。

この昭和34年と言う年は、前年に東京タワーが完成したおかげで、この年にフジテレビ、NETが新たに開局し、それまでの3つのチャンネルと合わせて、テレビ戦国時代に突入した時期であり、アメリカTV映画が各局で競うように陸続と放送された時期に当たります。
その主なものをあげますと、「ローハイド」を筆頭に、「ビーバーちゃん」「バット・マスターソン」「うちのママは世界一」「ガンスモーク」「ペリー・メイスン」「コルト45」「キャノンボール」「拳銃無宿」そして、あの「世にも不思議な物語」であります。
「世にも不思議な物語」は、通称「世にも」と言われまして、いやぁ~怖かったですね。冒頭のイントロ♪タタタ、タタタ、タータ♪ 思い出しますねぇ。今でも時々思い出しますから、我ら団塊の世代全体に、軽いトラウマを形成させたと言っても大げさじゃないのではないかなぁ。
あっ、「ライフルマン」もありましたねぇ。冒頭主人公がライフルをグルグル回した後、ナレーターが渋い声で「ザ・ライフルマン!スターリング、チャック・コナーズ!」とやったのが、かっこよかったですねぇ。確か、チャック・コナーズはメジャーリーグの野球選手出身だったはずです。

「拳銃無宿」や「バット・マスターソン」などの初期の西部劇は、ほとんどが30分もので、大人には物足りなかったようですが、これらに対して「ローハイド」が60分ものに切り替わるハシリだったようであります。
当時、「ローハイド」と人気を二分していた「ララミー牧場」にも触れなければならないでしょう。
これもNETで、毎週木曜の夜8時放映です。視聴率については、「ララミー牧場」がかなりの高視聴率だったような記憶があります。とりわけ、主人公ジェス役のロバート・フラーが圧倒的な人気でありましたが、その後、どうしたのかなぁ・・・
「ガンスモーク」は、その後、中学の英語教師が「FENでやっているから、ヒアリングの練習として聞け!」とよく言っていたのを思い出します。

最後にまた「ローハイド」に戻りますが、クリント・イーストウッド扮するロディ・イェーツの声をやっていたのが、その後ルパン三世の声で大人気となる、日比谷高校出身、当時若干27歳の山田康雄であります。

どうも今回は、なつかしさのあまり、とりとめがなくなってしまいました。読みにくくて失礼。
なお、今回の記事は、瀬戸川宗太著「懐かしのアメリカTV映画史」(集英社新書)を参考にしました。

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ご乱心!日本アカデミー賞

いくつかある日本の映画賞の中で、「日本アカデミー賞」は、昭和53年創設の後発組です。
それでも今年は、第28回を数え、徐々に映画賞としての風格を増しつつあると言っても良い状況にあったと思います。

しかしながら、昨日発表された2005年第28回日本アカデミー賞につきましては、「そりゃないでしょう?」「どうしちゃったの?」と声を出さずにはいられない選考結果でして、文字通りご乱心と評さざるを得ないものとなってしまいました。

そもそもこれまでも日本アカデミー賞については、ノミネート作品の一部にいつも腑に落ちない作品が入っているのが通例でしたが、最優秀作品や最優秀男優・女優賞などベストものの表彰については、なるほどとうなずかせる作品が続いていたのであまり議論にならなかったというのが、正直なところだと思います。

ところが、今年の選考は無茶苦茶でした。おそらく、ゴールデングローブ賞、キネマ旬報賞そして毎日新聞映画賞など他の映画賞とは大きく異なるベスト作品となってしまったと思います。何よりも、私がこれまでこのブログや左欄映画鑑賞履歴で発言してきた内容とも大きく違う結果となりました。

まず、最優秀作品賞です。なんと私が思いっきり酷評し、標準点以下とした「半落ち」を何と!何と!選んでしまったのです。いくら何でもこれはあり得ません。この作品は、何しろ映画にとって最低限の生命線とも言うべきリズムも緊迫感も感じられない典型的な駄作だからです。
どういう事情があったかは、不明でありますが、incredible! であります。

さらに驚くべき事は、今年のほとんどの映画賞で最優秀男優賞を文字通り総なめしてきている「血と骨」のビートたけしが、日本アカデミー賞ではノミネートすらされなかったのであります!!
これって一体どうしたわけなのでありましょうか?
日本アカデミー賞は、これまで北野武を無視してきたわけではありません。例えば、'00の「菊次郎の夏」'92「あの夏、いちばん静かな海」のように、北野作品としては地味な作品でもノミネートするなどむしろ積極的に評価してきた歴史があるのです。

ここからは私の勝手な個人的な推測なのですが、ビートたけしは昨年、「座頭市」で、作品賞にノミネートされ、優秀男優賞にもノミネートされていましたが、男優賞の受賞を拒否したようなのです。
したがって、通常5人の候補者から選考される最優秀男優賞が、去年に限っては、4人の中から選考せざるを得なかったという経緯があるようです。

しかし、受賞者が拒否しようがしまいが、ベストな俳優に与える、という映画賞として最低限持っていてほしい矜持を日本アカデミー賞は、捨ててしまったのでしょうか?
残念です・・・・

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今年のキネマ旬報ベストテン

04年のキネマ旬報ベストテン(日本映画部門)が、発表になりました。順位は以下の通りです。
1位 誰も知らない
2位 血と骨
3位 下妻物語
4位 父と暮らせば
5位 隠し剣鬼の爪
6位 理由
7位 スウィングガールズ
8位 ニワトリはハダシだ
9位 チルソクの夏
10位 透光の樹
注目の「血と骨」は、ベストワンは逃しましたが、個人賞では、最多の4部門を受賞しました。
「血と骨」が獲得した個人賞は、監督賞(崔洋一)、脚本賞(崔洋一・鄭義信)、主演男優賞(ビートたけし)、助演男優賞(オダギリジョー)です。

私が「映画鑑賞履歴」欄で予想したとおり、ビートたけしはおそらく今年の主演男優賞を総なめすると思われます。
一方、私の予想が狂ったのは、私の評価が低い「隠し剣鬼の爪」が5位に入ったことであります。しかし、膨大な数の登場人物を使った意欲作ではあったが、その分わかりにくかった大林宣彦監督の「理由」も6位に入っていることから考えて、5位以下はかなり水準が落ちていることが伺われます。したがって、総体としての今年の日本映画は、不振だったとも言えそうです。

ところで、私のご推薦の「血と骨」は残念ながらベストワンを取り逃がしてしまいましたが、過去のキネマ旬報ベストテンを調べてみますと、後世の名作映画が必ずしもその年のベストワンを取れていないことがわかります。
例えば、’50は、その後ヴェネチア国際映画祭金獅子賞やアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞した黒澤明の名作「羅生門」がキネ旬ではなんと第5位でしかありません。
また、日本映画歴代ベストテンという企画があると、必ずあたかも指定席であるかのように第1位に輝くこれも黒澤明の「七人の侍」も’54のキネ旬ベストテンにおいては、第3位にとどまっています。ちなみに、この時の第1位は木下恵介の「二十四の瞳」、続く第2位も同じく木下恵介の「女の園」であります。
ひょっとして、キネマ旬報ベストテンでは黒澤明が不公平な扱いを受けているのではないかとご心配の向きもあろうかと思われますが、’48には「酔いどれ天使」が、’52には「生きる」がそれぞれベストワンを獲得していることから、必ずしもそういうことではないようです。

まぁ、結論から言うと、その年の映画のベストテンはあくまでその映画の出来の目安であって、本当の評価が定まるのは、かなり時間をおいてからということのようであります。

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「新選組!(総集編)」を見る

昨年一年間、日曜の夜と言えば、NHKの大河ドラマ「新選組!」を見ることが習慣となり、一週間のリズムを作り上げてしまったので、「新選組!」を見ることが出来ない日曜日が来ることにどうにもなじめず、リズムが狂いがちな年越しでありました。
そうは言っても、年末恒例の総集編を見ることによって、ある程度のリズムを取り戻すとともに、改めて新たな発見をすることも出来ました。
ということで、今回は「新選組!(総集編)」を見ての新発見について書いてみたい。

まずもって驚かされることは、一年間の長丁場の膨大なプロットを緻密に組み立て、全体をバランスの取れたひとつの物語として様々な場面で周到に布石を打ちながら完成させた脚本家三谷幸喜の力業であり、改めて敬意を表したい。

冒頭ナレーターの沢口靖子がいみじくも語っているように、流山で近藤勇が斬首されたわずか四年後の1872年には、もう新橋と横浜の間を鉄道が走ることになるのであります。事ほど左様に、新選組の活躍した時代は、ついこの間の出来事なのであります。
さらに言えば、生き残った斉藤一(オダギリジョー)のように、その後東京女子高師(現お茶の水女子大学)の庶務兼会計係の事務員になるなどとという奇想天外な事が起きても不思議はないのであります。(しかし、人斬り斉藤と呼ばれた男がお茶の水女子大の予算決算に頭を悩ます姿は、ちょっと想像を超えるものがあります)
もう一つ例を挙げれば、長命だった永倉新八の場合、没年はなんと大正に入っての4年であります。
新選組隊士の一人一人の人生が、もしも自分の生年が少しずれていたとしたら自分自身のことだったかも知れないと思わせるのは、こういう事に理由があるのです。

次に、糸井重里氏が、「ほぼ日テレビガイド」で、これまたいみじくも語っていることでありますが、「新選組!は縮尺率1/5の群像ドラマであり、これまでの大河ドラマに見られない縮尺率で迫力が違う!」という事についてであります。
ほとんどの方は、糸井氏が何を言っているのか意味不明だと思いますが、解説しますと、新選組は誕生から消滅までわずか5年間の命でした。今回の大河ドラマはそれを一年で描ききるわけですから、縮尺としては、1/5と大河ドラマの歴史の中でも異例に大きな縮尺なわけです。「なるほど」であります。

全編を駆け足で改めて見てみますと、やはり、多摩の試衛館時代の仲間達の初々しい若さが際だちます。逆に言えば、ドラマの進行に伴って、試衛館の仲間達がいかに成長したかが、はっきりとわかります。
とりわけ沖田(藤原竜也)の試衛館時代のセリフ回しに至っては、完全に彼の演じたハムレットの舞台での饒舌さと節回しそのままであることに微苦笑させられます。この演技が、晩年の沖田の悲愴を際だたせるわけであります。

堺雅人演じる山南敬介の役作りも相当なもので、実際の山南がいかなる意図を持って新選組を逃走し、又なぜ戻ってきたかについては、事実は必ずしも定かならざるものがありますが、堺の山南は、過去のどの山南敬介をも凌駕する際立った人物像を作り上げたと言っても言い過ぎではないと思われます。
ついでに言いますと、鈴木砂羽の明里も史実とは少し違うようですが鈴木明里の方が、本物よりずっといいと思いますよ。

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「隠し剣鬼の爪」を見る

米国アカデミー賞外国語映画賞部門ノミネートをはじめ数々の映画賞を総なめにした感動作「たそがれ清兵衛」から2年・・・山田洋次が満を持して再び新たな時代劇に挑む藤澤ワールド第二弾!

以上のキャッチコピーにつられて、東劇で「隠し剣鬼の爪」を見てきました。
上映開始以来既に2ヶ月を経過しているためなのか、都内の映画館では、「隠し剣」を上映しているのはこの東劇だけになっています。土曜の2回目(13:10)の上映でほぼ八分の入りでした。

見終わっての正直な感想ですが、山田洋次監督作品としては凡策と言わざるを得ませんでした。
そもそも山田洋次の作品は、昭和60年頃から「男はつらいよ」シリーズを含めて凡策が続いていたのが現実です。かつての「家族」「故郷」といった突き刺すように鋭い社会性と問題意識はすっかり影をひそめて、毒にも薬にもならない、まるで「男はつらいよ」の名声を特権として山田の青年時代をなつかしむかのようなノスタルジア系の凡策を重ねていたというのが、うそのない現実の状況だったと思います。

それが藤澤周平の時代劇という設定の大変革によって、かつてのきらめきの片鱗を思い出しながら、ていねいにていねいに作り上げたのが前作の「たそがれ清兵衛」だったと思います。しかし、二匹目のどじょうはやっぱりいなかったのです。
以下、かつて山田洋次作品を深く敬愛していたファンの一人として、あえて「隠し剣鬼の爪」について苦言を述べてみたいと思います。

まず、言わなければならないのは、話の展開が前半の三分の二程度まであまりにも冗長に過ぎるのです。
見ている人のおそらくかなりの割合が、眠くなってしまうはずです。山田洋次としては、幕末の時代状況と武士と農民の身分差、そして主人公片桐宗蔵(永瀬正敏)の生き方をていねいに描写することによって、ラスト三分の一の山場の伏線としたかったのでしょうが、そのスピード感のなさは、残念ながら致命的でした。

また、山田洋次としては、「武士と農民という身分差を超えた純愛」をモチーフに、主人公が身分を捨てて愛を選ぶことに感動を描こうと思ったのでしょうが、ここの部分の描き方が薄いために全然感動させられないのです。なにより、ラストで愛を打ち明けられた相手役のきえ(松たか子)ですら、泰然としてほとんど驚いていたとは言い難い状況に象徴されるように、「身分差を超える愛」が見ていて当たり前のことに思えてしまうのです。
この点については、監督のねらいはわかるのですが、明らかに丁寧な伏線の置き漏れだったと思います。
もうひとつ言っておくと、きえ役の松たか子のキャスティングは失敗でしょう。
薄幸の下女役としては、松たか子はあまりにも健康的で明るくて苦労のかけらも感じられません。まるで、いい家庭のお嬢さんが主人公の家で下女のアルバイトをしているかの如く見えてしまうのです。

ここまでこき下ろしてきたからには、反対に是非集中してみていただきたい見所について、申し上げておかないとバランスを欠きますね。
何と言ってもこの映画の最大の見せ場になるのは、主人公片桐宗蔵とその旧友で謀反人の狭間弥市郎(小澤征悦)の決闘の場面です。得てしてチャンバラの場面は見慣れているせいか、なかなか迫力が感じられないものですが、山田洋次のチャンバラ場面だけは、前作の真田広之と田中泯の戦いに負けず劣らずの迫力です。
さらに、片桐宗蔵が、家老(緒形拳)を必殺の隠し剣鬼の爪で殺害する場面もリアルです。

最後に、意識して見ていないと見逃してしまいかねないので、あえて前もって心して集中して見ていただきたい2人の女優さんを紹介します。

ひとりは片桐宗蔵の母親役の倍賞千恵子です。片桐家の一家団欒のワンシーンだけの登場であり、アップなし、横顔と後ろ姿だけの登場ですが、声がまぎれもなくあの「さくら」なので、見逃さないと思います。
顔がすっかりしわだらけで、いつの間にかかわいいおばあちゃんになってしまっています。
もうひとりは、きえ(松たか子)の嫁ぎ先の商家伊勢屋のおかみできえを奴隷のようにいじめ抜く鬼のような姑にご注目下さい。鬼のような形相で永瀬正敏に啖呵を切る場面からは全く予想できなかったのでありますが、最後のクレジットで驚かされることになります。
なんと!記念すべき「男はつらいよ(第一作)」に登場した初代マドンナ光本幸子の35年後の姿なのであります。しかし、久しぶりだなぁ、変わったなぁ・・・・

PS.東劇に映画鑑賞に出かける時は、いい喫茶店がないとお嘆きの映画ファンの皆さんもきっと居られることと思いますが、朗報があります。旧日産ビルで現在の時事通信ビルの1階になんとスターバックスがいつの間にか開店していました。今のところすいているし、おすすめです。

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「24(トウェンティ・フォー)」(第一シリーズ)を見る

合計24話24時間という長尺ドラマで、アメリカで評判の人気ドラマ「24(TWENTY FOUR)」をレンタルDVDで2ヶ月がかりでようやく全巻見終わりました。
ご存じない方もいると思われますので、まずこのTVドラマの簡単な概要から紹介します。

あらすじ:「大統領候補者暗殺計画阻止」の密命と、ほぼ時を同じくして勃発する旅客機爆破、誘拐、殺人事件、CTU支局リーダージャック・バウアーが挑む「人生で最も長い一日(24時間)」
特徴:1話60分、合計24時間24話のリアルタイムのノンストップ・エンタテインメント
受賞:2002年エミー賞10部門ノミネート(テレビドラマ・シリーズ賞、脚本賞受賞)
ゴールデン・グローブ賞(主演男優賞・作品賞)
評価:「ジェットコースターのようなスピード感と刺激」(デイリーニューズ)
「24カラットのエンターテインメント」(TVガイド)
「TVドラマの革命」(ニューヨーク・タイムズ)

聞くところによると、米国では大変な人気だそうで、現在第三シリーズまで製作され、レンタル店でもリリースされています。
見終わっての印象ですが、なるほど大変なおもしろさで、リアルタイムで24時間が進行するという設定のため、シリーズ全体に強烈な緊張感が支配します。
とりわけ、プロットと脚本がすばらしく、誇張ではなく文字通り「息もつかせぬ」展開であります。
私の友人の一人は、徹夜で24時間分を一気に見たという剛の者がおりましたが、あり得る話と思わせるものがあります。
さて、この人気ドラマの第一シリーズについて、以下に感想を思いつくままに書いてみます。

このドラマを見る側が、まず最初に思い知らされるのは、宣伝文句の「まばたきも許されない」ほどではないにしても、「一話一時間の間、集中力を維持し続けなければならない」ということです。なにしろ、3~4場面が、リアルタイムで交代に同時進行していきますので、ちょっと気を抜くと筋の展開がわからなくなってしまうのであります。
3~4場面とは、パーマー大統領候補サイドの場面、CTU捜査官ジャックバウアー(キーファ・サザーランド)の場面、誘拐されたジャックの妻(レスリー・ホープ)と娘の場面、そしてCTUのLA支部の場面、以上4場面です。
ここでCTUとは、どうやら Counter Terrorist Unit の略らしい。

もうひとつのこのドラマが見る側に集中を要求する要素は、分割画面の多用にあると思います。
TV画面を分割する最も大きな効果は、提供する情報量が画面の数だけ多くなることであります。この結果、視聴者側にとっては、画面の数だけテンションを上げざるを得ないわけです。

類似の緊張を強いられるTVドラマに「ER」があります。
これは、分割場面こそ使わないものの、3~4人の患者の話が同時進行して交代に展開されますので、ちょっとよそ見をしていると、すぐに訳がわからなくなると言う意味で、「24」と共通するわけです。
奇しくも、こちらの方もいよいよ第十シリーズに突入する超人気TVドラマシリーズとなっております。

次に、「24」にしても「ER」にしても、視聴者の異常な集中力を要求するドラマが、なぜ人気を博しているのかと言うことについて考えてみたいと思います。
おそらく、現在のあまりにもくだらないTV番組の蔓延に対する批判の意味があるのではと思います。現在の我が国の(米国も同じ事情のようですが)ゴールデンアワーを独占するバラエティと称する番組の低俗さを見てください。いつ見始めてもいいような、まるで緊張感のない番組のオンパレードです。見続けていると、脳が腐り始めるのではないかと心配になるほどです。
「24」の人気の要因のひとつには、こうした腐臭を放つTV番組へのアンチテーゼの意味があることは間違いありません。

「24」の忘れてならない特徴をもうひとつだけ指摘しておきますと、ハンディカメラの多用があります。
とにかく、出演者も疾走し続けますが、カメラ自身も疾走するのです。あまりにも画面が動くので、見ている方も酩酊状態になります。

以上、賞賛する点ばかりの「24」でありますが、最後に苦言と疑問を書いておきます。
まず、苦言について。
主人公のCTU捜査官ジャック・バウアーは、ドラマの中で、ほとんど疾走しています。ある時は足で走り、ある時は猛スピードで車を運転します。それはいいのですが、頻繁に携帯電話をかけながら運転するのです。
何しろ、激しいドラマ展開をたった24時間のリアルタイムで表現するのですから、時間が足りないことはよくわかりますが、だからと言って、現在我が国では非合法とされている運転中の携帯電話のてんこ盛りは、いただけません。

もうひとつは、疑問点であります。
ジャック・バウアーの奥さんのテリー(レスリー・ホープ)は、ドラマの中盤以降で、左下腹に痛みが走るらしく、時々顔をしかめます。これは何かの伏線なのだろうと注目していたのですが、最後まで対応するシーンがありませんでした。それとも、作者は妊娠の兆候として表現したかったのでしょうか?それは、ちょっと不自然ですよね。
伏線を播きすぎた結果、作者がラストまでに刈り取りきれなかったのではと思わせるものがあります。
「24」ファンの読者の解釈をコメントいただければ幸いです。

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明治維新と孝明天皇毒殺説

明治維新を早めた要因は何かとか、遅らせた要因は何かとか、巷間、いろいろな説があります。
これらについての典型的な議論は、例えば、1862年(文久2年)の薩摩藩の尊攘急進派6名が殺害された寺田屋事件は結果的に却って明治維新を数年早めることになったとか、反対に1864年(元治元年)の新選組による池田屋事件は明治維新を1年遅らせたといったようなものです。
こうした議論は、歴史のシミュレーションが容易でないことから、同一要因ですら正反対の意見があるなど無数の説があり、本当のところは、神のみぞ知るということになります。

しかしながら、ここに明治維新をまぎれもなく早めた要因として、議論の余地なく大方の賛同が得られると思われる事実があります。
それは、1866年の孝明天皇の急死であります。
孝明天皇は1847年9月に即位後、黒船の来航をはじめ日本の鎖国体制の崩壊過程の真ん真ん中に在位しました。井伊直弼により勅許を得ないで行われた米国など5カ国との条約調印に激怒したものの、井伊大老暗殺後は、天皇の妹和宮の将軍徳川家茂への降嫁を推進するいわゆる公武合体を実現させようとしました。
孝明天皇は、和宮降嫁については、はじめ拒絶していましたが、幕府の再三の懇請を受けて、軍備の充実と鎖国体制の復旧を幕府に約束させることを条件にして降嫁を許し、最終的には激しく拒否する妹和宮を精力的に説得したと伝えられております。
(余談ですが、それほど嫌がっていた和宮でしたが、家茂が無類の愛妻家だったこともあって、降嫁後は大変なラブラブモードだったとも言われております。)

その他、NHK大河ドラマ「新選組!」にも出て参りますように、禁門の変や8月18日の政変といった歴史の経過の中で、孝明天皇は、長州に対して怒りを増幅していった反面、次第に幕府びいきになっていったようで、新選組を預かる会津藩の松平容保に陣羽織を下賜するなど、会津ファンの一面もあったようです。
したがって、鳥羽伏見の戦いを前にしての孝明天皇の突然の死がなければ、徳川家があれほどたやすく朝敵の汚名を着ることなど考えられなかったと思われます。また、結果的に徳川幕府の崩壊が歴史の必然であったとしても、少なくとも徳川家は新政府のメンバーの一員として十分に残っていたはずだと思われます。

そういう意味で、私は、薩長藩閥による明治維新という歴史を招いたぶっちぎりで最大の要因は、実は孝明天皇のタイミングの良い突然の死だと断言できると思うわけであります。
孝明天皇が亡くなった1866年という年は、薩長同盟が成立した年であり、第二次長州征伐も失敗してますます討幕運動の熱が高まるまさにその時であり、シナリオとしては、この上なくグッドタイミングでありました。

孝明天皇の死因につきましては、公式には天然痘とされておりますが、賢明な読者の皆さんはご存じのように、この死因は極めて不自然でありまして、毒殺説も有力と言われております。
仮に天皇が毒殺されたと致しますと、今度は「犯人は誰だろう?」ということになります。
毒殺犯の条件と致しましては、まず討幕派の公家であること、天皇に近い者であることが必須条件でありまして、さらにある程度の才覚と命懸けの度胸を併せ持つ公家と言うことになります。
以上の条件を全て満たす人物と言うことになりますと、衆目の一致するところは、唯一人に絞られて参ります。
すなわち、今、あなたの財布の中で五百円札としてすましているあの岩倉具視卿であります。岩倉卿は孝明天皇の侍従も勤めております。

仮にこれが事実と致しますと、薩長藩閥による明治維新の最大の功労者は、坂本竜馬でも西郷隆盛でもなく、文句なしに岩倉具視ということになります。

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薩摩藩士奈良原兄弟の因縁

幕末のように歴史の大転換期には、よくあることのようですが、世にも奇妙なと形容すべき事件が起こることが珍しくありません。そうした中で、奇人・怪人とも言うべき剛胆の者も輩出します。
今回、ご紹介するのは、薩摩藩の奈良原喜左衛門と喜八郎の兄弟の場合であります。

まず、奈良原喜八郎についてですが、驚くべき豪放な武士だったと言われております。
彼は、文久2年(1862年)4月23日の寺田屋事変で、藩主島津久光の命を受け過激派鎮撫の役割を担って歴史に登場します。
寺田屋事変とは、おなじみ伏見の船宿寺田屋で、倒幕挙兵を画策して会合中の薩摩藩の急進過激尊王攘夷派有馬新七らに対して、この動きを事前に察知した島津久光が、奈良原喜八郎等9名を寺田屋に送り、有馬等6人を斬殺して、薩摩藩の尊攘派を壊滅させた事変です。さらに、朝廷から浪士取り締まりを依頼された藩主久光は、尊攘派志士を京都から追放する役割も担います。
この結果、尊攘派は薩摩藩への期待を裏切られた形となり、久光の推し進める公武合体派と尊攘派の対立は、この時決定的となりました。
この事変において、剛胆でなる奈良原喜八郎は、真っ裸になって急進派一同の刀に対し、裂帛の気合いで彼らを屈服させたと言われております。この時の喜八郎の活躍ぶりについては、「大久保利通日記」に活写されておりますので、以下引用します。
「全く奈良原喜八郎神妙の働きを以て取り鎮め候、各二階に罷り居り候につき、刀を投げ捨て大肌抜きにて抜き身持ちたるながら立ちふさがり、決してお騒ぎ成され候にこれなく、(中略)何れも必死を約したる者どもに候得ども、奈良原終に屈服せしめ候次第、感入に堪えず候」

一方、兄喜左衛門は、そのわずか4ヶ月後の文久2年8月21日、生麦事件で歴史に登場します。
藩主島津久光が勅使大原重徳を警護して江戸から京へ上る行列の途中、神奈川県生麦村で、騎乗の英国人4人とすれ違います。4騎は道端に押しやられたものの、不幸にも久光の輿の前で行列に進入した形となりました。この時、輿の後方にいた喜左衛門は疾駆して前に出、「無礼者!」と叫びながら、騎乗の英国人リチャードソンの左肩の下、肋骨から腹まで一刀の下に斬殺しました。
この後、下手人奈良原喜左衛門は御供目付であったため、幕府は英国に対し償金10万ポンドを支払い、英国がさらに遺族扶助料2万5千ポンドを要求したため、薩英戦争の端緒を開く結果となったわけであります。

わずか4ヶ月の間隔を置いて兄弟が、藩主島津久光に同じように忠節を尽くしながら、兄喜左衛門は急進的な攘夷事件を起こし、弟喜八郎はその急進派を壊滅させる行動をしたことになります。驚くべき皮肉なめぐりあわせの兄弟であります。

兄喜左衛門は生麦事件の3年後、35才の若さで病死しますが、一方、弟喜八郎は維新後薩長政府の下で貴族院議員や沖縄県知事を歴任します。
この弟喜八郎は、豪放な逸話の多い人で、明治10年頃には新橋煉瓦地第一の遊び手であったと伝えられております。たとえば新橋花月の関係者の話によりますと、「芸者などに『盃をやろう』といってくれる盃の中には、酒の底に二分金がちらちらしている。新橋花月の真黒い子守が気に入ってこれを手に入れたりした。如何にも武士らしい豪放な変わったところがあった」そうであります。
注)この稿は、子母澤寛「新選組始末記」を参照しました。

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寅次郎のベッドシーン

「男はつらいよ7不思議」があるとすれば、さしずめそのトップにランクインするべき謎は、寅次郎の性生活についてでありましょう。
なにしろ、シリーズ全48作品、合計90時間に及ばんとする全てのシーンに、子細に目をこらしても、寅次郎の下半身に関係するものは、ほとんど出てまいりません。
こうしたことから、一説には、寅さんは童貞であると断定する向きすらあるくらいであります。

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しかし、たったひとつ例外のべッドシーンらしきものが、1シーンだけありました。これももう既におなじみのシリーズ第15作(昭和50年)「寅次郎相合い傘」に出てまいります。

場面は、蒸発したサラリーマン通称パパ(船越英二)と寅次郎とリリー(浅丘ルリ子)の三人が、旅館の一室で川の字になって寝るシーンです。川の字の真ん中はリリーです。

りりー「寅さん(甘え声で)、私、冷え性なの、すごく。夏でも足が冷た~いんだ。」
寅「下行って、湯たんぽ都合してもらえ。」
リリー「あっためさせて!」  
寅「う~ん?あっあ、おい!だめ!冷やっこい!そのままつっこんじゃ、だめだよ!」 
リリー「けちっ! じゃ、いいよ!パパに暖めてもらうから。(パパのふとんに足を入れて)気持ちい~い!」
パパ「寅さん?寅さん!」  寅「パパ!暖めてやれ!」
リリー「気持ちい~い・・・・ムニャムニャ・・・」

次にご紹介するシーンは、その後日談でありまして、場所を改めて、とらやの1階での就寝前の寅とリリーのやりとりでございます。とらやのおいちゃん、おばちゃん、さくらとヒロシ、そしてたこ社長までいます。
とらやのみなさんに聞こえるように、寅次郎はわざと大声で話します。

寅「おいっ、リリー!」  リリー「はっ?」
寅「何か不自由なものはないかい?」 リリー「ないわ。」
寅「足が冷たくねぇのかい?」  リリー「冷たい!」
寅「じゃ~、おれ、暖めてやろうか? いつものように・・・」  リリー「そうして!」
寅「エヘヘヘヘ・・・・アハ~、ションベンでもしてこよう!」
呆然とするとらやの人々・・・・・

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寅次郎とリリーの決定的場面

全部で35人のマドンナのうちで、寅次郎との相性がベストだったマドンナと言えば、リリー(浅丘ルリ子)ということで大方の意見は一致すると思います。リリーは、場末のキャバレーまわりの売れない歌手という設定であり、寅次郎と同じ浮き草稼業であり、寅の気持ちを誰よりもよくわかっていた女性と言えるでしょう。また、リリーは彼女に頼り切る母親(吉行和子)という重荷を負っており、暖かい家庭を知らないという意味で、寅次郎よりもはるかに厳しい生い立ちを経ています。
八千草薫の場合は、幼なじみであり、彼女の求愛は寅次郎にとっては、青天の霹靂で多分に出会い頭的な状況もありましたが、その一方、リリーの場合は相当シリアスであります。
いずれの場合も「冗談でしょ!」と照れくさがる寅次郎の方で、せっかくの決定的シーンをうやむやにしてしまうのですが、リリーのケースは、八千草とは比較にならないほどリアリティーがあります。

それでは、第15作「寅次郎相合い傘」より、シリーズ中で寅次郎が最も結婚に近づいた場面をご紹介します。
場面は、とらや。さくらとヒロシが、冗談めかしてリリーの本当の気持ちを伺う場面からです。
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さくら「これ冗談よ、あのネ・・・、なんだか言いにくいな」
ヒロシ「やめろよ!」  さくら「やめようか?」
リリー「へんねぇ~、そんなのないわよ!失礼よ!」
さくら「実はね・・・ これ本当に冗談だから、怒っちゃや~よ」
リリー「わかったから、早く言って。」
さくら「じゃ、言うけどネ、リリーさんがネ、お兄ちゃんの奥さんになってくれたらどんなに素敵だろうなって・・・・、ねぇ、冗談よ、これ本当に冗談よ!」
ヒロシ「あっ、気にしないでください。夢みたいな事、2人で話してただけですから・・・」
リリー「いいわよ、私みたいな女で良かったら・・・・」
さくら「あっ、いいって? まさか、お兄ちゃんの奥さんになってもいいって事じゃ?」
リリー「そう・・・・」
ヒロシ「本当ですか?」  さくら「どうしよう、ヒロシさん? おばちゃん、聞いた?」
ちょうどその時、とらやに寅が帰ってくる。
寅「よっ、とらやの皆さん、今日一日、労働ご苦労様でございました。」
さくら「おにいちゃん、大変よ!」
寅「何だ? 大変って。」  さくら「リリーさんがネ・・・」 寅「リリーがどうかしたのか? なんだ?」
さくら「違うのよ、リリーさんが結婚してもいいって・・・
寅「結婚? 誰と?」  さくら「お兄ちゃんとよ」 寅「おれと・・・?」
さくら「リリーさんがお兄ちゃんと結婚してもいいって言ってくれたのよ。よかったわネ!」
寅「うふっ、何言ってんだ、お前! まじめな顔して! あんちゃんの事、からかおうってのか?」
さくら「からかってなんかいないわよ。」
寅「おいっ、リリー。 お前も悪い冗談、やめろよ! 周りは、ホラ、素人だから、みんな真に受けちゃってるじゃないかよ! (小声で)おいっ、リリー、いいからこっち来いよ!お前、本当に冗談なんだろう?えっ?」(しばらくの沈黙)
リリー「そっ!冗談に決まってるじゃない!」
寅「そうだろ、ホラ見ろ! 冗談じゃねぇか!」   さくら「でもネ、お兄ちゃん・・・」
リリー「そいじゃ、わたし・・・ 」 寅「どこへ行くんだい?」 リリー「帰るの。皆さん、お世話になりました。バイバイ!」
さくら「おにいちゃん!(泣きながら)リリーさん、うそついたのよ。りりーさんはネ、本気でお兄ちゃんと結婚するって言ったのよ!冗談なんかじゃないのよ!」

思いっきり重い余韻を残しましてリリーが去った後、寅次郎は二階の自分の部屋に戻り、いつになく灯りを消して真っ暗闇の中で考え込んでいます。心配して上がってきたさくらと2人の間でしみじみとした会話が続きます。
(このシーンでは、寅次郎はすっかり二枚目に変化しています。)
さくら「どうしたの? どうして追っかけていかないの? お兄ちゃんは・・・ お兄ちゃんはリリーさんのことが好きなんでしょ?」
寅「もうよせよ、さくら。 あいつは頭のいい、気性の強い、しっかりした女なんだ。おれみてぇなバカとくっついて、幸せになれるわけがないだろう?」(激しい雷と雨。沈鬱に考え込む寅次郎)
寅「あいつも、おれとおんなじ渡り鳥よ、腹すかせてさ、羽けがしてさ、しばらくこのうちで、休んだまでの事さ。いずれまた、ぱっと羽ばたいて、あの青い空へ! なっ、さくら、そういう事だろ?」
さくら「そうかしら?」(涙、涙のさくら)

結果として、リリー(浅丘ルリ子)は、「男はつらいよ」シリーズ全48作中、最高の4作品に登場しています。
寅次郎との相性の良さから、山田洋次監督も書きやすかったのだと思います。
そして、シリーズ最後の作品にあたる第48作(平成7年)「寅次郎紅の花」のマドンナもリリーでした。そして、この作品を撮った次の年の平成8年夏、寅次郎(渥美清)は、帰らぬ人となりました。
言ってみれば、リリーが最愛のマドンナとして、寅次郎を看取ったと言ってもいいと思います。

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寅次郎の恋、成績は2勝0敗33分け

「男はつらいよ」全48作を通して車寅次郎は、振られ振られてなんと35人のマドンナから振られ続けたことが、あたかも常識であるかの如く喧伝されております。(マドンナは純計で36人ですが、後藤久美子は満夫の恋人なので除外してカウントします)
しかし、よくよく全作を見直してみますと、この常識は、大変な間違いであることがわかります。相当の寅さんファンでも犯しがちな誤りではありますが、子細に映画「男はつらいよ」を見通してみますと、実際には寅さんはほとんど振られていないことがわかります。
もっとわかりやすく申しますと、なるほど寅さんはほれっぽい性格で、35人もの様々なタイプのマドンナに毎回思いを寄せました。しかし、意外なことに、寅さんは35人のマドンナの誰に対しても、一度たりとも自分の思いを告白したことはないのです。
現実は、ほとんどの場合、寅さんが告白する前に、マドンナが他の男性と結婚してしまったり、あるいは寅さんの前から姿を消してしまうだけ(あるいは、寅さんの方から旅に出てしまうだけ)なのです。
したがって、マドンナが面と向かって寅さんの愛を拒絶したことなど、実は一度もないのです。
そういう意味で、勝敗として公正に表現するとすれば、敗北としてカウントすべきものではなく、引き分けに区分することが適当だと言えます。

しかし、驚くべき事に35人のマドンナのうち例外としてたった2人だけ、寅の告白がないままに、「寅さんと結婚してもいい」と自らの意志で、言ってくれたマドンナがいます。(この2人の場合でも「結婚したい」ではなく「結婚してもいい」でして、「も」がついているのが実は相当微妙なニュアンスではありますが・・・)
第10作(昭和47年)の「寅次郎夢枕」におけるお千代坊(八千草薫)と、第15作(昭和50年)の「寅次郎相合い傘」におけるリリー(浅丘ルリ子)です。
この結果、寅次郎の恋の公式記録ということになりますと、決して35戦全敗ではなく、2勝0敗33分けと表現することが正しいのです。寅の名誉のために声を大にして申し上げたいと思います。

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今回は、このたった二回の例外ケースのうち、八千草薫の寅に対する告白の場面をご紹介します。
場所はおなじみ亀戸天神の池に張り出した橋の上です。
なお、八千草薫の役の設定は、結婚に失敗して柴又に帰ってきた寅の幼なじみで、帝釈天の側に美容院を開業して間もない、というものです。

八千草「私ネ、寅ちゃんと一緒にいると~、なんだか気持ちがホッとするの。寅ちゃんと話していると、あぁ~私は生きているんだな~ってそんな楽しい気持ちになるの。寅ちゃんとなら一緒に暮らしても・・・って、今ふっとそう思ったんだけど・・・」
寅(びっくりして座り込みながら)「ジョッ、冗談じゃない?そんなこと言われたら、誰だってビックリしちゃうよ。あはははは・・・」
八千草「冗談じゃないわ!(寅をしっかりと真剣に見つめる)」
(ビックリして後ずさりする寅)
八千草「(ため息をつきながら)うそよ!やっぱり冗談よ!」
寅「そうだろ!冗談に決まってるよ!」
(ガクッと腰を落としてホッとした表情の寅)
八千草「じゃ、そろそろ帰りましょうか?」
寅「そうね、帰ろうか」
八千草「買い物があるから、寄り道するわ」
寅「う~ん」(1人残る寅)

場面代わっていつものラストシーンである正月のとらやの団らん。
八千草が正月の挨拶に来ている。寅は例によって旅行中。
おいちゃん「お千代坊(八千草の役名)もそろそろ嫁さんになったらどうだい?」
おばちゃん「そうだよねぇ~、強がり言ってないでさ」
八千草「本当よ、もう~結婚なんてこりごりよ」
おばちゃん「何言ってんだよ、まだ若いくせに、本当だよっ」
おじちゃん「なっ、寅でどうだい? わっはははははは」
八千草「どうしておかしいの? 私、寅ちゃんとならいいわ」  一同「えぇ~っ」
八千草「でも、だめね、振られちゃったから・・・」
たこ社長「あ~っ、びっくりした!俺、本当かと思ったよ!おい!」
八千草「本当よ!」
さくら「だめよ!そんなこと言ったら、お兄ちゃん、本気にするわよ!」
八千草「(静かに)冗談じゃないのよ」
たこ社長「またまた~」

以上です。
(ところで、いつも疑問に思うんですが、この作品に出てくる柴又帝釈天のすぐ側にあるはずのくだんのお千代坊の美容院はその後どうなったのでありましょうか?その後の作品に一度も出てこないんですよね・・・)

第15作「寅次郎相合い傘」におけるリリーの告白につきましては、かなり長くなりますので、次回ご紹介いたします。


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「男はつらいよ」ベストシーンは?

山田洋次監督のすごいところは、画面の隅々にまで、綿密な気を配っているところです。
ここで言う「画面の隅々」とは、文字通り画面の四隅の端っこという意味でありまして、四隅にまで神経を行き届かせているということです。したがって、二度三度と見ますと、必ず何らかの新しい発見があります。例えば、何の変哲もない街路での立ち話の場面で、バックの端っこにさりげなく掲示板に町会の回覧板が貼ってあったりします。
そのひとつひとつの配慮の積み重ねが、豊かな生活感となって、分厚いリアリティーを作り上げているのだと思います。
ちなみに、英語でも「手を抜かない」は、don't cut corners と言いますね。要するに、画面の四隅にまで気を配る映画作りとは、「手を抜かない映画作り」であることを日米共に意味するのでありましょう。

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かように、ていねいに作られている「男はつらいよ」全48作の中で、「最高のシーンをひとつあげよ!」と問われたら、どうしますか?
私の場合、前回に引き続き、この質問にもあまり迷う余地なく自信を持って選択することが出来ます。
すなわち、これも私が前回選んだシリーズ最高傑作「寅次郎相合い傘」の中の一場面となります。

夜遅く、キャバレーの酔客相手に歌う仕事を終えて帰ってきたのでしょうか、京成金町線柴又駅の小さな改札口から、疲れ切った顔でリリー(浅丘ルリ子)がゆっくりと出てきます。折しも雨がかなり強く降っていて、うっとうしそうな顔を上げて、暗い雨空を見るリリー。
駅前の暗い片隅には、さっきから寅が番傘をさして照れくさそうに横を向いて待っています。
寅次郎に気がついて、リリーの暗い顔が一気にパッと輝きます。(ここいらへんの表情の変化は、さすが浅丘ルリ子と思わせるものがあります)
リリー「わっ、迎えに来てくれたの~」(うれしそうに寅の番傘の中に入るリリー)
寅「ばかやろう!散歩だよ~」
リリー「ねぇ、雨の中、傘さして散歩してんの?」
寅「悪いかい!」
リリー「ぬれるじゃない」
寅「ぬれて悪いかよ!」
リリー「風邪引くじゃない」
寅「風邪引いて悪いかい!」
リリー「だって、寅さんが風邪引いて寝込んだら、私、つまんないもの・・・」
寅の背広の上着は、肩に引っかけているだけなので、腕を通していません。その腕の通されていないカラの背広の袖に自分の腕を通して組むりりー。

あぁ~、涙、涙、完全無欠、文句なしのシリーズ最高のシーンであることはもとより、戦後日本映画の歴史においても極め付きの名シーンのひとつであることは間違いないでありましょう。

余談ではありますが、私はこの「男はつらいよ」の一連の記事を書くに当たっては、実際に柴又に二度足を運び、「寅さん記念館」で調査し、ビデオも2作品を購入し(1本3900円は高いよなぁ)、結構まじめな準備をしております。
まっ、どうでもいいことですが・・・(なんで、コメント欄の反応がないのだろうか?)

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「男はつらいよ」シリーズ最高傑作は?

私は、何を隠そう映画「男はつらいよ」シリーズの正真正銘の熱烈なファンであります。「正真正銘の熱烈なファン」とは、一体どういうファンかと言いますと、昭和44年の第一号マドンナ光本幸子以来、シリーズ48作全てを見ていることは当然として、普通のファンが笑うところで、不思議なことに泣きたくなるのであります。さらに、例の寅さんの啖呵売(どうやら「タンカバイ」と読むらしい)も全文暗記しております。

「啖呵売ってなんだ?」とおっしゃる方もおられると思いますが、要するに、寅さんがよく旅先の縁日で、怪しげなおもちゃなどを売りながら、景気づけに語る口上であります。
すなわち、「物の始まりがイチならば、国の始まりは大和の国、島の始まりは淡路島」にはじまって、おなじみの「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立ちション便!」と盛り上げる例のあれであります。
私は、若い頃の一時期、すっかりこの寅さんの啖呵売の虜になってしまいまして、寝ても覚めてもつぶやき続けまして、挙げ句の果ては友人の結婚式の挨拶で披露して大受けするという、今思えば空恐ろしい離れ業もやっております。

ところで、今回私が取り上げたいテーマは、このシリーズ全48作の中で、どの作品がシリーズベストワンであろうかという興味深い問題についてであります。
昭和44年から平成7年まで、足かけ26年にわたって製作された全作品それぞれ優れた作品でありまして、寅さんが惚れて振られたマドンナは、実に合計36人を数えます。

例えば、映画評論雑誌として伝統と高い権威を誇ります「キネマ旬報」における各年の日本映画ベストテンを調べてみますと、昭和44年の第1作から昭和51年まで、ほとんど毎年ベストテンに1作づつランクインするという驚くべき記録も持っております。一方、打って変わって昭和52年の第19作以降は、マンネリとみなされたのかほとんどベストテンには入らなくなりました。

この中で、「あなたにとっての寅さんを一作だけ選びなさい!」と言われたら?
私にとっての「寅さんこの一本」は、実は2位以下を大幅に引き離して、ぶっちぎりの一本があります。
シリーズ第15作、マドンナが浅丘ルリ子の「寅次郎相合い傘」であります。
実は、寅さんと浅丘ルリ子演じるリリーとの相性は抜群で人気も高いためか、シリーズ48作中、同一マドンナとしては最高の4作品もあります。リリーとしては2本目にあたり、キネマ旬報では昭和50年の日本映画第5位にランクインしております。私の記憶では、ベストワンとした新聞社もあったと思います。
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この作品は、冒頭の恒例であります寅次郎の夢のシーンから始まって、91分ほぼ全編が寸分のすきもない、歴史に残る名シーンと名セリフの連続でありまして、私のような者は、全編にわたって涙腺がゆるみっぱなしとならざるを得ないのであります。
そうした名シーン名セリフの数々のうち、とりわけ長く記憶に残るすばらしいシーンのいくつかをご紹介します。

まず冒頭、寅次郎が場末の映画館でいねむりをしています。映画が終わった後の切符切りのおばちゃんとの短い会話です。
寅「おばちゃん、おもしろかったよ。」 おばちゃん「あっ、よかったネ」  寅「どうもありがとう。」 
このなにげない短いシーンだけで、私は涙が止まりません。とりわけ、このおばちゃんの短いセリフに込められたイントネーションの自然なこと!神の存在を感じるシーンであります(すいません、これはちょっと大げさでした)。

次は、離婚したリリーと寅が二年ぶりに再会しての会話です。
寅「あれから二年になるなぁ~」 リリー「もう二年になるのかしらねぇ~、あんた、あれから何してたのよ?」 寅「おれか~?恋をしていたのよ~。」 
うわ~!あらゆる反論がぶっ飛んでしまうような怒濤の名セリフであります。

次は、厳しい会社生活に疲れ蒸発して寅と出会ったパパ(船越英二)が、離婚して女手ひとつで喫茶店を営んでいる初恋の人(岩崎加根子)に30年ぶりに会うために、客としてそっと喫茶店に入り、コーヒー一杯でそそくさと代金を払って、店の外に出た場面です。場所は小樽です。船越と岩崎は、30年前の学生時代、東京で知り合って以来会っていないという設定です。
船越はあわてて店を出たため、カバンを店の中に置き忘れています。岩崎がすぐ追いかけて、店の外の路上でカバンを船越にわたします。
船越「あっ、どうもすいません。」 岩崎「健次郎さんでしょ。」 船越「えっ?あの~、おわかりですか?」 岩崎「お店に入っていらした時、すぐわかりましたわ。あなた、ちっとも変わらないわねぇ~。」 船越「そうですか、ぼくはまた、覚えてないんじゃないかと思って・・・出張でこっちに来たものですから、ちょっとお寄りしただけなんです。あの~、お元気そうでなによりです。」 岩崎「あの・・・」 船越「はっ?」 岩崎「もう一度お入りになりません?」 船越「いえ、ぼく、汽車の時間なんかあるものですから・・・あの~、どうぞお幸せに。じゃ、ぼく、これで・・・」
小走りに逃げるように去る船越。その後ろ姿をじっと見送る岩崎。
この場面は、何回見ても私ははずかしいくらい涙が止まりません。号泣するほどであります。

「寅次郎相合い傘」の名シーン名セリフは、まだまだありますが、今回は長くなりましたので稿を改めてあと2~3回書くつもりです。
なお、読者の皆さんの「男はつらいよシリーズ:私のベストワン」をコメント欄に奮ってお寄せ下さい。

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山南死す[京都新選組旅行1]

8月24日(日)、NHK大河ドラマ「新選組!」[友の死]において、新選組総長山南敬介が切腹して死にました。実に、見事な最期でありました。
今年の大河ドラマ「新選組!」は、私としては大変珍しいことに、あきずに毎回続けて見ておりますが、[友の死]の回は、[池田屋事件]をしのぐシリーズ中でも最も心に残る出来だったと思います。
私が山南の墓がある京都の光縁寺を訪ねたのは、奇しくもその放映日の翌日でありまして、かなり多くの若い女性観光客が訪れていました。
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光縁寺は浄土宗のお寺で、知恩院の末寺にあたります。門前近くに新選組の馬小屋があり、門前を隊士達がよく往来していたため、新選組との関係も強かったようです。
光縁寺さんのリーフレットによりますと、当時、筵に巻かれた死体がよく門前に放置されていたそうです。これは、葬式を出せない困窮した人たちが、この寺の住職がどのような死人であっても、分け隔てなく弔っていたのを知っていたからだそうです。
その住職良誉上人と山南がたまたま親交があり、山南の紹介で、屯所で切腹した多くの隊士達が、良誉上人に弔われ埋葬されています。山南自身が、そのうちのひとりとなってしまったのは、大変皮肉なことでした。

ここで山南以外で、この光縁寺に埋葬されている新選組隊士達を挙げておきますと、野口健司・葛山武八郎・松原忠司・河合耆八郎・谷三十郎・藤堂平助・伊東甲子太郎等々といった錚々たる顔ぶれでありまして、なるほどいずれも切腹または斬殺といった非業の死を遂げられた隊士達ばかりのようです。
なお、現在の住職のお話では、当時は土葬だったと言われております。

この光縁寺は、屯所のあった前川邸や八木邸とは同じご町内と言っても良いくらいの位置関係にある小さなお寺で、あまりの近さにびっくりさせられます。
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とりわけ、明里と山南が最期の逢瀬を惜しんだ出窓が残る前川邸(写真参照)は、残念ながら今は非公開ですが、当時の様子が十分忍ばれるしっとりとした佇まいで残っています。加えて、池田屋事件の発端となった古高俊太郎を拷問した土蔵や刀傷、近藤勇の落書きもあるそうです。
現在、公開に向けて、改修中だそうで、公開が待ち遠しいですね。

さて、ここで本題の「なぜ山南は逃げずに自ら進んで切腹したか?」について考えてみたいと思います。
いつもながら引用させていただいて恐縮ですが、ねこづらどきさんによりますと、山南が切腹した日が、奇しくも浪士組が京都に到着した同じ日の三周年目に当たることから、これは決して偶然ではなく、山南が意図的にこの日を選んだのではないかとされております。
すなわち、新選組が当初の攘夷の魁となる目的を忘れて単なる幕府の走狗となり、あろうことか西本願寺という由緒ある寺院を力ずくで脅すという暴挙を犯す組織に成り下がってしまったことに、知性派山南としては、耐えきれなくなり、近藤達に初心を思い出させるために、わざわざこの記念日を選んで自裁したのでは・・・という説があるそうです。相当ありそうな話だと思います。

この問題について、一歩進めて、恥ずかしながら小生の愚見を披瀝させていただますと、
北辰一刀流という革新的知性派派閥の薫陶を受けているインテリ山南としては、まるで「体制派ベッタリの赤軍派」と呼ぶべき状況になり果てている新選組の現状にどうにも辛抱できず、さりとて自分1人の力では幹部の中で浮いてしまっていてどうにもならない。
そこで、我が身を捨てることによって、新選組を自壊させようと思ったのではないでしょうか?
すなわち、新選組内で貴重な接着剤の役割を果たしている自分が切腹することによって、まとめ役を欠いた新選組は着実に崩壊すると読んだのではないでしょうか・・・そして、新選組は彼の目論見どおりの道を正確にたどっていくことになったのです。

最後に、明里役の鈴木砂羽について一言。
鈴木砂羽の演技力の高さについては、かねてから伝えられておりましたが、実際に私が彼女の演技を見るのは、この明里役が初めてでした。
これまでは、大変失礼ながら「あほっぽい役をやっているあほっぽい女優」ぐらいに思っていましたが、前川邸出窓での山南との別れの場面は、いやぁ~、見せましたね。あほっぽさは、周到な演技力の生み出したものであることを思い知らされ、いやぁ~久しぶりに泣かされました。
本当にすごい女優さんです。

しばらく、「京都新選組旅行シリーズ」を続ける予定です。

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「冬のソナタ」批判

先週から今週にかけて、新選組の史跡を訪ねて、京都に豪華二泊三日の家族旅行を敢行いたしました関係で、本ブログの更新が滞りましたことをまずもってお詫びいたします。

ところで、私の周辺で、どういうわけか「冬のソナタ」にはまりこむ友人が徐々に増える傾向にあり、「あれ、あんな人までも・・・(絶句)」という状況につき、やむを得ず先日NHK総合で放送された冬ソナ(最終回)を実際に見たうえで、今日は若干の批評を試みてみたいと思います。
批評と言うよりも、ひょっとすると批判になってしまうかもしれませんが・・・

まず、最初に気になるのが、全編のバックに間断なく流れている甘ったるいBGMです。いずれも、日本の純愛ドラマにありがちななつかしいようなメロディーであり、韓国流のオリジナルとはとても思えません。おそらくこの点については、日本のメロドラマに倣ったうえで、バージョンアップしたものではないでしょうか?

第二に、ペ・ヨンジュンはラストで失明するわけでありますが、これはもう今や日本の純愛ドラマでは禁じ手となっているぐらいの典型的な古いパターンなのであります。
かつて、戦後すぐの純愛ドラマであるところのあの「愛染かつら」における看護士高石かつえが典型でありまして、吉屋信子のある作品もそうです。強烈なアンチ吉屋信子であった私の母親が、くだらない作品の例として、私の小学生時代に再三言って聞かされたのがこの作品なんですが、私の母親は現在入院中でありまして、残念ながら題名は確認できません。
私の記憶しているそのストーリーだけ申し上げますと、後妻となったヒロインが前妻の子供とうまくいかず、その子供が遊んでいたおもちゃのピストルの弾が、ヒロインの目に入り失明するという、あらすじを聞くだけで血も凍るほどの駄作であります。
ことほど左様に、主人公を失明させるなどと言う無茶苦茶なメロドラマは、我が国では、昭和30年代までに完全に淘汰されたはずでありまして、平成になってまさか韓流ドラマとして息を吹き返すとは、はなはだ不思議な事件ではあります。

第三に、もうひとつのこのドラマの不自然なことは、主人公のヨン様もチェ・ジウも、2人ともほとんどいつでもコートを着て外出していることです。
韓国の気候の影響なのかも知れませんので、断言はできませんが、いかにも不自然です。穿った見方をすれば、ドラマの本筋とは関係のないファッションを見せるために、あえて多様なファッションを可能とするコートを着ているとしか思えません。そう考えただけで、2人の主人公が実にあざとく見えてくるのです。

とまぁ~、大変厳しいことをあえて言ってきましたが、最後にこのドラマの唯一の救いを申し上げておかねばなりません。それは、何と言ってもヒロインのチェ・ジウの可憐さでありましょう。
今や我が国では死語となりつつある「純情可憐」という言葉の意味を思い出させてくれる女優さんです。

次回は、いよいよ新選組探訪京都2泊3日豪華旅行の報告(写真付き)につきまして、アップする予定であります。

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高校野球中継の今と昔

真夏の炎天下、連日NHKでは、高校野球が放送されていますが、今回は「昔の思い出シリーズ」で、高校野球中継についてです。

私の小学生時代の夏休みと言いますと、私が一人っ子だったことに加えて、両親が共に東京出身のため田舎という便利なものもなく、加えて親は商売をやっていたため、子供のために家族旅行に行くなどという発想は全くなしという、夏休みの子供にとっては見事な三重苦状態にありました。

とりわけ、友人達がみな家族で田舎に出かけてしまう、いわゆる「お盆」というこの時期は、友人達の中で私だけが都会にただ1人残され、孤独な生活を強いられました。
しかし、我が家は家業として電気屋を営んでおりましたため、当時まだ珍しかったテレビだけは幸いありましたので、小学生の私のこの時期の夏休みの生活と言いますと、黒白テレビでNHKからだらだらと垂れ流される高校野球の中継放送を、ひどい時には日がな一日見続けなければならないという過酷な夏休みになりがちでありました。

その結果、私は昭和30年代前半の黒白テレビ時代のNHKの高校野球中継に大変詳しくなってしまったわけであります。
その放送と言いますと、実は今の高校野球中継とは、別物と言ってもいいくらい違ったものでした。

まず、その最大の違いは、当時は大変高価なものであったと思われるテレビカメラの設置台数が、非常に少なかったことによるものと思われます。
現在の高校野球中継は、移動式ハンディカメラも含めて、おそらく数十台のテレビカメラをフルに使って、応援風景も含めて多角的かつ立体的に放送されています。
しかし、当時は、おそらくネット裏と内野と外野で3台程度のカメラだったのではなかったでしょうか?そのためなのか、とにかく遠景のショットが多く、選手の顔をアップで大写しにするなどほとんどありませんでした。
今でもはっきりと記憶しているのは、バッターもピッチャーも顔が黒くしか写っていないため、表情が全く窺えなかったことです。現在は、ピッチャーの顔から流れ落ちる汗まで写されますから、隔世の感です。
また、カメラを配置する余裕がなかったためでしょうが、応援席までは全く写されませんでした。

さらに、中継するアナウンサーの表現技術はかなり拙劣でありまして、間違いも多かったと思います。西田善夫アナウンサーのような名人が放送するようになったのは昭和40年頃からではないでしょうか?
おそらくNHKは、高校野球中継を新人アナウンサーの訓練の場に使っていたのだと思います。
そうそう、それから、これは当然のことではありますが、今や中継には必須の「ビデオテープによるプレーの再現」は、ありませんでした。
解説者もいなくて、アナウンサーだけによる放送だったと思います。

以上の結果、当時の高校野球のテレビ中継は、とにかく静かでした。あたかも環境映像の如く、何の劇的要素もなく、淡々と放送されていたと思います。

したがって、見る側の当時多感な私としては、あまりの変化のなさにとてものんべんだらりと見ているわけにはいきません。テレビを見るに当たって、興味をつなぐための何らかの工夫が必要でした。
どうしたかと言いますと、高校野球を見ながらスコアブックをつけたのです。当時の小学生で、スコアブックをつけたのは、非常に珍しかったと思います。ここで言うスコアブックとは、本当のスコアブックです。すなわち、三振はK、四球はB、ストライクは・、ボールは-、という記号を書く方式のものです。今、考えると、ちょっとオタクです。

当時、全部で10冊以上は書き残したはずなんですが、もはやどこかに行ってしまいました。
今、出てきたら、なつかしいだろうな・・・・

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もう一度だけ池田屋事件

NHK大河ドラマ「新選組!」ファンの皆さん、「ねこづらどき」とほぼ日刊イトイ新聞 の 『新選組!』withほぼ日テレビガイドも是非見てください。「新選組!」の隅々に至るまで、愛情あふれるまなざしで分析しています。
池田屋事件の視聴率もついに17%に達せず、先週の視聴率ベスト10には残念ながら入りませんでしたが、糸井重里さんをはじめ、これだけ知的で熱烈なファンを持った三谷幸喜さんは、つくづく幸せなライターだと思います。
さて、その「ほぼ日テレビガイド」に触発されて、しつこくて申し訳ありませんが、もう一回だけ、「新選組!」の池田屋事件を語りたいと思います。

1.桂小五郎の不思議な行動
桂は、事件当日、日中一度だけ池田屋を訪ねていますが、すぐに長州藩邸に帰ってしまいます。
その後、その日の夜10時頃と思われる新選組のご用改めに至るまで、桂は池田屋を訪れていません。
ドラマでは、池田屋で捨助が踊ったはずみに、桂の袴に酒をこぼしたため、桂が藩邸に帰ったことになっていますが、こうした無理な設定をドラマでせざるを得ないほど、桂の池田屋事件当日の行動は不可解である。
古高俊太郎が新選組に拉致され、拷問を受けているらしいという情報は、当然、桂には既に入っていただろうし、新選組とのトラブルを予想して藩邸から外へ出なかったのではないかと推測も出来る。
なお、桂小五郎は、この時の行動をはじめ、幾多の絶体絶命の危機を運命的に逃げ延びきって、維新の元勲となったことから、「逃げの桂」ともあだ名されている。

ところで、桂の彼女の幾松を演じる菊川怜がその後なかなか登場してこないが、どうなっているのだろうか?
確かこれまでに1~2回ほんの1シーンだけ登場したような気がするが、視聴者から相当に不評なのではあるまいか?心配です。

2.沖田総司の剣はやっぱりすごい!
「ほぼ日テレビガイド」の議論を読んで、再度改めてビデオで池田屋における沖田の剣裁きを見直してみましたが、確かにご指摘の通り、すごい!の一言である。
手練の剣士らしく、刀裁きは巧妙に手首を効かして最短距離を移動し、それでいて一太刀で必殺の技術を駆使していることを感じさせる。
さらに、天然理心流独特の突きの多用も見せている。すごい!リアルだ!史実に忠実だ!

3.4人で多数に勝てた要因は鎖帷子
なぜ、たった4人の新選組が、30人の長州に勝てたかについては、いろいろ推理されているが、やはり最大の要因は、近藤勇以下新選組隊士が完全武装だったからだと、確信できた。
なにしろ、ヘルメットに鎖帷子の胴衣と肘当てである。
たとえば、ドラマの中で、近藤は長州藩士の剣を鎖帷子の肘当てで一旦受け止めておいて、相手の胴をやすやすと斬り払っている。

4.香取慎吾の「ご用改めである!」
池田屋事件の数ある見所のうちの白眉は、なんと言っても近藤勇の名セリフ「ご用改めである!手向かいすれば容赦なく斬り捨てる!」の迫力である。
なにしろ、近藤は長州の不逞浪士達に対するこのセリフ一発で、歴史の舞台に颯爽と躍り出たわけである。
かつて、幾多の近藤勇を演じた役者達は、低く強くあるいは胴間声で、圧倒的な数の敵に向かってものともせず、震え上がらせてきたのであります。
一方、今回の香取君は、きわめてリアルである。これまでのような、敵に対して殺意を潜ませて威嚇する勇気と言うよりも、「京の治安を守る」という崇高な使命感から自然にほとばしる声質と声量を感じさせる。すなわち、「これまで演じられてきたような低音の胴間声ではない」という意味で、新しい「ご用改め」を創ったと言える。

最後に
暑さますます厳しき折から、当ブログでは今回からデザインを一新してより涼しげなものに変えると共に、左欄にしゃれたデザインの時計(この時計はアメリカの専門サイトから持ち込みましたので、いわばアメリカ製です)を配置してみました。
少なからぬ方から、これまでのデザインに対して「暑苦しくて、字が見づらい」と厳しいご指摘を戴いておりましたことから、思い切って変更してみた次第です。
いかがでございましょうか・・・・

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再び池田屋事件の謎

NHK大河ドラマ「新選組!」のクライマックス、池田屋事件がついに昨日放映されました。期待に違わぬ迫力満点の池田屋事件でした。史実への忠実度にくわえて、殺陣のリアリティなど、あらゆる面で史上最高の池田屋事件だったと言ってもいいと思います。
トラックバックさせていただくねこづらどきさんや当ブログお気に入りに入っている「ほぼ日テレビガイド」等でも取り上げられておりますので、これらのサイトと重層的・複合的にクロスオーバーしながら、池田屋事件を存分にお楽しみ戴きたいと思います。それが十分可能な素材だと思います。

かように絶賛はしたものの、実は私にとっての池田屋事件は、依然としていくつかの氷解しない謎が残っていることも事実です。今回は、なお残るまたは新たに発生した池田屋事件の謎について書きます。

1.近藤隊の人数は、なぜ少なかったのか?
土方隊26名に対して、結局近藤隊は10名だったんですね。このうち、池田屋内に切り込んだのはやはりたったの4人だったんですね。ドラマの中で近藤は、近藤隊のメンバーを指名します。これで、人数は少なかったものの、精鋭を近藤自ら選抜したことがわかります。人数が少ない理由をドラマは説明していませんが、ある資料によると、土方隊のコースが料亭街だったのに対して、近藤隊の探索コースには旅館が多かったため、騒音をたてないように少人数にしたのでは、とあります。これはこれで、説得力があると思います。

2.近藤勇はなぜあんなに強いのか?
近藤勇は多摩の天然理心流の宗家であり、この流派は、道場では決して目立たないが、実戦には大層強かったと言われております。したがって、近藤も相当強かったんでしょうが、近藤が最初に1人で池田屋の二階に踏み込んだ際、敵はなんと30人近くいたんですよね。
ドラマでは、まるで東映のチャンバラ映画のヒーローのように、長州藩の不逞浪士どもをバッタバッタと気持ちよさそうに斬り倒していきますが、そんなにうまく行くものなのでしょうか?近藤の場合、池田屋事件以前に実際に人を斬り殺したことは、あまりなかったはずであるにもかかわらず、あんなにも落ち着いて、次々に人に斬りつけられるものなんでしょうか?
浅田次郎によりますと、天然理心流は「突き」を主体とする流儀で、1対1ではかなり強いが、大勢を相手にする戦いには向かないと言っております(小説「輪違屋糸里」の中で斉藤一の言葉として)。
事実、ドラマでも近藤は突きを多用しているように見えます(ここいらへんの演出はすごい!)。とは言え、ひょっとすると、池田屋のように狭い状況だからこそ、突きは有効だったのかもしれません。

3.沖田総司の出血は、喀血か鼻血か?
ドラマでは、二階で奮戦する沖田総司が土佐の望月亀弥太に一太刀浴びせた後に、突然、本当に降ってわいたように突然に、大量の喀血をします。このシーンは、藤原竜也の美貌と相まって、忘れがたい美しいシーンにできあがっています。
しかし、よく考えますと、喀血の原因はおそらく末期の肺結核だと思われますが、これまでの沖田に、そのような結核の進行の兆候があったでしょうか?確かに、前回弱々しい咳をしていたような気がしますが、大量喀血するような重症の結核には見えませんでした。事実、土方も原田も首を傾げていましたね。
また、江戸東京博物館の「新選組!展」によりますと、沖田は池田屋事件の五年後に死亡しておりますが、池田屋での出血が肺結核による大量喀血だとすると、生存期間があまりに長すぎて不自然と結論づけており、おそらく「暑気による鼻血」だろうと推論しています。

4.永倉新八は相当強い?
巷間よく議論される「新選組で一番剣が強かったのは誰か?」という問いに対しては、近藤とも沖田とも言われておりますが、私は、実戦ではおそらく永倉新八が最強だったと確信しています。
なぜかと言えば(どういう訳かドラマではあまり詳しく表現されませんでしたが)、池田屋事件で永倉は、多人数を相手にして戦っているうちに、自分の刀が折れるという身の毛もよだつトラブルに遭遇し、この時永倉少しも騒がず、即座に刀を捨て、敵との肉弾戦に持ち込み、さらにさらに敵の刀を奪い取り、戦闘を継続しているのです。この際、永倉は右手の親指を切断しています。
ドラマでは戦闘終了後、指を止血しながら、永倉の傷を案じる近藤に対して「大丈夫です!」と、元気よく答えています。すさまじい気迫の隊士であります。
こんなに強い永倉新八を、三谷幸喜さんはなぜもっと注目してあげなかったんだろう?不思議です。

5.藤堂平助が額を割られたのはチョンボ?
最後に、藤堂が額に斬りつけられて、重症を負う場面を思い出してください。
戦闘の途中で、防御用のハチマキをはずして一息入れたところを斬りつけられています。
これが事実であれば、単なる藤堂の油断によるチョンボということになります。本当でしょうか?

以上、池田屋事件放映後も謎は謎を呼び、いよいよ楽しみが拡大再生産していく「新選組!」であることは、間違いありません。

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池田屋事件の謎(続・がんばれ三谷幸喜)

前回の話題を受けて、今回も三谷讃歌の一環として、NHK大河ドラマ「新選組!」で今後最大のイベントとなるはずの「池田屋事件」について、きわめて個人的なものではありますが、いくつかの希望を述べたいと思います。

池田屋事件は、これまでいわゆる「新選組もの」と分類される映画・TVドラマ・舞台において、何十回となく演じられてきました。しかし、史実を知れば知るほど、この池田屋事件には実は相当謎が多く、これまで演じられてきた池田屋事件の多くは、この謎を無視しているか、あるいは時代考証そのものを拒否しているとしか思えないものばかりだということがわかります。
この謎のいくつかについて、思いつくものを具体的に挙げてみたいと思います。

ひとつは、土方班(26名)が向かった料亭丹虎に対して、長州藩士がいた確率がはるかに高かったはずの池田屋には、当初、近藤勇・沖田荘司・永倉新八・藤堂平助の4人しか割り当てられなかったのはなぜか?
いかに、両者の可能性があったとしても、派遣した人数の分け方が、あまりに非常識に丹虎が多すぎると言える。
この間、密偵山崎烝からは「長州藩池田屋参集」というかなり信頼性の高い情報が入っていたはずであるにもかかわらず、この山崎情報は一体どのように処理されていたのか?

次に、池田屋の2階は、天井が低く、かつ灯りを消されて真っ暗闇となったはずであり、とても日本刀による斬り合いは不可能な条件だったと思われるが、近藤は最終的に1階を主戦場としたのか否か?
それとも、むしろ最初は悪条件を覚悟で2階に追い込むことによって、少数により多数の長州藩士に対抗しようとした巧妙な戦術であったのか否か?

最後に、非常に興味深くまた確実な史実であるにもかかわらず、これまでほとんどの「新選組ものドラマ」では、演じられてこなかった、池田屋斬り込み途中における沖田の鼻血による出血の顛末についてである。
伝えられている史実では、この鼻血のために、沖田は斬り込みの修羅場の最中に、新選組の屯所に引き返したとされているが、こんな多勢に無勢の不利な状況において、たかが鼻血ごときで、屯所に帰るなどということが、許されるものか否か?是非、真実を明らかにしてもらいたいと思う。

以上の疑問を明解に解決した上で、これまでになく史実に忠実で、説得力のある、そして何よりも三谷ならではのおもしろい「新選組!」を心から期待する次第であります。

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がんばれ三谷幸喜!フレフレ「新選組!」

NHK大河ドラマ「新選組!」の視聴率が、もうひとつ伸びない。それに伴って、脚本家三谷幸喜へのバッシングが、激しさを増している。そこで、映画「ラヂオの時間」以来、熱烈な三谷ファンの私が、あえてバッシングを放つ世間に対して、ささやかな反撃を試みることによって、三谷を応援したいと思います。

まず、視聴率についてであるが、以下に数字を列挙する。初回は、イケメンアイドルで固められた主役陣の珍しさもあって、26.3%と順調であったが、その後月平均で、19.8%、16.7%、16.1%と推移し、5月の平均は15.5%まで落ちてきたのは、事実である(ビデオ・リサーチ調べ)。
しかし、これは三谷自身がいみじくも語っているように、「気にすべきことではない!」。というのは、NHKは「新選組!」をBS・ハイビジョンも含めると、なんと週に7回も放送しているから、日曜8時の視聴率だけを云々してもほとんど意味がないのである。現実に、我が家では、日曜8時は妻がチャンネル権を持ち、「新日曜美術館」を見るため、私は、BS2で10時からの再放送を見ている。

もうひとつ、三谷に対してよく言われているバッシングは、「史実に忠実でない」という主張である。
曰く、第1回で近藤・土方が竜馬と一緒に黒船見物に行くが、ありうるか?とか、八木家の葬式は久ばあさんではなく子供の葬式だったはずとか、芹澤の情婦お梅は、呉服屋の借金取りに出かけて、芹澤にレイプされたはずとか、いずれも本質とは関わらない枝葉の指摘である。
とりわけ「言葉づかいが現代的すぎる」という批判に至っては、何をか言わんやである。

私は、今年になってから、「狼よ、落日を斬れ」「壬生義士伝」「新選組始末記」「燃えよ剣」「暗殺」といわゆる「新選組もの映画」を立て続けに見て比較してきたが、史実への忠実性という観点から言えば、三谷が群を抜いて忠実だと断言できる。
これについては、NHKの吉川幸司チーフプロデューサーもこう語っている。「史実に残っていない通常の部分を想像によってどう見せるかが作家の腕の見せ所なわけで、大体時代考証に三谷さんほど忠実な脚本家はいない。」
とりわけ特筆すべきは、芹澤鴨の描き方が、これまでのどの新選組ものもやっていない極めて深い描き方をしている。すなわち、水戸天狗党の生き残りという点に焦点を当て、屈折した感情をリアルに描き得ているが、おそらく史上初めての快挙であろう。
そして何よりも感激させられるのは、江口洋介の坂本竜馬、野田秀樹の勝海舟、白井晃の清河八郎などあまりにもドンピシャなキャスティングの妙である。とりわけ、清河八郎という人は、文武に抜群に優れながら庄内藩脱藩で門閥を持たず、極端な権謀術数に走ったうさんくさい策略家であり、最後は勤王・佐幕両派に追われるという他に類例のない異色の人物であり、「オケピ!」の白井晃を起用したのはスゴイ!これまでのどの清河八郎をも超える清河像を造形し得たと思う。

しかし、そうは言っても、かなり三谷に好意的なファンでも懸念を隠せないことがある。
すなわち「香取慎吾、山本耕史、藤原竜也は、どう見てもノー天気な現代の若者にしか見えない。こいつらが今後、本当に人を殺せるとは思えない」という心配である。こうした気持ちについては、わかる気はするが、私は断言します「心配ありません!」。なぜなら、人は一度人を殺せば、必ず顔つきが変わってくるものだからです。

そんなことより私が義憤を禁じ得ないのは、三谷バッシングの背後には、かなり濃厚に大河ドラマを喜劇作家が書くこと自体への言われなき偏見があると、思わざるを得ないことです。
三谷の偉大さについては、映画「ラヂオの時間」での日本アカデミー賞最優秀脚本賞、舞台ミュージカル「オケピ!」における岸田國士戯曲賞をあげれば、十分でしょう。
とにかく、バッシングをする者どもには、「日曜8時に、実際に見てから言えよ!」と言いたいのです。

とは言ったものの、私にもささやかな心配があります。
それは前にも言ったことですが、史実の展開は今後、芹澤斬殺、古高俊太郎リンチ事件、池田屋事件、山南敬介切腹と、ドンドン陰惨で血生臭くなっていかなければいけないのです。とても、これまでの青春ドラマ風きれい事では済まなくなります。大丈夫だろうか?
しかし、三谷のことだから、きっと今までのような通俗的なものではない、オリジナルで説得力ある新選組を創ってくれると信じております。
このように、物語の今後の料理の仕方にまで興味を持たせる脚本家なんて、これまでいなかったよね~。
少なくともこの一点だけでも、彼は十分偉大だと思います。

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「猟奇的な彼女」を見る(韓国ドラマ人気を考える)

韓国の青春ドラマが日本で大変な人気である。「冬のソナタ」は高視聴率で、あの奥田日本経団連会長までもが全巻見たそうである。主演のペ・ヨンジュンは来日し、大変な騒ぎでもはや社会的現象と呼ぶべき状況である。そこで、今回、2001年の韓国のヒット映画「猟奇的な彼女」を見る機会があったので、(少し無理があるかも知れないが)あえてこの映画1本だけを拠り所にして、今この時代の韓国ドラマ人気を分析するという大技にチャレンジしてみたい。

まず、「猟奇的な彼女」を演じるチョン・ジヒョンも、その相手役の大学生チャ・テヒョンも、さわやかで魅力的なキャラクターであり、引き込まれる要素は十分であるが、そのキャラクターの精神構造は、あまりにシンプルで、30年前の我が国には確かに存在していたかも知れないが、今は絶滅したはずのあまりに純真な青年達であることに、まず驚かされる。すなわち、今の日本では、彼らの存在それ自体にリアリティーが感じられない人種が主人公なのである。
また、話の展開自体にも相当の無理があり、とりわけ、ラストシーンでは、例えて言えば、2回連続のダブル役満にも匹敵するあり得ない偶然の連続で、ハッピーエンドとなる。
いずれの点からも、著しくリアリティーが欠ける「おとぎ話」なのである。見ていなくて恐縮であるが、仄聞するところによると、くだんの「冬のソナタ」の偶然の連続も、相当無茶苦茶らしい。(そう言えば、昭和20年代の我が国の人気ラジオドラマ「君の名は(作:菊田一夫)」も、到底確率的にあり得ないすれ違いの連続だったよね)

では、こうした「超おとぎ話」が、なぜ今日本でこれほどまでに受けるのかという問題についてであるが、このリアリティーのなさが、気持ちいい、ひいては心の浄化に結びつくということなのではないだろうかという気がする。
しかし、もちろん「リアリティーのなさ」が、ドラマとしてのいわば「媚薬的な魅力」に当然には昇華していくものではない。触媒の存在が、必須条件のはずである。これは、今、日本のスタッフが、日本の俳優を使って同じ「猟奇的な彼女」や「冬のソナタ」を作ってみることを仮定すればわかる。すなわち、100%ヒットしないはずである。
どうやら、日本ではなく、「韓国の話」というフィルターが、きわめて有効に機能しているのではないかという気がする。
すなわち、日本ではリアルではなくとも、設定が韓国であるなら許されると言うことである。

ここいら辺は、ちょっとわかりにくいところかも知れないが、わかりやすいアナロジーとして「時代劇」を例に取れば、理解が容易になるかも知れない。
(日本の「時代劇」は、最近すっかり人気がなくなってしまっているが、まぁそれは別として)日本の「時代劇」でも、相当な偶然性やリアリティーのなさが、「昔のことだから・・・・」というエクスキューズ効果により、どんどん許されるし、むしろ、荒唐無稽であればあるほど、反対にカタルシスに転化してしまうのである。
韓国ドラマは、まさしくこの時代劇効果と同様の効果により、すなわち、「日本じゃなくて韓国の話だから・・・」というエクスキューズにより、リアリティーのなさが、逆に類いまれな魅力と浄化に変化しているように思われるのです。
どうでしょうか?

有力な情報によりますと、「冬のソナタ」関係の記事をブログに載せると、検索サイトを経由して、そのブログのアクセス数が激増すると、伝えられております。
今回は、あえて、あざとくそれを狙って、少し無理があるかもしれませんが、無理を恐れずこのテーマで書いてみました。今後のアクセス数の伸びが楽しみです。

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「小説家を見つけたら」を見る(続・後楽園球場)

前回の話題を受けまして、今回は日米ボールパーク比較をしてみたいと思います。

小説家を見つけたら」という映画をBSで見ました。
”人は決してひとりでは生きていけない。かけがえのない誰かとの出会いを通して人は本当の自分を発見するもの。そんなテーマを文学というモチーフを通して穏やかに語りかける涙と感動の物語・・・・・”というキャッチコピーが効果的な2000年のアカデミー賞を狙った名作です。
監督は「グッド・ウィル・ハンティング」をはじめ感動もの一手引き受けの名匠ガス・ヴァン・サント。文学とバスケットボールの大好きな主人公の黒人青年はロブ・ブラウン。気むずかしい人間嫌いの隠遁作家にショーン・コネリー(これがいい味出しているんだよね!)。そして、黒人青年の恋人役のええとこのお嬢さんには、なんと!なんと!’94のアカデミー賞において、名作「ピアノ・レッスン」で主演女優賞ホリー・ハンターとともに、史上最年少の助演女優賞に輝いた天才少女アンナ・パキンの成長した姿が見られます。
脚本が実に良くできていて、名匠ガス・ヴァン・サントの手練もあって、久しぶりに号泣させられますよ~。

黒人青年ロブ・ブラウンは、隠遁作家ショーン・コネリーの誕生日に、半ば無理矢理に作家を外出させます。そして、作家が子供の頃、死んだ兄とよく出かけたヤンキースタジアムのグラウンドに立たせ、偏屈な小説家ショーン・コネリーが感極まる場面があります。アメリカ映画には、他にも「フィールド・オブ・ドリームス」をはじめ、子供時代からの野球への人生を投影した愛情あふれるオマージュのシーンがしばしば出てきます。

ここで、私は突然はたと気がつきました。
アメリカのボールパークは、このヤンキースタジアムはもとよりですが、バリー・ボンズのライト越えホームランが場外スプラッシュとなることで有名なサンフランシスコ・ジャイアンツのあのパシフィック・ベル・パークが典型的であるように、100年を超える伝統的なボールパークのほとんどがこれまで何度も大改修を経てきているにもかかわらず、当初の雰囲気を壊さないように、細心の努力を惜しまないできたという事実についてです。
これは大人のファンや子供のファンを大切にすることは当然として、「子供だった大人のファン」の思い出をきわめて大切にしているからなのです。「子供だった大人のファン」は、子供の頃見たものと同じものをボールパークに探しに行くからなのです。

それに比べて、我が国の、とりわけ後楽園球場のたどった悲惨な歴史をどう考えればよいのでしょうか?
東京ドームのどこにも、後楽園球場の思い出はかけらもありません。まるで、むしろ反対に、意図的に後楽園球場の残滓を抹殺しようとでもしたかのような状態です。
おそらく読売巨人軍の首脳の頭の中には、「子供だった大人のファン」など一切存在していなかったんでしょう。もっと言えば、ひとりひとりのファンの人生に野球場がどれだけ豊かな思い出を残しているかについて、考え得る一片の想像力もないのでしょう。
さらに言えば、彼ら自身、野球を自分の人生に引き寄せて考えるなどという高等な思考能力を欠いていると言っても、言い過ぎにはならないと思います。

これだけプロ野球を真剣に愛する人が大勢いるこの国において、プロ球団を運営する側に野球への愛情が不足しているという事実は、壮大なる皮肉というか、究極の不幸と言うべきものと考えます。
今日は、落ちを書く気になりませんでした。悪しからず。

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江戸博「新選組!展」9つのサプライズ

両国の江戸東京博物館では、現在(~5/23)「新選組!展」を開催中。NHKの大河ドラマとのタイアップであることもあって、大変な人気である。企画展のみの入場料は、1100円であるが、高くないと思わせるほどに内容豊富。会場を一周して、小生なりに予想外でビックリした事実9件について報告する。

その1:近藤勇は意外に筆まめのようで、手紙類が相当残っている。メールがないこの時代において、手紙がかなり重要な情報伝達手段であることは、もちろん想像できるところだが、手紙のやりとりを機能させている安定して信頼できる飛脚制度があったことが、まず驚き!
その2:近藤勇の数ある手紙の中に、「最近は隊士の遊女遊びもようやく治まってきて、やれやれです。一方、隊内では、すこぶる男色がはやってきています。」と書いている。大島渚監督「御法度」の話は、全くのフィクションでないことが窺える。さらに、この件について近藤は淡々と書いており、ちっとも困っていないのが驚き!
その3:歴史に詳しい諸兄にとっては、当たり前なんでしょうが、近藤勇は流れ流れて最終的に下総国流山で投降し、板橋宿の刑場で斬首され、首は京都三条河原にさらされており、切腹はしていないんですね。さらに驚くべき事に、近藤が投降した時点で、盟友土方歳三は我が身の危険も顧みず、勝海舟や大久保一翁を訪ね近藤の助命嘆願をしている。二人の友情は、相当篤かったことが窺える。
その4:土方歳三の多摩の実家は「石田散薬」という漢方薬を製造販売していたことは有名だが、ある豪雨の日に土方家の納屋と蔵が濁流に流されており、母屋については近隣住民が協力して解体し、別の場所に移築したとされている。要するに、土方は「岸辺のアルバム第一号」だったのである。
その5:土方は、子供時代に上野松坂屋で丁稚奉公をしたり、家業の薬の行商をしたりしている。商才が育成されたと思われる。
その6:池田屋事件で突入した新選組隊士の人数には、諸説あるが、最も有力なものは、土方隊と二手に分かれたことにより、当初池田屋には、近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助とたったの四人であったらしい。たった四人で二十数名の長州藩士の会合に切り込みを掛けたわけである。このうち、沖田は途中で喀血のため屯所に引き返し、藤堂も額を割られ出血が多く戦闘不能となったとある。ということは、残りは近藤と永倉の二人だけである。相当危険な状況となったことが推測されるが、幸い土方隊26名が到着し、形勢は逆転したようである。
その7:池田屋事件途中における沖田の喀血の理由については、肺結核と言われてきているが、それにしては没年の1868年(4年後)まで間がありすぎ不合理という議論もあり、夏の暑さによる鼻血が有力説という展示がありました。これは、超サプライズだわ!
その8:浅田次郎の「壬生義士伝」は、浅はかにもフィクションと思いこんでいましたが、展示されている新選組隊士の墨書による編成書きを見ますと、斉藤一(佐藤浩市)も吉村貫一郎(中井貴一)もなんと実在の人物だったことがわかり、これまたサプライズ!

その9:現在放送されているNHK「新選組!」では、まるで気のいい若者達の青春群像ドラマで、隊員はみんな屈託がなく、平和な顔をしているが、史実ではこれから血も凍るような凄惨な展開となっていくはずなんですよね。
例えば、土方は、長州藩士古高俊太郎を徹底的に拷問リンチし口を割らせて池田屋事件を導くし、新選組内のボス同士の勢力争いから、近藤は芹沢鴨を斬殺するし、山南敬助は、まるで赤軍のリンチのような展開の末、切腹させられるのである。こうした今後のドラマ展開こそが、最大のサプライズなのであります!!

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幕末動乱と勝海舟のキャスティング

幕末の動乱というと、嘉永6年(1853年)の黒船来航から慶応3年(1867年)の大政奉還までを指すのが、一般的だと思うが、この期間はたったの14年でしかないということに改めて驚かされる。なかでも、幕府崩壊に向けて雪崩を打った激動の時代というと、万延元年の井伊大老桜田門外の変からカウントすると、なんとたったの7年でしかない。
この「たった7年」の凝縮されたタイムテーブルの中で、徳川三百年がもんどり打って崩壊し、薩長土を中心とした勤王諸藩が大政奉還へ!新政府へ!と突き進んだのであります。この凝縮された7年の中で、坂本竜馬・西郷隆盛・大久保一蔵・中岡慎太郎・桂小五郎・高杉晋作・竹市半平太等々百年分の英雄達がきら星のごとく集中して現れ、無数の有為の若者が命を落とし、まるで、粛々と神の意志に導かれるように、江戸無血開城そして明治維新へと至るのであります。まさに歴史の奇跡としか思えません。
こうした幾多の英雄の中でも、台本を書き、演出し、勤王・佐幕両派に目配りして、竜馬をはじめ多くの若者を育て、地球を視野に入れて行動し、歴史を作った、群を抜く英傑と言えば、司馬遼太郎に指摘されるまでもなく、勝海舟をおいて他にないと思われます。

勝海舟という人は、身長五尺余(150数センチ)の短躯で、赤ら顔、眼光鋭く、機知に富み、チャキチャキの江戸っ子で例えば「やってらんねぇぜ」「こまっちゃうんだな」などの江戸弁を連発し、きわめておもしろい人物であったらしい。
生まれ育ったのは、本所亀沢町(現在の墨田区両国4丁目近辺)で、偶然ながら、小生の生育地とも指呼の間であり、我が郷土本所・深川の最大の誇りである(あっ、失礼!これは言い過ぎです。他に、芥川龍之介や小津安二郎もいます)。

これまで、この勝海舟をTV・映画・舞台などで演じた俳優を挙げますと、昭和49年のNHK大河ドラマでは、渡哲也、それを引き継いだ松方弘樹(松方は、このドラマでの共演が縁で小生あこがれの仁科亜紀子とちゃっかり結婚している)、「翔ぶが如く」では林隆三。さらに古く、昭和28年の映画「鞍馬天狗と勝海舟」では、なんとあっと驚く早川雪舟。舞台では、田村正和、若林豪等々。いずれも、何かイメージが違うと思うのは、小生だけではないでしょう。
しかしながら、皆さんお立ち会い!今年のNHK大河ドラマ「新選組!」で、ようやくドンピシャのキャスティングが行われました。夢の遊民社、ご存じ天下の野田秀樹である。
このキャスティングをした方は、偉大です。「史実と違う」、「イメージが違いすぎる」等々いろいろ議論の多い三谷幸喜の「新選組!」だが、私は大好きです。とりわけ、「野田秀樹の勝海舟」は、イメージバッチリ、ど真ん中のストレートであり、まるで歴史から抜け出てきたような海舟ぶりである。

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えっ?「壬生義士伝」が日本アカデミー賞?

日本アカデミー賞も早いもので、今年で27回目。
最優秀作品賞については、'01に「顔」が落ちて「雨あがる」が選ばれたとき、少々首を傾げさせられたものの、'02「千と千尋」、'03「たそがれ清兵衛」と順当な選考が続いてきた。
しかしながら、今年は「壬生義士伝」だと言われては、「それはないでしょう?」と思わず声を荒げたくなる。
監督の滝田洋二郎は、古くは日活ロマンポルノ「痴漢電車シリーズ」で名を挙げ、'90「病院へ行こう」、'01「陰陽師」で注目されてきた監督であるが、最優秀作品賞と言われては困ってしまう。
確かに、主演の中井貴一(南部藩士吉村貫一郎)は好演であるが、他は致命的な部分が多い。
まず第一に、脚本の構成がきわめて拙劣。特に、終盤の貫一郎の長男と長女の別れのシーンの冗長なこと!ただただ何の意味もなく長く、稚拙な子役同士の演技を延々と映す。さらに、ラストシーンで貫一郎が、南部藩邸に逃げ込み、切腹を迫られた後の貫一郎の独白の長いこと、長いこと!おまけに、貫一郎が何をつぶやいているか、聞き取れないんだよね!
第二は、これまた終盤、貫一郎が官軍の銃の一斉射撃に向かって突撃しなから生き延びるという設定、どう考えても不可能でしょう!
最後に、主人公貫一郎の妻しづ役の夏川結衣のキャスティングである。貫一郎は、極貧の中で愛する妻子にひもじい思いをさせないために、命がけで脱藩し、新撰組に入るという設定なんですが、これを無視したとしか思えない。すなわち、失礼ながら夏川結衣が太りすぎなんですよ!極貧の家の嫁さんが二重あごなんて、あり得ない!
こうした欠点のある「壬生義士伝」に作品賞をあげるくらいならば、エンターテインメントに徹しすぎと揶揄されがちな北野武の「座頭市」の方がよっぽど独創的だよな~。
そして何よりも、名匠荒戸源次郎監督の「赤目四十八瀧心中未遂」は、なぜノミネートすらされないんだろうか?
おっかしいなぁ~? 信用なくすよ、日本アカデミー賞!

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河瀬直美監督ってどう思う?

「河瀬直美がすっごくいい!」という友達がいます。
しかし、小生の目から見て、一言苦言を申し上げたいんですが、この監督は、ひとつのかなり特殊な構成上のくせがあるということです。

それは、前作の「萌の朱雀」で顕著であり、今回の「沙羅双樹」でもそうであるらしいんだけれども、作品構成上の最も核となる情報について、あえて登場人物の誰にも語らせないし、説明もしないということなんだよね。

その核とは、前作の場合で言えば、父親の自殺であり、今回で言えば、いわゆるひとつの「事件」なんでしょう。
したがって、思いが至らない観客には、何がなんだかわからないことになる。おまけに、登場人物が無茶苦茶寡黙なのに加えて、せりふも聞き取りにくいときている。

こんな不親切な映画監督は、古今未曾有であります。最近、日増しに耳が遠くなってきた小生にしてみれば、見ているうちに、いらいらせざるを得ない監督でして、なんとか映像の美しさに免じて心の平安を保つ小生なのであります。

その程度のことは、見る側の想像力の問題だと切って捨てられるかもしれませんが、映画監督としては、やはりちょいと不遜なんじゃないかなあ?

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TVでの映画の見方

TVでは、朝から深夜まで、あらゆるジャンルのあらゆるグレードの映画が放送されています。
これらの映画をランダムに見ていますと、一本平均にして2時間ですから、もしつまらないできの悪い映画に出会いますと、なんと2時間の時間の無駄になってしまい、人生にとって大変な損失であります。

そこでうまい方法があります。TVでやる映画の評価を毎週してくれる媒体があるのです。
読売新聞の毎週木曜の朝刊の別冊に載っている映画の評価です。星が五つが満点で、この評価で星を四つ以上とった作品は、まず見て良かったと思う作品ばかりです。
でもね、どんな情報にも欠点はありまして、この評価はどういうわけか昔の東映時代劇と昔の日活の石原裕次郎ものにものすっごく甘い採点になるバイアスがありますので、お気をつけください。

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アカデミー賞発表!!

今日は、待ちに待った米国アカデミー賞の発表である。

作品賞は、私は「ミスティック・リバー」の応援をしていたのであるが、やはり「ロード・オブ・ザ・リング」が危なげなく、堂々たる受賞である。私は、この作品を土曜日の朝一番(なんと7時半上映)にもかかわらず、超満員の前から5番目で見る羽目になってしまった。しかし、始まって10分で、全てを悟った。すなわちこの第三部「王の帰還」はおそらく映画におけるファンタジーという分類において、画期的なエポックを画する歴史的な映画となることを。そして、第三部にして、先の第一部と第二部を遙かに凌駕するというこれまたシリーズもの映画の常識を覆す出来であることを。最後に、残念ながら、「ミスティック」は負けるだろうことを。

しかし、「ミスティック」のシヨーン・ペンの主演男優賞はうれしいね。4度目の正直だっけ?涙が出るね。ショーン・ペンはどう転んでも主演男優賞間違いなしの演技だったものね。いわば、力ずくの受賞である。よかった。本当に良かった。助演のティム・ロビンスともども他を寄せ付けない勝利と思われる。いや~めでたい。

渡辺謙と「たそがれ清兵衛」については、残念でした。とりわけ、「たそがれ清兵衛」は、昨日有力との事前報道もあり、期待していただけに残念。外国語映画賞を取ったカナダの「みなさん、さようなら」って本当にいい映画なんだろうね。なにより、カナダなのに外国語映画なのかね?

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