2016.01.20

SMAP問題について

Smap


どうもおかしいと思いました。 暮れから正月にかけてのいわゆる年末年始特番と呼ばれるテレビ番組に登場するSMAPの五人の様子が少しばかり変だったのです。

もちろん、ちょっと見た限りでは相変わらず五人はいつものように上機嫌にふるまっているように見えますが、いつもは辛口でからむキムタクの他のメンバーに対するため口が全くなかったのです。簡単に言えば、明らかにキムタクは浮いていましたし、他の四人のメンバーもはっきりわかるほど表情が硬かったのです。そして、先週からの各スポーツ紙をにぎわせる大騒ぎです。「ああなるほどな」と合点がいきました。

夕刊紙情報だけで判断いたしますと、結果的に四人の反乱軍は、キムタクの仲介によりジャニー社長に詫びを入れ、元の鞘に納まっていわゆる「前だけを見て進む(キムタク言)」ことになった。表面上は極めて日本的な大団円になったように見えますが、専門家の目から見ると、そうでもないようです。

すなわち、本来センターの位置でこの間のいきさつを総括して説明すべきリーダー中居は、端っこで通り一遍のおわび。「キムタクの仲介への感謝」という微妙な話は、最も不得手と思われる草カリにゆだねられ、事務的なトーンで処理され、そして五人の中で最もうそがつけない香取は、ゲッソリとやつれ、涙声で言葉にならない始末。とても大団円には見えようもない状況。果たして、これから何事もなかったように、センターをキムタクに変更して他の四人を睥睨しながら、ジャニーズ王朝の栄華をむさぼり続けるのでありましょうや・・・

まず、ここまでで区切って、とりあえず私が言いたいことは、少なくとも中居達四人のとるべき態度は、こんな茶番などではなかったはずだと断言できます。
どうするべきかと言えば、まず四人の反乱軍は、当然のことながら謝ってはいけません。本来、悪かったのは彼らではなく、キムタクに大きな責任があると私は思います。

せっかくIマネージャーの下四人の独立の意思がまとまっているのに、キムタクはジャニーズ事務所への恩義を理由に、残留を選び、グループが分裂せざるを得ない状況を作ってしまったのです。簡単に言えば、キムタクも一緒に独立を宣言すればIマネージャーの下、SMAPはめでたくグループを維持できたはずなのです。
四人はみんなそうなることを予想して起こしたクーデターだと思われますが、これに対する識者の批判の主なものは、我が国の芸能プロの慣行として許されることではなく、芸能界から干されるなど厳しい報復措置が待っているのは常識であり、こうした当然の成り行きを見通せなかった四人はとんだお子様ランチだというものです。

こうした事実を認めたうえで私があえて主張したいのは、ここからですsign03
すなわち、こういったいわゆる識者たちの「慣行・常識」は少なくともわれらがSMAPには当てはまらないだろうというのが私の言いたいことです。
SMAPのデビュー以来、25年間の活躍は、我が国エンターテインメント業界で過去に類例のないほど際立ったもので、「世界にひとつだけの花」をはじめ世代を超えて国民的な情操を高めたと言っても過言ではないほどの他に代わりえない稀有のグループだと私は思います。加えて、私が高く評価するのは、彼ら以前のアイドルの常識ともいえるファンへのお追従の態度、薄笑いでのごまかしなど不愉快な「よい子ぶりっこ」から脱却し、本音で一生懸命語る彼らの真摯な姿勢です。

彼らのこうした国民的価値とも呼ぶべきものは、ファンに限らずすべての国民に自然な形で共有されているものだと私は思いますし、だからこそSMAPは「特別」なのです。
したがって、それこそSMAP独立後に識者が憂うるジャニーズ事務所の組織を挙げた総攻撃など鎧袖一触、(もちろん多少のトラブルはあるでしょうが)SMAPは不死鳥のごとく蘇り、ジャニーズ事務所は王朝滅亡の道を歩んでいくことは火を見るよりも明らかだったのです。
そして、そうすべきだったのです。

さすれば、前近代的なさしもの我が国エンターテインメント業界も、画期的な近代化の絶好のチャンスを得たはずです。
今、四人はその恨みの思いを噛みしめているはずです。
以上が、「18日のSMAP×SMAP」におけるSMAPの挨拶を見て、私が読み取れたことですが勘違いでしょうか・・・・・

2013.09.04

藤圭子追悼 背徳について

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藤圭子が自死しました。
私の青春時代には、通奏低音として「圭子の夢は夜開く」が脳の奥でいつも鳴っていたような気がします。
上の写真は、「あしたのジョー」や「巨人の星」で当時少年サンデーを圧倒し、全盛時代を謳歌していた「少年マガジン」の表紙を飾った時の藤圭子です。マガジンとしては、チャレンジングな表紙の設定で、当時かなりの話題となった表紙です。
昭和43年10月18日号となっていますから、私の大学一年、全学無期限スト真っ最中の時のマガジンの表紙です。なっつかしいなぁsign03
表紙全体が反骨の自己主張をギンギンしている雰囲気が伝わってきます。当時はそんな時代だったのです。
ちなみに、価格は80円。大学の授業料は1000円/月、特別奨学金は6000円/月。コンビニも100円ショップもなかったけれども、誰もがやりたいことをやろうとしても生きていけるという確信を持てた、今考えると夢のような時代でした。

というわけで、当時そんなふうにのめりこんでいた藤圭子の葬式くらいには行く義理がありそうな私ですが、故人の意思でやらないということですので、夜ひとり静かに藤圭子のアルバムを聴きながら彼女の総括をするぐらいのことはしなければなりません。
「オールナイト カラオケsign03 一晩中藤圭子しばりsign03」なんていう企画もいいですね。
しかし、千路に乱れてうまくまとまりませんでしたが、久しぶりに「時間厳守子」さんが、言わば彼女の総括のとっかかりとして的確な問題提起をしていただきましたので、下記にご紹介します。


 「背徳」という言葉は死語になりそうである。だからここで使用する。
 
 「背徳」が外見から明らかとなってしまう生活というものがある。客観的にはすべてを本人の責めに帰すことはできないはずだが、世間の目は厳しい。本人も自分を責めずにはいられない。耐えがたき苦しみである。
 「道徳」の何たるやを考えれば、また明らかとはならない「背徳」の普遍を考えれば、「背徳」の耐えがたさは緩和される。とはいえ耐えがたきものであることに変わりはない。
 耐えがたきものであることには変わりはないが、そこからのさらにわずかの解放を求めて、人間は知恵を絞った。「背徳」に「美」を見出し、「背徳」を「詩」にしたのだ。
 その典型が日本の演歌における酒場、港町、どこどこの女、どこどこブルースといった作品群だと思う。演歌のメロディーを共有する韓国・朝鮮には同様のものがあると推測されるが、他の国々ではどうであろうか?日本のように「背徳」の美化が文化的メジャーになっている国があるであろうか?
 こう考えれば人類に対する日本人の文化的貢献というのは大変なものである。富士山の文化的価値など内容乏しく、大したものではない。演歌こそ文化的世界遺産とするに値するものであろう。

 「空即是色」とはこのようなことを一例とするものであろう。

 藤圭子追悼のため深夜に彼女の歌を聴いていて思い至った。合掌。

以上です

2010.01.08

今回の紅白歌合戦

私とNHKの紅白歌合戦は、同じ還暦であり、私はほぼ全ての紅白の歴史を見続けてきたいわば「紅白マニア」であることは、既に書きました。
そうした筋金入りの紅白マニアである私から見て、今回の紅白歌合戦について、印象に残ったいくつかのシーンをランダムに振り返ってみたいと思います。

● まず、初めての試みという「子供歌合戦」は全くの無意味。不必要。時間のムダsign03
プロでない歌手の歌ならば、みなさん年末のカラオケで食傷気味のはず。
もちろん、美空ひばり以来の天才子供演歌歌手「さくらまや」だけは例外。
しかし、「さくらまや」のあのボディーアクションは、著しく悪趣味sign03 
誰がやらせているのかsign02 かわいそうだ。

● なぜ何のヒット曲もない伍代夏子が出場できるのかsign02
反面、なぜ藤あや子、長山洋子、香西かおりは出場できないのかsign02
そして何より「亀戸の歌姫」every・little・thingが出ないなんて、ありえないsign03
NHKの選考基準は明らかに説明不可能。しかし、古来、紅白の選考基準をあげつらい始めれば、夜が明けてしまいますので、ここでやめておきます。

● スーザン・ボイルのエスコート役を務めたキムタクの英語が通じなかったのは、かわいそうsign03 
そんなにへたな英語には、聞こえなかったが・・・・
スーザン・ボイルが、所詮英国の田舎育ちのためきれいな英語が聞き取れないのでは ?
なお、英国の大衆誌ザ・サンによりますと、昨年来スーザン・ボイルは精神疾患を発症しており奇行が目立ち、つい先日もロンドン・ヒースロー空港でモップをマイク代わりに卑猥な言葉を大声で叫んだと報道されています(ザ・サンの記事はこちらから)。

 秋元順子のステージのプロデュースは、テリー伊藤が担当。さすがにすばらしいステージ。
今後いろいろな人に、紅白のステージをプロデュースさせるというのは、グッド・アイデアsign03
余談ですが、テリー伊藤の実家は、今話題の築地の魚河岸の卵焼き屋さん。
彼の目の障害は、日大の学生時代に遡る。時は1970年、日大古田学長VSあの秋田明大ひきいる日大全共闘の激闘、激闘また激闘。この乱戦のまっただ中で、デモ行進中のテリー伊藤青年の目に、不幸にも投石の流れ弾が当たったのであります。
失明の危機はもとよりとして、命も危なかったと伝えられております。
ということは、彼もアラ還暦のはずなんですが、いやはやお元気ですよねぇ。

● 司会の仲間由紀恵と中居正広は、最近ではベストの組み合わせなれど、仲間は良いとして、中居の貧困なボキャブラリーは目を覆うばかりsign03
それなら「代案を出せ」と言われると困ってしまうが、中居は不合格寸前。
いまだにかつての名コンビ、高橋圭三と中村メイ子を超える司会コンビは現れていないsign03

● いつもの紅白は、最初から最後まで出場者が駆け足で走っているような感じで落ち着かなかったが、今回は出場者数を絞ったためなのか、全体に進行に余裕があって、その時間を審査員に焦点を当てて、コメントさせていた。これがうまく機能せず、かえって間延びしてしまったのは残念sign03
これは審査員のボキャ貧が、企画について行けなかったため。

● 超サプライズは矢沢永吉sign03
しかし、意外なことに我らの永チャンはどうしたわけか顔面蒼白sign03
何万回と歌い慣れたはずの「時間よとまれ」の歌詞を間違える始末。
しかし、永チャンはいくら緊張しても永チャンで、今回の紅白全体のあらゆる失敗と不行き届きを帳消しにするほどのカリスマぶりsign03
ちなみに紅白マニアとして言わしてもらいますが、紅白で歌詞を間違えるのは、圧倒的にベテラン歌手が多いんです。私の記憶では、フランク永井が毎年のように間違えていましたし、三波春夫が思いっきり間違えたこともあったと思います。

最後に、番外エピソードをひとつsign03sign03

この年始めに、私はNHKの福地会長と仕事の関係で親しくお話しする機会がありました。
その際、話題は自然に紅白の話になり、
私が「なぜ今度の紅白は、矢沢永吉の出場をサプライズにしたのですか ?  事前に告知すれば、視聴率は10%以上違ったはずだと思いますが・・・・」と不遜にも水を向けたところ・・・・

福地会長の答えは以下の通り。
いろいろなところで、そのようなご指摘を戴くのですが、私は担当の職員に『視聴率は気にせずに思い切ってやってくださいsign03』と檄を飛ばしてしまっているのです。
したがって、何も言えんのです。
」とおっしゃっていました。

僭越ながら、なかなかすばらしいリーダーとお見受けしました。
なお、今回の紅白歌合戦の瞬間最高視聴率は
ドリカムの時の 50.1% (関東地区)だそうです。

2009.12.03

伝説の「夜へ急ぐ人」

Photo 4年前に一回書きましたが、再び「ちあきなおみ」を取り上げます。
先日のNHKのBS2では、なんと2週連続で、合計5時間に及ぼうかという彼女の特集番組が組まれました。
どうやら、NHK BSの番組企画担当者は、私と同様にちあきなおみをなんとか復活させたいという強い希望を持っているようです。

とりわけ、久しぶりに聞いた彼女の「夜へ急ぐ人」は圧巻でした。
是非みなさんも動画でその迫力をこちらからご覧ください。
私は実はこの歌を歌うちあきなおみを、テレビで見たのは三度目になります。
前回は4年前のやはり同じNHKBSの「歌伝説/ちあきなおみの世界」、そして最初に見たのは昭和52年の紅白歌合戦でした。

32年前の紅白歌合戦は、まだまだ視聴率の高い時期でなんとsign03視聴率は堂々77%でした。
司会者は白組が山川静夫、紅組は佐良直美。
ちあきなおみの出番は、トリから4っつ前の勝敗を決定づける重要な位置での歌唱でした。

32年前の私の印象は、あまりの壮絶と呼ぶべき迫力に声もないという状況でした。一言で言えば、今までに一度も聞いたことのない驚くべき歌い方でした。
とりわけ、最後のスキャットは、その後のいろいろな芸能評論でも一致して「鬼気迫る」という形容をしております。

しかし、今回はさすがの私も三回目でしたので、かなり冷静に見ることができました。
その結果、わかったことがあります。
ちあきは司会の佐良直美に紹介された直後から、ハンドマイクを手でくるくると弄びながら、意気揚々と拍子をとるかのごとく中央に向かいます。私が見たところ、既にこの時点で、ちあきは尋常ならざる精神状態を感じさせます。
すなわち、ちあきは最初から「やってやるぞsign03」という、理由はわからないがなにか得体の知れない破壊衝動を持っていたとしか思えません。
早い話が、ちあきはこの時点で一種のテロリストになっていたのだと思います。

「夜へ急ぐ人」の作詞・作曲は、フォーク界でも異色の風雲児・友川かずきでした。友川かずきと言えば、フォーク界でも異色過ぎて一種のテロリストではありましたが、作者の友川もびっくりのちあきのテロリストぶりであったろうと思います。
彼女の真実の意図は図りかねますが、歌の最後のいわゆるひとつの鬼気迫るスキャットが終わった時、紅白歌合戦の会場であるNHKホールは一瞬静まりかえります。
観客の反応を今推し量れば、「この歌はなんだったのだろう、歌だったのだろうかsign02」という率直な驚きだったろうと思います。
司会の山川静夫も例外ではなく、リアクションの術もなしという状況だったと思います。その証拠に不自然に長い間の後で、NHK屈指の名アナウンサーであった山川は、よりによって紅白では絶対に言ってはならない一言を発します。すなわち「気持ち悪い歌ですねぇsign02と言ってしまったのです。
NHKの紅白での司会者の失言には、あの生方アナの「美空・・・」発言を筆頭にして、思えば数々の歴史があります。この山川の発言は、そのうちのひとつとして特筆すべきものだと思われます。

この後、歌唱力合戦を想定したのでしょうか、白組は歌唱力抜群の布施明が「旅愁~斑鳩にて」を歌いますが、ちあきの後では鎧袖一触、会場の注意を引きつけることすらできなかったと思います。

このテロ攻撃が影響したのでありましょうか、ちあきは翌年の紅白から落選します。
同じ時期に、南沙織も突然引退して紅白から姿を消して、紅白はすっかりさびしくなっていきます。

2009.07.07

大竹しのぶについて

大竹しのぶは、あまり知られておりませんが、学校群後の第六学区の都立小岩高校出身です。
今では考えられないことですが、当時の都立高校は、大竹しのぶ以外にも、都立八潮高校(広尾高校ではありませんsign03)の薬師丸ひろ子、都立西高校の望月真理子、都立新宿高校の小川節子と多士済々の優秀な女優たちを連続して輩出しておりました。とりわけ、小川節子については、当時全盛の日活ロマンポルノの看板女優で一世を風靡しておりました。

Mikan 大竹しのぶは、これまたあまり知られておりませんが、アイドル歌手としてビクターレコードから小岩高校在学中の16歳でデビューしております。デビュー曲は「みかん」。当時ミカン箱とミカンを持って、全国のレコード店を彼女とキャンペーンで回っていたマネージャーを私は知っています。ミカン箱は歌うために乗る簡易ステージとして、みかんは持ちながら歌うために使用したそうであります。
この「みかん」という曲をいまだに歌える大竹ファンのおじさんも私は知っています。なお、大竹の「みかん」は、現在どこのカラオケ店でも歌えません。
なお、「みかん」を歌うデビュー当時の大竹しのぶの貴重な映像をYouTubeで発見しました。ご興味のある方は、こちらからご覧下さい。

Ohtake さて、その大竹しのぶが8月20日から一ヶ月間、池袋の東京芸術劇場小ホールに出演します。野田秀樹芸術監督就任記念プログラムとして、昨年キャサリン・ハンター主演でロンドン公演を行い、高く評価された「ダイバー」を大竹しのぶ主演で公演します。
期待の演目で、話題沸騰でありまして、7月11日の前売り開始と共に瞬間的にチケットは売り切れるであろうと予想されております。
キャサリン・ハンターは英国演劇界でも隠れも無き名女優として知られておりますが、同じ六条御休所を演じるのであれば、大竹しのぶの方が適役であろうと私は思っております。いずれにしても両女優の競い合いは楽しみな限りです。

この大竹しのぶと野田秀樹の初めての対談が今週号(09.7.13)のAERAに掲載されています。
お互いを尊敬しつつ、支え合う、結婚しない男女関係としてはあまり見られないさりげないながらも理想的な関係が伺われます。野田は再三、大竹を「天才」と表現しますが、これは決して誇張ではなく、まさしく彼女は天才であると私も確信しています。
ふたりが一時恋に落ち、共に暮らした時間があったことはよく知られたことですが、そうした時を経て、別れを経験し、そして今はそれぞれ子供を持って尊敬しあえる強い友情関係にあるのは、とってもうらやましいことです。
ふたりの会話のディテールの相性の良さに、「結婚しなかった男女」の心温まる友情のまぎれもない成立を信じられる気がして、とってもホッとしました。

最後に、ふたりの「対談」の中の、ちょっとおもしろかった部分を抜き読みします。

野田: 客を呼ぶためだかなんだかわからないけれど、突然、すごい下手な役者さんをぶつけられたりする。役者って、下手な役者を相手にしたときは、ものすごく醒めちゃう。見ないことにして演じない限り、潰されちゃう。

大竹: (中村)勘三郎さんと観に来てくれて、「他の役者を撃ち落とせ」とか、ひどいこと言ったことあったよね。

野田: それは俺じゃない、勘三郎だよ(笑い)。打てば響くって相手とは、楽にやってるよね。

以上の会話で野田が言う「すごい下手な役者さん」とは、大竹しのぶが「女教師は二度抱かれた」に出演した時の相手役「市川染五郎」であろうと思われます。
根拠はありませんが、私の勘です・・・・・

もうひとつだけ、この対談のエンディングを引用しておきましょう。

大竹: 私たち、今は、いい仕事仲間、友人ですね。

野田: 友情かな? 友情とは思わない。俺は相談係でしょ。

大竹: はい、いつも愚痴きいてもらっています。ありがと。
   でも、友情でいいじゃないの?

野田: いいの? 友情で? 恥ずかしいよ、なんか。でも、大竹さんがよければ、じゃあ、私は別に。友情でよろしく(笑い)。

大竹: フフフ。では、武者小路実篤で、よろしく。

野田: 俺、その作家、嫌いですけど・・・・

2009.04.30

草彅剛事件について

Kusanagi SMAPの草彅剛というアイドルが、夜中に泥酔して公園で大声を出しながら全裸になったということで、逮捕されました。

かわいそうに草彅剛君は、世間全体を敵に回したかのごとき嵐のような怨嗟の洪水に見舞われ、中止されたコマーシャルに対しては多額の損害賠償を求められたり、挙げ句の果てには鳩山総務相ごときに「人間として最低」とまで言われる始末です。まるで、連続殺人鬼もかくやというブーイングの殺到です。

草彅剛君のやったことを落ち着いて反芻すれば、誰でも気がつくと思うのですが、この事件にはいくつかの腑に落ちない点が見えてきます。

まず第一に、泥酔して公園で裸になることが、はたして逮捕されたうえで家宅捜索をされるような重大な犯罪と言えるのでしょうか?
草彅剛君は泥酔してもうろうとした頭の中で、本能的に「深夜の都心の公園はほとんど人がいないから、裸になっても見られない」と確信していたはずです。
また、大声を出して善良な六本木住民の安眠を妨害したとのことですが、公園周辺の六本木住民は、ほとんど高層マンションの住民であり、近隣公園の大声などで眠れない人などほとんどいないということもわかっていたはずです。事実、ニュースに出てきた近隣住民のおばさんの証言では「誰かが大声を出しているらしいことはわかった。草彅君が裸になっていたなら、見に行けば良かった。」などという始末です。
かような次第であり、この事件には明白な被害者すら皆無と思われます。こうした状況で、捜査令状がよく出されたものだと驚いてしまいます。

第二の疑問は、公然猥褻物陳列罪でなぜ家宅捜索されなければならないのでしょうか。当局は、家宅捜索で一体何を探し出そうと意図したのでありましょうや。
どう考えても思いつきません。エロ本とかエロビデオをみつけたかったのでしょうか。要するに、草彅君が変質者であることの証拠が欲しかったのでしょうか。
このことについて、一部報道では、あまりに強烈な泥酔振りに捜査当局が、覚醒剤を確信していたのではないかという解釈もあります。

第三の疑問ですが、実はこれがこの記事の最大の論点なのですが、あまりにも明白に事件性のないこのケースに対して、報道される限りにおいて、いわゆる「街の声」も「識者の声」も、なぜ一方的に草彅君の非をあげつらう意見ばかりなのでありましょうか。
このケースに対する常識人による常識的な見解というものは、石原都知事に代表されるように「だいぶストレスが貯まっていたんじゃないの? 裸になりたい気持ちはわかるけどね・・・」程度であるはずです。確かに悠に二十年を超えるほど継続してトップアイドルを維持するなんてことは、常人のうかがい知れないストレスを伴うものなのだろうということは、容易に想像できます。(あの美空ひばりですら二十年も人気を維持できなかったんです)
要するに、この草彅剛事件が明確に印象づけた最大の問題は、この国の現代の大多数の一般的市民が、このケースに見られるような極端にシンプルな事例に対してさえも、もはや自分の頭では考えられず、メディアの反応を無批判に反芻し続ける従順な羊の群になりはてているらしいということなんです。
これはショックです。もはや、だれも北朝鮮を笑えないと思いますよ。北朝鮮より罪が重いのは、日本の場合、この状態を国民自身が自ら選択しているということです。

国民意識という面での我が国の危機的状況は、とっくに「フェイズ4」だと思います。
この調子だと「フェイズ5」になるのも、早いと思いますよ。
「フェイズ5」とはどういう段階かといいますと・・・・
泥酔して道端で嘔吐したり、電車で居眠りして隣の人に寄りかかると、逮捕されたうえに家宅捜索される段階です。そこまで行ってしまえば、政府を批判する発言は即座に厳罰に処せられる
ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界はすぐそこです。

しかし、ジョージ・オーウェルもこの世界を自ら選び取る国民があり得るとは思わなかったでしょうね・・・・

2008.09.29

当マイクロフォン「中西龍」

かつて中西龍という名のNHKのアナウンサーがおりました。
ご記憶でございましょうか。
独特の「復古調」とも形容すべき名調子の朗読で、根強い人気がありました。徳川夢声や森繁久弥の系譜に列なる職人的朗読技術を持っていたアナウンサーだったと私は思います。
Microphone 中西龍の評伝とも言うべき小説「当マイクロフォン(角川書店)」三田完:著を読み終わりました。
いい本でした・・・・・   感動しました。

それほど波瀾万丈の人生とは言えないまでも、誇り高き孤高の気性ゆえ、サラリーマン世界の常として、再三の島流し的な人事異動にモロに遭遇しながらも、行った先々で、情の濃い女性と深い関係になります。それにしては、中西龍の奥さんは旭川支局で出会った妙子さんだけで済んだのは不思議です。
なにしろ昭和28年、NHK入局以来の彼の異動経路をたどるだけで、その異常さがしのばれます。
熊本・鹿児島・旭川・富山・名古屋・大阪・東京・・・ 大変な異動距離です。
最初の赴任地熊本には、新橋の芸者と駆け落ち同然で夫婦として乗り込み、同僚や上司を驚愕させます。この時の奥さんは、新橋を足抜け同然で出てきたため、後から暴力団風の輩に追っかけられたため、やむを得ずふたりは別れると共に、中西龍は急遽鹿児島に転勤させられます。
鹿児島では、今度は、上司の紹介してきた県庁の偉い人のお嬢さんとの見合いを断ったため、逆鱗に触れてなんと旭川まで飛ばされます。これはNHKの人事異動の歴史上記録的な移動距離だそうです。

ここまでは、強烈な個性ゆえの破天荒な人生を感じさせますが、本人は恬淡としていたようです。
鹿児島では、「お昼のニュース」で鹿児島のローカルニュースを担当し、全国ニュースを当時人気絶頂の宮田輝が読み終えた後のローカルニュースの読みで、宮田輝の声色と抑揚を寸分違わずまねして、周囲を驚かせる茶目っ気もありました。

Nakanisi 彼の運気が急上昇したのは、名プロデューサーの和田勉と後の会長坂本朝一に見出されてNHKゴールデンタイムの意欲作「文吾捕物絵図」に抜擢されたとき。
この時中西龍は、名古屋支局にいて、例によって次なる土地に飛ばされることが確定していたタイミングだったそうです。当時の島会長の改革号令の勢いで、逆に初めての東京赴任に異動が書き換えられたようです。
「文吾捕物絵図」は大人気となり、一気に中西龍は大ブレークします。そして、大河ドラマ「国盗り物語」やフリー後の「鬼平犯科帖」のナレーターにつながり、名ナレーター中西龍の名は不動のものとなります。

そして、昭和52年から平成3年まで、十四年間続いた「にっぽんのメロディ」を担当します。

" 唄に思い出が寄り添い、  思い出に唄は語りかけ、
 そのようにして  歳月はしずかに流れていきます。
 皆様こんばんは、  中西龍でございます。 "

この名調子は、NHKラジオ第一の電波に乗って全国津々浦々にまで、彼の職人芸を染み渡らせることになります。
当時のNHKアナウンサーの人気ナンバーワンのアンケートをとりますと、女はご存じ広瀬修子、男は中西龍が指定席となりました。
おもしろいのは、きらいなアナウンサーのベストワンも中西龍だったことです。
そして、フリー後は「浅田飴」のCMのナレーションで絶賛を浴びます。
浅田飴のおかげで、NHK時代は島流し異動の連続でさほど裕福でなかった龍も、フリーになってからはそこそこ潤ったようです。

おかげさまで、私の尊敬する「普通でない人」がまたひとり増えて、読んだ後とても豊かな気分に浸れました。
残念ながら、中西龍は我々よりもちょうど一世代上に当たり、十年前の平成10年10月、脳梗塞でひっそりと既に亡くなっています。享年70歳でした。
なお、中西龍のお父さんは、嘗ての中央区長中西清太郎さんです。

「にっぽんのメロディ」・・・・  CD化されないですかねぇ・・・

2007.06.03

深見千三郎の粋(いき)

Sdsc00255今回は深見千三郎という芸人さんについてです。
まず、深見千三郎という人について、ほとんどの読者は知らないと思います。
今からおよそ40年前、明治大学工学部4年生の北野武という学生が、4年生でありながら無謀にも明治大学を中退し、浅草六区のフランス座に転がり込んで、師匠として師事したのがほかならぬこの深見千三郎師匠だったのであります。

私が考えますに、ビートたけしという人は、大変運の良い人だと思います。
たとえば、講談社に殴り込みを掛けて監獄に入れられた後、平気でカムバックできる芸人は、そうはいません。また、バイクの事故で人相が変わるほどの瀕死の重傷を負って、その後事故以前を凌駕する問題意識の高い映画を作れる映画監督もそうはいません。
しかし、ビートたけしという人の運の良さを最も典型的にあらわすものは、明治大学を中退して何もわからない素人としてふらっとフランス座に入ってきて、よりによってこの深見千三郎を師匠にできたというこの偶然の一点にこそあります。
それほどに、深見千三郎という芸人は、ビートたけしにとって理想的なお師匠さんだったのであります。しかし、この深見千三郎さん、浅草の小屋には出演しますが、テレビには絶対出ません! したがって、その顔や芸、まして人となりを知っている人はあまりいません。
しかし、めったに他人をほめないビートたけしが深見師匠を語る時、その粋を絶賛しています。ということで、以下にビートたけしの深見千三郎の粋を敬愛する文章を引用します。

師匠の深見さんにも、ずいぶんいろんなことを教わった。
「おいタケ、鮨でも喰うか」って鮨屋に行って、オヤジさんがひとりと、若い衆が二人いれば、あの当時でひとりに祝儀を一万円渡していた。師匠と俺の二人で握りを喰っても、一万円するかしないかの時代に、祝儀は三万円だった。それも自分じゃ渡さない。帰りがけに俺に財布を渡して支払いをさせる。
その支払いにもタイミングがあった。
師匠が席を立つ前に渡してしまうと、鮨屋のオヤジさんは当然「師匠、ご祝儀ありがとうございました」と礼を言う。
そうすると、怒られる。
「相手にありがとうございましたと言わせるな。そういうの俺はきらいなんだ。ちゃんと俺が店を出てから払え」  これが師匠の教え。
また、俺が師匠と仲良くなって、「師匠、鮨屋行きませんか」って誘いをかけても、首を横に振ることがあった。
「行かねえよ」 「なんでですか」 「祝儀代がねえんだよ」
鮨の金がないわけじゃない。祝儀がない。一万円はあるけど、あと三万円の持ちあわせがねえんだって言うわけだ。それでずっとやってきた人だから、祝儀が払えなきゃ、飯を喰いに行かない人だった。
かっこよかった。テレビで顔を売るタイプの芸人じゃなかったけれど、さすが浅草の深見だなあって、そういうことが何回もあった。
自分の一座を持ち、全国を回って興行していた人だから、もちろん堅気ではあるのだけれど、ヤクザみたいな人でもあった。だけど、なんといえばいいのか、骨っぽいところがちゃんとあって、そしてとびきりの照れ屋だった。
端から見ても格好のいい、大人の作法を身につけている人は、だいたい照れ屋だ。

というわけです。「大人の作法」とも「大人の粋」とも言われる、わが下町に脈々と伝承され続けているこの類の生活態度というものは、このようにして、伝承者をカリスマとしてあがめながらしっかりと後世代に伝えられてきたのであります。
最近、わかったのですが、この種の生活態度は山の手育ちの人には伝承されておらず、下町特有のものらしい。

2007.01.24

紅白歌合戦の今昔

昨年の紅白歌合戦はDJ OZMAの裸肉襦袢騒ぎと記録的な低視聴率(2部で39.8%)が話題になりましたが、今回はその紅白歌合戦について書きたいと思います。

実はあまり大声では言っておりませんが、恥ずかしながら私はNHKの紅白歌合戦の熱心なファンの一人なのであります。前にも書きましたが、我が家が電気商を営んでいたこともあって、我が家にTVが来たのは、無茶苦茶に早くてTVの本放送が開始されたまさにその年に当たるなんと昭和28年なんです。当時のTVは、とっても小さくて9インチ ! まん丸なブラウン管でありました。おそらくわが町会の中でも「最も早くTVがやってきた家」ということになるはずです。

このため、私が紅白歌合戦を初めてTVで見たのは、昭和28年ということになります。
司会は、水之江滝子と高橋圭三。その時の主な出演者は、淡谷のり子、江利チエミ、織井茂子といったところです。
当時、弱冠4歳の私が紅白歌合戦を初めて見ての評価は、「こんなにおもしろいTV番組は見たことがない !」という驚きと、「早く次の一年が過ぎて来年の紅白歌合戦を見たい !」という最上級のものでした。
TVの初期の頃は、写っていれば何でもおもしろいと誰もが思う頃ですから、視聴者の点数も相当甘くなっているとは思いますが、それにしても面白かったんです。
とりわけ、私の個人的な趣味になりますが、紅白の司会者の組み合わせが「水之江滝子と高橋圭三」の時(昭和28・32)と「中村メイコと高橋圭三」の時(昭和34・35・36)は、合戦の性格がとりわけ強く、紅白両軍とも一人ひとりの歌手が「勝ちたい !」という意欲を露骨に表に出して、緊張感もあり、ぞくぞくするほど面白かった記憶があります。

ここで、紅白歌合戦のそもそもの歴史を紐解いてみますと、昭和20年終戦直後の大晦日に「紅白音楽試合」というラジオ番組として放送されたことに始まります。このときは、当時大ヒットした「りんごの唄」の新人並木路子が目玉だったそうです。
当初は一回だけのラジオ放送の予定でしたが、あまりの好評のため、昭和26年、タイトルを「紅白歌合戦」として改めて継続することになりました。記念すべき第一回の大トリは藤山一郎の「長崎の鐘」です。
第一回から第三回までは、ラジオの正月番組だったんです。そして、昭和28年のTVの本格放送の開始を機にTVによる大晦日の生放送が定着したわけです。

したがって、私はTVの「紅白歌合戦」としては記念すべき第一回(昭和28年大晦日)を見る僥倖に浴したわけでして、今考えると相当に貴重な経験だったことになります。
その後、私はどのような困難な状況にあろうとも、大晦日の7時半以降は、TVの前にしっかりと席を占めまして、毎年見続けてきたわけで、結果としてTVに移行した第四回以降のすべての紅白歌合戦を見続けてきたわけであり、紅白の歴史の中でも稀有な生き証人になってしまったわけです。

さて、話を戻して今回の紅白歌合戦についての私の感想ですが、視聴率は振るわなかったようでありますが、私としては近年稀な面白い紅白だったと評価しています。

最近の紅白のように、歌手と曲名を紹介するのが精一杯の素人司会者ではなく、中居正広と仲間由紀恵は、曲紹介を超えて歌手の個性と面白さを引き出そうと相当に工夫した努力が感じられ、大変好感が持てました。歌手の人選も演出も意欲的で、「中村メイコと高橋圭三時代」の面白さをある程度髣髴とさせる大健闘であったと思います。今年のスタッフたちの努力をねぎらいたいと思います。
低視聴率とDJ OZMA騒ぎで、彼らの意欲が今後萎えてしまうことがむしろ心配です。

DJ OZMA騒ぎにしても、あの程度の挑戦はNHKとして当然やってしかるべきもので、私は評価します。
あの程度のことを問題にするのならば、昭和54年、初出場のサザンオールスターズが、白塗りバカ殿風扮装でバカ騒ぎをしながら歌って顰蹙を買い、以後二度とサザンは出場していないことを連想しますが、少なくともあの演出に比べればずっと上品で気が利いていたと思いますヨ。